しあわせのランプ

2014年2月 7日 (金)

今日たくさん泣いたのなら、明日はたくさん笑おう。

人生はいろいろな方法で人を傷つける。
うまく言えないが、誰だってクレージーな部分はあるだろ?
また日曜日が好きになった。
みんなに助けてもらって、僕は本当に幸運な男だ。

映画「世界にひとつのプレイブック(原題: SILVER LININGS PLAYBOOK)」より

お気に入りの映画「世界にひとつのプレイブック」のDVDを出してきて、この言葉を書き写しました。
映画を初めて見た時から、とてもこの言葉が印象に残りました。
私自身もこの言葉の通りだと思います。

しあわせのランプの意味が何なのだろうかと考えます。
生きていれば、様々な事がありますよね。
うれしい事…。
哀しい事…。
面倒な事…。
感動する事…。

例えば、大きな荷物を背負って歩かなければならない時。
終着点も見えず、暗闇の中で重い荷物にあえぎ、足も痛くなり、歩くのも嫌になる。
そんな時、見上げた暗闇の先に、目指すべきところの灯りが見えたなら、どれだけ励まされるでしょう。
大きな荷物が軽くなるわけでないし、足の痛みがなくなるわけでもありません。
でも、もうちょっとだけガンバってみよう…と思う気持ちがわく事がないでしょうか。

例えようのない孤独を感じる時…。
なんで、こんなにひとりなんだと思う時…。
街にはたくさんの人が行き交い、道を歩くすべての人が楽しそうに見えて、こんな孤独は自分だけだと思う時…。
同じ思いを抱いている人がいる事を知ったなら、それは自分だけではないと知ったなら…。
この世に自分ひとりしかいない様な孤独を感じた時、誰かがどこかで呼吸をしている気配を感じる事が出来たなら…。

憎しみで心が燃えつきそうな時…。
その相手が憎むべき相手かどうか、考えてみる。
誰かの事を憎む事は、とてもエネルギーの必要な事。
この世にはどうしようもない人もいる。
ならば、そんな人に使う憎しみのエネルギーを「自分のしあわせ」のために使った方がいい。

自分の苦しみは誰かのせいだと思っているより、死ぬまで様々なトラブルは続くのだから、そんな人にとらわれている事がとても無駄だと考えてみる。
誰かを欺き、搾取する人は、必ずどこかでそのツケを死ぬまでに払わされます。

もしも君のランプがなけりゃ
闇に迷う人がいるよ

しあわせのランプ/玉置浩二

いつも誰かは誰かの「しあわせのランプ」です。

自分なんて生きていても仕方がないと思う時…。
気がつかないけれど、そのあなたの生き様を見て、励まされている人がきっといますよ。
それは様々なメディアで、人の人生や生き様に触れた時、私たちは多くものを得る事がありますよね。
でも、その本人にそのすべてが伝わる事はありません。
メディアに登場する事もない、私も含めて市井の人々ならば、なお更です。

でも、そういう人がいる。
今の苦しみの解決の糸口を、ヒントを、答えを持っている人がいる。
きっとあなたと出逢う事を、あなたが目の前に現れるのを、膝を抱えて待っている人がいる。
だから、死んではいけないと考えるのです。
楽曲「しあわせのランプ」に、私はこんな勝手な解釈を加えます。

たくさんの方にご覧頂いて、とてもうれしいです。
たくさんのコメントも頂き、本当に感謝です。
ブログ「しあわせのランプ」はこれで終わりです。
でもきっと、近いうちに自分の過去とは切り離した、そんなブログを始めたいと思います。

間違いだらけと判っていても
二人は進んでいく
つまりそれは
恐れずに幸せになる
切符を手にしている

歓びの種/Yuki

今日たくさん泣いたのなら、明日はたくさん笑おう。

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2013年10月18日 (金)

しかし間違いなく、未来を変えることはできる

大学1年生の時、一般教養の講義に哲学がありました。
月曜日の1限で履修者は少ない講義でした。
つまらない一般教養の講座で、私は比較的出席率もいい講座でした。
その中に願望が成就するとか、人生の意味づけにおける宗教的な側面についての講義がありました。
過去のつらい出来事は、今のしあわせの意味を知るために、神様が与えてくれた試練であった…と過去の出来事に意味を持たせる位置づけの講義がありました。

しかし私には、この過去の出来事から現在を見る視点は出来ても、それが辛い事である事をその時強く感じていた覚えがあります。

先日、大阪の別の営業部のもうひとりのリーダーと昼食を食べました。
その方は同じ日の辞令で大阪から東京へ転勤となりました。
同じ事業部門で、東京で勤務している時はあまり接点がありませんでしたが、大阪の営業部では異なる地域の同じ職責となり、よく会話をする様になっていました。
その日、ガード下の昼は定食屋、夜は飲み屋なんて感じのところで食事をしました。
前述の方以外に、私の営業部門の後輩が2名一緒でした。

店内を見回し、お店の雰囲気から「昔新宿にこんな店があったなぁ…」と私が呟きました。
前述の方が「ああ、そうだね。学生時代によくこんなところで飲んだなぁ」と答えました。
「子供がなんでこんなところで飲んでるんだ…なんてケンカ売られた事もあったな」と少し昔話。

そんな事から、少し過去の行いについての話となりました。
思い出すだけでも、恥ずかしくて叫びたくなる事がある。
無かった事にして欲しい事がある。
消してしまいたい事もたくさんある。
若気の至りとしてしまえば、一括りですがそんなに単純ではありません。
4人の内のひとりは、その意味がよくわからない様でした。

