そのままの自分

2013年6月22日 (土)

あなたはきっと、とても強くて、そしてやさしい人。

心の思いが形を変えて表面に出てくる事がありますね。
妙に感情の起伏が激しいなんて感じた時に経験がないでしょうか。
素直に表現したくても、プライドもあるし、様々な立場や思いから、表現出来ない場面も多々あると思います。
押し黙ってしまったり、最初から自分の心を自分で殺してしまったり…。

いろいろな事があって、いろいろな事がわかっているのに、でも自分の心が整理出来なくて、自分の本意でない方向に表の行動が現れてしまったり…。
小さな子供の様に、思いっきり泣いたり、怒ったり、笑ったり…表現できたら楽ですね。

本当にわからなくなってしまう事がありますね。
でも、時々そんな自分の思いをみつめてやるといいな…と思うのです。

とっても辛い状況なのに、よくガンバっているネ。

本当に、とても頑張っていると思うのです。
どこにも、誰にも頼る人がいなく、孤独で、ひとりで頑張っている。
そんな自分を、自分で褒めてあげて良いと思うのです。

そんな状況を抜け出そうと、新たな思いや勇気が湧いてくる事が、たまにあります。
【ご注意】八日目の蝉のストーリーに触れる部分があります。
映画のクライマックスで、写真を撮影するシーンがあります。
迫りくる別れの予感を感じながら、ふたりが写真館で写真を撮影します。

お母さんが自分の両手も握り、娘に手を出してと言います。
娘が手を出します。
その上で、お母さんが自分の結んだ手を開きます。
そしてそのまま、娘の手を握ります。
「はい…」
「なぁに?」
「ママはもうもういらない。何にもいらない。薫が全部持って行って。大好きよ薫」
お母さんは泣きながら、娘を抱きしめます。
薫には、お母さんの言葉の意味が分かりません。

やがて大人になった薫に、その時の記憶が蘇ります。
誰かに心から大切にされた、その記憶が心に蘇ります。
お母さんの本当の思いを、理解するのです。
薫は本当の心に触れて、号泣し、本当の自身の思いに気づきます。
…と私はこのシーンを理解するのです。

本当の思いや気持ちを伝える難しさ…。
自分を大切のしてくれる人の、大切にしてもらっている事の大切さ…。
その愛情に気づく事…。

あまりにも静かに、あまりにも優しく、あなたが私のそばにいたものだから…。
私はその愛に気付かなかったのです…。
愛は裏切る事よりも、愛に気付かぬ事のほうが、もっと罪深い…。
アニメ「ベルサイユのバラ」よりオスカルの言葉。

高校生の時、再放送で見ていた「ベルサイユのバラ」のこの言葉に私は射抜かれました。
それを見たきっかけは、たまたまつけっぱなしのテレビから、アランの妹が登場した時の音楽に気をとめたからです。
ヴェートーヴェンのピアノソナタ「月光」第2楽章に似ていたメロディーが流れてきた事でした。
そこから、物語はフランス革命に向かって進み、さらにドラマ性を帯びてゆきますので、世界史選択の私は退屈しないで見た記憶があります。

130418002

例えば幼い頃から、何かと受け入れてもらえなかった事が多々ある場合、だんだん自分の気持ちをストレートに表現するのが難しくなってしまいます。
自分の言った言葉や行動で、相手(その時は親である事が多々あると思います)が、怒りだしたり、明らかに不愉快な態度を示されたら、とても傷つくし、怖くなってしまいます。
何度もそんな事が繰り返されたら、自分の気持ちを表現する事自体が恐ろしくなってしまいます。
自分を、自分自身を否定されている気持ちになります。

そうして、大人になって多くの人と関わりあう中でも、この気持ちと恐怖を引きずるほど怖い事はないし、いつもとても苦しく辛いです。
本当の自分の気持ちは、自分の心にはここにあるのだけれど、それは表現をする事ができないし、表現する事が怖い。
本当の自分の気持ちを思いを、心を伝えたら…
相手に嫌われないだろうか…。
相手が不愉快に思わないだろうか…。
と怖くなる。

自分が傷つくのも嫌だ。
伝えられないから、自分の心は伝えられないから、本当の事が言えない不満がつのります。
そういう事もとても辛い。
巧みな(ズルイ)人は、そんな苦しいくて怖い気持ちや、つのる不満を見透かして利用します。
でも、利用されている事がわかっていても、それを拒否する事がとても怖い。
心は同じところを戻り、めぐってしまう…とても辛いです。

20130515010

幼いころから、誰かに助けを求めず、だから助けを求める方法も知らない。
周囲にそれを理解してくれる人もいない。
ずっと孤独で、生きてきた、戦ってきた。
そんな自分に気づいたら、そんな自分を褒めてあげましょうよ。
私はよく頑張って生きてきたって。
たっぷり褒めてあげていいじゃないですか。
勿論、自分が傷つく事も嫌ですが、自分が誰かを不愉快にさせたりするのが嫌で、自分の心を殺してきた。
そのやさしさと強さを褒めていいじゃないですか。
そんな人は、本当はとても強くて、やさしいと思うのです。

とっても辛い状況なのに、よくガンバっているネ。

その時は本当の思いはわかってもらえなくても、いつかその思いが伝わる日がある。
人の世に、きっと誰もが抱いた事がある思いです。
いつか、誰かが歩いた道。

| | コメント (0)

2012年9月17日 (月)

氷解 あなたは最高に魅力的

P1010015

誰もが誰にも言えない、やりきれない気持ちを抱えながら生きています。

大学生活が始り、それまでとは違って、たくさんの友達も出来て、話す事も、遊ぶ事も変わって、毎日はとても楽しくなりました。
いろいろ楽しい事もあって、本当に楽しかった事もありますが、何より肩の力が抜けて、毎日が、生きる事が、とても楽になったのだと思います。
中学時代の楽しさとは勿論異なっていて、心も成長するのだから当たり前です。
でも、それまでの事もあって、私の心には整理につかないような思いがあったのです。

はからずも孤独となった環境で、自分や、自分の周りや、自分の思いと向き合った、その思いが形なく心で渦巻いているようでした。
毎日はとても楽しいのだけれど、時々これが本当に求めていたものなのか…と悩みではなく不安になったのです。

大学は多くの地域から人が集まり、なかには東京で初めて暮らす人もいます。
そんなところから、これまでとは違う文化がたくさんありました。
これも私には、とても刺激的でした。

当時、バブルの享楽は始った頃で、軽薄短小ではないですが、わりと誰とでも気軽に、なんだか「根暗」なんて言葉もあって、誰もがそういうレッテルを貼られたくないなから、離合集散し、うわべだけの付き合いも多くありました。
私は1人でいる事にも慣れていましたから、迎合するような幅はあまり持ち合わせていませんでしたが、、気の合う仲間と知り合うまでは、そんな中に私もいたのです。
高校時代と同じ轍は踏みたくないという気持ちも、どこかに間違いなくあったと思います。

心の中にあった形にならない思いは、ますます混沌としていました。
誰にもそんな事を話す事はなかったし、自分の中で急いで答えを見つけ出して、気持ちを整理したいなんて思いはありませんでした。
好きで続けていた読書で、私はこんな文章に出会いました。
その本は特別に買い求めたのではなく、書店で見つけたものでした。

