趣味

2010年5月16日 (日)

その日の相棒はとても魅力的

「申し訳ございません」

木曜日からの出張で新幹線を降り、レンタカーの営業所に行きました。
お願いをした車はなく、この車でどうでしょうと示されたのは日産「デュアリス」でした。
「え、構いません
「申し訳ございません」

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SUVは運転した事がなく、今回の出張がなんとも楽しい出張になりそうだ…とワクワクしました。
デザインは攻撃的でも刺激的でもないけれど、いい顔をしています。

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林道や山間部の道路を走ります。
ストレスなく走ります。
快適、快適。
特にエクストロニックCVT-M6(6速マニュアルモード付無段変速機)は、マニュアルモードでも使い勝手が良いのです。
高速道路の登坂でも、追い越し車線への変更も、トルクが確実に伝わってくる感覚があり、運転が楽しい。

また、開放的でいいなぁと思ったのはサンルーフ。
自動で後席までが開きます。
これはすごく開放的。
残念ながらオープンカーにも乗った事がないので、この開放感は初体験。
それまではサンルーフ仕様はボディ剛性が…なんて考えた事がなかったですから。
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天気が良かったので、日中の陽の光は車内が暑くなる程でしたが、これで椅子を倒して、夜空を眺めるのも乙なものだろう…と思いました。

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ちょっと楽しかったし、遠回りをしてしまいました。

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2010年1月10日 (日)

愛車の名前は大和

台風の様な暴風の中、湾岸線を千葉から東京方面へ走ります。
ICの構造で立体となっているところで、高潮の如く水が降りかかります。
一瞬、視界が奪われます。
もう走る車も少ない湾岸線で、横浜方面へと向かいます。
タイヤハウスの中で大きく水がはじけた音が響きます。
しかし、私の愛車は何事もなく、レールがある様に、コーナーをしっかりトレースして行きます。
私の意志と共に一体になって走り、私はドライブする楽しみを味わっています。

激しく動くワイパーと生き物の如く動くタコメーターの針。
自身が上げる激しい水しぶき。
大きなトラックを追い越す時の霧状の水しぶきをはじき飛ばし、霧の中から道を切り拓きます。

子供の頃、車で出かけると高速道路を走る時の独特のエンジン音にしびれていました。
スカイラインです。
記憶にないぐらい小さな時の写真に、親父と私とスカイラインGTB(S54B)が写っています。
箱スカ(PGC10)から記憶にあります。
高速道路である一定の速度を超えると、耳に届く独特の高い金属音。
この音にシビレてしまったのです。

それから親父が箱スカの次に乗ったのが、スカイラインジャパン(HGC210)です。
親父が最後に乗ったスカイラインがこれで、これを親父から私が免許取得と同時に譲り受けました。
重いクラッチ。
鋼鉄の塊の様なボディー。
セカンドで2,000回転を超えるところから聞こえてくる豪快なサウンド。

当時、世相にはバブルの予兆があり、ホンダのプレリュードがとっても人気がありました。
免許を取る前に、友人に真っ赤なプレリュードがいいなぁと話したところ、ミーハー過ぎると言われた記憶があります。
ローワイドホルムや4WSなど、こんな車でデートしたいなぁ…なんてね。

比較すれば、最初の愛車は当時からすると西部警察の遺品みたいでした。
当時スカイラインはR31の後期型が、インターテックなでのツーリングカーレースで勝利を得始め、栄光の復活などと言われていました。
しかし、このスカイラインジャパンは運転する楽しみを私に教えてくれました。

そして、もう一つの目的。
意中の女の子を誘い、葉山のレストラン「マーロー」へと行きました。
免許を取得したばかりですから、信用がありません。
助手席に乗った彼女が交差点の右折レーンで、まるで私が突然襲いかかったか、生命の危機に瀕した時の様な悲鳴を上げてくれました。
よっぽど必死に映ったのか、高速道路の行き先別レーンチェンジが終わると、拍手を頂きました。
マーローの駐車場ではサイドミラーを擦りました。
…その恋は成就しませんでした。
いいんだ、いいんだ。
俺にはスカイラインがある。
残ったのはサイドミラーの傷と私の心の傷でした。

最初の愛車との別れは突然でした。
線路を越える陸橋で、死角となった部分に停車車両があり、フルブレーキングでも間に合わず追突しました。
ブレーキしながら、前のめりで入っていた車は目の前のマークⅡの下へフロントを入れ、車を持ち上げながら追突しました。
エンジンは私が止めるまで、止まりませんでした。
しかし、自走は出来ない状況です。