思い上がりの言葉。
誰かを傷つける言葉。
愚かな行い。

確かにどこかで学んでいる事も多く、過去の愚かな行いを今も認識できないなら、成長がない事も理解が出来ます。
過去の自分の愚かな行いに気がつく人は幸いだ…とどこかの偉人が言っていた覚えがありますが…幸いでしょうかね。

昨日朝、目が覚めるとベットの上で横たわりながら虚空に左手を伸ばしている自分に気がつきました。
何かを引き止める様な仕草でした。
何をしているんだ自分は?
ずいぶん寝汗をかいていました。
夢の続きがあるわけでなく、前後のつながりはなく、脈略なく、私自身は「?」だったのです。
単なる伸びでしょうかね?

後悔はたくさんしました。
勿論、今だって少なからず後悔する事があります。
でも、後悔を繰り返すのが嫌なので、自分の心や思いに従う事は多くなりました。
自由という事が大切である事を思います。

時として不安にもなる。
その考えも、意見も自分ひとりしかいない時もある。
たまらなく孤立感を感じる事も、孤独である時もある。
でも、自分の心を、自分の思いを殺す事はとても辛い。
それこそが、大きな後悔の種になる。
その時ひとりでも、自分の意志を貫き通していると、どこかで同じ思いの人に出会ったりする事があります。
きっと人間の考える事に、あまり大きな違いはないのだと思います。
そんな事が支えになる時もあります。

「世界にひとつのプレイブック」という映画がありました。
過去の人生、大きな失敗で狂ってしまった男女が再生して行くストーリーです。
ふたりの人生には後悔がたくさんあります。
映画の宣伝に「人生のどん底で見えた希望のひかり」という言葉があります。
これは宣伝文句で、映画の中で当事者は日々後悔に絡め取られながら、必死で生きる姿が描かれています。
そんな中、もがいている毎日の中から未来を見つけ出すその姿に、そのストーリーに、心惹かれます。

私はクライマックスのダンスコンテストのシーンが大好きです。
そのダンスホールでふたりが無意識にする行いがとても好きです。
是非、映画を見て頂く事として、これ以上は止めておきましょう。
微笑ましく、でもニヤリとしてしまいます。

http://youtu.be/uPeDoHBcf4M

私は踏み切りの遮断機を越えて、人を救いに行けるだろうか。
…私はきっと目をつぶってしまうだろう。
そうして、そんな事しか出来ない自分に、くよくよと後悔し考えるのではないかと思うのです。

アメリカの弁護士さんで、こんな言葉を残している方がいます。

許すことで過去を変えることはできない。
しかし間違いなく、未来を変えることはできる。

バーナード・メルツァー

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2013年5月25日 (土)

哀しみ 歌い、語り、叫び、描き、書く

彼は突然私たちの前から姿を消しました。
取引先の優秀な方で、私とは先日あった現象の解析作業を行っていたのです。
私は自分でもよく理解できない問題に、よく彼の知恵を借りました。
彼は現在の仕事に就いてから多くの事を学び、その知識や見識も我々をはるかに凌駕していました。
私や他の仕事上の仲間からも、困った時に相談できる頼れる存在だったのです。
その取引先の重要なブレーンであり、日常取引事項を打ち合わせするその方の右腕でした。

問題の案件に関する解析結果が研究所から送られてきており、彼にそのメールを転送して、その日の私の仕事は終わりでした。
時間も遅かった事から、そのメールを読んだ見解は翌日にでも伺うつもりで連絡はしませんでした。

しかし、その時彼は既にこの世にはいなかったのです。

その訃報は朝突然に勤務先の取締役から私の携帯電話宛にありました。
不慮の事故で亡くなったのです。
言葉を失いました。
その日の予定を終え、私は現地、その取引先へと向かったのです。

日常の打ち合わせを行う担当の彼の勤務先の取締役が待っていてくれました。
応接へと通されました。
彼はこの方の重要な右腕として、事業の発展に大きく寄与し、代る人のいない存在だったのです。

ポツポツと事実を伝え始めてくれました。
しかし、途中からは涙声で言葉が詰まりました。
返す言葉がありません。
憔悴しています。

ケンシロウさん、どうしてだろう、なぜだろう…

言葉がありません。

彼が自宅に無言の帰宅をした後、その方は会いに行ったそうです。
彼の奥様から生前に仕事にやりがいをとても感じていると話していた事を伝えられたそうです。
ケンシロウさん、でもそれを今言われてもなぁ…、なあ、ケンシロウさん。
でも、それだけが今では救いだ…その方は途切れ途切れに語りました。

会いに行ったら、小学3年生の娘が一生懸命絵を描いているんだよ。
俺は悲しくないのかな…って思ったよ。

その方には申し上げませんでした。
その小学3年生の娘さんは、とてつもない哀しみの中にいます。
周りの大人が悲しみ、また告別式等の準備や段取りに追われている事をわかっているのです。
いい子でいるのです。
本当は泣き叫んで、哀しみを心から亡きお父さんに伝えたい。
でも、今それをしてはいけないと自分で考えているのです。
それを、わかっているのです。

その彼女が何を描いていたかは知る由もありません。

保原高校(福島県伊達市)の美術の番匠あつみ先生が行っている活動を報道で知りました。
保原高校は東日本大震災で半壊してしまったそうです。
昨日まで学び、昨日までおしゃべりし、昨日まで集った、その場所は失われてしまったのです。
そのショックは想像に難しくありません。