湖畔の村々で彼は人々に見棄てられた熱病患者のそばにつきそい、その汗をぬぐわれ、子を失った母親の手を、一夜じっと握っておられたが、奇跡などはできなかった。
そのためにやがて群集は彼を「無力な男」と呼び、湖畔から去ることを要求した。
だが、イエスがこれら不幸な人々に見つけた最大の不幸は、彼等を愛する者がいないことだった。
彼等の不幸の中核には愛してもらえぬ惨めな孤独感と絶望が何時もどす黒く巣くっていた。
必要なのは「愛」であって病気を治す「奇跡」ではなかった。
人間は永遠の同伴者を必要としていることをイエスは知っておられた。
自分の悲しみや苦しみをわかち合い、共に涙してくれる母のような同伴者を必要としている。

イエスの生涯 / 遠藤周作

Dvc00037

私は私の中の混沌とした思いを、上手に私の中で結晶にする様な思いでした。
気持ちでした。
私を愛しんでくれた人、思いを託してくれた人、大切にしてくれた人、やさしくしてくれた人、感謝してくれた人。
私は私の思いが、心が、結晶化して行き、昇華した様な気持ちだったのです。
今まで生きてきて、生きててよかったんだ…と思えたのです。

9月6日に報道で上半期の児童虐待最多=昨年の1.6倍とありました。
通報が増え、虐待が発覚しやすくなったとの事。
その事でひとりでも、いやそんな日々の誰もが最悪の事態を避ける事が出来て、絶望する日々が終わる。
こういう報道を知るたびに思います。

親の顔色を窺う子供の毎日は、とても辛い日々です。
自分の発した言葉や、自分の態度で親が急変し、怒ったり、暴力を振るったりすれば、次第に自分の気持ちを表す事が恐ろしくなってしまいます。
自分の存在が、自分の発言が、自分の態度が、その場の空気を、雰囲気を、どれ程変化させてしまうかと考えれば、次第に無口になって行きます。
話せるはずがありません。
親の顔色を窺いながら、いつでも親の思う子供に、親の気持ちに沿う様に頑張る。
そして、本当の自分の心を殺し続けて行きます。
大人になっても、それは親から社会で関わる人に代わるだけで、やっぱりいつも誰かの期待に応える完璧な人でなければと考えてしまいます。

いつでも誰かの期待に応える。
誰かの思うような理想の人でいる。
人付き合いであれば、人は相手に完璧である事を求めたりはしません。
相手がなんでも完璧であると、自分を省みて窮屈になってしまいます。
でも、子供の頃からそんな親の意志を汲み、やがてそれが社会で関わる人に代わるだけで、日々続いてゆく。
自分の心を殺し続ける日が続くのは、とても辛い事です。
自分をよく見せようと一生懸命頑張る。
そうでなくては、自分を認めてもらえない、自分の居場所がないと考えてしまう辛さ。
何かを与え続けなければ、自分は相手にとって意味がないという考え方に陥ってしまう。
こんなに辛い日々があるでしょうか。

今年の5月。
小学6年生の二男の運動会の事です。
二男は1年生の頃から徒競走はビリが指定席になっていました。
小学校最後の運動会で有終の美を飾るべく、私と特訓を開始しました。
ふたりで走って持久力を高めたり、スタートダッシュに、カーブと練習します。
1位は無理でも、ビリをなんとか抜け出したいと思う二男も必死で練習メニューをこなします。
テレビ番組でその頃にあわせた特集の「早く走れる方法」なんてのを見て、取り入れられるものは、特訓に取り入れました。
これならなんとかビリは脱出可能かもと思われるところまで仕上がってきたなと思いました。

本番。
スタート前から緊張しているのが伝わってきます。
二男の順番が回ってきました。
スタートポジションにつき、いよいよスタート!

いちばんインコースからスタートしましたが、第2コーナーで団子状態に。
しかし、最後の直線で差が開き始めました。
最後の直線ではビリから2番目です。
なんとか逃げ切れるか…。
ゴール前、デットヒートです。
ゴールへ入って行く背中が見えます。
果たして…。

結果はビリでした。
二男は地団駄踏んで悔しがっています。
私は昼食時に、結果は残念だったけれでも、練習から本番までよく頑張ったと二男を褒めました。
二男は悔しさを噛みしめています。

ところが、思わぬ変化がありました。
クラスメイトから走り方が変わったとか、早くなったとか、二男のこれまでとは違う様子に驚きと評価の声があったのです。
いつもを裏切るレース展開に他の児童が沸いたのです。
見ていたクラスメイトのお母さんたちからも、評価の声を頂きました。
反対の見方では、それほどビリの印象が定着していたのだと思います。

誰かに認めてもらいたくて、褒めてもらいたくて一生懸命頑張る。
そんな事が様々な場面であったと思います。
結果は思う通りであったり、不本意であったり、いつもいつも自分の思うとおりには行かなかった事の方が、多かったりしますよね。
こんなに、とっても頑張っているから「よく頑張っている」と褒めて欲しい。
認めてもらいたい人に、認められるととても嬉しいです。
しかし、反対に頑張った事を否定されたり、もっと優秀な誰かと比較されたりすると、とても辛い気持ちになります。
自分はダメな人間だと思ってしまいます。

あなたは自分のことを価値のない人間だと思っている。
欠点だらけの人間だと思っている。

欠点だらけの人間が世の中で自分だけだと本気で思ってる?
心が粉々になるほどの傷を負った人間は自分だけだと思っている

花言葉をさがして
ヴァネッサ ディフェンバー (著)/ 金原 瑞人 (翻訳)/ 西田 佳子 (翻訳)

でも、前述の二男の話ではありませんが、誰かが頑張っている姿を見ています。
頑張っている姿を認めてくれている人がいるのです。
そんな誰かを感じる事が稀だから、そう思ってもなかなか心が満たされる事はないかもしれません。
そんな思いをした事があるからこそ、近くに、目の前に、遠くに、声も思いも届かない場所に、同じ思いを持つ人がいれば、「あなたはよく頑張っている」と声で、言葉で、伝えたくなりませんか。
そんな思いを心に抱きませんか。
そんな覚えがありませんか。
それは同じ哀しみを持つ人の心を知り、その哀しみを自分の力に変えている事だと思いませんか。
とてもやさしくて、強い心だと思いませんか。
どこかで頑張っている誰かを応援している誰かになりませんでしょうか。
どこかで見ている誰かになりませんでしょうか。

苔は根がなくても育つこととか

苔に根がないというのが本当なら、母性愛も、なにもないところに自然に生まれるものかもしれない。

みなしごでも誰にも望まれない子どもだったとしても、誰にも愛されずに育ったとしても、おとなになれば、他の誰にも負けないくらい豊かな愛情を、子どもに注ぐことができるようになるかもしれない。

花言葉をさがして
ヴァネッサ ディフェンバー (著)/ 金原 瑞人 (翻訳)/ 西田 佳子 (翻訳)

これまでの人生をとても辛いものだと思ったならば、まずはそんな自分を、自分で認めて評価してあげてましょうよ。
とても辛い大変な日々の中で、よく今日まで必死に頑張って生きてきた。
それは本当に凄い事なんだよって。

いつも誰かの期待に応えたくて、自分の心を殺して生きてきた自分を…。
認めてもらいたくて、でもさびしい気持ちをたくさん抱いて歩いてきた自分を…。
ずるい人に利用されて哀しい思いをした日に耐えて、乗り越えて、生きてきた自分を…。
欠点だらけの自分が嫌で嫌で仕方なかった日々を生きてきた自分を…。

