育児

ガーベラの花言葉は「希望」

今週は久々に海外出張でした。
仕事でもプライベートでも出かけた事がないヨーロッパ。
機中泊2泊、現地3泊と予定がギッシリと詰まったスケジュールです。
でも、未知の世界が楽しみで、それまでの国内の殺人的なスケジュールをこなす上でも励みになりました。

出張先はドイツです。
現地メーカーとのコミュニケーションは英語です。
日本法人の日本人営業マネージャーが現地で待ってくれており、ビジネス上でのやり取りでは心配がありません。
意思疎通や確認事項に誤りがあるといけないので、彼がこちらの意思を的確に伝えてくれます。

現地2日目の昼食時。
そこは500年前開業のレストランです。
Pfaubrau000
昼食時から当たり前にビールを頂き、いくつかドイツの伝統料理をご案内頂きました。
アルコールは時差ボケにはきつい薬となりましたが、食欲増進剤となり美味しい料理を堪能しました。
また、勿論平日なのですが、夫婦で訪れる方々が多く、会話をしながら食事を楽しんでいます。
その雰囲気もとても良いものでした。

各テーブルには必ず花があります。
花はガーベラでした。
とても美しいオレンジ色でした。

たまたま現地法人の社長と二人になる瞬間がありました。
二人で黙っているのもつまらないものだと思い、私から話をしました。
それはガーベラにまつわる私の話です。
次の事を英語で話しました。
今は間違いを指摘されると嫌なので日本語で書きます。

それは私の命名の話です。
私は予定日より1ヶ月近く早く生まれました。
出産時に母親は子宮筋腫である事がわかり、出産は大きな出血を伴う事となりました。
私が逆子であった事も難産となる原因となり、心音も弱く仮死状態での誕生となりました。
誕生後、父親は医者に呼ばれ、母子共に危険な状態であると説明を受けました。

私は次第に元気になりましたが、母親は長く危険な状態が続きました。
父親は覚悟をしていたそうです。
そこで、私の名前には唯一最大の望みとして健康の「健」が入っているのです。
やがて幸いにも母親の容態が落ち着きました。
母親が病院で意識が戻ると、病室にガーベラの花があったそうです。
父親が持ってきてくれたもので、とても印象に残っている話であり、花なのだと聞かされた話をしました。
私は命名の通り、今しっかり生きていると話しました。
先方の社長さんから、名前の漢字での表記と、どの文字がその意味を示すのか教えて欲しいと言われ説明をしました。
そのメモを大事そうにしまってくれていました。

翌日の昼食後に次の目的地に移動する途中で先方の社長から話しかけられました。
「あなたは何故、英語で話をしないのか?」
「私の英語はビジネスでは不安な事と悪い英語が多いので使わない」と英語で返答しました。
「悪い英語とは何だ?何で英語を学んだのだ?」と重ねて聞かれました。
「私はハリウッド映画で覚えた英語が多く、ビジネスや会話には使うべきものではない」
「悪い英語とは例えばどんな英語だ?」
「例えば…Lick the hole of my buttocks(俺のケツの穴を舐めろ)」

たまたまシーンと共にそれが頭に浮かんだです。
これには先方の社長も大笑いでした。
ユーモアのある社長でよかった。
それは誰が言っただのと聞かれたので、アル・カポネだと話したらまた大笑いでした。

それからは英語で会話する事が当たり前となり、先方も気軽に話しかけてきます。
互いに家族やこれまでの事、大学での専攻やいろいろな話となりました。
やがて話題が音楽の事となりました。
互いの趣味の範囲となり、クラシックからヘビメタルまで話が盛り上がりました。

それからモーツァルトの生誕地オーストリアのザルツブルグへ行こうsign03となりました。
夕闇迫る頃市内に入り、ホーエンザルツブルグ城までの城下町?を案内してもらいました。
街並みだけでも素敵でした。
夕方の活気は、当地で生きる人の息吹を感じる事が出来ます。
当日、ホーエンザルツブルグ城内ではコンサートが行われる予定でした。
チケットがないのでコンサートは聴けませんが、社長がお願いをしてくれ、特別に開演前のホールを見せてもらう事ができました。
素晴らしい。

直接の意思疎通を行うようになってから、明らかに態度が変わった事を感じました。
帰国の日、最後に宿泊したホテルでの朝食の事。
そこのテーブルにも美しいオレンジ色のガーベラが一輪ありました。
それを見つけた社長から「この花はとっても長持ちするんだ。長く美しく咲く。あなたの父親はそんな願いを込めていたのかもしれないな」と話しました。
そうだとしたら、親父もずいぶんニクイ事をするもんだと思いました。

空港でまた日本かドイツで会おうと話して握手をし、帰国の途につきました。
とても仲良くさせて頂きましたけど、ビジネスはビジネス。
甘くはないですね。
それとこれとは別…ちゃんと区別しますもんね。
当たり前か。
でも…仕事抜きでも、初めてのヨーロッパ・ドイツには魅了されました。

この文章を最後まで書いてから、ガーベラの花言葉を調べました。

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子供が眠れず、眠らずに困った日

まだ子供が生まれる前の事です。
顧客との旅行で北海道の道東を中心に出かけた事がありました。
その際に摩周湖に立ち寄ったのです。

そこで摩周湖の哀しい伝説を聞きました。

宗谷のコタン(アイヌの集落)同士がイヨマンテ(熊祭)の夜に争い、一方のコタンは敗れほとんどが殺されてしまう。 敗れたコタンの老婆とその孫は命からがら逃げるが、逃げる道中で孫がはぐれてしまう。 老婆は孫を探しながらさまようが見つからず、カムイトー(摩周湖)付近までたどり着く。 老婆はカムイヌプリ(摩周岳)に一夜の休息を請い、許される。 が、悲嘆にくれ疲労困憊した老婆はそこから動けず来る日も来る日もそこで孫を待ち続け、とうとうカムイシュ島になってしまった。 いまでも、摩周湖に誰かが近付くと老婆は孫が現れたかと喜び、うれし涙を流す。 この涙が雨であり霧であり吹雪なのである。

摩周湖 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

当日の摩周湖は美しい湖面を見せており、ガイドをお願いした女性が婚期が遅れると話していました。
世界でも有数の透明度の湖。
その美しさと哀しい伝説は印象に残ったのです。

自分の子供が産まれ、しばらくたった頃の事。
妻も私もまいっちゃうぐらい、子供が眠れず、眠らずに困った日がありました。
そんな日は勿論、ほぼ毎日の様な出来事でしたが、フト眠れない子供を抱き上げた時の事です。
この摩周湖の哀しい伝説が心によみがえったのです。

まるで自分が空を飛んでいる様に、摩周湖を上から眺め、ゆっくりとカムイシュ島に近づいて行きます。
摩周湖の美しい、透明度の高い水に思いをはせ、意識を集中しました。
伝説の老婆の哀しみが胸に迫ります。
そして今、私にはこの腕に温もりがあり、それが何も疑いなく私を信用し、身をゆだねている我が子である事。
それを感じました。
心に浮かぶ摩周湖の霧は晴れ、美しい湖全体が見えます。

すると何をしても眠らなかった子供がスヤスヤと眠り始めたのです。
単なる偶然かもしれません。
しかし、以後同じ様に摩周湖とその伝説の老婆に思いをはせる様に、子供を抱きながら、自身の心を摩周湖の透明度に近づけようと意識を集中し、抱っこしていると不思議に眠るようになりました。
これも単なる偶然かもしれません。
他人の子供でも同じ様にした事がありました。
するとその子も眠ったのです。
両親が驚いていました。

さて、これにより何が変わったか…。
子供を寝かしつける係りは私が専属になったという事です。
「おとうさんの方が子供ねかせるの上手だから」…だってさ。

もう、少し前の話ですがね。

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「私はこの子の母親で幸せでした」

何年か前の事ですが、太鼓の素晴らしい演奏を見る事があり、楽器を使って表現できる事の素晴らしさに憧れたのです。
そこで、一念発起し憧れのピアノ教室に通う事を実行する事としたのです。
本当は随分まえから、気持ちの中にはあり、いよいよ実行に移すぞ…なんて気持ちでした。
ちなみに当時も今も能力は、楽譜の一番下の線にかかる音符がミの音で…なんて程度です。

教室は1曲完璧マスターコースと普通にレッスンしてゆくコースの二つでした。
後者を選んで、必要なお金も振り込み、さぁレッスン開始だ…。
レッスンはウィークディであり、出張に残業にと、レッスンにまったく行けず、入学時先払いのレッスン料が終わる2ヵ月後には、電話で続けられない旨を連絡していました。
気持ちの中では、リストを弾く私の姿がそこにはあったのに…。

さて、少し前にバン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した日本人ピアニストの話題がありました。
辻井伸行さんです。
コンクールで優勝した本人の能力よりも全盲なのに…という事が話題の中心であった気がします。
何より、優勝に関するインタビューで「もし、一日だけ目が見える日があったら、いちばんみたいのは何ですか?」と聞いた事、聞いた人が注目されました。
この質問の意図が、この言葉通りなら、なんともさびしい限りですが、答える方が一枚上手でした。