この番匠先生は昔話の「花咲じいさん」の「枯れ木に花をさかせましょう」から「がれきに」花を咲かせて、少しでも見た人に元気を出してもらえないかと考えます。
そして、このプロジェクトを開始します。
「校舎のかけらに花よ咲け」
番匠先生によれば、見る側も勿論、作る側にも元気を与える事となったという事です。

変わり果てた思いでの場所の欠けらと向き合いながら、自身の心に浮かぶものを見つめ、希望への轍を作り上げてゆく。
神様が人間にだけ与えてくれた、表現をする能力は、生きてゆくための力になる事を教えてくれます。
深い哀しみも、
溢れんばかりの喜びも、
天を衝く怒りも、
愛に心ふるえる時も、
私たちは、語り、描き、歌い、書く事が出来るのです。

すべてが押し流され、色を失ってしまった風景。
その中で、ピンク色の花がひときわ鮮やかだった。
「桜を見ているだけで元気になれる」。
がれきを片づけていた被災者の方は、1本だけ残った桜の前でそう語った。
がれきに油性絵の具で花の絵を描いてゆく「がれきに花を咲かせようプロジェクト」のきっかけとなったできごとだ。

2013年3月12日 日本経済新聞掲載

JR東日本の新幹線に置いてある「トランヴェール」。
5月号の中に震災ガレキがオブジェに生まれ変わる「ワタノハスマイル」プロジェクトに関する記事が掲載されています。
東日本大震災で発生したガレキを利用し、子供たちがオブジェを制作します。
そのオブジェに名前をつけて、イメージを増幅させて行きます。
このプロジェクトを紹介する記事のタイトルは「悲しみさえも笑顔に変える、子供たちのちから」です。

子供たちにとって、この作品はいまは価値がないかもしれません。
でも、大人になった作者には大きな価値が出てくるはずです。
作った自分を恥ずかしく思う人もいるかもしれません。
けれど震災の記憶がこのオブジェに刻まれています。
いつか自分の子供に見せてほしいし、震災の記憶と、震災から立ち上がった記憶を次世代に語り継いでほしいと願っています。
きっとこのオブジェが、自分が経験した記憶を思い起こすスイッチになるはずです。

トランヴェール 2013年5月号 明日をつくる底力

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彼の葬儀は参列者が予想を超え、案内の時間の1時間前からご焼香が開始される事となりました。
その参列者数は生前の彼の人望を示すものでした。
彼の遺影の前で、私は心からお礼を申し上げました。

彼のその小学生の娘さんは、多くの参列者に気丈に挨拶をしていました。
どこかで、お父さんが亡くなってしまった自分を哀しみ、亡くなってしまったお父さんの事を哀しむ。
誰にはばかる事なく。
それがお父さんへの一番の供養となる事。
それを周りの大人が許してくれるでしょう。

私も「自分のためには泣かない」と固く決めていたから、我慢していた事がありました。
いつしか、そんな自分の心を制御できずに、声をあげて泣いたとき、その時その人が近くにいる事を感じました。
そして、私の哀しみを救い上げてくれたと思った事があります。

私は歌う事も、描く事も、演奏する事も出来ません。
でも、誰でも可能な事、つたないながら文字にする事が出来ます。

次に彼と仕事をした同じ空の下に行った時、もう一度心から、空を見上げて「ありがとう」と伝えるつもりです。

がれきに花を咲かせようプロジェクト
http://www.hobara-h.fks.ed.jp/zennichi/bukatsu/bunka/gareki/gareki-top.html

ワタノハスマイル
http://www.watanohasmile.jp/

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2013年3月17日 (日)

今この一瞬を

昨日、大変お世話になった恩師を偲ぶ会があり出席をしました。
私は会場の後ろの方で、ひっそりとしておりました。
そこへ、恩師の奥様も極めて控えめに佇んでおられました。
奥様は私にそっと話しかけられました。

「こういう事になるなんて本人も思っていなかったと思います」
「そうですね。私もです」と答えます。
「人の人生はわからないものですね」
「本当…ですね」

奥様は進行して行く議事を静かに見守っておられました。

私が話しました。
「誰もが亡くなる事は、神様に平等に与えられています。でも、自分の順番が来るのがいつかはわからないし、大切な人の順番がいつ来るのかもわかりません」
「自分の大切な人の順番は何時だって理不尽だし、理解や納得する事など出来ません」
私は司会者が話している姿を見ながら、視線をはなさずに話しました。

奥様も近くに佇んでいられますが、正面を見据えている事がわかります。
奥様は重ねてゆっくりと、そして、とてもやさしく語られました。

「そうですね。だからこそ、今のこの一瞬を大切に生きていかなければならないと思います」

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2013年1月 2日 (水)

サンタクロース本当にいる!!