本当によく頑張って生きてきたねって、自分を褒めて。

小説に感情移入する時は、例えば登場人物に自分を同じ思いを見つけた時だと思います。
この小説の主人公は生まれてすぐ母親から棄てられ、里親と施設を転々としながら18歳で独立するところから始ります。
でも、ストーリーが進むにつれて、主人公の心が、いつか、どこかで、今も心にある思いと重なってゆくのです。

この小説の巻末に花言葉辞典が掲載されています。
その中のラナンキュラスの花言葉がお気に入りです。

花言葉は「あなたは最高に魅力的」です。

花言葉をさがして
ヴァネッサ ディフェンバー (著)/ 金原 瑞人 (翻訳)/ 西田 佳子 (翻訳)
http://hanakotobawo-sagashite.com/index.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月 1日 (水)

そのままの自分でいい…BORN THIS WAY

恋に失敗はつきものですよね。
自分の思いが上手に伝えられないとか、届かないとか焦りや苦しみがあって大変です。
ぶつかりあったり、心配したり、もっと好きになったりとか、まあ忙しいですよね。
すっかりおじさんの私は恋に逡巡する人を微笑ましく見てしまいます。
大竹まことさんのラジオ番組で、いとうあさこさんの恋愛の話が話題になっていたのを聴いた事があります。
なんかその時はもう、いとうあさこさんを応援する親戚のおじさんみたいな気持ちです。

傷ついたり、不幸にして恋が終わったりすると「どうしてだろう…」と考えます。
苦しみ、哀しみ、泣いてみたり、叫んでみたり…。
疲れて、もうどうでもいいや…なんてどこかであきらめたり。

でも、新しい恋にトキメキます。
そんな時、フト考える事がありませんか?
…前の恋愛での失敗を繰り返さないようにしよう。
経験から学習する事は大切な事ですが、勿論相手も違うのだから、過度にその原因と思っている事に囚われる必要はないと思います。

芸能界で最近よく話題になる「年の差婚」。
周りの人は凄いとか、勇気があるとか、はたまた若いとか、勝手にいろいろな事を、いろいろに言ってくれます。
でも、当人同士は年齢の差なんて瑣末な事であり、周りには「それしか言う事はないのかい?」と訊きたくなるでしょう。

これが年齢の差を隠して続く恋であったらどうでしょう。
例えば、本当の年齢を知ったら、嫌われてしまう…なんて。
とても辛い事だと思います。
自分は年齢の差で愛してもらえない。
若くない自分が愛されないと考えたら、どれだけ辛い事でしょう。
それが嫌われる原因になると思い込んで隠したら、相手にとっては何でもない事なのに、自分の中ではとても重要で、深刻な問題に自分でしてしまうと思うのです。

やがて、その事を隠すために、自分の心に嘘をつき、本当の自分を、そのままの自分を偽ってしまいます。
その事が知れたら…本当の、そのままの自分を知られたら嫌われる。
恋は終わってしまう…と考え始めたら、もう妄想は超高速で膨らんでゆきます。

いつか、本当の、そのままの自分を隠している、その自分が、本当の自分を、そのままの自分を嫌いになってしまいます。
そうしているうちに、隠している事実から始まる事よりも、嫌われる事が一番怖い事となり、本当の自分を、そのままの自分を決定的に否定してしまいます。
嫌われたらもう生きていけない。
こうなってしまっては、恋は喜びよりも、苦しみが勝ってしまいます。

生きる事に疲れてしまった日。
絶望の中で、何の希望も見出せず、もう全てが終わってもいい、終わらしてしまいたいと思う時…。

生きる事、その事が怖い日。
誰も自分など気にかけてくれない。
何も期待されていない。
反対にいつも自分の心とは、思いとは、違う役割ばかりを期待されてしまう時…。

喜びが多いのが恋なのに、嫌われる事が何より怖いと思う日。

誰かの期待に応える自分はやめてしまおう。
捨ててしまおう。
生きる事は誰かの期待に応える事ではない。
おとうさんの、おかあさんの、子供の、先生の、上司の、先輩の期待に応える事じゃない。

いつも誰かの期待に応える自分は、いつも誰かに怯えている事と同じ。
いつも誰かに高く評価してもらいたい自分は、いつも反対に批判される事に怯えている事と同じ。

日々つまらない事も、辛い事も多くあります。
生きてゆく事は楽ではありませんよね。
また、自分が評価されればやっぱり嬉しいし、低く評価されれば腹が立ちます。
でも…。

一度人気絶頂となった芸能人が、落ち目となり、やがて復活する事があります。
そんな時、よくお話にありませんか。
誰かにプロデュースされた自分ではなく、何もなくても応援してくれた人への感謝の言葉を。

そのままの自分を認めてあげよう。
誰かの期待に応える事が、これまでの生き方であったなら、ちょっと自分を大切にしてみよう。
自分が素晴らしいと思える事。
自分が楽しいと思える事。
そんな事に一生懸命になって、喜んだり、哀しんだり、いろいろな自分を見つけてみよう。
本当の自分を、そのままの自分を愛しく、やさしく、抱きしめてあげよう。

My mama told me when I was young,
We are all born superstars.

She rolled my hair and put my lipstick on
In the glass of her boudoir.
"There's nothin' wrong with lovin' who you are"
She said, "'cause He made you perfect, babe"
"So hold your head up girl and you'll go far,
Listen to me when I say"

I'm beautiful in my way
'Cause God makes no mistakes
I'm on the right track baby
I was born this way
Don't hide yourself in regret
Just love yourself and you're set
I'm on the right track baby
I was born this way

あたしが若い頃 ママが言ってた
「みんな生まれたときからスーパースターよ」

髪をまくり上げて 口紅を塗ってくれた
ガラス張りのブードアで
「ありのままの自分を愛せばいい」
ママが言ったわ「そのままで完璧なあなたを 神は創ったの」
「だから顔を上げていれば 遠くまで生けるわ
これから言うこと よく聞いて」

自分らしいままで美しい
だって神には一寸のブレもない
このまま進めばいいのよ ベイビー
私はこの運命のもとに生まれたきた
悔いに身を隠さないで
ただ自分を愛せば それでO.K.
このまま進めばいいのよ ベイビー
私はこの運命のもとに生まれたきた

BORN THIS WAY / LADY GAGA
対訳:June Bug

P1010029


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月 8日 (日)

そのままの自分でいい…闘う君の唄を 闘わない奴らが笑うだろう

P20120708108

仕事で多くの人の前で話す事があります。
独演会なんてご身分ではないので、私が単独で行う事は少なく、大抵は他の誰か講演の方がいます。
自分の順番待ちや終わった後に別の方の話を、話す内容を見たり、聴いたりします。
すると自分の悪いところを認識します。
上手だなぁと思います。
あんな風に出来ないかなぁと思います。

その時話す内容やイメージを頭に描きますが、実際にはそのイメージ通りには行きません。
理想の自分があるのだけれど、その理想の自分通りは出来ません。
おかしい…ここで笑いもとって、今日はよかったですねと出口で皆さまに囲まれている姿まで想像はできるのに。
上手に講演している人と比較して、くやしいとか、恥ずかしいとか、もっと努力しなければならないとか、いろいろ頭に浮かび、心に思いが去来します。
アーッなんて叫びたくなります。
思い描いていた理想の自分と、現実の自分のギャップに悶絶します。