「お母さんとお父さんの顔が見てみたいです。友達の顔や星、海や花火もみてみたい。でも、いまは心の目でみているので十分満足しています」

目が見えないからこそとか、目が見えないのに…なんて演奏技術に絡めて話をするのは不毛な事ではないかと思うのです。
辻井さんのこれまでの経験の中に、ショパンコンクールの話がありました。
入賞したいという気持ちが、審査員を意識しすぎ、審査員を意識した演奏となったので、不本意な結果になったと本人の反省があったとの事。
しかし、今回のバン・クライバーン国際ピアノコンクールの時は、客席の人が自身をリラックスさせ、満足行く演奏ができたとの事。
魂から発せられる、純粋なオーラは多くの共鳴する魂を感動させるのではと思います。
その場にいないのに、例えばジャクリーヌ・デュ・プレのチェロを聞くと、時間と空間を超えて意思が伝わり感動するように。

先のインタビューに限らず、有名になれば仕方がないと言ってしまえば、それまでですが、母親に対する誹謗中傷もあるようで…。
辻井さんのお母さんが、受賞後のインタビューで答えています。
「私はこの子の母親で幸せでした」
お母さんの苦労がこの言葉に結実していると、私が人の親として思うのです。
しかし、ここまでの壮絶な思いは想像の範囲を超えると思います。
他に「一緒に死のうかと思ったこともある」との言葉は、目が見えない我が子の行く末を案じ、心に浮かんだ事だと思います。
自分の子供に不自由なところがあったなら、自分が生きている間は良いが、自然の摂理からどうしても自分が先に死ななければならない。
その時、不自由な身体の子供を残し、その子供に心を残して死んでゆくことが、どんなに辛い事であるか。
ここからは想像の域ですが、一人で生きてゆくための手段がピアノだったのかもしれません。

辻井さんは「ここまで支えてくれた両親には感謝しています。でも、親孝行のためにも早く親離れ子離れをして、自立して、いいお嫁さんを見つけ安心させたい」とも答えたそうです。
辻井さんはご両親の苦労を理解しているのだと思います。
人の哀しみを知り、それを自分の強さややさしさに変えられる彼の演奏はこれからも、磨かれてゆくと思います。
きっと素晴らしいパートナーにもめぐり逢えるんだろうな…。

話はまったく別ですが、我が家の中学2年の長男は中間テストや期末テストの勉強が煮詰まってくるとよくピアノを弾いています。
妻とは現実逃避と揶揄しています。
息子は3歳から自分でピアノを習いたいと言い出し、その後中学の部活動が忙しくなるまで続けていました。
レッスンをやめてからは、ピアノに触りもしないのに、そんな時だけ弾きます。
親バカですが、この時に弾いているのがいちばん上手に弾けています。
それは何より、勉強を忘れたい一心で無心に弾いているからかもしれません。
おい、現実逃避の時間がながいぞ。
勉強しろ。

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ふたりぼっちの孤独

ふたりだけの孤立を、ふたりぼっちの孤独を、なんとかする事ができなかったのだろうか。
彼女の身体に新しい命が育まれている事を知った時、どう思ったのだろうか。
どうしよう、どうしようと思い続けた結論は、どうしよう…と結論が導けない事でしかなかったのだろうか。
ホテルで不安と孤独の中で、産まなければならなかったその気持ちは考えるに辛すぎる。

我々は必ず誰かの息子であり娘だ。
産みの親と育ての親が違っても、この世に誕生してから、誰かの手が、暖かい手がなければ生きてゆけない。

産まれてから喜びを感じるよりも、手をのばしても温もりはなく、寒さに生存のための不安でいっぱい。
目も見えず、声も出せない。
最初で最後に抱かれた鉄の籠は命を守ってくれるゆりかごではなかった。

ふたりにとって幸せはさびしくない事だったかもしれない。
ふたりなら、ふたりぼっちなら、いいんだと思っていたのかもしれない。
いつも互いが互いに寄りかかっていては、疲れて歪が出てしまう。
互いに時と場面を変えて、それぞれが支えあう力も必要なんだ。

そんな力を養ってゆく為に、そのために、大人がいるんだよ。
信用して、相談できる大人が近くにいなかったんだよね。
少し、君たちより経験を重ねたふりをして威張っているけれど、皆多かれ少なかれ同じ道を辿ってきている。
あなた達が思う疑問を明確に答えられる大人なんていないよ。
でも、あなた達と苦しみも、哀しみも、喜びも分け合う事も、知恵を出す事もできるかもしれない。

産まれて亡くなってしまった子供に、なぜ彼女が生まれてきたのか、何の意味があるのかと誰もが納得のできる説明ができる人はおそらくいない。
それは大人も、誰もが自分が生きている価値や意味を探し続けているから。
「今、生きて自分がここにいる」そんな感動を繰り返したり、求めたりして人は生きているのではないだろうか。

この「ふたりぼっちの孤独」と哀しみがふたりを囚われの人生に陥れるだけとならないように。
そして生きる事ができなかった彼女には「今度はきっと素晴らしい世界に生まれておいでよ」と心から祈ります。
そして、こんな哀しみが終わる日を信じて。

自転車のかごに乳児を遺棄 容疑の18歳母と少年逮捕

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しあわせのランプ(Chapter16) 親愛なる者へ

「誰かひとりを血祭りに上げて、自分の強さを見せつければいいかな?」
「それをはじめると、止め処なくそれを続けなくてはならない。まして最初も,この先も勝ち続ける保障がどこにある?」
「でも、最初に強いんだと見せておかなければ馬鹿にされるし、友達も出来ないし、どうするの?」
「自分よりケンカが強い奴はたくさんいる。勝ち続ける事でしか関係を維持できない友達は長続きはしないよ。もし、勝ち続けてもそこにあるのは、例えようもない孤独だ」
「なんだかよくわかんないなぁ」

アルバイト先の社長から息子の家庭教師をお願いしたいと言われたのは、ある日突然だった。
残念ながら、一流大学でない私がなぜ、学生時代や勉強の事なんて話をした事もないのに依頼されたのだろうと思っていた。
しかし、その疑問は一瞬で解決が出来た。
その中学生は大変な問題児だったのだ。

まずは、机に座らせる事から始めなければならなかった。
約束の時間に家に帰ってこない。
近隣を探す。
当時はまだコンビニの駐車場で輪になってではなく、飲料の自動販売機の灯りの近くにいたのだ。
社長は勿論、奥様にご挨拶をしていたので、こどもの顔を想像する事が出来、その中の誰であるかが、すぐにわかった。

私が近づいてゆくと、楽しそうに話していた会話が止み、そこにいた5人が私の顔を見た。
「君が○○か?今日から約束していた事があったのではないのか?」
当時、私は厳しい空手の稽古で鍛えた身体をしていた。
中学生から見れば、体格でケンカは既に勝負あった…だったのだ。

6月頃、もう夏の虫の鳴き声がしていた。
自動販売機の機械の音と虫の鳴き声以外音が聞こえない。
抵抗はなかった。
5人は一緒に立ち上がった。
「さあ、家に帰ろう」と言って歩き出した私について来ざるを得ず、本人も勿論、他の4人は一言も話をしなかった。
まだ、とてもあどけない顔をしていた。

玄関を入って来る音がし、奥様が扉の向こうの部屋の奥で息を殺しているのがわかった。
彼の部屋に入り「まずは、座れよ」と笑顔いっぱいで、勉強机の椅子を勧めた。
その時、むなぐらをつかもうとして彼が飛びかかって来たのだ。
その手を両手で受払い、そのまま掌手で彼の胸を突いた。
突き飛ばすような格好で彼は椅子に大きな音を立てて座る格好となった。

その時、彼が私を怒りで睨む瞳は涙でいっぱいだった。
「やるんだ、とにかくやるんだ…理由はない。とにかくやるんだ」と私は涙いっぱいの瞳に答えた。
その時は私も驚いており、気の利いた言葉を捜し、理由など説明する余裕がなかったのだ。
その日は教科書を見せてもらい、今現在授業でどこまで進んでいるかを確認するだけで終わったと思う。

帰りに彼は、玄関まで出ては来なかった。

果たして彼は、次の時は部屋におり、私を待っていた。
勉強は細かい事に繰り返しだった。
例えば、英単語を3分間に10語覚える。
そこですぐに小テストをした。
出来たら頭を撫でながら言葉で褒め、失敗したら書いて覚えるまで繰り返す。
この繰り返しで、時間中は集中し、良い結果のでる事に意欲も湧いてきていた。
本気で接し、彼に関心を示している事が、彼にとってよかったのではと今思う。

彼とは合間にいろいろな事を話すようになった。
多くは今やらなければならない事の理由がわからなかったり、学校や教師の理不尽に感じる事に対する怒りでもあった。
まるで、さっきまでの自分を見ているようだった。
奥様は彼が座って勉強をしているという事実だけで、涙ながらに感謝された。
感謝されるではなく、私自身が楽しくなっていたのだ。

友達の事。
恋愛の事。
受験の事。
将来の事。
両親の事。

いろいろな話をして、私が社会人になるのと同時に終わりとなった。
就職してしばらくの後、アルバイト先の社長から電話を頂いた。
その内容は急な転居に伴う転校で、彼から相当な反発があり、学校へ行く意欲も勉強への意欲も失い困っているとの事だった。
私の勉強方法が一番わかりやすい…との理由(言い訳)で休日の夜に家庭教師を再開する事となった。
勉強らしい勉強は殆どなく、もっぱら彼が心情を吐露した。
転校先の学校で馴染めるかどうかが彼の一番の心配だった。