2013年。
今年もよろしくお願いします。
本年もご訪問頂きました事、感謝です。
ありがとうございます。

さて、記事タイトルは何時の話?ですが、その頃から書き出し、いろいろ追われて投稿が本日となりました。
今年のクリスマスまで下書きで置いておくのは忍びないので…というより書いた事を忘れるともったいないので投稿しました。
相変わらず、ダラダラと長いのですが、ご訪問頂きましたのも何かの縁。
少しお付き合いください。

重ねて、ご訪問への感謝と。
本年もよろしくお願いします。

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サンタクロースの存在を疑いだしたのは何時頃からでしょうか。
私は自分の記憶の中に、両親にその事を訊いた覚えがありません。

現在の実家を建て直している時、幼稚園の年長の頃だと思います。
その時、玄関に母親がそれぞれ兄弟が希望するプレゼントを書いて貼っていた事を覚えています。
なぜ記憶にあるのか…?
自分の希望していたプレゼントと、届いたプレゼントはちょっと違っていたからです。

私は長男で弟と妹がいたので、サンタクロースが存在しない事をわかってからも、それを信じている弟と妹に話した覚えはありません。
きっと私もプレゼント欲しさに、信じているふりをしていたのだと思います。
クリスマスは大切な人が出来てからは一大イベントでしたし、自分が親になってからは、子供が喜ぶ姿を見るのがとても楽しみでした。

サンタクロースは言うまでもなく、子供にとっては特別な存在です。
リーマンショックで不況の嵐が吹き荒れるアメリカでのニュース映像に、ある家族の肖像がありました。
お父さんが失業し、両親は子供にクリスマスプレゼントを用意する事が出来ません。
お母さんが子供に話します。

「世界にはあなたより苦しい思いをしている子供たちがたくさんいるでしょ。
今年サンタクロースはその子供たちの事で手がいっぱいなのよ」

失業から来る不安を子供に隠すために、そういう説明をしなければならない両親。
自分より苦しんでいる、厳しい状況にいる子供が世界にはいる事を知っている子供。
その子供は瞳に涙をいっぱいにためて、うん…と頷くしかありませんでした。

私たちは例えば、今からおよそ2,500年前のギリシャ悲劇に、およそ450年前のシェイクスピアに、およそ250年前のベートーヴェンに感動します。
時間と空間を超えて、作品の意図を、作者の思いに、自分の思いを重ねて感動します。
1,000年以上前の作品でも、100年前の誰かの生き様にも、今を生きる人間が思いを同じくする事が出来ます。
作品が優れている事や真似の出来ない生き様である事は別にして、人は2,500年前から、1,000年前から、100年前から、大きくは変わっていないのだと思います。

クリスマスではありませんが、その頃の思いである事をご容赦頂く事として書きます。

人は人を愛する事を、愛しむ事を決してやめる事ができないのです。

変わらず、人は誰かを愛していたいし、誰かに愛してほしいと思っています。
これだけは営々と想像の出来ない古より、現在に続いている事です。
だから、今を生きる人でも、ギリシャ悲劇に心を焼き、レ・ミゼラブルに涙し、いろいろな事に歌い、踊り、書き、語るのだと思います。

心は永遠であり、心は死なない。
思いは死なない。
時間と空間を超えて、今を生きる人の心で生きるのだと思います。

ゲーテは亡くなる3年前79歳の時にこんな言葉を残しています。

「私が人生の終焉まで休むことなく活動して、私が既存の生存の形式ではもはやもちこたえられない時には、自然はかならず私に別の生存の形式を与えてくれるはずだ」
ゲーテと対話より

捉え方によっては、とてもしんどい発言であります。
でも、真意はきっと自分の身が滅びる事があっても、自分の思いは、自分の心は、いつまでも生き続ける。
時と空間を超えて、様々な人の心に生まれ、よみがえり、発展して行くと考えたのだと思います。
それは我々が人として地上で生き始めた日から、今日まで愛する事をやめなかった事を知っていたからだと私は思うのです。
心は、思いは、そして愛は、不滅である事を知っていたのだと思います。

2012年12月24日の日本経済新聞のコラム「春秋」には、サンタクロースは存在するのか?というアメリカの幼い少女の問いかけに新聞が答えた記録が掲載されていました。

▼どんなに小さい嘘でも、なにか大事なものを守る善意の嘘でも、嘘をつくときには、人の心はチクリと痛むものだ。
これほど平気で堂々とつける楽しい大嘘は、ほかにない。
「サンタクロースは本当にいる」。
世界中の大人たちが、喜び勇んで子供をだますのが今夜だ。

▼米国のかつての大新聞ニューヨーク・サン紙は、社説で「愛や寛容、献身が存在するのと同様に彼も存在する」と格調高く論じた。
8歳の少女の投書に答える形で「本当の真実とは子供にも大人にも、目で見ることはできない」と書いている。
質問を出した少女はやがて学校の先生になり、47年間子供たちを教えたそうだ。

中略

▼世の中には、子供だけが知っている真実がある。
愛しているつもり。
優しいつもり。
一生懸命のつもり。
でも大人は、ちっぽけな自分の欲のために、もっと大事な何かを忘れることがある。
子供たちは大人よりずっと幸せに敏感だ。

2012年12月24日の日本経済新聞のコラム「春秋」

サンタクロースは本当にいる。
誰の心にも存在し、いつでもやって来る。

くじけそうな日…。
孤独に絶望する日…。
喜びに涙する日…。
歓喜の声をあげる日…。

それぞれのサンタクロースは心によみがえります。
人の心に「愛や寛容、献身が存在するのと同様に彼も存在する」限り、誰かは誰かのサンタクロースに。
「本当の真実とは子供にも大人にも、目で見ることはできない」からこそ、人は人を通じて、そこにサンタクロースがいる事を実感するのです。

きっと、あなたも、私もサンタクロース。

サンタクロースは本当にいる。

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2012年12月 8日 (土)

