映画・テレビ

2013年10月18日 (金)

しかし間違いなく、未来を変えることはできる

大学1年生の時、一般教養の講義に哲学がありました。
月曜日の1限で履修者は少ない講義でした。
つまらない一般教養の講座で、私は比較的出席率もいい講座でした。
その中に願望が成就するとか、人生の意味づけにおける宗教的な側面についての講義がありました。
過去のつらい出来事は、今のしあわせの意味を知るために、神様が与えてくれた試練であった…と過去の出来事に意味を持たせる位置づけの講義がありました。

しかし私には、この過去の出来事から現在を見る視点は出来ても、それが辛い事である事をその時強く感じていた覚えがあります。

先日、大阪の別の営業部のもうひとりのリーダーと昼食を食べました。
その方は同じ日の辞令で大阪から東京へ転勤となりました。
同じ事業部門で、東京で勤務している時はあまり接点がありませんでしたが、大阪の営業部では異なる地域の同じ職責となり、よく会話をする様になっていました。
その日、ガード下の昼は定食屋、夜は飲み屋なんて感じのところで食事をしました。
前述の方以外に、私の営業部門の後輩が2名一緒でした。

店内を見回し、お店の雰囲気から「昔新宿にこんな店があったなぁ…」と私が呟きました。
前述の方が「ああ、そうだね。学生時代によくこんなところで飲んだなぁ」と答えました。
「子供がなんでこんなところで飲んでるんだ…なんてケンカ売られた事もあったな」と少し昔話。

そんな事から、少し過去の行いについての話となりました。
思い出すだけでも、恥ずかしくて叫びたくなる事がある。
無かった事にして欲しい事がある。
消してしまいたい事もたくさんある。
若気の至りとしてしまえば、一括りですがそんなに単純ではありません。
4人の内のひとりは、その意味がよくわからない様でした。

思い上がりの言葉。
誰かを傷つける言葉。
愚かな行い。

確かにどこかで学んでいる事も多く、過去の愚かな行いを今も認識できないなら、成長がない事も理解が出来ます。
過去の自分の愚かな行いに気がつく人は幸いだ…とどこかの偉人が言っていた覚えがありますが…幸いでしょうかね。

昨日朝、目が覚めるとベットの上で横たわりながら虚空に左手を伸ばしている自分に気がつきました。
何かを引き止める様な仕草でした。
何をしているんだ自分は?
ずいぶん寝汗をかいていました。
夢の続きがあるわけでなく、前後のつながりはなく、脈略なく、私自身は「?」だったのです。
単なる伸びでしょうかね?

後悔はたくさんしました。
勿論、今だって少なからず後悔する事があります。
でも、後悔を繰り返すのが嫌なので、自分の心や思いに従う事は多くなりました。
自由という事が大切である事を思います。

時として不安にもなる。
その考えも、意見も自分ひとりしかいない時もある。
たまらなく孤立感を感じる事も、孤独である時もある。
でも、自分の心を、自分の思いを殺す事はとても辛い。
それこそが、大きな後悔の種になる。
その時ひとりでも、自分の意志を貫き通していると、どこかで同じ思いの人に出会ったりする事があります。
きっと人間の考える事に、あまり大きな違いはないのだと思います。
そんな事が支えになる時もあります。

「世界にひとつのプレイブック」という映画がありました。
過去の人生、大きな失敗で狂ってしまった男女が再生して行くストーリーです。
ふたりの人生には後悔がたくさんあります。
映画の宣伝に「人生のどん底で見えた希望のひかり」という言葉があります。
これは宣伝文句で、映画の中で当事者は日々後悔に絡め取られながら、必死で生きる姿が描かれています。
そんな中、もがいている毎日の中から未来を見つけ出すその姿に、そのストーリーに、心惹かれます。

私はクライマックスのダンスコンテストのシーンが大好きです。
そのダンスホールでふたりが無意識にする行いがとても好きです。
是非、映画を見て頂く事として、これ以上は止めておきましょう。
微笑ましく、でもニヤリとしてしまいます。

http://youtu.be/uPeDoHBcf4M

私は踏み切りの遮断機を越えて、人を救いに行けるだろうか。
…私はきっと目をつぶってしまうだろう。
そうして、そんな事しか出来ない自分に、くよくよと後悔し考えるのではないかと思うのです。

アメリカの弁護士さんで、こんな言葉を残している方がいます。

許すことで過去を変えることはできない。
しかし間違いなく、未来を変えることはできる。

バーナード・メルツァー

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2013年8月 6日 (火)

負けざる者たち

屈辱にまみれて苦しむ日…。
怒りに身体が震え、言葉も出ない日…。
なんとか前向きに頑張ろうと思うけれど、どうしても立ち上がれない日…。
後悔ばかりに囚われる日…。
もう、頑張ろうと思う気力が湧いてこない日…。

