誰もが誰にも言えない、やりきれない気持ちを抱えながら生きています。
大学生活が始り、それまでとは違って、たくさんの友達も出来て、話す事も、遊ぶ事も変わって、毎日はとても楽しくなりました。
いろいろ楽しい事もあって、本当に楽しかった事もありますが、何より肩の力が抜けて、毎日が、生きる事が、とても楽になったのだと思います。
中学時代の楽しさとは勿論異なっていて、心も成長するのだから当たり前です。
でも、それまでの事もあって、私の心には整理につかないような思いがあったのです。
はからずも孤独となった環境で、自分や、自分の周りや、自分の思いと向き合った、その思いが形なく心で渦巻いているようでした。
毎日はとても楽しいのだけれど、時々これが本当に求めていたものなのか…と悩みではなく不安になったのです。
大学は多くの地域から人が集まり、なかには東京で初めて暮らす人もいます。
そんなところから、これまでとは違う文化がたくさんありました。
これも私には、とても刺激的でした。
当時、バブルの享楽は始った頃で、軽薄短小ではないですが、わりと誰とでも気軽に、なんだか「根暗」なんて言葉もあって、誰もがそういうレッテルを貼られたくないなから、離合集散し、うわべだけの付き合いも多くありました。
私は1人でいる事にも慣れていましたから、迎合するような幅はあまり持ち合わせていませんでしたが、、気の合う仲間と知り合うまでは、そんな中に私もいたのです。
高校時代と同じ轍は踏みたくないという気持ちも、どこかに間違いなくあったと思います。
心の中にあった形にならない思いは、ますます混沌としていました。
誰にもそんな事を話す事はなかったし、自分の中で急いで答えを見つけ出して、気持ちを整理したいなんて思いはありませんでした。
好きで続けていた読書で、私はこんな文章に出会いました。
その本は特別に買い求めたのではなく、書店で見つけたものでした。
湖畔の村々で彼は人々に見棄てられた熱病患者のそばにつきそい、その汗をぬぐわれ、子を失った母親の手を、一夜じっと握っておられたが、奇跡などはできなかった。
そのためにやがて群集は彼を「無力な男」と呼び、湖畔から去ることを要求した。
だが、イエスがこれら不幸な人々に見つけた最大の不幸は、彼等を愛する者がいないことだった。
彼等の不幸の中核には愛してもらえぬ惨めな孤独感と絶望が何時もどす黒く巣くっていた。
必要なのは「愛」であって病気を治す「奇跡」ではなかった。
人間は永遠の同伴者を必要としていることをイエスは知っておられた。
自分の悲しみや苦しみをわかち合い、共に涙してくれる母のような同伴者を必要としている。
イエスの生涯 / 遠藤周作
私は私の中の混沌とした思いを、上手に私の中で結晶にする様な思いでした。
気持ちでした。
私を愛しんでくれた人、思いを託してくれた人、大切にしてくれた人、やさしくしてくれた人、感謝してくれた人。
私は私の思いが、心が、結晶化して行き、昇華した様な気持ちだったのです。
今まで生きてきて、生きててよかったんだ…と思えたのです。
9月6日に報道で上半期の児童虐待最多=昨年の1.6倍とありました。
通報が増え、虐待が発覚しやすくなったとの事。
その事でひとりでも、いやそんな日々の誰もが最悪の事態を避ける事が出来て、絶望する日々が終わる。
こういう報道を知るたびに思います。
親の顔色を窺う子供の毎日は、とても辛い日々です。
自分の発した言葉や、自分の態度で親が急変し、怒ったり、暴力を振るったりすれば、次第に自分の気持ちを表す事が恐ろしくなってしまいます。
自分の存在が、自分の発言が、自分の態度が、その場の空気を、雰囲気を、どれ程変化させてしまうかと考えれば、次第に無口になって行きます。
話せるはずがありません。
親の顔色を窺いながら、いつでも親の思う子供に、親の気持ちに沿う様に頑張る。
そして、本当の自分の心を殺し続けて行きます。
大人になっても、それは親から社会で関わる人に代わるだけで、やっぱりいつも誰かの期待に応える完璧な人でなければと考えてしまいます。
いつでも誰かの期待に応える。
誰かの思うような理想の人でいる。
人付き合いであれば、人は相手に完璧である事を求めたりはしません。
相手がなんでも完璧であると、自分を省みて窮屈になってしまいます。
でも、子供の頃からそんな親の意志を汲み、やがてそれが社会で関わる人に代わるだけで、日々続いてゆく。
自分の心を殺し続ける日が続くのは、とても辛い事です。
自分をよく見せようと一生懸命頑張る。
そうでなくては、自分を認めてもらえない、自分の居場所がないと考えてしまう辛さ。
何かを与え続けなければ、自分は相手にとって意味がないという考え方に陥ってしまう。
こんなに辛い日々があるでしょうか。
今年の5月。
小学6年生の二男の運動会の事です。
二男は1年生の頃から徒競走はビリが指定席になっていました。
小学校最後の運動会で有終の美を飾るべく、私と特訓を開始しました。
ふたりで走って持久力を高めたり、スタートダッシュに、カーブと練習します。
1位は無理でも、ビリをなんとか抜け出したいと思う二男も必死で練習メニューをこなします。
テレビ番組でその頃にあわせた特集の「早く走れる方法」なんてのを見て、取り入れられるものは、特訓に取り入れました。
これならなんとかビリは脱出可能かもと思われるところまで仕上がってきたなと思いました。
本番。
スタート前から緊張しているのが伝わってきます。
二男の順番が回ってきました。
スタートポジションにつき、いよいよスタート!