あなたも、誰かにそんな思いを抱いた事がありませんか…

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混雑する駅で急に立ち止まったりすると、露骨に嫌な顔をされたり、後ろの人がつまづいたりなんて事があります。
東京のキー駅でも慣れないところでは、上部の案内看板を見ながら歩みが遅くなったり、ヨタヨタしたりします。

今週の金曜日。
長い出張が続き、ようやく自宅の最寄り駅に到着した時の事です。

私はキャリーバックを持参して出張する時は、新幹線や特急電車以外は一番後ろの車両に乗車します。
出口から一番遠い車両に乗車します。
人の流れが落ち着いてから、キャリーバックの音をガラガラと響かせながら、空いたホームを歩く事にしています。

人の流れの一番後ろから、改札へ向けて歩いている時の事です。
次の電車に乗るためにホームへ向かう人の流れと重なりました。
その時、複雑な人の流れの中で立ち止まり、まるで最後に歩く私を見ているようにこちらを立って見ている人がいます。
私より10歳は先輩かと思われる人です。

歩く人がいても、ホームは異様に静かで、人の歩く音だけが聴こえます。
その中に規則的に道を叩きながら歩く音が聴こえます。
目の不自由な人が、ホームの道を白い杖で確認しながら歩いていたのです。

私より10歳は先輩かと思われるその人はその目の不自由な人が、無事にホームに到着できるのかを見守っていたのです。
人の流れに逆らって立ち止まり、ホームまでの階段を無事降りるのを見守っていたのです。
つまづいたり、転んだりしたら、飛び出そうと注意深く見守っていたのです。

その先輩の少し先に、やっぱり同じように見守っている人がいました。
私は思わず微笑んでしまいました。
キャリーバックの音をガラガラと響かせながら駅のロータリーへ向かう間に、私はそのふたりに別々に抜かされました。

誰かに褒められるわけじゃない。
感謝されるわけじゃない。
相手にその気持ちが伝わる事はない。
誰かに言われてした事じゃない。
その気持ちが報われる事がない方がよい。

先輩、男だねぇ。
人として、人としてのあなたの思い。
尊敬します。

いつも、自分ひとりで生きているような気持ちでいるけれど、どこかで誰かが応援してくれていたりする事がある。
気が付かないけれど、誰かの思いが支えになっている事がある。
長い旅路の無事を祈ってくれている人がいる。
行く道の幸せを祈ってくれている人がいる。
感謝される事も、報われる事も、気づいてもらえない事がわかっていても。

あなたも、誰かにそんな思いを抱いた事がありませんか…。

自分を強く見せたり
自分を巧く見せたり
どうして僕らはこんなに
息苦しい生き方を選ぶの?

答えなど何処にもない
誰も教えてくれない
でも君を想うとこの胸は
何かを叫んでいるそれだけは真実

永遠は何処にもない
誰も触れることはない
でも君が笑うとその先を
信じてみたくなる手を伸ばしたくなる

LIFE is… / 平井 堅

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2012年11月22日 (木)

明日からの予定は全て白紙

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生きていても仕方が無いと思う絶望の中で、次の希望を見出す事も出来ない。
命を自ら絶つ事も恐ろしく、日々やりきれない思いを抱えて生きてゆく。
よかったと思う想い出ばかりがよみがえり、今を憂う時。
忘れようとして、どうしても忘れられない過去。
どうして、あんな事を言ってしまったのかと後悔を繰り返すとき。

自分は必要なのか、不必要なのか…。
生きている意味があるのか、ないのか…。

今日で全てが終わりだから、明日からの予定は全てない。
明日からの予定は全て白紙。

繰り返す絶望的な出来事に、頑張っていこうなんて気持ちは、いつのまにか風で砂が流れてゆくように消えてゆく。
他人から無遠慮に言われる「将来は…」「未来は…」「この先には…」。
これほど疎ましい言葉はないと思う。
なんて無責任だろうと思う。
そんな言葉はなにひとつ、心に響かない。
今の気持ちも、心もどうにもならない。

どうすればいい…。

何も言わない、隣に黙って座っているだけでいい…。
手を握りながら、話を聞いてくれるだけで…。
誰かが、近くで呼吸をしている…それがわかるだけで。
誰かの体温…近くにぬくもりがあるだけで。
誰かが生きている気配を感じるだけで…。
生きている…と思える瞬間があるだけで。

言葉では表現しない、表現できない思いを、心を、人は伝えあう事ができる。
終わりのわからない絶望の中で、未来なんて、将来なんて、明日なんて、想像も出来ないのに、思いがけない人がメッセージを携えてくる事がある。
ある日、明日を思う瞬間が訪れる。
神様が例外なく、誰にも、人に等しく与えた終わりの日があっても。

その時、今日で全てが終わりだから、明日からの予定は全て白紙ではなく、生まれ変わるから、思いが、心が、新たになるから、明日からの予定は全て白紙になる。
明日から、新しいページになる。

目が覚めたら、全てが変わっているなんて夢物語はないけれど…。
でも、白紙のページに書き込む気持ちが湧いてくる。

私はそうだったのです。

私の心に心を刻んでくれた人。
その心が私が立ち上がる原動力だったのです。

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2012年10月24日 (水)

おかあさん、俺はこんなに遠いところまで来てしまったよ

見知らぬ世界にたくさんのワクワクする事が待っている…そんな気持ちが強かったのはいつ頃までだったでしょうか。
小学生の頃から、見知らぬ遠いところへ行くのが好きで、仲間と時にはひとりで自転車で出かけていました。
ここじゃないどこかへ…。