ちょっと、休んでもいいね。

私はそんな日は休みます。
身体を休める日もありますし、心を休める日もあります。
どうして休むか?
とりあえず生きているから、まあ休もうなんて開き直ります。
そりゃ、いつもいつもは出来ませんが…。
そういう事を言ってはいけない場面も勿論あります。
くだらない話に興じてみたり、好きな音楽を大音量で聴いてみたり、「ああ、もう取りあえずヤメヤメ」なんてね。

ちょっと休むと心によみがえる事があります。
私が尊敬する多くの人の中で、そんな気分になる私をまた再び奮い立たせてくれる人がいます。
ひとりはアーサー・キング牧師です。
I Have A Dream
誰もがダメだと思う事に、情熱と勇気も持って取り組んだその生き様が、小さな事でつまづく私に勇気を与えてくれます。

そして、もうひとりは南アフリカの大統領になったネルソン・マンデラ氏です。
長く獄中で拘束されたいたマンデラ大統領が、自身の支えとした詩が好きです。

INVICTUS 負けざる者たち
ウィリアム・アーネスト・ヘンリー

私を覆う漆黒の夜
鉄格子にひそむ奈落の闇
私はあらゆる神に感謝する
我が魂が征服されぬことを

無惨な状況においてさえ
私はひるみも叫びもしなかった
運命に打ちのめされ
血を流しても
決して屈服はしない

激しい怒りと涙の彼方に
恐ろしい死が浮かび上がる
だが、長きにわたる脅しを受けてなお
私は何ひとつ恐れはしない

門がいかに狭かろうと
いかなる罰に苦しめられようと
私が我が運命の支配者
私が我が魂の指揮官なのだ

INVICTUS - William Ernest Henley

Out of the night that covers me,
Black as the Pit from pole to pole,
I thank whatever gods may be
For my unconquerable soul.

In the fell clutch of circumstance
I have not winced nor cried aloud.
Under the bludgeonings of chance
My head is bloody, but unbowed.

Beyond this place of wrath and tears
Looms but the Horror of the shade,
And yet the menace of the years
Finds, and shall find, me unafraid.

It matters not how strait the gate,
How charged with punishments the scroll.
I am the master of my fate:
I am the captain of my soul.

この詩の中の

私が我が運命の支配者
私が我が魂の指揮官なのだ


この部分が大好きです。

モーガン・フリーマンがマンデラ大統領役でこの詩のタイトルの映画に主演しました。
とってもエキサイティングであり、人を許す事と和解する事の尊さを感じる映画でした。

ちょっと休んだら、嫌になっているのは自分だけではないんだと考え、よっこいしょともう一度立ち上がってみましょうよ。

INVICTUS 負けざる者たち

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2013年8月 1日 (木)

大阪での生活がスタートしました。

大阪での人生初の一人暮らしも順調にスタートしました。
まだ休日は引越荷物の片づけに追われていますが、大阪は京都も兵庫も近く、これから休日はいろいろと楽しみです。

異動前に東京で11年。
仕事の多くは事業会社の創設と育成にM&Aでした。
言葉にするとスマートですが、その実は人間のやる事であり、ビジネスと割り切れる程単純ではありませんでした。

人間の様々な感情と利害が交錯し、投げ出したくなった事も、断念せざるを得ないのだろうかと逡巡したり事も多々ありました。
しかし困難な仕事をやり遂げられたのは、感謝の輪が紡ぐ、素晴らしい人間関係がそこにあったからだと思います。
映画「ウオールストリート」の様なお金が動く事による人間模様ではなく、かっこいい事も無い、時には胸ぐらを掴みあう様な濃密な時間が経過する中での仕事でした。
それ故に、互いの別れはなぜか感情を押し殺すものとなりました。

新規に出資して設立した事業会社が催してくれた送別会は、時間が進むに連れて皆、無言となって行きました。
皆黙って、互いの顔を見つめ合う気持ち悪いおっさんの集まりになりました。
最後の乾杯だけ、雄叫びみたいに大声となりました。
その声は店を震わせました。

M&Aで新規に仲間となった会社の事業所では、最後に驚愕させられました。
全員が会社の前に整列し挨拶してくれたのです。

私は人と人との感謝の輪の中で、私もその中の一員として仕事が出来た事がとても嬉しいのです。
誰かを傷つける事も多々あり、傷つく事があっても、人と人との間で生まれる喜びが、すべてを凌駕するのだと思います。

ドラマ「世界の中心で愛をさけぶ」の中に、とても感動したセリフがあります。
ヒロインの亜紀は主人公の朔太郎より誕生日が早いのです。
亜紀は朔太郎に語りかけます。

待ってたの。
私はずっと、サクのいない世界で、サクが生まれるのを、私は、待ってたのよ。

ドラマ「世界の中心で愛をさけぶ」第10話

それぞれが困難な状況の中で、集まるべくして、求める結果を可能とする人材が集まったのだと。
それぞれが、この日の困難を乗り切る事が出来る様に、これまで様々な場面で修練して来たのだと。