「誰かひとりを血祭りに上げて、自分の強さを見せつければいいかな?」
「それをはじめると、止め処なくそれを続けなくてはならない。まして最初も,この先も勝ち続ける保障がどこにある?」
「でも、最初に強いんだと見せておかなければ馬鹿にされるし、友達も出来ないし、どうするの?」
「自分よりケンカが強い奴はたくさんいる。勝ち続ける事でしか関係を維持できない友達は長続きはしないよ。もし、勝ち続けてもそこにあるのは、例えようもない孤独だ」
「なんだかよくわかんないなぁ」
人生の出来事に意味付けをしなければならないなら、荒れた中学時代に自分が得た事はこの事だった(Chapter4)

「要はケンカをしても勝ち目がないとか、意味がないと思わせればいい。それは勉強が出来る事、頭が良いと思わせる事でも可能だと思わないかい」
「そうかな…」
「鎌倉の円覚寺に空手の開祖である人の碑があるんだよ。そこにはこう書かれているんだ。【最強の者 戦わずして勝つ者】ってね」
「そうか…」
「それから○○○中魂(転校前に通学していた中学校名)は忘れてはいけないんじゃないか」
「○○○中魂?」
「そう、俺はそこでがんばっていたんだという誇りと魂だよ。新しい学校に行っても、それを心に秘めておけばいい」
「○○○中魂…か」
「もうひとつ。せっかく部活動でやっていたバスケットボールは新しい学校へ行っても続けるといいよ思うよ。クラスだけではない友達が増える事は、クラス替えをしてもどこかに友達がいる事になるかもしれないよ」
「そうだね」

次に彼のところを訪れた時、机には大きく油性マジックで「○○○中魂」と書いてあった。
周囲の心配をよそに、彼は新しい学校にも馴染み楽しく学校生活を始めた。
私はもう必要なく、役目は終わっていた。
彼に必要だったのは、自分の気持ちを受け止めてくれる人だった。

その年に彼から送られてきた年賀状には「俺も先生みたいな男になりたいです」と書いてあった。
その言葉は嬉しいような、でもチクリと心に棘が刺さった様な気持ちになった。
親愛なる者へ。
私とあなたには大きな違いはないんだよ。


元気ですか。どうしていますか。
きょうはひとりぼっちでいませんか。
いいことって、小さなことって、毎日ほんとに いくつもいくつもいっぱい あるんだね。
けれど、とてつもなく大きな 悲しいことも、やっぱり どうしようもなく あるんだね。
明日なんて わからないし、どんなに今日はいい日でも、一秒後には炎の中かもしれないし、
まるで真っ白な霧の中、いつだって、いまにも断崖に向かって踏み出しているかもしれないんだね。
けど、まっすぐに空を見て足を踏み出せたらって、
なかなかできそうにもないけどさ、だから、さ、なおさら、そうしたいと 思うんだ。
たとえばあんたもひとりぼっちなら、あたしはきっと そうやって あんたに手を出すよ。
きっと そうやって 本気で あんたに手を出す。わかるかい。

親愛なる者へ/中島みゆき

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今度はきっと、きっと素晴らしい世界に生まれておいでよ

血まみれで倒れている母親の近くで5歳ぐらいの男の子が泣いている。
裸の男の子はどうしてよいかわからずに、体全体を使って大声で泣き叫んでいる。
その男の子の姉と思しき女の子は、血まみれで倒れている母親のそばで放心状態となって座っている。

引越しをしてから、テレビの難視聴地域との事でCATVの契約をしました。
そんな時、チャンネル銀河で「映像の世紀」の再放送を放映していました。
NHKスペシャルで放送されたのを見ていたのは、約10年程前と思います。

冒頭の場面はその番組中の映像です。
これに加古隆さんの「パリは燃えているか」が重なります。
この曲も映像も言葉では説明しにくいのです。

子供は周りの世界を、親や身近な大人を通じて見ます。
外の世界を窺い始める時、信用できる大人と安心の手綱となる手をつないで見ます。
また、親の背後から、足にしがみついて様子を伺っている子供の姿を見ますよね。
言い換えると、小さな子供にとっては親が全てです。
食事も安全な環境も全て親が生殺与奪の権利を握っています。

自分で生きてゆく力がない子供は、自分を虐待している親に対し抵抗する術がありません。
「今日はお父さんの、お母さんの機嫌がいいように…」と祈る気持ちでいっぱいになります。
「お父さんやおかあさんが怒るのは私が良い子じゃないから…」と自分を責めます。
「今日はぶたれないで一日が終わった…」と就寝する時に安堵します。

誰も「しあわせに生きたい」この気持ちに変わりはありません。

インタビュー記事や会話の中で「生まれかわったら何になりたい」なんて質問があります。
今日を、明日を、明後日を、1週間後を、1ヵ月後を、1年後を必死に生きている。
つらい気持ち、満たされない思い、苦しい心、例えようのない孤独。
このままで良いと思っていないその心を抱えて、明日こそは、明後日には、きっとこの先には…。
私は「自分」と答えます。
私は明日を信じて、「今」を生きているのです。

でも、繰り返される哀しみの中で、理不尽に亡くなってゆく子供にはこの質問を空に投げかけます。
「今度生まれてくるときには何になりたい?」
「美しい花を見ると人は感動して涙を流す事もあるんだよ。知っているかい?」
「海に太陽が沈むとき、一瞬だけ違う輝きがあるんだよ。知っているかい?」
「人は、愛し愛されていると感じるととってもしあわせな気分になるんだよ。知っているかい?」

今度はきっと、きっと素晴らしい世界に生まれておいでよ。

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福井県丸岡町 大巧社 【日本一短い「家族」への手紙】より

えんそくの、
お父さんのぶさいくなおにぎり
たまねぎみたいにめにしみました。
福井県丸岡町 大巧社 【日本一短い「家族」への手紙】より高田小百合

息子へ…
出来るなら いじめぬかれたあの1年を
あなたの人生から消してあげたい
福井県丸岡町 大巧社 【日本一短い「家族」への手紙】より林 圭子

もし、お母さんと、お父さんの子供じゃなかったら、
ずっとかくしててね。
福井県丸岡町 大巧社 【日本一短い「家族」への手紙】より佐藤有希子

父と母へ 僕の足が不自由なのは
誰のせいでもなく神様のいたずらです。
福井県丸岡町 大巧社 【日本一短い「家族」への手紙】より小池哲也

*敬称略

現在の住まいにも住み始めて7年が経過し、ここらで引越しでもしようと思い立ち物件探し。
待っていましたとのグットタイミングで良い物件があり、住み替えする事としました。
来週末の引越し荷物の整理に週末は追われています。
何より自分の分担で片付けなければならない荷物で多いのは書籍です。
今般は自己都合で引越しをするので、引っ越しプランも自分で荷造りをしなければならない廉価プランです。

書籍数は引越しをする度に処分する事としてきましたが、たっぷりあります。
今度の機会も少しブックオフにでも売りに行こうと思い選別を始めました。
これがいけなかった…。

ああ、これもいい本だった。
これはつまらなかった…処分しよう。
なんて始めると作業が進みません。

そこで手に取ってしまったのが、前述の本です。
読んでるうちに涙が止まらなくなってきて、片付けのほこりと花粉症で大変なんだなんて自分をごまかしながら。
そこにブログネタであったので、書いてみました。

この本は梱包を最後の箱にする事して今日まで出しておきました。
書籍が終わると今度はCDとの格闘です。
これも簡単には終わらないかな…。

一筆啓上 家族とは何か、考えたことはあるか、ないだろう。
それが一番幸せなんだ。
福井県丸岡町 大巧社 【日本一短い「家族」への手紙】より三宅啓正

*敬称略

コネタマ参加中: 家族へありがとうの手紙を書いてみよう

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誕生日は「うれしい日」

当家の二男(小学2年生)が学校で「誕生日」はどんな日ですか?と聞かれ、クラスメートの皆が「自分が生まれた日」と答えるのに「うれしい日」と答えた。
ずれていると言われた。

プレゼントが買ってもらえる。
おいしいケーキが食べられる。
みんなに「おめでとう」と言ってもらえる。

それでいい。
やがて、生まれてきた事を感謝できる日になる。

茜空に舞う花びらの中
夢だけを信じて駆け抜けろ
瞳には未来が輝いている
そう春だから

茜空/レミオロメン

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この本能は人間が地球上に生き続けていくための基本的な本能なのです

今年の1月。
お年玉をもらった二男にせかされて、おもちゃ屋さんへ。
すっごい人。
そりゃ、クリスマスの次の稼ぎ時なのだから、当たり前だけれど。
人ごみの中、すり抜けてゆく子供の方が移動するのは断然早い。
追いかけますが、ぬいぐるみのキリンの首がばぁい~んっsign03て、メガネに当たったりします。
踵には車が追突。
この車のバンパーが靴の足首につきささり、車が止まります。
どうみても、おじさん、早くどいてよannoy…って顔。

二男も目的の場所でじっくりと物色を始めました。
それを後から見ていました…というか決まるのを待っていました。
すると右側から火の点いたように泣く3歳ぐらいの女の子が見えました。
おもちゃ屋さんで子供の泣き叫ぶ声はつきもの。
少し様子を見ていたのですが、これは迷子かな…と思い近づいていこうとしたら、お姉ちゃんらしき女の子が近づいてきました。
「いたよーっ」とそのお姉ちゃんと思しき女の子が、これまた少し年上のお兄ちゃんに声をかけています。