そんな事を思うようになったのは、いつ頃でしょうか。
自分の事を誰も知らないとろこへ行って、新しいスタートをしたらどうなるのだろう。
今の自分を捨てて、新しい自分が生まれるだろうか…なんて。
中学生も終わりの頃、利用されているような気持ちが強くなった時かもしれません。

苦闘する事。
自問する事。

どこかに行けそうで、どこへも行けない。
いろいろな事を自分に、これまでの生き方に、突きつけられていました。
やがて、仕事で世界の果てのような場所まで行った時、私は自分で「こんなに遠くまで来てしまった」と、とても感じたのです。
そこには話す言葉は違っても、たくさんの自分と同じ人間がいるのです。
誰も私を知らない世界でした。
なぜか、私は心の中でフト「おかあさん、俺はこんなに遠いところまで来てしまったよ」と語りかけていました。
子供の頃は、子供が遠いと思う世界でも、確かな帰れる場所をきっとどこかに感じていたのです。

…詐欺師
…人でなし
…鬼
…悪魔
…ペテン師

仕事で利害の調整が失敗し、ビジネスをしている関係者から、こんな言葉を投げつけられる事があります。
若い頃はムキになって反論した事もありましたが、今では時として心は冷静に、激しく反論する猿芝居をする事があります。
あえて強く反応をしたり、そんな相手を前に応接のソファに座ったまま、足を組んで薄笑いを浮かべる事すらあります。
私はどこへ行くのだろう…と思う事があります。

でも、私はビジネスの世界の魅力からは離れられません。

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2012年10月 6日 (土)

ゆるぎないもの

なんとなくわかってきていたんだ…。

私が小学生高学年の頃の遊びと言えば野球。
王貞治選手がハンクアーロンのホームラン記録を超えるとか、次は世界記録に挑戦だとか、誰もが王選手になって草野球に興じていました。
他にも自転車で様々なところへ冒険へ出かけたり、毎日毎日、日が暮れてお腹が空くまで、みんなで遊んでいました。
楽しくて、別れ際には必ず「じゃ、また明日なぁ〜」とそれぞれの家路に着いたのです。
私は汚くて、まず庭の水道で足を洗い、玄関からお風呂に直行条件でなければ家に入れませんでした。
勿論、真冬でも。

でも、だんだんわかってきたんだ…。

お小遣いをもらっていた子は稀なほうでした。
当時、ソーダ味のアイスで1個30円なんてのがありました。
これ、ひとつのアイスに棒が二つ。
みんなで10円とか5円とか持ち寄りました。
そして、これをその日の人数の半分の数だけを買い、分けてみんなで食べたりしました。
上手に半分で割れないと、ズルイとか、わざとやっただろ、そっちが大きいとか本気モードのケンカになりました。

遊んだいるところへ、誰かのお父さんが早く帰ってきたりして、「おまえら食べろ」なんて1人1個のアイスをご馳走になったりすると、
「ラッキー」
「今日ついてるぜ」
「おしいね」
「1人1個サイコー」
なんて、こんな事で感激していました。

なんとなくね、わかってきていたんだ…。

「太郎って、私生児なんだってよ」
「私生児ってなんだ?」
「新しいソーセージかよ!」
「なんか昨日、ウチの親がヒソヒソ話していたぞ」
「ああ、なんでもいいよ。今日は何する?」

だんだん、みんな公平じゃないんだってわかって来る。
俺たちは仲間で、友だちで、みんなで遊んでるのが楽しいんだよ。
その事がいちばんなんだ…。

「サータンのお父さん、会社行ってないんだってよ」
「西ヤンのお母さん、水商売してるらしいぜ」

畳屋の前で、みんなで大喧嘩になって、畳屋の親父に全員で説教されたり。
捨て犬を見つけたけど、誰も飼う事が出来なくて、みんなで泣く泣く元の場所に返しに行ったり。

大人の世界は、大人の事情は垣間見えていたけれど。
でもね、だんだんわかってきたんだ…。

雨の日、みんなで図書館に行ったんです。
そこで、戦艦大和の本1冊をみんなで輪になって見ていました。
空前絶後、世界最大の戦艦。
それは我々を魅了するには十分だったのです。
特に私には、とても魅力的だったのです。

戦艦大和は俺たちの「ゆるぎないもの」だったのです。
それは、大和が初めての公試運転(性能テスト)の時のエピソードでした。
公試運転のその日、海上は南西の風20メートルと海は荒れ、時化。
他の艦船は港へ帰港しましたが、大和は土佐沖の海上で、その風雨にビクともしなかった。
こんなエピソードが俺達をとても魅了したのです。

もうすぐ少年の季節が終る事。
俺たちはこのままでは、いられない事。
そんな不安を言葉にする事はなかったけれど、誰もが感じていた事。
だから、戦艦大和の圧倒的なスケールは、ゆれはじめた心を支えるゆるぎないものでした。

大人の世界と、大人の事情は、いずれ自分達だって、大人になるのだけれど、不安でいっぱいでした。
もう誰も、みんなが、それぞれの事情があって、誰もが公平じゃないって事に気づいていたんです。
これから先、これまで通りではない事を、誰もがわかっていたのです。
だからこそ、台風の様な荒れた海でも、それをものともしない大和は、俺たちの「ゆるぎないもの」だったのです。
大人への道に、大人への世界へと進む怖さに、「ゆるぎない」ものが必要だったのです。