有名な空港でのシーンで亜紀が朔太郎に息も絶え絶えながら語りかけます。
亜紀は朔太郎に抱きかかえられています。

「サクちゃん、やはりあの世はない…。天国なんてない…。ここ、天国だもの」
「好きよ、サクちゃん」

ドラマ「世界の中心で愛をさけぶ」第10話

前述のセリフと共に、次の朔太郎のナレーションに昇華されます。

僕が生きてきた中で、亜紀のいなかった日はなかった。

よせばいいのに引越荷物で持ってきたDVDを見てしまいました。

きっと大阪での仕事にも、素晴らしい出来事が待っている。
いいえ、素晴らしい出来事を作り出して行きたい…と思うケンシロウでした。

P.S.
このドラマ就寝前に2話づつのDVDを毎日1枚づつ見ました。
なんだか、心に説明の出来ない思いがあります。

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2013年4月21日 (日)

この世のどこかに、その人はきっと存在しているから。

映画「最強のふたり(原題:Intouchables)」のストーリーに関連する記述があります。
http://saikyo-2.gaga.ne.jp/

映画「最強のふたり(原題:Intouchables)」にとても素敵なシーンがあります。
「自分の誕生日は、私がまだ生きているか、みんな確認に来るのさ…退屈な集まり」と寂しく吐き捨てます。
そんなパーティーで「今日は誕生日だから踊ろう。さあ、みんな踊ろう」というシーンがあります。
寂しく吐き捨てた彼に、本当に楽しく踊る姿を見せて、楽しんで踊る人も、自分の誕生日を喜びいっぱいに楽しく踊る人に感激している本人もとてもしあわせを感じるシーンがあります。
Boogie wonderland Earth Wind and Fireは昔からとってもイカす楽曲でしたが、こんなに素晴らしい楽曲だった事を再認識し、またこれまでよりも、もっとお気に入りの楽曲となりました。

何よりこのシーンは、心よりお祝いする、祝う方がとてもうれしくて、楽しくてと本当はいちばん大切なエッセンスが入っていると思います。
だからこそ、お祝いをされる方はとてもうれしく思うのですよね。
誰かに「あなたがとても大切なんだ」とのメッセージを送ってもらうと、とてもうれしいですよね。
安心しますよね。
とても満たされた気持ちになりますよね。
一度でも、一瞬でも、そんな経験があると、自分も誰かのために、誰かをそんな気持ちにする事が出来ないだろうかと考える事がありませんか。
まだ、そんな気持ちになった事がなくても、いつかそんな気持ちになりたいと思うし、誰かにそんな気持ちを持ってもらえる人になりたいと思うし、自分もそんな気持ちになりたいと思いますよね。

なんだか、そんな事を書きたくなる映画だったのです。
映画を見てから、どうして、どうやって、書こうかと思案している時に私宛の少し大きめの郵便物が届いたのです。
同封されていた多くの書類の中に、その中に、こんなメッセージ記載されていました。

There is so much we cannot do.
We cannot give the children back their parents.
But we can return to them
their most basic human right
which is their right to health, to tenderness,to life.

Audrey Hepburn

やりたくてもできないこと、たくさんあります。
子どもたちの亡くなった親を生き返らせるなんてできません。
でも、私たちには、子どもたちの人間としての基本的な権利を守ることができます。
健康に育ち、優しさの中に生きる、その権利を。

オードリー・ヘップバーン

誰かに大切にしてもらった尊さを。
誰もが秘めている、誰かのためになれる力と。

この映画「最強のふたり(原題:Intouchables)」を見てコメントを寄せられた方の中に、私が映画の内容と共にとても素敵だと思ったコメントがあります。

これだから、人との出逢いはやめられない。
この世のどこかに、その人はきっと存在しているから。

そう、この映画とっても楽しくなるのです。
http://youtu.be/uUrg_zWursA

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2013年4月 7日 (日)

冬の終わりに風が吹いた

映画「ジュリエットからの手紙(原題:Letters to Juliet)」のストーリに関連する記述があります。

冬の終わりに風が吹いた
妙に暖かくて泣きそうになった
あなたの笑顔が
いつでも僕の励みだった
その温もりを その輝きを
どれほど心に繋いで
今を生きてるだろうか

夢の蕾 / レミオロメン

私はこの歌の最初のこのフレーズが大好きです。
長く辛い日々が終わるような感じを、私はとてもこの曲から感じ取るのです。

冬の終わりにとても暖かい風が吹く…

新しい毎日が始まるような、そんな希望に満ちている気がするのです。
長い冬の終わりを、人生の辛い日々の終わりを思います。
辛い日々のトンネルを抜けたら、そこには素晴らしい青空があったような…そんな思いがあるのです。
空はどこまでも美しく、何も遮るものが無いような。