見つけてもらって安心した女の子は少し上のお姉ちゃんに抱っこされています。
しかし、お互いにあまり背丈が変わらないので、抱っこしてもらっているというよりは、相撲の寄り切りに近い姿です。
お姉ちゃんに抱っこしてもらいながら、背中越しに見える顔は泣き止んでいましたが、涙と鼻水でぐっしょりでした。
そんなに年も離れていないだろうに、お姉ちゃんはお姉ちゃんなんだな…なんて思いました。

ふと、頭をよぎる事がありました。

私たち人間が赤ちゃんとしてこの世の中に生を受けた時、私たちはすべて私たちより先に生まれてきた人間を信じて生まれてくるのです。
また、そうでなければ生きていけないのです。

中坊公平・私の事件簿 中坊公平著 集英社新書

私は住専処理の問題で、初めて中坊弁護士を知りました。
その後しばらくして、中坊弁護士を特集したテレビ番組を見たのです。
そこで、この言葉が冒頭陳述書に記載された事件の事を知りました。

中坊弁護士はこの冒頭陳述書を全て暗記しており、一言一句間違えずに40分近い弁論を終えられたそうです。
その一部を抜粋します。
なお、この冒頭陳述書は同書に全て記載されています。

昭和30年当時、被害者は原因不明の発熱、下痢を繰り返し、次第に身体がどす黒くなっていき、お腹だけがぽんぽんに腫れ上がってきました。
そして夜となく昼となくなき続けたのであります。
そういう場合に母親としては、なんとかしてその子を生かせたい助けたい一心で、そのミルクを飲ませ続けたのです。
そのミルクの中に毒物が混入されていようとはつゆ考えておらなかったのであります。

生後八ヶ月ともなりますと赤ちゃんは、すでにその意思で舌を巻いたり手で払いのけたりして、この毒入りミルクを避けようとしたそうであります。

しかし、母親はそれをなんとかあやして無理にミルクを飲ませ続けたのです。
その結果、ますますヒ素中毒がひどくなり、現在の悲惨な状況が続いてきたのであります。

この18年間、被害者が毎日苦しむ有様を見た母親が自責の念にかられたのは当然でございます。
母親たちは言いました。
私たちの人生は、この子供に毒入りミルクを飲ませた時にもう終わりました。
それから後は暗黒の世界に入ったみたいなものです。
私たちは終生この負い目の十字架を負って生き続けなければならない、かように叫んだのであります。

中略

しかし、この自責の念はひとり母親だけのものでしょうか。
私たち人間が赤ちゃんとしてこの世の中に生を受けた時、私たちはすべて私たちより先に生まれてきた人間を信じて生まれてくるのです。
また、そうでなければ生きていけないのです。
したがって逆にこの世に生を受けている人間というものは、生まれてきた赤ちゃんに対しては絶対的に保護し、育成しなければならないのです。
それは単なる義務ではありません。
まさに人間の本能なのです。
しかもこの本能は人間が地球上に生き続けていくための基本的な本能なのです。

この人たちは、心ない世間の人たちからアホと呼ばれています。
そして外へ遊びに行くと、がんぜない子供たちは、逆にこの子供をいじめるのです。
アホと言って罵られたり、あるいは殴られたり、蹴られたり、ひどい時には頭から砂をぶっかけられたり、水をかけられたりして、家へ帰ってくることも少なくなかったと聞きます。
そんな時、この子供たちは、決して泣かなかったのです。
泣かないのは、わからないからだろうとお考えになると思います。
しかし、この子供たちは、家に帰って来て、母の手にすがった時には泣き叫んだのです。
この子供たちは本当は非常に悲しかったのです。
悲しくても抵抗しようにも、一本の健康な手も足もなかったのです。

また、異口同音にこの親たちが言うことは、自分たちはいずれ先に死ぬ。
残ったこの子の面倒を誰が見てくれるかということなのです。
この事件において被害者の救済が真に望まれるゆえんはまさに、この点にあるのであります。

中坊公平・私の事件簿 中坊公平著 集英社新書

お姉ちゃんに見つけてもらってよかったね。
きっと、お兄ちゃんもお姉ちゃんも安心したね。

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声をかけられずにいられなかったんだよね

中学生の長男の担任の先生が子供の頃、授業中に「家が火事だから早く帰りなさい」と教頭先生に言われた事があると話したとの事。
その話を聞いて私が「その教頭先生もデリカシーがないなぁ」なんて話しました。
子供は授業中にそんな話を聞いたら大騒ぎ。
幸いにも大きな火事にはならなかったとの事。

これはそんな時に妻から聞いた、小学生時代の話です。

おかあさんの具合が悪い同級生がいて、授業中に教頭先生に廊下へ呼び出されました。
「すぐ支度をして帰りなさい」と先生から告げられました。

騒然とする教室。
慌てて帰り支度をする同級生。
緊張感が教室を支配します。

その同級生が教室を出た後に先生が彼女のおかあさんの具合が悪い事を告げます。
教室の空気が凍りつきます。

いつもやんちゃな男の子までもが、先生の顔を見据えたまま黙っています。

そしてその男の子が窓辺に駆け寄り、4階の教室の窓を大きく開け放ちました。
担任の先生はそのやんちゃな男の子が何が余計な事を言い出すのではないかと駆け寄りました。

その男の子は校庭を足早に横切る同級生に向かって、「○○、気をつけて帰れよーっ!」とあらん限りの大声で、声をかけたのです。

何か…励ましたかったのです。
声をかけたかったのです。
声をかけられずに、いられなかったのです。
きっとね。

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しあわせのランプ(Chapter5)  星の輝き

夜のとばりがおりる頃…。
小高いところから、暗くても木々がわかる進む道の側面の山。
正面には墨絵のような形しか、わからない闇に浮かぶ山。
その正面の墨絵のような山の左上方にひときわ大きく輝く星がありました。
星はその明るさから一等星とか、なんとかなんて言うんだよななんて、ぼんやり考えていた時の事です。

湯布院の温泉街の灯りだけが、星から離れて集まって遠くに見えます。
まるで、その星だけが灯りからはじき出されたように。
でも、その星の輝きは孤高ではあるが、美しく、また気高く感じました。

荒んだ中学生活を追え、逃げるように私立の高校へと進みました。
当時、クラスで私立高校へ行くのは私を含めてもう1人だけでした。
高校生になって新たな生活に切り替える事をしばらくは試みました。

…学校には友達が誰もいませんでした。
学校には欠席せず、かならず行きましたが、1日1言も話さない日は少なくはありませんでした。

中学生の頃は、徒党を組んでケンカに明け暮れて、自分の仲間をいかに増やして行くかの毎日。
だから、いつも自分の周りにはたくさんの人がいました。
しかし、考えれば一部の人を除いてはその関係は希薄なものであり、徒党を組んだ人々が日常をスムーズに過ごすための関係でしかなかったのです。
中学生活の終わりにその事に気づいてしまった私は立ち止まりました。

高校生ともなると少しは思慮深くもなり、人間関係においても何でもケンカで解決するわけにはいきません。
また、大学の付属高校に進学したため、ケンカは御法度で大学への進学を阻む、大きな要因になったのです。
そんな事を繰り返したきた私は他人との関係を上手に保てなくなってしまいました。

昨日帰りにマクドナルドでどうしたとか…。
パーソンズの服がどうしたとか…。
皆で集まってコンパをしたとか…。
本当は自分も仲間に入れて欲しいのだけど、中学生の頃自分は…が邪魔をしてどしても仲間に入れてくれとは言えません。
さびしいから、ひとりは嫌だからと…この気持ちで自分を、自分の気持ちを殺してもいいのか。
そうして、私は話しをする人もいなくなってしまいました。
家族にも、今までの友人にも。
自分で自分の心に壁を作ったのです。

かつて自分が「追放」といっては仲間はずれにしてきた人はこんなにさびしい気持ちだったのか。
だれも、自分の存在すら認識してくれない瞬間ってこんなに淋しくて、哀しいのか。
また、空手をはじめた事で、同時に殴られる痛みを感じ、自分の行ってきた愚かな行為が身にしみるようでした。

中学時代のその彼と会ったのは街を歩く時も、下をみて歩く事の方が多くなった頃でした。
後ろから肩を叩かれ、振りかえると彼がいて、私は驚愕しました。
会いたくなかった…が正直な気持ちでした。
にっこり微笑みながら、彼は私に「元気?」と聞いてきました。
本当は走って逃げ出したい気持ちだったのだけれど、しばらく話しをする事になりました。
彼は中学生の頃、いじめられていた自分を私が救ってくれた、仲間に入れてくれたと。
その事は忘れないと彼は言いました。
違うんだ、そうじゃない。
私は彼をいじめていた奴にケンカを売る材料が欲しかっただけなんだ。
彼を救うなんて気持ちでやったんじゃないんだ。
今の俺を見ないでくれ…。
その気持ちがいっぱいで、何を話したかすらよく憶えていないのです。

私はこの事が、自分の中に少しずつ変化が出る出来事であったと振りかえって思います。
その後、直ぐにはいきませんでしたが、多くの人との出会いと様々な出来事とともに私は変わりました。
しかし、辛い高校時代がなければ、その後の私はなかったでしょう。
「幸せという字は十分辛いと書く」と教えてくれた人がいました。

