今日ですべてが始まるさ
新年のガソリンスタンドは閑散としています。
奥さんに灯油買ってきて…なんて言われたであろうご同輩がいます。
灯油の給油機の前で、知らない同士ですが、軽く挨拶を交わしたりします。
年末のガソリンスタンドは洗車を待つ長蛇の列でした。
愛車も大掃除というオーナーの気持ちですね。
そう、年末は大掃除。
テレビのCMも各社洗剤や掃除用具が多くなります。
1年のいろいろな汚れを掃除してきれいになりたいと思います。
人間も同じですね。
忘年会なんて、1年の憂さを晴らして来年もガンバローなんてね。
ノストラダムスの大予言が華やかなりし世紀末。
多くの書籍を始め、様々なメディアでこれを煽る現象がありました。
1999年の自分の年齢を考えて、その頃はどうしているかなぁ…なんて想像してみたりしました。
31歳か…子供もいるかな?
自分は31歳まで生きられるけれど、子供は小さいからかわいそうだな…。
ところで…誰と結婚しているんだ?
人類が滅びるかもしれない世紀末大予言に、ずいぶん小市民の想像です。
その頃に読んだ香山リカさんの著作でとても印象に残っている事があります。
人間は区切りを設けたくなる生物である…とのお話です。
1999年の騒動に1000年前に999年にあった事象も重ねながら、その深層心理に迫るものでした。
残念ながら著作が思い出せません。
今日の連続である明日を人は時々リセットしたくなる。
世紀末の破滅的思想もそういうところから生まれてくる。
だから、年度末に正月、卒業式に入学式。
人にはこういう節目が必要なのだ…という内容だっと思います。
とても解かりやすい話でした。
人はどこかで、これまでのしがらみを断って、新しい自分で生きたいと思う事があります。
例えば、自分の事を誰も知らない、そんな場所で暮らしてみたいとかです。
でも現実にはそんな事はかないませんから、節目を作ってモデルチェンジをするのだと思います。
同じ営業部から、他地区の営業へ異動する後輩に話した事があります。
初めて行く新任地では、誰もあなたの事を知らないのだから、モデルチェンジを志せと。
自らの層を厚くしたあなと、またどこかで一緒に仕事をするのを楽しみにしていると話しました。
カッコいいでしょ。
…私も初めての転勤でそう言われたのです。
妻の実家では私は王子様もいいところです。
食べなさい、飲みなさい…と歓待して頂いております。
妻の両親は自営業で、31日の夕刻まで仕事があり、実質元旦のみがお休みというところです。
そこで、例年31日から伺って、1日に失礼するというスケジュールでした。
昨年末もすっかり酔っぱらって、居間で横になりうつらうつらしながら、紅白歌合戦を見ていました。
泉谷しげるさんが歌っていました。
私は泣きました。
でも泣いた事を悟られる事が嫌だったので、横になって眠い目をこするような仕草でごまかしていました。
それでも右側を下にしていたので、伝う涙を隠すのが大変でした。
テレビの向こうでよ、ひとりで紅白を見ているお前ら、ラジオを聞いているお前らいいか。
今年はいろいろあったろう。
いろいろ辛いこともあったろ。
だからよ、忘れたいことも忘れたくないことも、今日は自分の今日にしろ。
自分だけの今日に向かって、そっと歌え。今日ですべてが終わる
今日ですべてが変わる
今日ですべてが報われる自分に向かってそっと歌いやがれ。
いいか、声に出さなくてもいいぜ。
自分だけに向かって歌え。
自分だけの今日に向かって。
自分だけの今日に歌え。今日ですべてが終わるさ
今日ですべてが変わる
今日ですべてが報われる
今日ですべてが始まるさ2013年12月31日 泉谷しげる / 春夏秋冬
今まさに、テレビに、ラジオの向うで戦う人々にどれだけの勇気を与えただろうと思ったのです。
それを俺は知っている。
俺の心はいつもお前と共にあると。
お前の戦いはひとりじゃないぜ。
苦しい今を、
哀しみに苦しむ今を、
明日への希望すら見いだせない今を、
自分の惨めさに涙する今を、
孤独に苛まされる今を、
ここで終わりにしようぜ。
明日から、新しい自分で生きようぜ。
昨年末から、佐村河内守さんの交響曲第1番 HIROSIMA の第3楽章のメロディが頭から離れませんでした。
あの80分に及ぶ大作の第3楽章が繰り返し頭の中によみがえります。
繰り返される困難や絶望の後、最後にやさしく美しい全てを癒すようなメロディが引き取ります。
第3楽章も25分前後あると思いますが、これが部分でなく最初から繰り返し頭の中で演奏されます。
私はやっぱりこの交響曲が大好きです。
普段は日本経済新聞以外はなかなか読む余裕がありませんが、近くにあった朝日新聞を読んでいました。
そこに、東日本大震災でご主人と息子さんを亡くされた大槌町の小畑幸子さんの記事がありました。
ご主人と息子さんの生きた証として、歌を詠んでいらっしゃいます。
その事が特集記事として掲載されていました。
心の支えは14歳になるオス犬・太刀(たち)だった。
愛犬に亡き子夫を話す時 尾ふりすりよる 話わかりて
震災後、家の辺りに駆けていき、がれきを掘って剛さんを捜した。
骨箱を見せて「兄ちゃんだよ」と言うと、箱を開けようとした。震災後は足元がふらつくようになり、動物病院で「震災ストレス」と言われた。
そんな体調になっても、いつも小畑さんの顔をなめ、涙を拭き取ってくれた。中略
以前は書けなかった文章も、太刀の目から見た形にすると、不思議と書けた。
士さんや剛さんとの思い出、家族を失った小畑さんを支え続けたこと…。
半年ほどかけて、大学ノート17ページ分にびっしり書いた。
「今度は息子や夫の目線で書いてみよう。
そうしたら、次は自分の言葉で書けるかもしれない」今日より 明日はきっと良くなると 信じて生きねば 道は開けず
小畑幸子
2014年01月01日 朝日新聞
佐村河内守さんの交響曲第1番 HIROSIMA の第3楽章のメロディは、繰り返される困難や絶望の後、最後にやさしく美しい全てを癒すようなメロディが引き取ります。
私はやっぱりこの交響曲が大好きです。
泉谷しげるさんのホームページ
http://ameblo.jp/shigeru-izumiya/entry-11740698953.html
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