勘違いの様な暖かい日
公園の木々も空へ伸びている
あなたとこうして
日だまりの中 手を繋いで
上手くいかない日もあるけれど
わずかな木漏れ日の中にも
同じ太陽感じられる

夢の蕾 / レミオロメン

大切な人がいて、上手くいかない日々があっても、もう辛い日々に、その思いに戻る日はない事。
かつての同じシチュエーションであっても、過去の辛い日々に思ったと同じ思いにはならない。
そんな強さと生きる希望を感じるのです。

愛する人 あなたの
幸せを守りたい
強く優しく本当の夢はいつも
あなたの笑顔の中にある

夢の蕾 / レミオロメン

この人だ…と思っても上手くゆかない事は多々あります。
我々は同じ失敗は繰り返したくないと思うのに、でも同じ事を繰り返してしまいます。
その度に傷つけてしまう事もあるし、傷ついてしまう事もあります。
もう、金輪際こんな思いは嫌だと思う日々があります。
自分の何がいけなかったのだろう…と自問を繰り返す日々。
あの事がいけなかったのだろうか…と後悔を繰り返す日々。

でも、どこかで、いつか、そんな日々が終わると信じていたい気持ちも必ずどこかにあります。
その時は世界の全てが終わる様な気持ちになるけれど。
ノストラダムス(古い?)も、マヤの暦の破滅もどうぞ、その通りにやって頂戴なんて…ね。

しかし、私たちが地球上のいかなる生物とも異なるのは、未来を予測する事が出来る事です。
人の次に知能が高いチンパンジーでも、目の前のバナナと明日のバナナには思いが及ばないのです。
それゆえに苦しい事もたくさんありますが、でも、明日を迎えたいと思う気持ちがどこかにあります。
明日、私たちはしあわせになりたいと思う心があります。

映画「ジュリエットからの手紙(原題:Letters to Juliet)」の中にこんなセリフがあります。

Dear Claire

'What' and ‘if’ two words as nonthreatening as words come.
But put them together side-by-side and they have the power to haunt you for the rest of your life
What if?'..."

"I don't know how your story ended.
But I know that if what you felt then was love - true love - then it's never too late.
If it was true then it why wouldn't it be true now?
You need only the courage to follow your heart..."

"I don't know what a love like that feels like... a love to leave loved ones for, a love to cross oceans for... but I'd like to believe if I ever felt it.
I'd have the courage to seize it.
I hope you had the courage to seize it, Claire.
And if you didn't, I hope one day that you will."
all my heart Juliet

親愛なるクレア

「もし」と「あの」はそれぞれごく普通の言葉にすぎません。
でもその2つを合わせるとあなたを一生苦しめる力を持つのです。
「もし あの時」

物語の結末はわからない。
でもかつて真実と感じた愛なら、遅すぎることはありません。
かつて真実なら今も真実のはず。
少しの勇気を持ち、あなたの心に従って。

ジュリエットの愛をどうたとえれば…親しい者を捨てる愛、荒海をも越える愛、私もいつかそのような愛を感じたら、つかみ取る勇気を持ちたい。
クレア あの時は無理でも、いつか勇気を持てることを信じます。
愛をこめて ジュリエット

*和訳は映画の日本語字幕を引用しています。

映画も大変素敵なストリーに出来上がっています。
是非、ご覧になって頂ければと思います。
45歳のおじさんが語るには、映画の内容から違和感もおありと思いますが、これは誰かを心に思った事がある人であれば、誰にでも思うところにある映画ですよ。
だれも、後悔を繰り返した日々があり、人を恋いうる気持ちに苦しむ事があり、でも、自らの恋の最後の勝利を信じる気持ちに疑いが無い事である事。
今、辛い境遇にあるのならば、きっと自分もしあわせになれると思える映画ですよ。
…おじさん、この手の長い間の想いみたいなストリーにはめっぽう弱い方です。

雪をかぶった夢でも
あなたへと続いていく
この道を歩いて行こうと思うよ
見失わぬように
すれ違い 抱き合い
雪が降り 春を待った
今なら分かる本当の夢はいつも
愛する人の笑顔の中

夢の蕾 / レミオロメン

映画「ジュリエットからの手紙(原題:Letters to Juliet)」のアマンダ・セイフライドはとっても可愛いです。
加えて、ヴァネッサ・レッドグレーヴの演技は映画にとても深みを持たせていると思います。

http://youtu.be/Wdy8YXkscpQ

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2013年1月12日 (土)