すっかりそんな出来事もしばらく忘れる程の時間が経過したある日、彼が自殺した事を知りました。

地上は湯布院の温泉街のたくさんの灯り。
空には輝く孤高の星。
本当はその灯りの中に入りたいのだけれど、燦然と輝く星は孤独に耐えているようで…。
仕事や日常の様々な事で、孤独に負けそうな時は夜空に一人で輝く星を見上げて…何万光年も先でひとりぼっちのくせに、きれいに光りながら頑張りやがって。
負けられないじゃないかって。

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夏の終わりのカブトムシ

朝夕に吹く風も、ぼちぼち秋を感じる様になりましたね。
そう思うと、ギラギラするような暑さが少し懐かしくなる。
人は勝手ですねぇ~。

先日、中学生になる長男が近くのバス停まで、どういう風の吹き回しか私を迎えに来ました。
そんな時、ずいぶん背の高くなった横顔を見ながら、ふと思い出しました。

二男が生まれてから、1ヶ月が経過した頃です。
自分の親にはじまって、この間に自分の友人、妻の友人と来訪者がたくさんいました。
長男(当時4歳)はお客様が来ることが楽しくて、楽しくて、大変喜んでおりました。
長男は今6人家にいるとか8人いるとか、たくさん家に人がいる事を喜んでいました。

そうして、妻の両親が帰り、これで来訪者の予定は一通り無しとなりました。
妻の両親は午後6時半の飛行機で、当時勤務地であった福岡から東京へ帰りました。
夕焼け空と空港を左手に見ながら周囲を周る様に、高速道路の入り口に向け車が走ります。
暮れはじめた空に離発着の大きな翼が大きな音と共にすぐ近くを過ぎて行きます。
長男と両親を空港に送ったかえり道、車の中でポツンと一言。

「また、4人家族になっちゃったね…」
「4人もいればいいじゃないか」と私。
「そうだね」と長男。

ちょうどMDからはaikoの「カブトムシ」。
aikoの中低域の伸びる声はメロディーと風景にあいまって、長男のさびしいと思う気持ちを助長し、私に伝わるようです。
(これから、もっと辛い別れを乗り越えなくてはならないのだよ。でもそれ以上の喜びもある。)と心で思う親父なのでした。

「おとうさん、高速でおかあさんのところに早く帰ろう」
「はいはい! OK、OK」

いつもより踏み込むアクセルに、スカイラインのターボの音まで長男に答えている様でした。

大人になると何でも無い事が、子供の頃には明日をも知れぬ一大事である事が多いですよね。
様々な出来事をそんな事と簡単に考えず、その気持ちは大切にしたいと思います。

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この子は充分愛されて 育っていますね

もう少し前の事です。
その日は歯医者の予約時間に間に合わせるのに必死だったのです。
なんとか時間に間に合い、直前の予約の人の治療が遅れており、一息つく間が出来ました。
いつもは必ず読みかけの書籍等をもっているのですが、その日は慌てて飛び出したので忘れてしまったのです。

待合室にあった”日本一短い「母」への手紙 一筆啓上 福井県丸岡町編”を手にとったのです。
最初の作品が

お母さん、雪の降る夜に私を生んでくださってありがとう。
もうすぐ雪ですね。
天根利徳

だったのです。
これだけで、こぼれそうな涙を我慢していましたが、その後の作品で我慢するのは無理だと考え、書籍名を覚えて本を戻しました。
このシリーズは父親や家族宛も含めていくつかあり、人前ではとても読めそうになかったので、帰り道に買って家のトイレで密かに読みました。

先般の福岡での悲しい事件に始まり、罪もない子供が殺される事件に胸が痛むと共にやるせない気持ちを感じます。
この事件の詳細が報道されるにつれ、思い出した事があり書籍を探しておりました。
思い出したのは以下の文章です。

この子は充分愛されて 育っていますね

親と子と別々の面談のあと、児童相談所の先生の口から最初にでた言葉です。もう何年も前のことですが。
障害を持って生まれた息子は、知的障害の他にも次々と病気がでて、そのつど親は右往左往。
また、思うようにできにない「しつけ」にあせり、いらだちと、どうしてよいのかわからず、ただただ一緒に泣いたりと、親の感情のままに育てた子なのに…。
私にとっては意外な言葉でした。

知的障害は様々な症状からくる弊害が大きく、言葉でのコミュニケーションがむずかしい分、本能的に驚くほどいろいろなことを察知します。
そのため、ごまかしがきかず、また素直でむじゃきなのです。

この言葉を聞いたあと”あぁ、いまのままでいいのだ”と思えるようになり、「障害児」という不思議人間と格闘するのはやめよう。
むき合って教えなくちゃという気持ちが萎えて、一緒に並んで、のんびりゆったり歩こうと思えるようになりました。
私が息子にしてやれることは、精一杯愛していくことだけなのかも知れません。

渥美京子 愛知県
こころにしみた 忘れられない言葉 岐阜県笠原町【編】

途方にくれ、迷っている時に、自分を肯定してくれるこんな言葉に出合ったらどんなに勇気と希望を与えられるでしょう。

長崎でまだ小学生で、同級生が同級生を殺す事件があった時、その事を契機としたNEWS23の特集に事件現場の映像に重ねて「タガタメ」が使用されました。

子供らを被害者に 加害者にもせずに
この街で暮らすため まず何をすべきだろう?
でももしも被害者に 加害者になったとき
かろうじて出来ることは
相変わらず 性懲りもなく
愛すこと以外にない

タガタメ Mr.Children

愛すこと以外にない。

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しあわせのランプ(Chapter4) 渇望

荒む中学生活、勉強するのではない。
何か楽しい事はないかなと学校へは行くのだ。

私は性質が悪かった。
家庭でのしつけは親父も厳しく、一見は普通の生徒に見えるが、先生や親の見えないところでは…というタイプだった。
仲間はたくさんいた。
自分がその中心にいる事で私は満足だったのだ。
それは自分の傍若無人が通用するからだ。

通学していた公立中学校は特殊学級を併設している学校だった。
特殊学級に所属する生徒もホームルームと国語の授業だけは一緒に受けた。

おそらく小児麻痺が原因だった思うが、マーちゃんは話す事、歩く事が不自由だった。
いつものように教室で輪になって話していた時、たまたまホームルームでマーちゃんが教室にいたのだ。
視界に入った私は「マーちゃん、どう思うよ?」と何気なく声を掛けたのだ。

近くで我々の話を聞いていたから、彼はとても嬉しそうに答えてくれた。
嬉しそうに答えてくれた事を、本当は私が嬉しくて、教室に来るたびに必ず彼を入れて皆で話したのだ。

しばらくして、マーちゃんの母親から手紙をもらった。
それは「学校で話をするたくさんの仲間が出来て、マーちゃんが学校へ行くのが楽しくなった」と言っていると書いてあった。
「いつまでも仲良くしてやって下さい」と書いてあった。
マーちゃんが不自由な体で、大きな文字で「ありがとう」と書き添えてあった。

マーちゃんと会ったのは中学3年生になってからだった。
私は彼の存在をそれまで知らなかったのだ。
半身が不自由な為、口からよだれが垂れてしまう事があった。
その事が「汚い」と言われ、いわれない暴力を受けていた事もあった。

嬉しかった。
単純に嬉しかった。
誰かに感謝される事が嬉しかったのだ。

お山の大将が複数いる時代。
マーちゃんと仲良くなってから、マーちゃんをいじめたグループを別の口実を作って争いを発生させ潰したのだ。
マーちゃんは私の仲間となり、もう暴力や汚いと言っていじめる連中はいなくなった。

特殊学級の生徒は別棟で通常は授業をしており、我々がその棟に入る事は許されなかった。
しかし、特殊学級の先生から皆で来て欲しいと招待をされたのだ。
先頭になって迎えてくれたマーちゃんの笑顔が忘れられない。
マーちゃんからもらった年賀状は私の似顔絵が大きく書いてあった。

ケンカや勢力争いの日々。
「井の中の蛙、大海を知らず」ここに極まれリであった。
多くの人を傷つけた。
自分のグループが大きくなって行く事で満足だったのだ。
それが、何で結びついている仲間なのかなのど、考えもしなかった。

ある日、仲間が一人づつ校長室に呼び出された。
理由は暴力だった。
彼が家で風呂に入ろうとしていたところ、体にある多くの痣を見た母親が心配して連絡してきたのだ。
私は一番最後に呼ばれた。
先生からは私がその事を自分の仲間がやっていたが、黙認していた事を知っていたのだ。

私には「直接暴力をふるうのと、精神的な暴力とどちらかが辛いか考えた事があるのか」との詰問だった。
自分の仲間がやっていて、それを黙認している立場が一番罪が重いのではないのかと。
私は何故、この事がわかったのかと聞いた。
どうしてその事を問い合わせたのか、自分でもわからない。
彼の体にある多くの痣を見た母親が心配して連絡してきたのだとの返答だった。

自分の子供の体に少なくない痣があるのを母親が見つけたらどんなに心配するだろう。
何も説明しない自分の子供が、痣のある体をかかえて震えていたら、どれだけ心配するだろう。

私はシラケてしまった。

仲間が増えて行く事が魅力であり、最大グループになって行く事が結びつきの理由だったのだ。
それには争いを続けてゆくしかないのだ。
シラケた私はそれを放棄した。
グループは急速に瓦解して行く。
卒業は間近だった。

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あなたの記憶にある最初の思い出はなんですか?