理想の自分があっていいと思います。
それが、それに向かって努力する源泉でになると思うのです。
前述の講演時に感じる通り、上手な人や理想の自分とのギャップは苦しいですけれど、それに囚われてしまう必要は無いと思いのです。
上手な人にも初めては有り、講演する回数や、経験も自分と比較にならないかもしれない。
私が上手だと思っている人も、実は今日の講演は75点だよ…なんて思っているかもしれない。
何か上手に行かない言い訳を探すのではなく、差がある事を認めて、理想の自分の姿に向かって、いろいろと取り組んで行けばいいのだと思います。

いけないのは理想の自分と現実の自分との狭間に苦しんで、自分を責めてしまう事だと思います。
そのままの自分は、それだけで素敵な自分は、どこかに置き去りにしてしまう事だと思います。
そのままの自分は、自分の心は、大切にしていいですよね。

幼い頃、親や先生に褒められると嬉しかったですよね。
私はその様な機会は稀でしたが、でも褒められたりすると、認められると思う事も出来て、褒められる様に頑張ります。
子供に限らず、自分を認めてもらえる事は、嬉しい事です。
存在感とか、存在価値とかを思える事が必要で、大切です。
存在価値を、存在感を認めてもらえるならば、そのままの自分がいいですよね。

幼い頃の経験や周りで見た来た様に、子供は親や先生なんかに認められると、とても嬉しい。
頑張ります。
でも、親や先生に褒められる自分が、理想の自分が、本当の、現実の自分と乖離すると、とても苦しくなります。
褒められなければ、自分の存在価値を否定された気持ちになって哀しくなります。
やがて「どうせ自分はダメなんだ」なんて考えが頭の中にもたげてきて、それだけで素晴らしい自分を否定して、劣等感が増幅して行きます。

いつも褒めてもらいたくて、親や先生、友達にも嫌われるのが恐くて、いつもいい子になってしまう。
親が期待をする子供の姿を自分にあてはめて行き、窮屈で身動きが取れなくなって行きます。
子供にとって親から嫌われる事はとても恐い事です。
その恐怖感に期待を裏切った時は「自分はダメな子なんだ」と考えます。
本当の自分、現実の自分をわかってもらえないが故の孤独感はとても深いのです。

そのまま大人になって、今度は親ではなく、自分の周りの人にも同じようになれば、親はふたりしかいなくても、社会で関わる人はその何倍にもなります。
本当の自分をわかってもらえない苦しみと、不満と、孤独への恐怖と、心はとても疲れてしまいます。
理想の自分と現実の自分のギャップに心身ともに疲れてしまいます。

いつも期待され、期待に応える自分は捨てしまおう。

自分は自分だから愛される事を知ろう。
信じよう。
いい子だから、優秀だからではなく、そのままの自分を愛し、愛してもらおう。
人から愛されるために、優秀である、いい子である必要はないのだから。
そのままの自分を認めてやろう。
そのままの自分を愛し、そのままの自分で愛し、愛してもらおう。

理想の自分があっていい。
理想の自分に近づけない事を諦めて、それが出来ない言い訳を探すのではなく、今の自分を認めて、自分のペースで理想の自分に近づいて行けばいい。
そのままの自分がいい。

ああ、小魚たちの群れきらきらと
海の中の国境を越えてゆく
諦めという名の鎖を
身をよじってほどいてゆく

ファイト!
闘う君の唄を 闘わない奴らが笑うだろう
ファイト!
冷たい水の中を ふるえながらのぼってゆけ

ファイト / 中島みゆき

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年6月30日 (土)

そのままの自分でいい…あなたに

矢沢あいさんの「下弦の月」の最初の部分で、こんなやりとりがあります。
主人公の美月が彼氏と別れた事を自虐的に話します。

「どうして美月はつらい事を全部笑って話す?」
「え、だって笑うしかないじゃん」
「泣けばいいと思うよ」
「泣いたらみじめじゃん」
「無理をして笑うのは、もっとみじめだと思うよ」
その夜あたしは一晩中泣き続けた。
あれほど泣いたのは、小5の時、母親が死んで以来だと思う

下弦の月/矢沢あい

人はこれまでの出来事に意味を持たせ、今につながる意味を見出します。
私も例外ではありません。

いつしかひとりになってしまった高校時代。
学校へ行っても、ひと言も発しない日も少なくありませんでした。

教室で聞こえて来る会話はとても楽しそうでした。
昨日、学校の帰り道であった事。
今、流行しているもの。
他校の気になる女の子の事。
発売になった新しい音楽。
とっても楽しそうで、羨ましかったのです。

仲間に入りたい…。
一緒になって笑いたい…。
そう思っていたのです。

私には出来なかった。
それは中学生の頃には威張っていたというプライドがあったのです。
ツマラナイ…プライドです。
でも、これが私をギリギリで支えていたのです。

彼らはどう考えても、私と相いれる人達ではなかった。
それなのに、さびしい…というだけで、自分を、自分の心を殺していいのか。
迎合をして、自分の本当の心を殺して、得られものは何なのか。
そんな思いは、私を思いとどまらせ、折れそうな心を支えていたのです。

いや、それは言い訳で「仲間に入れて欲しい…」。
この言葉が出なかっただけではないのか…。
勇気がないだけではないのか…。
相いれない…は自分がひとりでいるための言い訳ではないのか…。

大人の世界でもよくある事だが、その内のひとりが浮き始めた。
それを責める方法は陰湿で執拗だった。
私は完全に外野だったが、その様は不愉快極まりないものだった。
それ以外の人達は、次は自分の番だと疑心暗鬼と恐怖に硬直した。
これが高校生の所業かと虚しくもなった。
はじかれた人達が近づいてくる事もあったが、私は決して受け入れる事もなかった。

さびしさを越えて、でも私は自由でした。
何にもおもねる事なく、私は自由でした。
自分を殺して、偽って、嫌われたりする事を心配する必要がなかった。
いろいろな葛藤もあったが、心が自由である事の大切さを、この時私は学びました。

嫌われるのは誰でも嫌な事。
でも、本当の自分の心を殺して、嫌われる事を恐れて、自分を安売りしているならば、それはもうやめよう。
自分を安売りして他人に尽くしても、その相手と本当にわかりあう事はない。
便利に求められ、都合よく利用されるのは、あなたの事を本当に理解している人ではない。
あなたを本当に求めている人ではないよ。

無理をして明るく振舞うのは、もうやめよう。
家族の中で、仲間の中で、あなたの笑顔が漆喰となって、皆がつながっている。
でも、自分の心を、自分の本当の気持ちを傷つけ、消耗して行くのはとても辛い事。
無理はやめよう。
無理をして、明るく振舞うのはやめよう。

ひとりを笑う。
「あいつ、誰とも一緒に飯食ってくれないんだよ。さびしい~」
そうやって誰かを笑う。
そういう人はよく「俺、友達たくさんいるんだ」と言っている。
思っている。
友達がたくさんいるふりをする。
本当はさびしいから、だから友達がたくさんいる…と考えてしまう。
自ら言葉にして自覚するのは怖い事だから、とても疲れるんだよね。
だから、そんな奴らの言葉をまともに受けて、トイレで食事なんてしてはいけないよ。
ひとりを笑う奴ほど、本当はとてもさびしくて、いつも孤独への不安に苛まされている。
だから、いつも誰かの事を笑っている。