こころの鎧 あなたが幸せになりますように…

傷つくのはとてもつらいから…。
少しでも傷つく事がありそうだと、近づかなかったり、自分から離れてみたり。
そんな自分の事を周りの人に理解してもらうのは、とても大変な事で誤解される事も一度や二度では済みません。
ますます自分の心の鎧は堅固となります。
時として、理解なんてして欲しいと思った事はない…なんて。

鎧は傷つく事から自分を守ってくれる様だけれども、強くなれば強くなる程、堅固になれば、堅固になる程、重くなってゆきます。
でもやっぱり心は外の澄んだ空気を求めます。
そして、苦しくなってゆきます。

そんな自分は嫌だし、どこかで自分の心から重い堅固な鎧を捨て去りたい。
自分の心を太陽の下に。
そして、明るい太陽の下を歩きたい。
そんな気持ちがひとつの心の中で葛藤し始めます。
時として自分に絶望し、イライラし、哀しくなります。

私はそうでした。

昨年末に出張先のレイトショーで見た「人生の特等席」はとてもいい映画でした。
やっぱり傷つき、心を鎧で包んだ者同士が、なぜ互いに鎧が必要だったかを知り、理解をしてゆきます。
重い鎧を徐々にはずしてゆきます。
どうして自分は…という思いから。
失敗し、時に喜び、試行錯誤を繰り返します。
やがて相互を理解し…ここから先は是非映画をご覧なられた時のお楽しみです。
【人生の特等席】
http://youtu.be/bdJDNRbEYk4

この映画の余韻に正月休みに浸っているところで、別の2本の映画を思い出しました。

ひとつは「The Visitor」です。
妻を亡くして心を閉じた大学教授が、不法移民の青年と出会い、心を開いてゆくストーリーです。
是非、この大学教授役のリチャード ジェンキンスの表情に注目してください。
映画の始まりと終わりではまったく違います。
また、不法移民の青年の母親役のヒアム アッバスの表情もまったく変わります。
…ストーリーの詳細にふれそうなので、これぐらいに。
【扉をたたく人 The Visitor】
http://youtu.be/Rn3K199kv6c

そして、もうひとつ。
ヤコブへの手紙です。
厳密に言うと、この映画の登場人物はふたりです。
(自分の事を棚に上げて、失礼を承知ながら)お世辞にも美男美女とは言えません。
ひとりは生きる意味を見失っている人。
生きていても仕方がないと考えている人です。

もうひとりは、本当は自分には生きている価値はなかったと思い、絶望し、考え始める人です。
そうして作り上げたそれぞれの心の鎧が、やはり人の心によって…。
【ヤコブへの手紙 】
http://youtu.be/ylBGumYqaws

いずれの2本の映画も既にDVDが発売されていますし、レンタルDVDもあります。

人は人によって傷つけられるけれど、人のやさしさに、人の愛に癒され救われる。
人の心の鎧は、いかに堅固な鎧でも、人の心で鎧を脱ぐ気持ちになれる…。
素晴らしいこと…そんな気持ちに私はなったのです。

あなたに幸せが届きますように…
映画「ヤコブからの手紙」より

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2012年9月22日 (土)

あなたへ

「あなたが、わたしの心に灯っている」

映画「あなたへ」
http://www.anatae.jp/

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2012年4月19日 (木)

やさしさの欠片

取引先で出会う人。
仕事以外で出会う人。
いろいろな関係から、新たに友達になる人。
多くの出会いの中で、嬉しくなったり、感銘を受けたりと様々です。

例えば仕事の関係で出会った人。
仕事での互いの理解も進んで、いろいろな事を話したりする様になります。
すると互いの発言の真意などが見えてきたりします。
勿論、誤解もありますが、それはそれです。
当たり前です。

先日、私にはうかがい知れない事情ですが、シングルファーザーの人と仕事で一緒になりました。
仕事で共に多くの時間を費やす中で、かなりプライベートな話にもなりました。

その方には男の子の子供がいます。
小さな男の子。
やっぱり可愛くて、可愛いが故にいろいろ心配な事が多いとの事。
「親のこころ、子知らず」とは私も思い知らされた側ですが、相手のその話にはうんうんと頷く事が多いのです。
話しぶりから、その男の子も間違いなく、おとうさんが大好きで、とてもしあわせそうです。
でも、おとうさんはやっぱり何か不足しているのではないか、そんな気持ちが常にある様でした。

ひと通り(勿論詳しくは書けませんが)、そんな気持ちを伺いました。
私は彼(可愛い男の子)は何も不足などしていないのではないですか…と話しました。
彼はとてもしあわせだし、○○さん(佐々木蔵之助さんに似ている方なので、以後便宜上佐々木さんにします)は日々の仕事をこなしながら、十分やっているのではないですか…と。
頑張っているじゃないですか…と。
すると佐々木さんは、涙をポロポロと流し始めました。