時間は止まりません。
少年は青年となり、大人になりました。

大人の世界は…と思っていましたが、そこには大人にならなければ知らない、そしてわからない、生きてゆく喜びを知る世界がありました。
後悔も、嫌な事も、悪意も、どうしようもない現実も、やりきれない思いもたくさんあります。
でも、それ以上の生きてゆく、その力、その源泉を感じたのです。

そして、俺たちはそれぞれの自分の道で、世界で、世界のホームラン王「王貞治」になり、大切な人のために、荒れた海を進む時、「ゆるぎない」戦艦大和でありたいと思うのです。

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2012年9月17日 (月)

氷解 あなたは最高に魅力的

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誰もが誰にも言えない、やりきれない気持ちを抱えながら生きています。

大学生活が始り、それまでとは違って、たくさんの友達も出来て、話す事も、遊ぶ事も変わって、毎日はとても楽しくなりました。
いろいろ楽しい事もあって、本当に楽しかった事もありますが、何より肩の力が抜けて、毎日が、生きる事が、とても楽になったのだと思います。
中学時代の楽しさとは勿論異なっていて、心も成長するのだから当たり前です。
でも、それまでの事もあって、私の心には整理につかないような思いがあったのです。

はからずも孤独となった環境で、自分や、自分の周りや、自分の思いと向き合った、その思いが形なく心で渦巻いているようでした。
毎日はとても楽しいのだけれど、時々これが本当に求めていたものなのか…と悩みではなく不安になったのです。

大学は多くの地域から人が集まり、なかには東京で初めて暮らす人もいます。
そんなところから、これまでとは違う文化がたくさんありました。
これも私には、とても刺激的でした。

当時、バブルの享楽は始った頃で、軽薄短小ではないですが、わりと誰とでも気軽に、なんだか「根暗」なんて言葉もあって、誰もがそういうレッテルを貼られたくないなから、離合集散し、うわべだけの付き合いも多くありました。
私は1人でいる事にも慣れていましたから、迎合するような幅はあまり持ち合わせていませんでしたが、、気の合う仲間と知り合うまでは、そんな中に私もいたのです。
高校時代と同じ轍は踏みたくないという気持ちも、どこかに間違いなくあったと思います。

心の中にあった形にならない思いは、ますます混沌としていました。
誰にもそんな事を話す事はなかったし、自分の中で急いで答えを見つけ出して、気持ちを整理したいなんて思いはありませんでした。
好きで続けていた読書で、私はこんな文章に出会いました。
その本は特別に買い求めたのではなく、書店で見つけたものでした。

湖畔の村々で彼は人々に見棄てられた熱病患者のそばにつきそい、その汗をぬぐわれ、子を失った母親の手を、一夜じっと握っておられたが、奇跡などはできなかった。
そのためにやがて群集は彼を「無力な男」と呼び、湖畔から去ることを要求した。
だが、イエスがこれら不幸な人々に見つけた最大の不幸は、彼等を愛する者がいないことだった。
彼等の不幸の中核には愛してもらえぬ惨めな孤独感と絶望が何時もどす黒く巣くっていた。
必要なのは「愛」であって病気を治す「奇跡」ではなかった。
人間は永遠の同伴者を必要としていることをイエスは知っておられた。
自分の悲しみや苦しみをわかち合い、共に涙してくれる母のような同伴者を必要としている。

イエスの生涯 / 遠藤周作

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私は私の中の混沌とした思いを、上手に私の中で結晶にする様な思いでした。
気持ちでした。
私を愛しんでくれた人、思いを託してくれた人、大切にしてくれた人、やさしくしてくれた人、感謝してくれた人。
私は私の思いが、心が、結晶化して行き、昇華した様な気持ちだったのです。
今まで生きてきて、生きててよかったんだ…と思えたのです。

9月6日に報道で上半期の児童虐待最多=昨年の1.6倍とありました。
通報が増え、虐待が発覚しやすくなったとの事。
その事でひとりでも、いやそんな日々の誰もが最悪の事態を避ける事が出来て、絶望する日々が終わる。
こういう報道を知るたびに思います。

親の顔色を窺う子供の毎日は、とても辛い日々です。
自分の発した言葉や、自分の態度で親が急変し、怒ったり、暴力を振るったりすれば、次第に自分の気持ちを表す事が恐ろしくなってしまいます。
自分の存在が、自分の発言が、自分の態度が、その場の空気を、雰囲気を、どれ程変化させてしまうかと考えれば、次第に無口になって行きます。
話せるはずがありません。
親の顔色を窺いながら、いつでも親の思う子供に、親の気持ちに沿う様に頑張る。
そして、本当の自分の心を殺し続けて行きます。
大人になっても、それは親から社会で関わる人に代わるだけで、やっぱりいつも誰かの期待に応える完璧な人でなければと考えてしまいます。

いつでも誰かの期待に応える。
誰かの思うような理想の人でいる。
人付き合いであれば、人は相手に完璧である事を求めたりはしません。
相手がなんでも完璧であると、自分を省みて窮屈になってしまいます。
でも、子供の頃からそんな親の意志を汲み、やがてそれが社会で関わる人に代わるだけで、日々続いてゆく。
自分の心を殺し続ける日が続くのは、とても辛い事です。
自分をよく見せようと一生懸命頑張る。
そうでなくては、自分を認めてもらえない、自分の居場所がないと考えてしまう辛さ。
何かを与え続けなければ、自分は相手にとって意味がないという考え方に陥ってしまう。
こんなに辛い日々があるでしょうか。

今年の5月。
小学6年生の二男の運動会の事です。
二男は1年生の頃から徒競走はビリが指定席になっていました。
小学校最後の運動会で有終の美を飾るべく、私と特訓を開始しました。
ふたりで走って持久力を高めたり、スタートダッシュに、カーブと練習します。
1位は無理でも、ビリをなんとか抜け出したいと思う二男も必死で練習メニューをこなします。
テレビ番組でその頃にあわせた特集の「早く走れる方法」なんてのを見て、取り入れられるものは、特訓に取り入れました。
これならなんとかビリは脱出可能かもと思われるところまで仕上がってきたなと思いました。

本番。
スタート前から緊張しているのが伝わってきます。
二男の順番が回ってきました。
スタートポジションにつき、いよいよスタート!