レッカーで駐車場まで帰ってきた車をしばらく見ていました。
わずかな電灯に照らされ、無残に砕けたフロントマスクでたたずんでいます。
ピチョン…。
ラジエーターオイルと思しき液体が駐車場に落ちた音が響きました。

ゴメンな…痛かっただろうな。
豪雨の湾岸線を走った時。
蓼科の山間部を走った時。
高速を走った時…いろいろ思い出が過ぎります。
私は無傷でした。
車で最も重要な安全性が証明されたよ。
私はかすり傷ひとつないよ。
ありがとう…お礼をいいました。

それからはすっかりスカイラインに惚れ込みました。
バブルの中で就職をし、R31型の後期型を購入しました。
高い金利の自動車ローンを少ない給料の中から、ヒイヒイ言いながら払いました。
この車はスタイルが好きでした。
ハードトップでボディ剛性には少々心配になる事がありましたが、RBの改良されたエンジンは刺激的でした。
エンジンは一気に吹き上がり、1??㌔までGOです。
当時、1本4万円もする高いタイヤを履き、その走りは私を虜にしました。
この車はローンも終わって、弟に譲りました。

そして…R32後期型ツインカムターボのTypeM。
これは傑作でした。
神経質な女王で、故障の多さには泣かされました。
転勤で共に九州へ行きました。
有明海を島原から熊本へフェリーで渡ったり…。
別府の山中で、雪に降られ立ち往生したりと思い出も多くあります。
意のままに動く、素晴らしい車でした。
しかし、一度じゃじゃ馬ぶりを発揮すると、簡単に言う事を聞いてはくれなくなりました。
R32

スカイラインはR34型が最後です。
この車に関連する事は別の記事で書きたいと思います。
その後、スカイラインは少し車の性格が変わったのと、そろそろ親孝行や子供が成長する事を考え、断腸の思いで断念しました。

今はエルグランドです。
アルファードとエスティマと比較し、子供達の「これがいちばんいい」で決めました。
妻からは「あなた、スカイラインがなくなっちゃうと元気が無くなっちゃうけど、本当にいいのね」と何度も確認されました。
なかなか可愛い車です。
V6 3500のエンジンは豪快ですが、2㌧の車重を引っ張るにはこれくらい強い心臓が必要です。
このエンジン、スカイラインにも使用されているのです。
ふふっ…。

しかし、リッター5㌔の燃費には泣かされます。
60㍑のタンクにハイオク仕様で、このご時勢では涙が出るってもんです。
ウルトラマンに出てきた、石油怪獣ぺスターみたいなもんです。
トホホホ…。

このエルグランド、私は大和と名づけています。
私の大好きな戦艦大和からとっています。
大和は太平洋戦争で航空機が主流となってからは、無用の長物とされてきました。
世界最大の戦艦で、燃料もたくさん必要でした。
エルグランドはハイブリッドのエコカーブームが主流の現代にあって、稀有な存在です。
大きくて燃料がたくさん必要なところが、似ています。
でも、運転席から3列目のシートまで乗り心地は最高です。

先日、ミラーを電柱にぶつけてしまいました。
スターバックスのコーヒーを片手に、片手ハンドルで中央車線のない細い道でした。
ミラーウィンカーのカバーを一部破損しました。
…片手ハンドル油断しました。

自分の能力の過信と戒め。
しばらくウィンカーは応急処置のテープのみです。
ゴメンね、大和。

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2008年12月27日 (土)

美しい花

今日は仕事納めで、午後4時頃より大会議室を使用しての納会でした。
一通り関係者に挨拶をしてまわった後、席に戻ってつらつらと考えていました。

今日しかない、今日こそ行くぞ…。

営業部では2次会の会場をカラオケボックスに用意しており、行こうと誘われました。
ダメ!! 今日は行くぞと決めたのだから、もう後には引けない。
カラオケ<目的地だ!

