敗れる事で学ぶ事
11月3日決勝が行われた2009Jリーグヤマザキナビスコカップ。
試合後の表彰式で、準優勝の川崎フロンターレの選手が、メダルをすぐに外すなど、当時の態度が悪くマスコミをはじめ、話題になっていましたね。
悔しい事は勿論だろうし、まじめにやっているからこそ、悔しい気持ちも生まれると思います。
しかし、評価をされる際に、プロだからという厳しい尺度は求められてしまうので、お話が大きくなる事もやむを得ないのかもしれません。
相撲が好きなわけではないのですが、ちょっと気になった事がありました。
先場所は朝青龍の「引退か?」なんて事も絡んで、メディアに取り上げられる機会が多かったと思います。
初日の朝青龍と把瑠都の一戦は、寄り切りで勝った朝青龍が、把瑠都にダメ押しをする様なところがありました。
翌日、勝負が見えてからのあの行為は横綱にあるまじき行為と様々なところから批判されました。
朝青龍の立場だと、本当に「引退か?」って事がかかっていれば、初日はなんとしても勝ちたい…と考えるのは自然な事です。
気合余ってという部分も理解は出来る。
しかし、横綱に求められるもの…と考えた時には、川崎フロンターレに同じく厳しい尺度が求められる事と思います(時々、朝青龍に対するインタビューで、ずいぶん意地悪な質問の仕方をする人もいるなぁと思う事もあります)。
そんな報道がされた影響もあったと思いますが、先場所はふと中継を見たのです。
日馬富士と翔天狼と一戦。
寄りきりで日馬富士が勝ちました。
土俵際まで追い込み、勝負が決まった時、日馬富士は翔天狼が勢いで土俵下に落ちないように、手を握って止めたのです。
敗者に対するこの違いは、どこから生まれてくるのでしょうか。
私がまだ大学生で、現役で空手をやっている頃の事です。
何の試合だったか覚えていないのですが、トーナメントで控え室から出るのが、対戦相手と私が最後だったのです。
私の師範は試合に際しても、試合の結果についても当日は一切その結果には触れません。
これまで全力で取り組んできているのだから、当日はそれを十二分に発揮しろとの方針なのです。
相手方のコーチか、師範かはわかりませんが控え室に来ていました。
互いに試合前のアップをしています。
そこで耳を疑う話を聞いたのです。
そのコーチは「少しぐらい当ててもいいから、相手をビビらせて行け」と言ったのです。
試合場のトーナメント最後の試合ですから、ふたりしかいません。
誰が試合相手か探す必要もないのです。
(それが指導者の言うべき言葉か)
耳打ちしているコーチに、対戦相手はニヤニヤしています。
恐怖で硬直させる事を目的にそんな話をしている事は、誰だってわかります。
性根の悪い私は、聞こえないふりをして腹案を持って試合場へ行きました。
試合が開始されました。
私は相手が脅かす為に間合いを詰めて、当ててくる事がわかっています。
当然、相手が最初に仕掛けてきます。
それを待って、カウンターでみぞおちに当て、かがんだところを膝蹴りで鼻に当て、鼻血を出させました。
すぐ反則で一時試合は中断されました。
相手も真っ赤になって、興奮して怒っています。
最初に一発食らわそうと思っている方が、食らわされたのですから穏やかじゃありません。
やった私は(ざまぁみろ)なんて心で思いながら、ポーカーフェイスです。
それでも再開された試合は、もう試合の体をなしていない状態です。
感情的な殴り合いです。
結果は判定となり、最初に反則をした私の負けでした。
試合場で見ていた師範は、私が最初に恣意的にやった事を分かっていました。
敗れた試合の事で指導されたのは、それが最初で最後でした。
楽天の野村監督が引退をしました。
監督として最後のゲームが終了すると、両軍の選手がグランドに集まり、野村監督を胴上げしました。
野村監督が野球界の偉大なる先人として、チームを問わず尊敬をされていたのだと思います。
最後の試合は野村監督の楽天が負けているのです。
楽天監督して最後のインタビューに答えていました。
その内容に思うところがあります。
「チームとしてはこれでよかったんじゃないか。段階を踏んで行った方がいい。ビッグゲームで負けることで得られるものもある。負けた方が真剣に反省する」
とても大事であり、負けが続く苦しい中から、勝利を得た人だからこその言葉だと思います。
「負けた時には、なぜ、どうして負けたのか?」
「次のチャンスに勝つには、どうすればいいのか?」
こう考える事で負けは大きな意味を持ってくると思うのです。
常に勝ちばかりの人はいませんよね。
自己嫌悪と後悔で、本当は思い出したくない事ばかりが多いのですが、負けに懲りて行動しないことではなく、敗北を受け入れて「次のチャンスではどうできるか?」という反省が大事ではないでしょうか。
負けの悔しさを知るからこそ、勝利の喜びも倍加されるのではないでしょうか。
日馬富士の勝利者の余裕はそんなところから、滲み出てくるのでは…。
勝つ者がいる時は、必ず敗れる者もいる事。
その境目はいつも足元にある事も。
自分もいつでも、その境のどちらにでも入る事を知っているのだと思います。
敗れる者の辛さを知っているからこそ、勝利者となった時にも敗者を思いやる気持ちが持てるのではないのでしょうか。
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