いちばんインコースからスタートしましたが、第2コーナーで団子状態に。
しかし、最後の直線で差が開き始めました。
最後の直線ではビリから2番目です。
なんとか逃げ切れるか…。
ゴール前、デットヒートです。
ゴールへ入って行く背中が見えます。
果たして…。

結果はビリでした。
二男は地団駄踏んで悔しがっています。
私は昼食時に、結果は残念だったけれでも、練習から本番までよく頑張ったと二男を褒めました。
二男は悔しさを噛みしめています。

ところが、思わぬ変化がありました。
クラスメイトから走り方が変わったとか、早くなったとか、二男のこれまでとは違う様子に驚きと評価の声があったのです。
いつもを裏切るレース展開に他の児童が沸いたのです。
見ていたクラスメイトのお母さんたちからも、評価の声を頂きました。
反対の見方では、それほどビリの印象が定着していたのだと思います。

誰かに認めてもらいたくて、褒めてもらいたくて一生懸命頑張る。
そんな事が様々な場面であったと思います。
結果は思う通りであったり、不本意であったり、いつもいつも自分の思うとおりには行かなかった事の方が、多かったりしますよね。
こんなに、とっても頑張っているから「よく頑張っている」と褒めて欲しい。
認めてもらいたい人に、認められるととても嬉しいです。
しかし、反対に頑張った事を否定されたり、もっと優秀な誰かと比較されたりすると、とても辛い気持ちになります。
自分はダメな人間だと思ってしまいます。

あなたは自分のことを価値のない人間だと思っている。
欠点だらけの人間だと思っている。

欠点だらけの人間が世の中で自分だけだと本気で思ってる?
心が粉々になるほどの傷を負った人間は自分だけだと思っている

花言葉をさがして
ヴァネッサ ディフェンバー (著)/ 金原 瑞人 (翻訳)/ 西田 佳子 (翻訳)

でも、前述の二男の話ではありませんが、誰かが頑張っている姿を見ています。
頑張っている姿を認めてくれている人がいるのです。
そんな誰かを感じる事が稀だから、そう思ってもなかなか心が満たされる事はないかもしれません。
そんな思いをした事があるからこそ、近くに、目の前に、遠くに、声も思いも届かない場所に、同じ思いを持つ人がいれば、「あなたはよく頑張っている」と声で、言葉で、伝えたくなりませんか。
そんな思いを心に抱きませんか。
そんな覚えがありませんか。
それは同じ哀しみを持つ人の心を知り、その哀しみを自分の力に変えている事だと思いませんか。
とてもやさしくて、強い心だと思いませんか。
どこかで頑張っている誰かを応援している誰かになりませんでしょうか。
どこかで見ている誰かになりませんでしょうか。

苔は根がなくても育つこととか

苔に根がないというのが本当なら、母性愛も、なにもないところに自然に生まれるものかもしれない。

みなしごでも誰にも望まれない子どもだったとしても、誰にも愛されずに育ったとしても、おとなになれば、他の誰にも負けないくらい豊かな愛情を、子どもに注ぐことができるようになるかもしれない。

花言葉をさがして
ヴァネッサ ディフェンバー (著)/ 金原 瑞人 (翻訳)/ 西田 佳子 (翻訳)

これまでの人生をとても辛いものだと思ったならば、まずはそんな自分を、自分で認めて評価してあげてましょうよ。
とても辛い大変な日々の中で、よく今日まで必死に頑張って生きてきた。
それは本当に凄い事なんだよって。

いつも誰かの期待に応えたくて、自分の心を殺して生きてきた自分を…。
認めてもらいたくて、でもさびしい気持ちをたくさん抱いて歩いてきた自分を…。
ずるい人に利用されて哀しい思いをした日に耐えて、乗り越えて、生きてきた自分を…。
欠点だらけの自分が嫌で嫌で仕方なかった日々を生きてきた自分を…。

本当によく頑張って生きてきたねって、自分を褒めて。

小説に感情移入する時は、例えば登場人物に自分を同じ思いを見つけた時だと思います。
この小説の主人公は生まれてすぐ母親から棄てられ、里親と施設を転々としながら18歳で独立するところから始ります。
でも、ストーリーが進むにつれて、主人公の心が、いつか、どこかで、今も心にある思いと重なってゆくのです。

この小説の巻末に花言葉辞典が掲載されています。
その中のラナンキュラスの花言葉がお気に入りです。

花言葉は「あなたは最高に魅力的」です。

花言葉をさがして
ヴァネッサ ディフェンバー (著)/ 金原 瑞人 (翻訳)/ 西田 佳子 (翻訳)
http://hanakotobawo-sagashite.com/index.html

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