日本橋から地下鉄銀座線で銀座へ。
銀座から日比谷線に乗り換え、広尾で下車。
Googleの地図を片手に既に暮れた道を歩きます。
と、取引先からの携帯電話。
気持ちは目的地へ向かっているので、いっそ携帯電話をへし折って捨ててやろうかと思うほど。
簡単な対応で話を済ませ、再度目的地へGO。

目的地はお花屋さん。
ラ・パレットです。

なんだか、ながらく待ち焦がれていた恋人に会いに行くわけでもないのにドキドキしています。
今日は営業が終わってはいないか…つまらない事も考えます。
遂にお店を見つけると、ムフフッ。

お店の戸口に立ち、花束をお願いしたいと伝えました。
用途を聞かれ、「妻への今年のお礼の贈り物に」と答えました。
臆面もなく。
納会のお酒…少し飲みすぎたかな。

本当に少しアルコールのにおいもしていたと思いますが、スタッフの方は大変良い感じで、気さくに応対をして頂きました。
店内は壁一面に花があり、これがとても美しい。
特に指定のお花がありますかと聞かれ、指定はない事と、送るのは大人の方ですかと聞かれ(この問い合わせの仕方も素晴らしい)、妻の年齢を伝えました。

少し舞い上がっていたのか、どうして伺ったのかなんて事を話してしまいました。
作られてゆく花束を見ながら、その素晴らしさに感嘆していました。
お願いした予算をはるかに凌ぐ価値です。
最後に花束を包むラッピングも素晴らしい。
完成した花束を受け取って「素晴らしいですね」と思わず言葉がでました。

花束を受け取ってから、恵比寿駅に向かって歩きます。
おりしも帰宅ラッシュの時間。
まずは、混雑の激しい山手線を新宿まで、どう行くかが問題でした。
1本電車を見送って、この時間はどの車両が比較的空いているかを確認。
進行方向1両目と判断し、次の電車に乗車。
「俺に近づくな」のオーラ全開。
新宿からは特急電車で花束を守るように帰りました。

花束に顔を寄せながら、じっくり眺めながら帰りました。
白いバラがこんなに可憐で美しいと気付きました。
花束の色の配置バランスがとてつもなくいい。
紫のチューリップの美しさ。
シクラメンとは異なる、美しい紫。

いいおじさんが、一生懸命花を見ているさまは、結構奇妙に映っていたでしょうね。
でも、本当に感動する美しさでした。
なんだか今日一日が素晴らしい日となりました。
妻もとっても喜んでくれました。

自分が眺めて帰ってきた時に、写真を撮ろうと思った構図で上手に表現する技量を持っていない事を思い知らされた写真です。
少しでも美しさが伝わればと思います。

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風のガーデンもそうですが、花の魅力を再発見した、ロマッンチックなおじさんでした。

ラ・パレットへの私の勝手な思い入れは以下のURLにあります。
http://an-easy-light.cocolog-nifty.com/bloglight/2008/07/post_0aad.html

ラ・パレットのホームページは以下のURLです。
http://www.la-palette.co.jp/index.php?data=./data/l3/

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2008年9月 2日 (火)

音楽は神様が人間にくれた大切なプレゼント

幼い頃に聞いたお話しレコード。
「白鳥の湖」
絵本の最後のページはデュークフリートとオデッタが飛びこんだ岬に虹がかかり、共に手を握り合い、2人が昇天してゆく様だったと思います。

子供ながらに感動したのです。

その時は、悪魔の魔法を解くために、二人して、死してその魔法を解き天国で結ばれようという愛の結びつきに、その強さに感動しました。

今は闘わずに死を選んだ事を全面的に肯定はしないだろうけど。

それから、その物語に付随するチャイコフスキーのバレエ音楽「白鳥の湖」は私の心を捉えたのです。
生きるという事、愛の強さ、その激情。
多分思うにこれが、私の音楽に接する原点と考えるのです。
親に言わせれば「ひょっこりひょうたん島」の主題歌を踊りながら歌っていた…なんて言われるかもしれませんが。

その後クラッシックは親に押し付けられ、小学生のためのクラッシック大全集なんてのプレゼントされ、ところがそれをしつこく、擦り切れる程に聞きました。
小学生の頃大好きだった「宇宙戦艦ヤマト」はサウンドトラックが大編成のオーケストラだったのです。
ちっとも違和感が無いし、これも大好きだったのです。

しかし、西城秀樹。
なんで、あんなに情熱的な歌い方ができるのだろうと、どうしたら、あんなに激しく、熱く歌えるのだろうと。

夜、布団に入ってから、どうしても我慢ができなくて、2階の部屋で練習したのです。
「ボタンをはずせ~心を見せろ!!~♪」
あ~っ、どうして秀樹みたいに心から絞り出すように歌えないのだろう。
「ボタンをはずせ~心を見せろ!!~♪」
「ボタンをはずせ~心を見せろ!!~♪」
階下から親父の一言。
「ボタンをはずせはわかったから、もう寝なさい」

