しあわせのランプ(Chapter16) 親愛なる者へ
「誰かひとりを血祭りに上げて、自分の強さを見せつければいいかな?」
「それをはじめると、止め処なくそれを続けなくてはならない。まして最初も,この先も勝ち続ける保障がどこにある?」
「でも、最初に強いんだと見せておかなければ馬鹿にされるし、友達も出来ないし、どうするの?」
「自分よりケンカが強い奴はたくさんいる。勝ち続ける事でしか関係を維持できない友達は長続きはしないよ。もし、勝ち続けてもそこにあるのは、例えようもない孤独だ」
「なんだかよくわかんないなぁ」
アルバイト先の社長から息子の家庭教師をお願いしたいと言われたのは、ある日突然だった。
残念ながら、一流大学でない私がなぜ、学生時代や勉強の事なんて話をした事もないのに依頼されたのだろうと思っていた。
しかし、その疑問は一瞬で解決が出来た。
その中学生は大変な問題児だったのだ。
まずは、机に座らせる事から始めなければならなかった。
約束の時間に家に帰ってこない。
近隣を探す。
当時はまだコンビニの駐車場で輪になってではなく、飲料の自動販売機の灯りの近くにいたのだ。
社長は勿論、奥様にご挨拶をしていたので、こどもの顔を想像する事が出来、その中の誰であるかが、すぐにわかった。
私が近づいてゆくと、楽しそうに話していた会話が止み、そこにいた5人が私の顔を見た。
「君が○○か?今日から約束していた事があったのではないのか?」
当時、私は厳しい空手の稽古で鍛えた身体をしていた。
中学生から見れば、体格でケンカは既に勝負あった…だったのだ。
6月頃、もう夏の虫の鳴き声がしていた。
自動販売機の機械の音と虫の鳴き声以外音が聞こえない。
抵抗はなかった。
5人は一緒に立ち上がった。
「さあ、家に帰ろう」と言って歩き出した私について来ざるを得ず、本人も勿論、他の4人は一言も話をしなかった。
まだ、とてもあどけない顔をしていた。
玄関を入って来る音がし、奥様が扉の向こうの部屋の奥で息を殺しているのがわかった。
彼の部屋に入り「まずは、座れよ」と笑顔いっぱいで、勉強机の椅子を勧めた。
その時、むなぐらをつかもうとして彼が飛びかかって来たのだ。
その手を両手で受払い、そのまま掌手で彼の胸を突いた。
突き飛ばすような格好で彼は椅子に大きな音を立てて座る格好となった。
その時、彼が私を怒りで睨む瞳は涙でいっぱいだった。
「やるんだ、とにかくやるんだ…理由はない。とにかくやるんだ」と私は涙いっぱいの瞳に答えた。
その時は私も驚いており、気の利いた言葉を捜し、理由など説明する余裕がなかったのだ。
その日は教科書を見せてもらい、今現在授業でどこまで進んでいるかを確認するだけで終わったと思う。
帰りに彼は、玄関まで出ては来なかった。
果たして彼は、次の時は部屋におり、私を待っていた。
勉強は細かい事に繰り返しだった。
例えば、英単語を3分間に10語覚える。
そこですぐに小テストをした。
出来たら頭を撫でながら言葉で褒め、失敗したら書いて覚えるまで繰り返す。
この繰り返しで、時間中は集中し、良い結果のでる事に意欲も湧いてきていた。
本気で接し、彼に関心を示している事が、彼にとってよかったのではと今思う。
彼とは合間にいろいろな事を話すようになった。
多くは今やらなければならない事の理由がわからなかったり、学校や教師の理不尽に感じる事に対する怒りでもあった。
まるで、さっきまでの自分を見ているようだった。
奥様は彼が座って勉強をしているという事実だけで、涙ながらに感謝された。
感謝されるではなく、私自身が楽しくなっていたのだ。
友達の事。
恋愛の事。
受験の事。
将来の事。
両親の事。
いろいろな話をして、私が社会人になるのと同時に終わりとなった。
就職してしばらくの後、アルバイト先の社長から電話を頂いた。
その内容は急な転居に伴う転校で、彼から相当な反発があり、学校へ行く意欲も勉強への意欲も失い困っているとの事だった。
私の勉強方法が一番わかりやすい…との理由(言い訳)で休日の夜に家庭教師を再開する事となった。
勉強らしい勉強は殆どなく、もっぱら彼が心情を吐露した。
転校先の学校で馴染めるかどうかが彼の一番の心配だった。
「誰かひとりを血祭りに上げて、自分の強さを見せつければいいかな?」
「それをはじめると、止め処なくそれを続けなくてはならない。まして最初も,この先も勝ち続ける保障がどこにある?」
「でも、最初に強いんだと見せておかなければ馬鹿にされるし、友達も出来ないし、どうするの?」
「自分よりケンカが強い奴はたくさんいる。勝ち続ける事でしか関係を維持できない友達は長続きはしないよ。もし、勝ち続けてもそこにあるのは、例えようもない孤独だ」
「なんだかよくわかんないなぁ」
人生の出来事に意味付けをしなければならないなら、荒れた中学時代に自分が得た事はこの事だった(Chapter4)。
「要はケンカをしても勝ち目がないとか、意味がないと思わせればいい。それは勉強が出来る事、頭が良いと思わせる事でも可能だと思わないかい」
「そうかな…」
「鎌倉の円覚寺に空手の開祖である人の碑があるんだよ。そこにはこう書かれているんだ。【最強の者 戦わずして勝つ者】ってね」
「そうか…」
「それから○○○中魂(転校前に通学していた中学校名)は忘れてはいけないんじゃないか」
「○○○中魂?」
「そう、俺はそこでがんばっていたんだという誇りと魂だよ。新しい学校に行っても、それを心に秘めておけばいい」
「○○○中魂…か」
「もうひとつ。せっかく部活動でやっていたバスケットボールは新しい学校へ行っても続けるといいよ思うよ。クラスだけではない友達が増える事は、クラス替えをしてもどこかに友達がいる事になるかもしれないよ」
「そうだね」
次に彼のところを訪れた時、机には大きく油性マジックで「○○○中魂」と書いてあった。
周囲の心配をよそに、彼は新しい学校にも馴染み楽しく学校生活を始めた。
私はもう必要なく、役目は終わっていた。
彼に必要だったのは、自分の気持ちを受け止めてくれる人だった。
その年に彼から送られてきた年賀状には「俺も先生みたいな男になりたいです」と書いてあった。
その言葉は嬉しいような、でもチクリと心に棘が刺さった様な気持ちになった。
親愛なる者へ。
私とあなたには大きな違いはないんだよ。
元気ですか。どうしていますか。
きょうはひとりぼっちでいませんか。
いいことって、小さなことって、毎日ほんとに いくつもいくつもいっぱい あるんだね。
けれど、とてつもなく大きな 悲しいことも、やっぱり どうしようもなく あるんだね。
明日なんて わからないし、どんなに今日はいい日でも、一秒後には炎の中かもしれないし、
まるで真っ白な霧の中、いつだって、いまにも断崖に向かって踏み出しているかもしれないんだね。
けど、まっすぐに空を見て足を踏み出せたらって、
なかなかできそうにもないけどさ、だから、さ、なおさら、そうしたいと 思うんだ。
たとえばあんたもひとりぼっちなら、あたしはきっと そうやって あんたに手を出すよ。
きっと そうやって 本気で あんたに手を出す。わかるかい。
親愛なる者へ/中島みゆき
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