いちばんインコースからスタートしましたが、第2コーナーで団子状態に。
しかし、最後の直線で差が開き始めました。
最後の直線ではビリから2番目です。
なんとか逃げ切れるか…。
ゴール前、デットヒートです。
ゴールへ入って行く背中が見えます。
果たして…。
結果はビリでした。
二男は地団駄踏んで悔しがっています。
私は昼食時に、結果は残念だったけれでも、練習から本番までよく頑張ったと二男を褒めました。
二男は悔しさを噛みしめています。
ところが、思わぬ変化がありました。
クラスメイトから走り方が変わったとか、早くなったとか、二男のこれまでとは違う様子に驚きと評価の声があったのです。
いつもを裏切るレース展開に他の児童が沸いたのです。
見ていたクラスメイトのお母さんたちからも、評価の声を頂きました。
反対の見方では、それほどビリの印象が定着していたのだと思います。
誰かに認めてもらいたくて、褒めてもらいたくて一生懸命頑張る。
そんな事が様々な場面であったと思います。
結果は思う通りであったり、不本意であったり、いつもいつも自分の思うとおりには行かなかった事の方が、多かったりしますよね。
こんなに、とっても頑張っているから「よく頑張っている」と褒めて欲しい。
認めてもらいたい人に、認められるととても嬉しいです。
しかし、反対に頑張った事を否定されたり、もっと優秀な誰かと比較されたりすると、とても辛い気持ちになります。
自分はダメな人間だと思ってしまいます。
あなたは自分のことを価値のない人間だと思っている。
欠点だらけの人間だと思っている。
欠点だらけの人間が世の中で自分だけだと本気で思ってる?
心が粉々になるほどの傷を負った人間は自分だけだと思っている
花言葉をさがして
ヴァネッサ ディフェンバー (著)/ 金原 瑞人 (翻訳)/ 西田 佳子 (翻訳)
でも、前述の二男の話ではありませんが、誰かが頑張っている姿を見ています。
頑張っている姿を認めてくれている人がいるのです。
そんな誰かを感じる事が稀だから、そう思ってもなかなか心が満たされる事はないかもしれません。
そんな思いをした事があるからこそ、近くに、目の前に、遠くに、声も思いも届かない場所に、同じ思いを持つ人がいれば、「あなたはよく頑張っている」と声で、言葉で、伝えたくなりませんか。
そんな思いを心に抱きませんか。
そんな覚えがありませんか。
それは同じ哀しみを持つ人の心を知り、その哀しみを自分の力に変えている事だと思いませんか。
とてもやさしくて、強い心だと思いませんか。
どこかで頑張っている誰かを応援している誰かになりませんでしょうか。
どこかで見ている誰かになりませんでしょうか。
苔は根がなくても育つこととか
苔に根がないというのが本当なら、母性愛も、なにもないところに自然に生まれるものかもしれない。
みなしごでも誰にも望まれない子どもだったとしても、誰にも愛されずに育ったとしても、おとなになれば、他の誰にも負けないくらい豊かな愛情を、子どもに注ぐことができるようになるかもしれない。
花言葉をさがして
ヴァネッサ ディフェンバー (著)/ 金原 瑞人 (翻訳)/ 西田 佳子 (翻訳)
これまでの人生をとても辛いものだと思ったならば、まずはそんな自分を、自分で認めて評価してあげてましょうよ。
とても辛い大変な日々の中で、よく今日まで必死に頑張って生きてきた。
それは本当に凄い事なんだよって。
いつも誰かの期待に応えたくて、自分の心を殺して生きてきた自分を…。
認めてもらいたくて、でもさびしい気持ちをたくさん抱いて歩いてきた自分を…。
ずるい人に利用されて哀しい思いをした日に耐えて、乗り越えて、生きてきた自分を…。
欠点だらけの自分が嫌で嫌で仕方なかった日々を生きてきた自分を…。
本当によく頑張って生きてきたねって、自分を褒めて。
小説に感情移入する時は、例えば登場人物に自分を同じ思いを見つけた時だと思います。
この小説の主人公は生まれてすぐ母親から棄てられ、里親と施設を転々としながら18歳で独立するところから始ります。
でも、ストーリーが進むにつれて、主人公の心が、いつか、どこかで、今も心にある思いと重なってゆくのです。
この小説の巻末に花言葉辞典が掲載されています。
その中のラナンキュラスの花言葉がお気に入りです。
花言葉は「あなたは最高に魅力的」です。
花言葉をさがして
ヴァネッサ ディフェンバー (著)/ 金原 瑞人 (翻訳)/ 西田 佳子 (翻訳)
http://hanakotobawo-sagashite.com/index.html
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