それからやってきましたピンクレディーブーム。
クラスの女の子も仲良しどうしでペアになって、振りマネ、歌マネ。
お誕生日会やお別れ会には必ず、何組ものピンクレディーが登場。
他の方々も皆様、グループで劇とか手品とか。
そんな中で私はいつも一人で、沢田研二。
ジュリーよジュリー。
本当に勝手にしやがれ。

本当に人を好きになるなんて事を感じる中学生。
当時はアリスに松山千春、さだまさしが大人気。
さだまさしの歌に、歌詞の意味を少し考えるようにもなりました。
ちょっぴり大人への入口です。

ところが、ここで私は初めてロックンロールと出会うのです。
しかも、ハードロックという区分に納まりきらないヘビィーメタル。
ギンギンにならすギターに乱れ打つドラム、叫ぶボーカル。
おりしもベストヒットUSAなんて番組が放映されている頃。
彼らがプレイする様とそのメロディーと歌詞がテレビ画面の中から、西城秀樹に感じた私の熱い部分を呼び覚ますのです。

また聞くほどに、知るほどに、クラッシックとの差を感じなくなりました。
やりきれない生きるその苦しみを破壊や自虐で表現する事、ベートーヴェンやラフマニノフが人生の苦しみと格闘し、それをメロディーで表現した事。
死への恐怖と慟哭に苛まされたマーラーとどこが違うのかと。
表現する歌詞とメロディー、楽器の違いです。
私は急速にのめり込みました。
MSG   RAINBOW  SCORPIONS etc…。
当時は田原俊彦にマッチの「たのきんトリオ」が全盛。
ヘビーメタルなんて不良扱いです。

この頃は洋楽一色。
かなりのませガキです。
ビートルズ解散後(何故かビートルズは好きになれなかった)に次の主流を模索していたイギリス音楽界でブームになったプログレシブロック。
ロックなのですが、クラッシックの様にメロディーに変調があり、しかも1曲が10分近く。
また、BOZ SCAGGSに代表されるAOR。
クラッシックとの融合とも言うべき、この流れは本当に抵抗が無かったのです。
特にこのAORは後に車でデートをするようになって、ムード作りにこんなにイイモノはないなんてヨコシマな考えも…。

しかし…オニャン娘クラブ華やかりし、高校時代。
原田知世の「時をかける少女」を見てから、いかれてしまったのです。
それまでのロックはピタッと止まって、原田知世一色になってしまいました。
それも長くは続かず、無色な高校生活に全てのメロディーは止まってしまいました。
新しいものも、何も手を出さず、過去のものも手に取ることはなく。
当時、ヘビーメタルは色褪せ、ユーロビートがジュリアナ東京と共に跋扈しはじめたのです。
そんな事も気にならず…。

眠れぬ夜に聞いた深夜ラジオで、中島みゆきの歌をはじめて知ったのです。
あっ…これ金八先生の中で使用していた曲だ…。
彼女の作品を多く聞くにつけ、涙声で歌い、哀しみを表現するその歌に虜となりました。
当時の私の心には、砂漠に水をたらすように心にしみたのです。
そして無色の高校生活が色づきはじめようとしていた頃、ブルーハーツがユーロビートを蹴散らすように登場しました。
ストレートな歌詞とメロディーとはいろいろ難しく考えていた私を解き放ってくれたのです。
メロディーが完全に甦りました。

そして真打登場。
年代がほぼ同じ、子供の頃にクラッシックの素養あり、同じ音楽を聴いて育ってきたYOSHIKIをリーダーとするX JAPANです。
その30分に及ぶ「ART OF LIFE」は自分と重ね合わせ、参ってしまいました。
曲中にオーケストラと闘うようなX JAPANの面々。
これがクラッシックとロックの融合だ。
おおいかぶさるような弦楽器に必死に戦うYOSHIKIのドラム。
また、歌詞がTOSHIの声と共にメロディーに負けないのです。

最近は音楽をゆっくり楽しむ時間も確かに減りましたが、自分の時間で一番費やしている事です。
クラッシックを聴く事の方が多くなった気もしますが、ロックが相変わらず好きです。
じじいになっても、ジーパンとロックは止めない。
そんな節操のないじじいを目指しているのです。

音楽は神様が人間にくれた大切なプレゼント。
言葉のわからないもの同士が理解し合う事ができ、何百年前の曲が時間を超えて今を生きる人を感動させる。
楽しむ事ができるのだから幸せです。
もう、私のメロディーは止まりません。

いつも音楽とともにある生活。
素晴らしいですよね。

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