自分が我慢をすればいいのだから…と自分をすり減らしているのなら、もうやめよう。
誰のために、自分を、自分の心を殺してきたのだろう。
一生懸命生きてきたのに、どうしてつまらない事ばかり起こるのだろう…。
そうたまらなくなったら、自分をとても大切に、大事にして、自分褒めてあげようよ。
もう、自分を貶めて、さびしさを紛わすために我慢するのはやめよう。

そのままの自分で、お互いの心を認めあえる人を。
時として感情的なやり取りになる事があっても、そのままの自分を認め合える人は、嫌いになったりしない。
そんな大切な人は、たくさんいなくてもイイね。

そのままの自分でいい。
面倒な事が多い人の世で、そう認め合える人と。

人にやさしくされた時 自分の小ささを知りました
あなた疑う心恥じて 信じましょう心から
流れゆく日々その中で 変わりゆく物多すぎて
揺るがないものただ一つ あなたへの思いは変わらない
泣かないで愛しい人よ 悩める喜び感じよう
気がつけば悩んだ倍 あなたを大切に思う

流れゆく日々 季節は変わる 花咲き散れば元にもどるの
こんな世の中 誰を信じて 歩いてゆこう
手を取ってくれますか?

あなたに
あなたに

あなたに / MONGOL800

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月 7日 (水)

このろくでもない、すばらしき世界

新製品が発表になったりすると、スーパーマーケットなどでよく、例えばビールとか試飲コーナーを設けたりして販売をします。
「○○が発売されました。どうぞお試しください」なんてやっていますのを見た事がありますよね。
あれって、結構孤独なんですよね。
ちょっと見ていても、声をかけているのに、そこに誰もいない様な顔をして通り過ぎたりします。
子供が風船欲しさに近づくだけでも結構歓迎だったりして。
試飲したり、試食したりすると買わなきゃいけない…なんて心理が働きますが、そんな事もないんですよね。
たくさんの人がいるのに、無視されると余計に孤独を感じたりします。

私は結構ひっかかります。
例えば新発売のビール。
「どうぞ」なんて若いお姉さんにいい笑顔で進められたりすると「じゃ、いただくよ」なんて。
「あっ、美味しいね」なんて言って、
「じゃ、お母さんこれ買っていこう」なんて言って、
妻に「本当に飲むのね」とギロリと確認で念を押されます。
「嫌だなぁ、たまにはふたりで一杯と思っているからさ」
我が家の冷蔵庫にビールがあふれます。

「旦那さん、これ食べてみて」
別の日、なんだかやけに大きめの○○餃子とかいうものを勧められました。
「ん、美味しい。お母さん、これ今日の夕食にしよう」と言って、それを買ってもらいました。
「はい、1,200円です」
(何6個で1,200円。1個200円じゃねぇか。でも、いるって言った以上、この程度で高いから、いらねぇとはいえねぇよ)
…と買って帰りました。
ところが、これが家族には大不評。
「お父さん、責任とって食べてね」とひとりで○○餃子と格闘する事となりました。

自分の仕事では、決してしない行わない失敗をします。
まあ、そんな事はともかく実演販売は結構孤独です。
スーパーで実演販売の経験はありませんが、似たような経験がありますし、現在でもしなければならない場面があります。

もうひとつ。
不動産販売の現場近くでよく見るもの。
現場近くの交差点等で現地までの案内看板を持って座っている姿を見ませんか。
ものすごい炎天下でも、雨が降っていても、誰かが目印にしているかもしれないけれど、本当に非生産的な気がします。
きっと、路上に看板を立ててはいけないなんて関係法令があったりするのだと思います。
私ならそれよりも販売に携わる事の方が役立つ思いがします。
あれは孤独と言うよりも、苦痛というか、苦行という気がします。

私はビジネスの世界でよく考える事があります。
例えば、明日の命を継げるかどうかわからない子猫にミルクをやる。
それは命を守るため、喫緊の取り組むべき問題です。
その時は、その子猫の境遇と孤独を共有します。
自分の姿を投影する事もあるでしょう。
でも、取り組む事は「どうしたら、こういう子猫を出さずに済むのか」という事です。

先日、引越しに際し」CATVの契約を継続する事にしていましたが、結果として引越し先が導入できない事が、移転工事の際に判明しました。
工事の最中にCATV会社の営業の部門の一番偉い人が来て、その説明が始まりました。
契約していたCSの専門チャンネルが見られなくなるのは残念でしたが、ネット等は契約をしていなかったので、まあ大きな問題ではないし、仕方ないよねってところでした。
お偉方はお詫び一辺倒でした。
その最中に移管の契約を担当した営業担当が家の前まで来ていると、工事担当の人が営業のお偉方に耳打ちしました。
「ここまで来させますか?」
工事担当の人が聴こえる小声で話しました。
「必要ない。待っていろと伝えておけ」とよく聴こえる小声で返答しました。
契約をした営業担当の人は怒られるだろうなぁ…と頭をよぎりました。
ずいぶん一生懸命、熱心な人でした。
でも、一度の失敗で、この失敗で、つまらない迷路に入り込まないようにと思いました。

格差社会。
嫌な響きの言葉ですね。
持っている人は持っていない人を見て、自分の恵まれた立場を確認する。
いじめは、いじめられている人の絶望する姿を見て、いじめる側は安心をする。
あいつはこんな奴。
彼はこれぐらいしか出来ない人。
彼女はダメな人。

近頃はラベルを貼るのが大流行。
ついでに順位付けするのも大流行です。
例えばタイヤ屋さんがつけた星の数が権威を持ってたり…。
自分が向上してゆく中で、今の位置づけを確認し、更なる向上を目指すなら良いですが、誰かを貶める事で、自分の位置づけを確認するのは、ちょっとさびしい事だと思います。
お札ではないのだから、貼り付けられたラベルに自ら縮こまって、閉じ込められる必要はない。
貼り付けられたラベルなんて、大きなお世話だと剥ぎ取って、捨ててしまえばいい。

均一化したものの中では、異質なものが恐怖であるし、常に排除したい対象となるのだ。
自ら進む道を信じ、胸を張って進もうじゃないか。
時として、ひとりになり、孤独にも苛まされる。
誤った道でなければ、やがて皆が理解する日がやってくる。
誤ったとわかったなら、修正すればいい。
心を殺して、異質なものとなる事を避け、均一化という誰かの型は窮屈だ。

俺はずっと考えてたんだ
俺たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか…
けどいくら考えてもちっとも答えなんか出やしねぇ
けど俺たちはいつも何かを考える
花や木や虫たちはそんなことを考えたりはしない
花はただそこに咲いてるだけだ
ただ無心に精一杯咲いて、いつかは何も言わずに枯れていく
俺はそんな花が大好きだ
永遠じゃないから、いとおしく思って大事に水をやる
俺たちも永遠じゃない
やがては誰もが死んじまう
ただ花と違うのは考えることだ
もっと沢山の栄養を吸収したい
もっと太陽の光を浴びたい
できれば一人で独占したい
嵐が来て他人が流されても、同情はするが助けることはない
俺たちは同情が好きだ
俺たちは他人の不幸が好きだ
俺たちはいつもいつも自分を他人と比べている
いつもいつも小さな不満がある
孤独で、自分の無力を嘆いている!
…もうそんな生き方は辞めよう
初めからやり直すんだ
ただ自分の足元と空を見つめるだけでいい
ただそこに咲いている花みたいに…
俺自身も比べられてきた
けど俺自身も友達のことを比べていたんだ
知らない間に…そいつに同情して
そいつを…友達なのに、デクを…
あいつは許してくれた
だから俺も初めからやり直すんだ
あんな事件を起こした俺でもやり直せる
俺の愛する人が教えてくれた
ただ精一杯そこに咲いていた彼女
人間の価値を測るメジャーは、どこにも…どこにもないってことさ
頭のデキや、体のデキで簡単に測ろうとする社会があるなら、その社会を拒絶しろ!
俺たちを比べるすべての奴らを黙らせろ!
お前ら自分が無力だとシラけるな!
矛盾を感じて、怒りを感じて、言葉に出してNOって言いたい時
俺は、俺のダチは、みんな一緒に付き合うぜ