先週は取引先との接待もあり、立山アルペンルートを富山県から長野県へ向かうルートで移動しました。
天気にも大変恵まれ、美しい景色を堪能する事ができました。
役得役得。
写真もいくつか撮影し、帰宅して小学生2年生の二男に見せると「今日は会社の遠足だったの?」と聞かれてしまいました。

黒部ダムで取引先がダムの下を覗き込んでいる時、同じくダムを覗き込んでいる家族に置き去りにされ、ベビーカーから大脱出イルージョンを試みようとしている子供が一人。
イルージョンは成功せず、遂に関心を引き戻す為に泣き始めました。
これを後輩と同じ視線で見ていた私は「子供ってかわいいよな。自分の子供はあんな時期は過ぎたけど、孫なんてできたら間違いなく溺愛しそうだ」と私。
後輩も(彼は結婚が早かったので、既に高校生の子供がいます)「私もそう思います。他人の子供でも、子供を見ているだけで顔が緩みます。自分にも孫なんかできたら、間違いなく溺愛しますよ」と話しておりました。

長崎県の島原半島にある有家という場所へ仕事で行った事があります。
取引先と現地事務所での待ち合わせでしたが、約束の時間より相当早い時間に到着しました。
応接に通されましたが、道路をはさんで聞こえる波の音に誘われ、海岸へ降りて行きました。

時期は2月頃だったと思います。
関東の人から見ると、九州は南国のイメージもありますが、冬にはところにより降雪もあります。
確かその日も日本海から有明海へと吹く風は冷たい日だったと思います。

曇りであまり波もない海岸から水平線を見ている時、胸に息苦しさを覚え、思わず両膝をついてしまったのです。
哀しみで涙がこみ上げて来ます。
自分でも理由がわからず困惑しています。
こんな事は経験がありません。

この頃、島原半島では全国ニュースになる大きな事件がありました。
保険金殺人です。
旦那と子供に保険を掛け、情夫と共に妻が殺害する事件でした。

その事件について一部始終を報道や現地の人々から見聞きしたのです。
やるせなく哀しい気持ちになったのは、殺された中学生の子供の事でした。
父親が殺され、情夫が公然と出入りする様になると情夫から暴力を振るわれ、情夫がいる間は家に入る事も許されない。
寒いガレージで膝を抱えて、じっと寒さをこらえながら時間が過ぎるのを待つ。
まだ、自分で、自分の力でこの環境を捨てて人生を切り開いてゆくには幼すぎる年齢。
彼のその絶望と孤独を思うと、例えようのない哀しみと怒りが体中をめぐります。

どんなに哀しかっただろう。
どんなに辛かっただろう。
どんなにさみしかっただろう。

やがて情夫に夜釣りに誘われます。
夜釣りに誘われても楽しい事もない、断る事もできないその状況で、いったいどんな絶望の中で出かけたのだろう。
そこで、睡眠薬を飲まされ海に突き落とされ溺死させられます。
這い上がろうとするところを、押さえつけられて。
そして、その行為を実の母親が手伝っている事を認識しながらです。

私には霊が見えるとか、憑依するとかそういう能力はありません。
でも、それはなぜか突然に私の心をつらぬいたのです。
そう感じたのです。

その後も哀しいニュースは後を絶ちません。
…ただ、おかあさんと一緒にお風呂に入って、眠りたいだけなんだよ。
…悪いのはぼくです。おかあさんは何も悪くありません。
今度生まれて来る時は、愛しんで大切にしてくれる人のところに生まれるんだよ…と祈ります。
一方に心の闇がある事もわかります。
しかし、一方には選択の余地がありません。

「人間失格」という野島伸司さん脚本ドラマの最終回でこんな台詞があります。

…あなた達には実感がないんです。
生きてる実感がきっとないんです。
何か大きなものに流されて、自分がなんなのか分からないでいるんです。
人間なのか、自分の体の中に何色の血液が流れているのか、傷つけると痛みを感じるのか。
それが分からないあなた達は、友達の体から赤い血が流れて、苦痛に顔を歪めて、孤独や絶望で表情を失っていくのを見てほっとするんです。
友達を傷つけることで、生きてる実感を感じようとするんです。
勘違いしないでください。
友達にいくら赤い血が流れていても、涙が溢れていても、それはあなた達自身じゃない。
あなた達は、人間だとは言えません。
みんなが…みんなが生まれたことだけで、もうとても素晴らしいことなの、生きていることだけで、素晴らしいことなの。
自分自身の存在に、早く自分自身で気づいて。
素晴らしい自分の命と同じように、友達の命も素晴らしいことに気づいて。
自分を愛するように、友達も愛して…。
            …人間・失格―たとえばぼくが死んだら 野島 伸司 (著)

あなたの記憶にある最初の思い出はなんですか?
そう問いかけられた時に、誰もが自分が愛しまれた素晴らしい思い出であるように。

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「こども」と「おじさん」

当家の二男はまったく人見知りをしません。
それは小学2年生の今も変わらず、悪い大人に騙される事がないかと心配です。

自宅最寄駅のロータリーに大きなけや木の木があります。
タクシーの運転手さんに二男が呼びかけています。
「ねぇねぇおじさん、おじさん」
自分の事だと気がつかない運転手さん。
「んっ?」
ロータリーの大きな木を指差しながら「あの木だけれども、クリスマスツリーにとってもいいと思わない?」と聞いたとの事。
子供の発想の豊かさといろいろな事を楽しみに待てる気持ちを大人は忘れており、驚くと同時にうらやましくも思います。

帰宅途中のバスでの事。
遅い時間で乗客もまばらです。

途中から乗車して来た親子。
斜め前方の席に座りました。
母親の胸に抱かれている1歳くらいの子供がじっーと私の顔を見ています。

最初にちょこっと笑う私happy01
反応無し。
ちょこっと面白い顔をする私。
ニヤッとする子供。
志村けんの「アイーン」を小さな声を出してやった私。
ゲラゲラ笑う子供。

その子供のいる席の後方から吹き出す笑い声。
1人のうら若き乙女が笑っております。

うら若き乙女も笑ってくれた事をちょっと喜ぶ私。
ところが、もう一度やれと言う態度の子供。
期待しながら私を見る母親。

そりゃ、意識されたらもう一度はできないよbearing
でも、一回だけ手はつけないで「アイーン」。

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とびっきりの笑顔と涙がいっぱいの"幸せのおすそ分け"…

とびっきりの笑顔と涙がいっぱいの"幸せのおすそ分け"…

とても暑い日のデートの事です。
仕事が遅れ気味で、待ち合わせの時間を気にしながら、焦っていました。
しかし、結局遅刻。
少しでも遅れを縮める為に、走って待ち合わせ場所に急ぎました。

溶けるように汗をかきながら、待ち合わせ場所へ。
遅刻をひたすらに謝り、食事へと行きました。

その日は串焼きです。
串焼きのコースでカウンター越しにお客の食事する様子を伺いながら順次出てきます。
場所は高層ビルの上層階。
んーっ雰囲気もなかなか。

しかし、日中の暑さと直前のダッシュでビールの喉越しがとてもいい。
1杯、2杯…と当時からお酒は強くないのに進みます。
あーっうまい!!
喉の渇きもおさまり、料理が出されるタイミングが少し緩慢となってきました。
連日の残業と睡眠不足。
少し飲み過ぎてしまったかな…アルコール。

いつしか、私は境界線をふらつきはじめ、羊がたくさんいる世界とを行ったり来たり。
「仕事の話を少ししてもいい…俺、キヨスクで人形売ってるんだけど知っている?」と仕事とはまったく関係のない、日常の業務には一切関係のない一言を残して私は眠りに落ちてしまいました。
「まったく最低…」と彼女が言ったかどうかは…知りません。

それから、3年程してその店を訪れる機会がありました。
何故、訪れたかって…。
その時デートした相手が奥さんになってくれたからです。
また来る事ができた…これが正確な表現でしょうか。

妻のつわりも落ち着き、食欲が旺盛になってきたので休日に出かけたのです。
今度は羊の世界へ行く事もなく、しっかり食事も終える事ができました。

さて、会計が終了すると店長がサービス券をくれたのです。
それはその高層ビルの飲食テナントの割引券でした。
「これラッキー賞」なんて冗談で聞いたら、店長のお答えはこうでした。

「妻が妊娠している時に、とあるお店に行ったら、大きなおなかでは店の雰囲気が悪くなる」と言われたとの事。
また、「生まれた小さな子供をつれて行くと、露骨に嫌な顔をされる店」があったとの事でした。
「それから私は自分の店でそんな不愉快な思いはさせたくない、多くのいろんな人に利用をしてもらいたいと本当に考える様になったんです。
大きなおなかや小さな子供がいても、めげずに当店も含めておいしい食事にいらして下さい。」

昨日の日本経済新聞朝刊の社会面に「幸せの象徴 丹念に」との連載記事が掲載されました。
それは「アトピー」という言葉があまり知られていなかった頃から、「アトピー」の自分の子供が喜んで食べれるケーキを作り上げるまでのパティシエールの事でした。

ケーキには子供の、子供の成長を願う、人の思いが込められる。
一年を無事に生き、ろうそくが1本増えたケーキを前に火を消し、おいしそうにほお張る我が子、孫の姿が見たい。
ケーキはそんな、ささやかでせつない幸せの象徴でもある。