打ち合わせの為に入った午後のスターバックスで、なんだか私が借金の取立てでもしながら、相手を泣かせているみたいです。
ははは…。
それからは、佐々木さんのとても大変な半生を聞きました。
こんな事にならない様に、あんなにさびしい思いは自分だけで十分と思っていたのに…。
そう思っていたのに…。
ひとりになってしまった、してしまった子供の事を不憫に思い、考えてしまうのだと…。

子供は大好きなおとうさんがいれば、ひとりぼっちではないんじゃないですか。
そして、自分の哀しみを力に変えて、自分の大切な人に同じ哀しみを繰り返さない様に努力する。
それは強くて、やさしいからこそ、出来る事ではないのですかと私は話しました。

周りの人に聞こえない様に、声を抑えて。
それでも目の前の人が、大人の、大の男が泣いているので、私は芸能人みたいに注目されている…と思いながら。

そして、佐々木さんはもう十分に頑張っているじゃないですか。
佐々木さんは、うんうんと繰り返しながら頷いていました。

生きていればいろいろな事があって、誰もが傷を抱えていますよね。
折り合いのつかない事を、いろいろな矛盾を感じながら、でも折り合いをつけたい…と心のどこかで思っています。

哀しみや絶望で、何もする気持ちがない時…。
どうして、どうすればいいと思う時…。
どなってもいいと自暴自棄になる時…。

そんな時にも心のどこかで、このままではいけない。
この哀しみの中から立ち上がりたいと思う心の欠片がどこかにないでしょうか。
そんな欠片を少しづつでも集めて、私達はまた歩き出す。
振り返って、そう思う日があったでのはないでしょうか。
佐々木さんとの話をしたその日、帰り道で私はつらつらと考えていました。

何年か前に、フランスの映画で「ずっとあなたを愛している(原題:IL Y A LONGTEMPS QUE JE T'AIME)」という映画を見ました。
冬彦さんで有名なTBSのドラマは「ずっとあなたが好きだった」です。
タイトルはわずかな違いですが、ストーリーはまったく違う映画です。
タイトルから恋愛映画をイメージするとガッカリ間違いなしです。

でもしかし、デートでも互いを理解しあう二人で見たら、そんじょそこらの恋愛映画ではかないません。
派手な音楽があるのではありません。
劇的にストーリーが、変化していくのでもありません。
登場人物の細かい説明もありません。

生きる事に絶望しているのだけれども、でも死ぬ事はできない。
そんな心に深い傷を負った人が、再生してゆく物語です。
主演のクリスティン・スコット・トーマスは、まるで小説を読みながら心情を綴る様な演技です。
見ている私は演技と感じていないです。
私はすっかり惹きこまれてしまいました。

佐々木さんが、精一杯の愛情を注ぎ、その記憶が佐々木さんの子供の心でやさしい気持ちとなって花を咲かせ、その気持ちを誰かの心に伝播させて行く。
大切にされたその気持ちは、しあわせな気持ちは、どこかで希望を見出す力へと変わって行く。
佐々木さんと話をしたその日。
帰り道で私はこの映画の物語を思い出しました。

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2011年10月30日 (日)

僕、人嫌いなんです…。

先日、取引先での事。
現場へ一緒に行く予定だった取引先の課長さんの他に、学生に間違いない若い青年がひとり。
高校生の職場体験で1週間の予定で来ているとの事でした。
高校2年生です。
課長さんは申し訳なさそうに話していましたが、私は大歓迎でした。

一緒に行くには事情がありました。
その週の最初にもう少しお偉方とご一緒し、かなり変わったタイプとの認定を受けた事に原因ある様でした。
スタートで会話が成り立たず、そのお偉方は閉口してしまったとの事でした。
東京の会社の人となら勉強になるからとか勝手に期待されたのか、押し付けられたのか、そんなケジュールになった様です。
確かに風貌はジュノンコンテストに応募するには方向が正反対の、ちょっと変わった風貌だったかな…。

移動の車の中でいろいろな事を話しました。
私にも高校1年生の子供がいる事からはじまって、わずかな時間だけれど、ほぼ一日一緒にいるので質問をしながら情報交換をしました。
せっかくだから、仲良くなりたかったしね。

当日は職場体験実習の最終日。
毎日毎日、知らない大人が代わる代わる来るのだから、緊張するなという方が無理です。

説教はしない事。

自分はこう思うのだけれど、こんな風に映るのだけれど…となるべく具体的に会話をしました。
時間と共にとても会話がスムーズになりました。
でも映画、特にアニメはさっぱりわかりません。

学校ではネット上でいろいろな商品を探すのが得意で、学校の仲間から依頼を受け、その予算内でオークション等を落札するのが多いとの事。
オークションは最後の1時間が勝負なんです。
へえ〜。
商品を手に入れ、依頼者に渡すと商品代と心づけ(チップ)をもらうのだそうです。
それなりに評価されていて、依頼も多いのですと話していました。