未成年/野島 伸司(幻冬舎)

一昨日の帰り道。
電車のホーム、エレベターの出入り口があるところで電車を待っていました。
開いたエレベーターから、たくさんの人が降りてきました。
最初に降りてきた人が、キャスターバックを誘導ブロックの凹凸でタイヤをとられました。
その後ろから、車椅子の人がエレベーターを降りようとしていました。
しかし、出口は詰まって出れず、エレベーターのドアは閉まりかかりました。
私がキャスターバックの人を手助けしようと動き出そうとした瞬間、私よりエレベーターの近くにいた他の男性がアシストしました。
「ありがとうございます」とキャスターバックの女性が、その男性にお礼を言いました。

このろくでもない、すばらしき世界

----------------------------------------------
ただ精一杯そこに咲いていた

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年9月10日 (土)

自分を責めるばかりでなく、時には自分をいたわってあげようよ。

出張帰りの電車での事。
読んでいた本から顔を上げると、車窓はすっかり宵の口でした。
紫色の空は、通り過ぎる車窓に映る街からの灯りを更に美しく映し出します。

車窓から見える進行方向と反対の線路は、時折近づいてきたかと思うと一瞬姿を消します。
そして、またゆっくりと離れてゆきます。
時には通過するホームの灯りに照らされ、規則的に鈍い輝きを見せてくれます。

そのままの自分でいい。
まずは、今のそのままの自分を認めてあげよう。
自分を責めるばかりでなく、時には自分をいたわってあげよう。

私は今の仕事が好きです。
日本全国、たまに世界で年がら年中ウロウロしています。
子供の頃からジーッと座っているのは得意ではなく、いろいろ気になる事がたくさんあって私はいつも動いている子供でした。
小学1年生の夏休み前の事。
担任の先生に勧められて書道教室に通う事となりました。
落ち着きがないからです。
思春期で自意識が強くなるまでは、誰にでも気軽に話しかけてしまうタイプでした。

ボーッとしている時間は得意ではなく、いつも何か考えているほうで、それは仕事の事である事も少なくありません。
ボーッとしている時間をもったいないと思う方です。
幸いな事に寝つきはよく、横になるだけでスイッチが切れて眠れます。

憂鬱でなければ、仕事じゃない

憂鬱を好む人間などいない。
しかし一方で、憂鬱は大きな反発力を生む。
それに気づいた時、憂鬱は間違いなく、仕事の糧となる。

憂鬱でなければ、仕事じゃない(講談社) / 見城 徹 藤田 晋

タイトルに共感し、書店で内容を見ずに買いました。
見城さんは、尾崎豊さんのアイソトープの頃から、メディアへ登場する事も多く、この方の仕事は一種伝説でもあります。
私はタイトルの通りだと思います。
多くのビジネス書、ビジネス雑誌で紹介される仕事のストーリーなどが、とっても好きです。
こんなにビジネスが困難な時代でも、新しい挑戦、新しい仕事を作り出す。
そんな人々が励みになり、自身でも更に高い目標にチャレンジしよう、目指そうという気持ちが湧いてきます。

20代の若かりし頃、日々仕事に追われ、これが本当なのかと思った事もありました。
しかし、人生で一度ぐらい寝食を忘れて仕事に没頭する事があってもいい。
もう少しガンバって、それでも違うなと思ったら、また考えればいい…と考えた事があります。
大変な出来事 > 嬉しい出来事ですが、今の仕事は自分にマッチしている様です。
投げ出したくなる日もよくあります。
でも、大変な中でも楽しみながらやっています。

学生時代に空手の鍛錬をしていた事で、今に考える事があります。
稽古はとても厳しく、やめよう…とは思いませんでしたが、もう逃げ出そうと思った事は何度かあります。
ははっ…。

自分より上手で、心身共に強い人がいる。
私がそう思うその人にも、その人より強い人がいます。
だから、一生懸命努力をする。
鍛錬を続けるのです。

今日より明日強くなろう。
強くなりたい。
今、この時より進歩したい。

稽古する人々にはいろいろな思いがあったと思います。
本当に好きな人。
親や先輩に勧められ、仕方なくやっている人。
強くなりたいと思っている人。
自分を変えたいと思っている人。

私はさびしさを隠す破滅願望がどこかにありましたが、それ故に厳しい規律があって、自分があまり考える余裕がない状態(必死な状態)は、実は私の心は居心地が良かったのかもしれません。
でも、精進しよう、向上したいと思う人々の中にいた事が、その後の私に少なからず影響があった思います。

20110804001

私たちが歩む人生。
それは暗闇の中に続く、幅の狭い線路を進む様なものかもしれません。
時には螺旋状であったり、平面ではなく立体的に続く線路。
線路から脱線すれば、周りはどこまで落ちるかわからない底の見えない暗闇。
進む線路には登りもあれば、下りもある。
線路の先は遠くまでは見渡せない。
時には殆ど見えず、立ち止まってしまう事もある。

明日、今日よりも、今よりも強くなりたい。
空手を鍛錬続ける時に思う事です。
でも、それは昨日までの、さっきまでの自分を否定する事ではなく、日々の鍛錬の中に進歩はあり、昨日まで、さっきまでに積み重ね、積み上げるところに作られると思うのです。

歩む人生も同じではないのか。
昨日までの、さっきまでの自分を否定して、明日生まれた新しい自分を肯定するだけでは、同じ事をメビウスの環の中で繰り返す事になるのではないか。
歩む人生も躓いたり、疲れた休んでみたり、いろいろある。
自分の事を、歩んで来た線路を否定して壊してしまっては、戻って考える場所がなくなってしまう。

転んでしまった日。
脱線してしまった日。
後ろ向きに進んでしまった日。

それでも、いつか自分が進んできた線路が残っていれば、その時々に立ち止まって作ってきた駅で止まらないだろうか。
止まる日がないだろうか。
大きく後退する日も、少し後戻りする日も。
わかっていても繰り返してしまう事がある。
そんな時、いつか通った事のある線路だとわかっていれば、迷いは少ないです。
戻るまでのポイントは、線路の切り替えはもう近道を知っています。
また、駅にしばらく留まって時間調整する日があってもいい。

そのままの自分でいい。
まずは、今のそのままの自分を認めてあげよう。
自分を責めるばかりでなく、時には自分をいたわってあげよう。

いままでの自分があって、今日の自分がある。
そして明日の自分がある。
思い出したくない事、後悔の日々、たくさんあるけれど、まずは自分の事を肯定して、きっと明日への日々がある。
傷ついた自分がいるならば、そんな自分が学ばなければ、通らなければならなかった、歩んできた線路を愛おしく眺めるのも、大切に思う事も大事な事です。
すると暗闇だと思っていた線路の周辺は、たくさんの線路が重なり合い、近づいたり、離れたり、伴走していたり、それぞれ多くの人々が、たくさんの人とのかかわりの中で生きている姿が見える…そんな風に思うのです。