私の長男も喘息がひどく、苦しくて眠れない夜がありました。
そんな時長男が「どうしたら、苦しくなくなるの?」と涙ながらに聞く様に、かわいそうで自分の無力を思い知らされました。

串焼き店の店長も、ケーキ屋さんの渡辺香代子さんも、自分が受けた哀しみや苦しみを人へのやさしさへと変えられる人。
そんな人が灯す、しあわせのランプは明るくて、とてもやさしい灯りです。

誠に勝手ながら、ケーキ屋さんはHPを見つけました。
ネットでの注文も可能になっています。
URLを記載します。
http://she_watanabe.at.infoseek.co.jp/

なお、私はケーキ屋さんとは一切関係はございません。
念のため。

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自動販売機はハゲていて丸見え

世の中いろいろありますねぇ。

休日海に遊びに行きまして、駐車場までの帰り道。
子供が喉が渇いたというので、自動販売機でお茶でも買おうなんて事になりました。

ペットボトルだから150円入れまして、「どれにしようかな」なんて迷っています。
自販機は黙って待っています。
さあ、必要なお金は入っています。
あとはあなたの選択だけです。さあ、どうぞっ!なんて具合に。

しーん。
「これっ!」と決心をし、実行に移した瞬間に、沈黙を守っていた自販機はそれまでの憂さを晴らすように騒ぎ出しました。
ビッー、ガタン。
取り出し口に手を伸ばすと、もう一度ビッー、ガタン。
「いてっ」と子供が自販機を見上げます。
あれ、当たりでもう一本なんてあったかな?

しーん。「やった!当たったよ」と子供が言ったその直後、沈黙をしていた自販機は突然大騒ぎとなりました。
ビッー、ガタン!
ビッー、ガタン!
ビッー、ガタン!
ビッー、ガタン!…
たくさんのペットボトルを取り出し口に詰め、ひとしきり勝手に大騒ぎをした後、自販機は何事もなかったように沈黙しました。
押したボタンは赤く点滅。
売り切れだよ。
得意げに主張をしています。

子供はキャーキャー喜んで、取り出し口から取り出し並べています。
近くを通ったカップルの女の子が「凄い」なんて言っていたので、「あなた方も共犯者」と言って4~5本渡しました。
「ありがとうございます」なんて言った後、カップルが走り出すから、子供と「逃げるぞっ!」なんて言って、かかえて走り出しました。
正確には数えてみませんでしたけれど、15本ぐらいはあったかな。

帰り道に車から見ると、自販機は得意げに赤ランプをともして、沈黙していました。

先日、髪を切りに行きました。
朝一番の予約でしたから、しばらくお客は私だけでした。
髪を切る際は眼鏡をはずします。
すると雑誌もあまりよく見えないので、ウトウト。

次のお客さんが来たので、その声で目が覚めました。
今日はどのように致しますか?との店員の問いかけに、

「ハゲにして下さい。ハゲ。」

ぶっーっと吹き出したい気持ちをおさえ、振り向きたいのだけれど、作業中でふりむけない。
振り向いても眼鏡がないから、きっと良く見えない。
ああ、でもどんなに愉快な人なのか見てみたい。
できれば、お友達になってもいい。

「ちょっと生えてくるとカビみたいでいけないね」
「結構、触らせてくれ…なんて人が多いんですよ」
「ピッカ、ピッカにして頂戴」

支払いの際にチラット見たら、大柄な人で、髪を流していました。
ところで、私。
高校生の時にはじめて美容院に行って、
「どういう髪型にする」と聞かれ、答えました。

「中井貴一みたいにして下さい」happy02

晴れなくてもムシムシする日が続きますが、お元気ですか?寒くはありませんか?
当時は松田聖子との映画がいろいろな意味で話題だったのです。
ふぞろいの林檎達なんてドラマもあって結構な有名人だったものね。

寒くなったら、次はちょっとドキドキ。
ニューヨークに「ピープ」というタイ料理の店があるそうです。
「peep」=覗きです。

文字通り、通りから店内が丸見え。
極めつけはトイレ。
全面マジックミラーで、トイレの中から店内は見えるけれど、トイレの外からは中が見えない仕組みです。
しかも、トイレは店の中央という設置。

ちょっと落ち着きませんね。

以上、帰りの通勤電車が満員で読書が出来ずに、自分がおぼろげに映る車窓を眺めながら、ふと思い出した事でした。

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「恨」は雪のように積もる…

三寒四温。
一雨毎に春本番と思いますが、続く雨には少し辟易とします。

先日、長野県から出張の帰り道、新幹線は臨時列車で上野止まり。
新宿駅を経由して帰る私には上野駅はちと厄介。
大宮駅から埼京線を利用したのです。
しかし、よかった。
手に持っていた雑誌を読み終えて車窓にフト目をやりました。
夕日とその風景。夕暮は格別の美しい。

埼玉と東京の境、戸田付近の荒川にかかる辺りはいい。
沈む大きな夕陽の下を新幹線が高速て行き交う。
朱色でかわべりの建物の西側側面を染めておりました。
これだけでも価値有りでした。

移動中に様々な書籍を読みまして、読む都度にいろいろな感想がありまして、自分の考えを頭の中でまとめていると、上手な表現方法が浮かぶ事があります。
しかし、これが記憶に留めておけないんです。
忘れるという事はたいして上手でない表現なのかもしれませんね。

以下は随分まえですが、日経新聞に掲載された記事です。
…韓国文化の母体になっているのが「恨の文化」である。
日本語では「うらみ」を意味する漢字は「怨」でも「恨」でもほぼ同じように用いられているが、韓国ではこの二つの言葉は区別されなければならない。
すなわち「怨」というのは他人にたいして、または自分の外部にたいして抱く感情であるが、「恨」はむしろ自分の内部に沈殿し積もりつづける情の塊なのだという。

怨みは熱っぽい。復習によって消され、晴れる。
だが「恨」は冷たい。
望みがかなえられなければ、解くことができない。
怨みは憤怒であり、「恨」は悲しみである。
だから、怨みは火のように炎々と燃えるが、「恨」は雪のように積もる…とここまで。

この記事を読んでから、日曜日の深夜のドキュメント番組をたまたま見たのです。
内容は里親制度で奮闘をする母親を中心にしたドキュメントでした。
事情があって集まった子供達が、「いつまでも、いつまでもおかあさん(里親)と一緒にいたい」とはじめて安心できるその場所を得て、その場所をいつか失うのではないかという不安を持ちながら、せつせつと話すその姿は「恨」と思ったのです。

母親が作った食事を大切にテーブルに、そうっと大事そうに運びます。
小さな手で大きな皿を抱きかかえ、「おかあさん、いつも忙しいのにごはんを作ってくれてありがとう」と話します。
それはいつも大人の機嫌を伺いながら、自分の居場所を確保しなければならなかった、そうしなければならなかった事の証でしょう。

番組の最後に子供が書いた短冊が映ります。
「おかさんといっしょにいたい。ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、いっしょにいたい はなれたくない」と書かれていました。

「恨」は雪のように積もる…。
昔見たテレビのドラマで、恨みに恨みを重ねても悲しくなるだけというセリフがあった記憶があります。
似てはいないのでしょうけど、「恨」の先には例えようもない孤独であったと思う事が私にもありました。

大学を4年の夏です。
バブル絶頂期で就職も引く手あまた。
しかし、学校の就職課から面接の要請があり、指定の時間に行ったのに待たされた事がありました。
その待合室にタイトルは忘れましたが福祉関係の本があったのです。
結構大きなサイズ。
暇に任せて手にとったのです。

見開きは工場で働く情緒障害の子供達の様子でした。
そこに聖書の言葉が大きく見開きで書いてあったのです。

「生まれながらにして、身体が不自由な者がおります。彼らは何も罪を犯していないのに何故、そうのですか?」
「それは終わりの日に、彼らに神の印が表れる、選ばれた人々だからなのだ」…なんて事が書いてありました。
私その時、頭の中に想像がよぎったのです。

遺伝子に影響があるダウン症は顔の表情が皆一様になる症状があります。
終わりの日があるのかどうかは別にして、そんな時、彼らが本当の自分の顔で「おとうさん、おかあさん、あなたの子供として生まれた私の本当の顔はこういう顔なんです。たいへんな私にたくさんの愛情を注いでくれてありがとう。」
そう話す本人と喜ぶ両親の姿を勝手に想像をして、涙がでそうになりました。

NYにルビコン・プログラムなる会社があるそうです。
15~16歳で父親になった者が、生活力もなく、精神面でも未発達で、裁判所から子供との面談を禁じられている、会いたいが、会わせてもらえない。
このような若者に経済的な責任をもつ事で、週末子供に会えるなどの手続きを法的に勝ち取るまでを支援する、なんてのがお仕事の一つ。

これが、かならずステップアップできる仕事を紹介し、本人の意志を高めてゆける事及びビジネスが両立しているのが特徴。
福祉とビジネスが両立する環境。
特にリック・オーブリーというお方がCEOになって、この会社の体質が大きく変貌したそうです。
ルビコン・プログラムは私の興味をかきたて、驚きと一つの方法を示してくれたなんて思ったのです。