ネット上で小説を書くのが大好き。
父親はまなもく60歳で寡黙な人。
家で話をするのは殆が母親と。
クラスは40人で男子は11人しかいない事。
その話には「うらやましいねぇ〜」と親父ふたりの感嘆有り。

写真が大好き。
いつもデジタルカメラを持ち歩いていて、気に留まったものは撮影する。
様々なフォトコンテストにも応募している。
カメラに保存している美しい滝や、ヒヨドリをとても難しい角度から撮影した写真を見せてくれました。
人の撮影は難しい…彼が言いました。
でも動物は好きなのです…彼が言いました。

僕、人嫌いなんです…。

「忘れられない人(原題:Untamed Heart)」という映画です。
公開年次が1993年なので、もう少し前の映画ですね。
邦題の通り、私もとても印象に残っている映画です。

孤児院で心臓の病から、人から隔離される必要があった男性の主人公(クリスチャン・スレイター)。
初めて人の温もりにふれる場面で思いが募ります。
初めて安らかに眠れる日々を得ます。

女性の主人公(マリサ・トメイ、とってもキュート)が友達に彼のどこがいいのかと訊きます。

誰とも通じ合わない人間同士だから通じるの…。

クリスチャン・スレイターが演じた彼が「僕が君を想う気持ちのどれくらい、僕の事を愛してくれているのだろう…」とつぶやきます。
そして初めて心が通じ大切な人へ、さびしく孤独な日々を過ごしてきた彼のさびしさを忘れる、大切な魔法がある事を伝えます。
そして彼は彼女へ伝えるのです。
「心が晴れる魔法は…もういらない。君がいるから…」

昼食を一緒に食べる時、彼にひと言だけ説教じみた事を言ってしまいました。
「さっき、人嫌いだって言ったけど…」
彼の顔色が変わりました。
硬直しているのがわかります。
「ネットオークションが得意で皆からいろいろ頼まれるんでしょ。実はとっても商売の才能を持っているのかもしれないよ。まだまだ、決める必要はないよね。」

彼は何も言わず頷くと、とても良い姿勢でお茶を飲みました。

ここから先は私の心の中で。
人嫌いじゃないよ。
きっと、人見知りだよ。
自分が何者かと考え始めれば、少し自意識過剰気味になって、頑なになるよね。
そう遠くない何時か、人と人が通じ合う喜びを知る日が来るよ。
それは涙となって、必ずあなたに気づかせてくれるよ。

今僕らの目の前で起こっていることを
楽観もなく悲観もなく ちゃんと捕まえたら
足元に落とした視線を上にあげ
胸を張れ!

終末のコンフィデンス / Mr.Childrn

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2011年10月12日 (水)

体温

【ご注意】「手のひらのメモ」のストーリーに関わる記述があります。

Kirigamine004

結果として田中好子さんの遺作となってしまったNHKドラマ「手のひらのメモ」。
とっても印象に残っています。
主なストーリーは次の通りです。

折川福実は、夫と14歳の息子を持つ専業主婦。そんな福実が、補充裁判員に選ばれる。

裁かれるのは、夫を亡くし、6歳の息子を一人で育てていた母親、種本千晶。千晶は、重要な会議に出るため、喘息に苦しむ息子を家に放置し出社、さらに、再婚の話が持ち上がっている愛人の家に寄り、帰宅が遅くなったことで、息子を死亡させてしまったとして、保護責任者遺棄致死罪に問われているのだった。

争点は、千晶が自宅を出た時に、息子が大きな発作を起こすかもしれないという危険性を認識していたかどうか、さらに、その後、自宅に電話をしたときに息子が危険な状態にあることを認識していたかどうか、であった。

福実は、裁判を見守りながら、我が身のことを思い返していた。

「息子がいなければ別の人生があったのではないか。」福実がふと口にしたその言葉が息子を傷つけ、小さな綻びが生じてしまう。自分は、果たして、千晶を裁く資格があるのだろうか・・

裁判が進む中、事件当日の夜、千晶の息子が、一人でアイスクリームを買いに店に来たと証言する人物があらわれる。公判が延び、裁判員になった福実は、その証言をきっかけにあることに気がつく。

思わず書きとめた"てのひらのメモ"を見ながら、福実は、千晶に問いかけていく・・

NHKドラマ「手のひらのメモ」HPより

裁判の争点で明らかになる事があります。
亡くなった子供は自分の子供ではない事。
旦那の愛人の子供だったのです。
勿論、子供はその事実を知らない設定だと思います。

そして、買いに行ったアイスクリームは、子供がお母さんのために、お母さんの好きなアイスクリームを買っていた事がわかります。
子供の母親を思うやさしさから、虐待をしていたのではない事がわかります。