隣で登りの線路を必死に頑張る人の姿が、見える事がありませんか。
その人はあなたが生きている事に、その事だけが励みになっているんです。
だから歩もうと思うのです…きっとね。

20110804010

オカレモンも笑っています

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年7月 2日 (土)

何かを変えられなくても 何かは始まるから

P1010121001

B'zの「消えない虹」という楽曲ご存知ですか。

先日、出張に行く際、現地でレンタカーを利用する時間が長い事から思いつくままCDの棚からアルバムを持ち出しました。
その中にB'zのThe Ballads~Love & B'z~があって、この「消えない虹」を久しぶりに聴きました。

その人は友人の彼女でした。
何の約束をしていたのかは恥ずかしくて書けませんが、私と友人とその彼女と3人での予定があったのです。
待ち合わせは大学構内のラウンジで、最初に私が着いて、友人の彼女が次でした。

彼女は私の友人にとっても尽くすタイプで、友人には羨ましいねぇ…なんてやっかみ半分言っていたのです。
笑顔がとっても可愛くて、例えば皆で飲食する様な場所でも、(そんなに気を使わなくてもいいのに…)と思う事があるぐらいでした。

友人が来るのを待っている間、彼女と他愛のない話をしていました。
しばらくして、フトした沈黙の後、彼女が深いため息をついたのです。

「あらあら、ため息ひとつ、しあわせがひとつ逃げると言いますよ。しあわせなお嬢様にはふさわしくないじゃない?」
「えへへ…」と彼女。
それから「ケンシロウは、ひとりになったりした時に、急にむなしくなったりする事ないの?」と訊かれました。
「これから、フィーバー(…古い)しようとしている俺にずいぶんヘビーな質問だね」
「えへへ…」
「答えは【ない】です。」
「うらやましいね…」

誰かの役に立っているとか…。
周りから感謝されているとか…。
自分しかできない事があるとか…。
そんな時はとても生きているという実感があるのだけれど、時々急にやる気が失せたり、ひとりでいると何で自分が生きているのだろうと思うの…。
自分はどうして生きているのだろうと思うの…。

その大学構内のラウンジは建物の地下にありました。
夕刻は待ち合わせ場所となり、とても騒々しいところだったです。
話の途中から、いい加減に答える内容でない事を感じていました。
なんだか心配になってしまい、奴(彼氏)と上手くいっていないのかと訊きました。
そんな事はないとの事。
でも、ひとりになるとそんな思いに、気持ちに苛まされるとの事でした。

もう、自動販売機で買ったカップのコーヒーも飲み干してしまいました。
ちょっと席を立って、ミルクと砂糖入りの彼女の分とブラックの自分のコーヒーを買ってきました。
そっと彼女の前に置きました。
彼女は小さな声で「ありがとう」と言うと、両手でかかえて熱いコーヒーをすすりました。

携帯電話のない時代です。
奴(彼氏)の到着を遅いなぁ…と少し思っていました。
バイトから来る予定だったよな…なんて。
それまでもいくつか話をしたと思いますが、本当に他愛のない事だと思います。
18時を過ぎた頃だと思いますが、ラウンジ待ち合わせ組みも、ひと通り集合して目的地へ出かけて行き、ひと気も少なくなります。

いろいろ気を使わなくても、いいんじゃないか…と話しました。
奴(彼氏)には別だろうけど、いろんなところで気を使いすぎているから、疲れちゃうんじゃないのか…と訊きました。
「そうかなぁ…?」と彼女の反応です。
私は生まれた時にお袋を道連れに死にそうだったので、生きているだけで「良し」との扱いで、自分で言うのも妙だけれど天真爛漫に育ったと話しました。
だから、自分がやりたい事よりも、親が喜ぶだろうと思った事をする事はなかった。
親が喜ぶだろう思うことをする友達を見て、自分もそうした方がいいのかなぁ…なんて思っていたと話しました。

すると彼女は「私はそうだった…」とこちらを見ながら言いました。
「私はそうだった。親が喜んでくれる、親が喜ぶと思う事をしてきた…」と言ったのです。
「そりゃ、大変だったわな。そういう事していない自分が言ってはいけないのだろうけど、疲れちゃうよな。」と軽い調子で答えました。

「自分を殺して、殺し続けて、親が喜んでくれる、親が喜ぶと思う事をして来ると、やがてその対象が親でなくなって、でも自分の行為に誰かが反応してくれなければさみしくなるね。反応がないのは俺だってさみしいけどね。」
「だから…私はひとりになるとむなしくなるのかなぁ…」
「そうかもしれない。だから、自分で自分の為の時間を作ってもいいんじゃないの。自分のやりたい事をしてもいいんじゃないの。」と話しました。
彼女はもう冷めたコーヒーの紙カップを両手で大切なものを包むようにしています。

やっと奴(彼氏)が来ました。
「遅ぇよ」と少々文句を言った後、私たちは夜の街に消えて行きました。

その後、出会う人に、多く同じ事を思う人がいました。
自分の時間がむなしいものに思えて、生きている意味や価値を問い直し続けるのです。
やっぱり子供の頃、事情は人により様々でしたが、親が喜んでくれる、親が喜ぶと思う事を考えていた人が多かったと思います。
何もしていない、何も出来ない自分も自分の部分であり、そんな自分があってもいいのにと私は話しました。
それも自分の一部だと認めると、いつも誰かの評価を気にしなくていいよになる…と私は思うのです。

消えない虹を見つけてくれ
そしてもう泣かないで
何かを変えられなくても 何かは始まるから

心離そうとして 哀しい言葉並べてしまう
新しい服を着てみても
胸の痛みだけは隠しきれない

君の香りに 包まれているよ

消えない虹の下で会おう 覚めない夢の中で
季節は冷たく過ぎても 僕はずっとここにいる
Thinking about you,yes,I know who made you so blue
I'll be your destination someday

B'z / 消えない虹

「何かを変えられなくても 何かは始まるから」
このフレーズが好きです。
大切な人が同じ苦しみの中にいるなら、そっと話してあげたい。
「Thinking about you,yes,I know who made you so blue」
恥ずかしくて言えないけれどね…。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年6月12日 (日)

等身大の自分

等身大の自分を見つめるのは結構大変な事です。
そのままの自分と向き合う事。
特にきつい登り坂にある様な厳しい時は、認めたくない自分がたくさんいて、目を背けてしまう時があります。

哀しくて、さびしくて、辛いのだけれど、それを認めてしまえば、ダムが決壊する様に自分の気持ちが溢れてくるようで…。
とめどなくなりそうで…。
やっぱり認められない、認めたくない自分がたくさんで…。
そんな自分が現れないように、強くなったふりをしてみたり、関心がないようにふるまってみたり、強烈に否定してみたり、自分の本当の心を殺します。

誰でもが悩むこと。
私にもあったこと。

誰か仲間が聞いてくれたら…なんだ本当はさびしがりやじゃない。
どうせ、こんな毎日、いつ死んでもいい…本当は生きたいと思っている。その事は自分がいちばん知っているでしょ。
何気なく誰かがかけてくれたやさしい言葉に…自分の存在を気にかけてくれた。そんな事がうれしい。