考える事は自由…。

多くの人に出会い、同じか近い意志を持つ人々にも出会いました。
夢は決してあきらめない事。これが肝要。
毎日の業務に追われながらも、考える人でした。

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小さなランプ

先日、夜のとばりもおりた頃。
高速道路のSAでおかあさんと二人の子供が食事をしておりました。
5才と3才くらいの子供でしょうか。
2人とも男の子です。

フードサービスが終わりかけているその場には、たくさんテーブルがあっても、リザーブ済みはその席のみです。
疲れと共に歩く、もう少ない人々が足早に行き交います。

弟の方が、大きな大人用の箸とお皿に格闘しております。
時々、顔が隠れる大きなお皿から、顔をあげます。
そして、母親とお兄ちゃんの顔を交互に見ては微笑みます。
食事の終わった母親がタバコをくゆらしながら微笑み返します。

SAのフードザービスは時間も遅かったので、お客も殆どおりませんでした。
とっても嬉しそうに食べるその様子が嬉しくて、見ているこちらが涙が出そうでした。
食べるものではなく、食べる場所ではなく、一緒に食べる事のできる喜びに。
ほころぶ皆の顔は何よりのごちそうです。

おじいちゃんやおばあちゃんにもらったお年玉の使い道がやっと決まで、トイザラスにおもちゃを買いに行きました。
会計の際に一足先にレジの外側へ出て待っていたのです。

2つ隣りのレジで、レジ台にやっと顔がでるくらいの子供がなにやら積み上げています。
5円玉です。
何を買っていたかは見えなかったけれど、50円の高さに揃えて店員と共に数えています。

きっとお手伝いをして、貯めたお駄賃でしょう。
貯めてから、やっと目的のものが買える喜びはひとしおでしょう。

よかったね。
なんだか私もとてもしあわせでした。

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忘れな草

私が通っていた幼稚園は大きな通りの向こう側でした。
朝の登園はそれぞれのおかあさんが幼稚園まで交代で付き添い、帰りは解散する広場まで皆と帰ってきます。

帰宅後母親からはその通りは一人では渡ってはいけないと言われておりました。
信号がないのですが、交通量は非常に多い通りだったのです。
しかし、守るはずもなく通りの向こうへ遊びに行っておりました。

これから書く事は、記憶が殆どない幼稚園の頃の事なので、どこか都合よく事実を作り変えているかもしれません。

私は自分を頭に3人兄弟で、3年間隔で弟と妹がおります。
従って我が家は常にテレビの音にはじまり、兄弟でわめき合う、なんともやかましい家でした。
それが当たり前だったので、一人っ子の家へ遊びに行くとなんとも居心地の悪さを感じたものです。
静かすぎるのです。それでいて親を独占できる事を羨ましく思ってもいました。

幼稚園に青い瞳の女の子がおりまして、その子の家に遊びに行ったのです。
どうして、どうやって、何故、その辺の記憶がありません。
記憶を確かめるために幼稚園のクラス写真を確認すると確かに写真に写っています。
何をして遊んだかも、憶えていません。
ただその家は渡ってはいけない通りの向こうにありました。

憶えているのは、帰りがけにその子とおばあさんが私を玄関口で送ってくれた事。
おばあさんが、「かならず、かならずまた遊びに来てね」と繰り返し言っておりました。
その家にはその子とおばあさんの気配しか感じられなかったのです。
とても静かだったのです。
繰り返して遊びに行った記憶がありません。

中学生の仲間に家業がラーメン店の友達がいました。
遊びに行ったらおとうさんが「みんな、ラーメン食べていけっ!」ってな事になって、ごちそうになったのです。
私一人ではありませんでした。
ラーメンの味も、店の場所も憶えてはいませんが、友達の「はっちゃん」のおとうさんが、カウンター越しに「はっちゃんと仲良くしてやってくださいね」とみんなにラーメンを配りながら、話しをていた事を憶えています。

約2年前、二男が幼稚園に通園しております頃です。
年少組です。
誰に似たのか、楽しくて楽しくて幼稚園の門を出るのも最後の方です。
妻も最初は困っていたようですが、あきらめて帰宅時間にその遊び時間も含めているようです。

同じクラスの女の子のお母さんに育児ノイローゼの方がいます。
入園時に比べると症状も改善をしてきているようであり、先生やクラスのご父兄も少々気を使っているようです。
そのお母さんは一番遅い時間に子供を幼稚園へ送り、一番遅い時間に迎えに来ます。

二男はやっぱりなかなか帰れないお友達と遊んでいます。
するといつも待っている私の妻のところにその女の子が来るのです。

妻の顔を見上げながら、黙ってかならず手をつないで女の子は話し始めます。
「あたし、ボタンが自分で留められるようになったの…」
「今日はお弁当、何ものこさなかったの…」
「○○くんに、本取られちゃったの…」
「あたしね…」
ぎゅっと手を握って、一生懸命に。

夏の終わりに「忘れな草」の種を花壇に蒔きました。
秋蒔きのタイプです。
背の高いコスモスの周りに。

「私を忘れないで…」と存在感を示して見せよ、早く花を咲かせよと願いながら。
そんな種が芽をだし、やがて美しい花を咲かせました。

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ワダツミの木

少し前の事です。
東京勤務から初めての転勤で福岡へ参りました。福岡で3年の勤務後にまた東京への転勤が決まりました。現在の勤務先では3年は短い部類です。
この時はじめて生まれた土地以外で暮らす事となりました。

先日、オフィスのあるビルの馴染みの警備員(残業が多かったのです…)とフト話になりまして、その警備員さんも4月20日付けで退職だとお伺いしたのです。眼鏡をかけて、白髪の背のあまり高くない人です。
最近は不景気で、自分より若い後の担い手がたくさんいるのだそうです。
自分はもう少し働きたいのだけれど…なんて。
どちらからと言うわけでもなく、手を差し出しあい硬く握手をしました。

3年前に引っ越して来て、長男「H」の幼稚園を探しておりました。
近所に受け入れてくれる幼稚園があり、1ヶ月遅れで入園しました。
その幼稚園には名うての乱暴者がおりました。Y君です。
入園前にもY君が皆の遊んでいる公園に来ると、他のお母さんは自分の子供を連れて帰ってしまうのです。

Hは入園後その子にアタックされましたが、体が大きい事もあり、負かしてしまったのです。
3歳くらいの子供は遊び始める前にケンカになっても、気が付くと仲良く遊んでいるものです。
そう、Y君は一緒に遊んでくれる友達が欲しかったのです。
それからはHの周りをまとわりつくようになったそうで、時々仲良く遊んでいたそうです。
Y君はHのお嫁さんになると言っておりました。
残っている写真は、Y君がいつもHにほほを寄せている写真ばかりです。

しかし、他の子供達は親の気持ちを敏感に受け取り、相変わらずY君を相手にしなかったそうです。
やがて、遊ぼうと近づいていっても皆から疎まれるうちに心の病気になってしまったのです。
多動症とうつ病の傾向を示し、病院に通い始めました。
Y君の親には他の園児の親から、傷つけられたと苦情の電話が繰り返され、両親のストレスも限界となり、その一家は幼稚園に通える範囲に引越しをせざるを得なくなりました。
遊ぼうと、仲間にいれて欲しいと近づいていっても、相手にされないので手をだすという構図です。

引越しの最中にも遊んでおりました。
Y君の弟も一緒でした。
「H、H」とY君とその弟が追いかけるさまを見て、Y君のおかあさんが「Hくんが長男みたいね…捨てる神あれば拾う神もあるかな…」とボソッと言っておりました。
捨てる神も拾う神もないよ。東京という異郷の地から来て、転勤族なんて事も言われているのに、妻も子供仲良くしてもらって…ありがとうございました。お礼を言いたいのはこちらです。

6歳の子供が福岡から東京へ引っ越すという事をどこまで、理解できているでしょう。
時間が来て、お別れの時です。
HとY君は、いつもとなんら変わりないお別れです。
いつも2人とも、見えなくなるまで、声が聞こえなくなるまで、「バイバイ」と繰り返します。
Yの声が、まだ聞こえる、Yが、まだ見える。
「バイバイ」
2人とも大きな声を出して、背伸びをして。
「バイバイ」

Y君はきっと、次の日も遊びに来たでしょう。
誰いないオートロックのインターホンをいつものように同じ部屋番号を押して。

互いに東京都と福岡で別々に小学校へと入学しました。Y君は小学校の入学後に同じクラスの子供とトラブルを起こしてしまったそうです。
担任の先生に「そんな事では友達も出来ないよ」と言われても、「東京に友達がいるからいい」と答えたそうです。ところがこれも「東京に友達がいるからいい」なんて嘘を言っていると皆に責められる材料となってしまったのです。

クラスの保護者会に両親が出席し、Y君の真意を二人で説明しました。幼稚園の入園から、これまでの事をおりまぜながら二人で交代をしながら。
きっと切々とお話をされたと思います。
事情を理解した親から、今度はその子供へと話しがながら、そのよい流れは子供に伝播して行きました。
みんなの態度に変化を感じ、受け入れてもらえるとわかったY君はその行動にも変化が見られ、多くの友達が出来るようになりました。
Y君のおかあさんから妻のところへ、素晴らしい学校生活を送っている連絡がありました。
それからしばらくして再会した夏休み。そりゃ大変で…。

ランプを灯してくれたのは、Y君とその素晴らしいおとうさんとおかあさん、あなたがたでした。

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