そっとした、さりげない、やさしさ。
いつも、その人が心にいる安心感。

Kirigamine012

中学生の頃、徒党を組んで毎日のように大勢の人が周りにいたのに、高校生になると嘘のように人がいなくなる。
どこにいる時でも言葉数は減り、日々空手にのみ没頭する私は、それ以前とはまったく様子が異なるのです。

両親は私がいろいろな事を葛藤している事を感じていたでしょう。
見放したのではなく、関心を持っているメッセージをどこかで私は感じていたのかもしれません。
求めれば、求められれば応えたでしょう。
それをわかって黙っているのは、とても辛い事です。
おふくろからはたったひと言。
高校の担任の教師との面談での話でした。

「クラスでは影の薄い存在」だって言ってたよ。
ふふ…信じられないね。
だから…はありません。

私の現在の勤務先は転職した先です。
失敗の経過は過去の記事に書いた通りですが、その中に書いていない事があります。

私は怒りでいっぱいでした。
自分の情けなさと仕事が上手く行かない悔しさでいっぱいでした。
取引先との打ち合わせを行っていた事務所を出た後、怒りにまかせて、そのビルの中にあるステンレス製の郵便受けを叩き壊しました。
社会人としてスタートしたばかりで当たり前なのに、本当は実力と呼べるものなどないのに、自分の仕事を罵倒された事で、自分への情けなさと、悔しさでいっぱいだったのです。

その頃は、ちょっと前まで現役空手選手でしたから、ステンレス製の郵便受けを潰す事など造作も無い事なのです。
開かなくなった郵便受けを再度拳で上から打ち込み、使い物にならなくしました。
自分の右手の拳を見ましたが、血も出ていません。
血も出ないのか…。

その後、感情が高ぶっていた事もあると思いますが、泣きました。
自分の為には泣かない…とあの日から決めていたのに、この時ばかりは自分の不甲斐なさと、愚かさと、情けなさに泣きました。
自分の為に、自分を哀れんで泣いたのです。

辞めると決めてから、次の就職が決まるまでの間、両親は何も私に問いませんでした。
研修期間も、正式に配属されてからも、成績はトップだったとか、いい事はいくつか自慢して、両親にも話していました。
だから、その時にいろいろ訊いても、不思議ではないのです。

なぜ、そうしたのかに気づくのは、もう少し後の事でした。
それは、仔細を訊く事で私を責める事になるからだと私は気づくのです。

Kirigamine032

職場では後輩の方が数が多くなれば、いろいろあります。
ビジネスはあまりに順調ならば疑った方が良いわけですし、あと一息の時には、何かアシストする方法がないかと考えます。
営業担当者によって、担当している取引先によって、事情はそれぞれ異なります。
そして失敗をした時ほど、どれだけ感情的にならず、上手に悟らせるかが管理職は問われます。
ビジネスで失敗をすれば、当該者は誰よりも自分が失敗した事を認識しています。
反省しています。

失敗した事すら認識できなかったり、そう思っていない人はそれ以前の問題ですが、自分でわかっていれば自ずと行動は変化します。
失敗の過程を繰り返し認識し、自分自身で問題点を見つけてきます。
そうしなければ、大抵同じ失敗を繰り返す事になると思うのです。
何か声をかけたくなりますが、そのサインがあるまで黙っているのが我慢のしどころです。
「誰でもあった事だし、通る道だ」というのは簡単ですが、その道は自ら歩かねば、その道を覚えられません。
その人は初めてです。

気づかないふりをしているけれど、いつも気にしているよ。
知らんぷりしているけれど、いつも気になるんだよ。
心に留めているよ。
いつでもあなたの味方だよ。
いつもあなたの力になりたいんだ。

このメッセージをさりげなく送ることは、とても難しい事と常に思います。
受け取る側でも、受け取る側になっても、気がつかない事も多いと思います。

自分がそうであるように、誰かのさりげないやさしさやちょっとした心の配慮はとても嬉しいのです。
眠り込んだときに、誰かがそっとかけてくれる毛布の様に…。
相手の方が大変な病気と闘い苦しいのに、私を心配し、私を気づかう心の様に…。
当の本人は何も知らないけれど、大切な人が旅を続ける毎日の安全を祈る様に…。
この喜びを分かち合いたいと思う心に…。

大変な事が代わってあげられないから、人は今出来る事で、何か出来ないかと考えます。
崩れそうな橋を渡っているなら、進むほうへ先回りして橋を崩れないようにしたい。
崩れているのがわかっているならば、下に落ちても安全な様にしてあげたい。
歩くのが怖い橋なら、口笛吹いて、バカ話をして、一緒に渡りたい。
大丈夫だよって…。

自分が支えられる事があり、自分が支える事があり…でもきっと、大切な事はひとつ。

私はひとりじゃない。
あなたはひとりじゃない。

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