こんなのは本当の自分ではないと、もっと強く否定する。
こうありたい、こうなりたいと思う自分を必死で追いかける。
やっと背中が見えて、辿り着いたその肩に、手をかけ振り向かせる。

なんだぁ…。

そこには追いかけて来た自分と、まったく同じ自分がいるのです。
いったい自分は何だったのか…。
何を必死に追いかけているのか…。

追いついた自分をよく見てみると、赤裸々で正直な自分がそこにあります。
笑ってみたりする。
そうか自分はこの程度だったのか…。
でも、そのままの自分を知る事が出来て、強がっていた気持ちや、本当の自分を隠すための偽りの気持ちに気がついて、心がとてもやすらかで、軽くなった気持ちになる。

そのままの自分を受け入れる。
等身大の自分を受け入れられると、他人を受け入れられる様になったりする。
すると他人のいいところが、素直に見えたりする。
やっぱり自分自身を受け入れられなければ、同じ人間だと思えないから。

自分の弱さも、ズルイところも、案外いいところも知って…。
やっぱり、何もないじゃんって、さびしくなったりする事もあるけれど。
でも、そのままの自分でいいって、思うところからまた始まったりするんですよね。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2011年5月14日 (土)

時には今を生きることだけだっていい。

P1010123

最近、「パルコ」という単語に気づいたのは、日本経済新聞の記事でした。
企業価値をめぐって、代表者が交代したり、イオンが関与してきたりといろいろ大変な様です。
少し前ですが、渋谷で映画を見た事が印象に残っていました。

そのパルコが今週、新聞に一面広告を掲載しました。

LOVE HUMAN

新しい時代を、君とつくる。

人を助け、人を支えるのは、結局、人なんだ。
人と人のつながりが、困難に立ち向かうための大きな力になることを、私たちは知った。
全てを乗り越えるには、まだ時間がかかるだろう。
だからこそ今、若い君の力が必要なんだ。
世の中を変えようとする、強い意志とエネルギー。瑞々しい感性。
君の希望と夢が、未来を切り開いていく。進もう、いっしょに。ラブヒューマン。

朝の通勤電車でこれを読んで、私はなんだかしびれてしまいました。
何度も繰り返し、繰り返し読んでしまいました。

人を助け、人を支えるのは、結局、人なんだ。
人と人のつながりが、困難に立ち向かうための大きな力になることを、私たちは知った。

自分より若い人を対象にしたメッセージなのだろうけど、おじさんも十分にしびれました。

パルコの広告は昔からうーんと思うコピーが多く、よく話題になりました。
私は広告業界ではありませんが、販売に携わっているので、人が関心を寄せるコピーには関心があります。
いつもよくこんなコピーを考えられるなぁ…。

Mr.Childrenの「SENSE」というアルバムに「Prelude」という曲があります。
ちょっと前に、このアルバムの事は記事に書きましたが、この曲の事は書いていませんでした。
きっと、このパルコのコピーに同じく、なんだかとっても感動して、気に入ってしまったからなのだと思います。
そう、この曲が。
これだけの事、この曲の事だけで書きたかったのです。

最初にキーボードのやわらかい、暖かい音からスタートします。
この音を忘れてはいけません。
最初にリズムを刻むギターも、なんだかとても希望を感じるのです。
それよりも、ベースとドラムのリズムがとっても、前に進もうという気持ちを呼び覚まされるのです。
ベースのリズムを、最後に必ずドラムが派手に引取ります。

明日はどこに行こう?
ねぇmy friend. where do we go?
七色の光を放ってた夢がしぼんじゃったとしても顔を上げな

Prelude / Mr.Children

石を蹴りながら帰った帰り道…。
心も体も寒くて、涙を我慢しながら歯を食いしばって帰った道…。
希望が消えてしまった日…。
それでも、そんな日でも顔を上げよう。
涙がこぼれないように…。
ため息をつかないよに…。
グッと堪えて…。

首を縦に振る
ただそれだけで 昨日が過ぎてしまった
そんな自分を嫌にならない為の言い訳を
自分に繰り返し やり過ごしているのなら

Prelude / Mr.Children

本当に言いたい事が言えない…。
今日も自分を心を殺して、哀しみで心がいっぱいになる…。
自分を、自分の心で、納得させて、こんなもんだと思わせる。

信じていれば夢は叶うだなんて口が裂けても言えない
だけど信じてなければ成し得ないことが
きっと何処かで僕らの訪れを待っている

悲しみを追い越して なおもその列車は走ってく
暗闇を切り裂いて 風をおこして 目指してたその向こうへ
良識やモラルなんて 今はとりあえず棚の上へ
要らないぜ 客観視なんて
息絶えるまで止まらないで!

Prelude / Mr.Children

息絶えるまで止まらないで!…と歌った後に、最初のキーボードの音とメロディが入ってきます。
まるでクラッシックの楽曲の主題が繰り返されるように。
でも違和感はなくて。
次はいよいよ、この曲のクライマックスです。

長いこと続いてた自分探しの旅も この辺で終わりにしようか
明日こそ 誰かに必要とされる 自分を見つけたい

Prelude / Mr.Children

上原美優さんの自殺の記事は会社で昼休みにネットで見ました。
出張先のホテルでなんだか仕事もする気がしなくて、ボケーッと見ていたバラエティ番組に出ていた記憶がありました。
上原美優さんの事は顔と名前が一致する(殆どはわからないのが、おじさんなんです)程度でした。
大家族で貧乏でなんて、確か実家に帰省していたのか、デビ夫人も一緒だったような…。

想像が及ばない哀しみや苦しみがあったのだろうと思います。
ファンだったわけではないけれど、でも、なんだかとっても残念です。
誰もが道に迷う…。
今日を生きている事を呪いたくなる様な辛い日…。
明日こそはと、繰り返し自分に言い聞かせるのも疲れてきた日…。
何で自分なんか生きているんだと、自分ばかりを責める日…。
自分が、自分の事が悔しくて、自分ではどうしようもないと思う日…。

人を助け、人を支えるのは、結局、人なんだよと。
人と人のつながりが、困難に立ち向かうための大きな力になることを、私たちはもう知っているのではないのかと。
世界には、一生をその事にかけた人、かけている人もいる事を。
今も、この時も、世界中でその事にがんばっている人がいる事を。

明日こそ、誰かに必要とされる自分を見つけたい。
誰もそう思っている。
自分が生きている価値なんて、簡単に見つからないのだから。
本当は気づいていないのは自分だけで、多くの人の支えになっている事もあるのにね。
だから、ちょっと疲れたら、悩んでいた事はみんな棚の上に放り投げて…。

憧れを連れ回して 今日もその列車は走ってる
汽笛を轟かせて 躯体を震わせて 光の射す方へ
悩んでたことなんて 今はとりあえず棚の上へ
要らないぜ 荷物なんて
何も手にしないで飛び回れ!

Prelude / Mr.Children

入院して、健康である事の大切さを知ります。
身近に死を感じ、生きている事を実感する事があります。
こんな事を繰り返し感じるのは、人間の性かもしれないけれど。
あまり人が考えている事に、違いはない。

前の記事に続くようで恐縮ですが、石田衣良さんの「眠れぬ真珠」にこんな会話があります。
女性の年齢が男性と17歳の差があるふたりです。
年上の女性が言います。

「わたしたちには未来なんて、ないのよ」
「でも、現在がある」

眠れぬ真珠 / 石田衣良

時には今を生きることだけだって、私はいいと思うのです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)