文化・芸術

2011年9月 1日 (木)

表現をする衝動に駆られるのだと思います。

今日は仕事も予定通り終わり、台風の様子を心配しながら早めに帰宅しました。
久しぶりに家での夕食は「栗ごはん」でした。
食事の支度が出来るまでは、揚げ出し豆腐と肉じゃがをつまんでいました。
晩酌はしません。
もう仕事のお酒だけで十分です。
「栗ごはん」…おいしいね。
日本人の繊細な感覚がなせる、季節の味ですね。

さて、前の記事にある槐多庵には、この槐多庵の本館にあたる信濃デッサン館があります。
ここは夭折の画家と呼ばれる孤高の道を歩んだ薄命の画家たちの作品がたくさんあります。

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私は作詞も作曲も出来ませんし、演奏も×です。
絵画や造形も不得手です。
不得手というよりも何かを表現する手段になりません。

文章による表現も、これも体系だった読書をしてきたわけではなく、乱読ですのでその影響は様々です。
なかなか自分の思う表現が出来ないと引用をします。

しかし、自身の内なるものを表現するのは人間だけに出来る事であり、故に人間として持つものが表現にあるのだと思います。
そして、表現をする衝動に駆られるのだと思います。
人間が行う「表現」にその崇高さを思います。

この信濃デッサン館にある野田英人の「野尻の花」。
脳腫瘍による目の変調を、作品を完成させるために、瞼にテープを貼りながら目を強制的に開けて、作品を完成させる執念。
周りからは狂気と思える村山槐多の作品への取り組み。
中学生の時に脳脊髄膜炎で聴覚を失った松本俊介。
戦争一色の暗い世相の中で、芸術への軍部の不干渉を貫く、芸術の自立。

ベートーヴェンにしても、ゴッホにしても、カミュにしても、常人には理解できる範囲を超えての至高の芸術であるからこそ、人を感動させるのだと思います。
私は生きるという事を、何だかとても感じ考えました。

夕方4時。
龍光院の鐘の音が響き渡りました。
この信濃デッサン館の隣は「萩の寺・前山寺」です。
ここに推定樹齢700年を超える樹があります。

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この記事の前の記事の事。
そして営々と続く人間の営みを700年という時の中で見おろす大樹。
人の人による普遍性を思う一日でした。

*記事中の個人名敬称は略させて頂いております。

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2011年1月30日 (日)

人間でしたらその人の心が残るんですよね。 周りの人に残ってまた、その次の人に残っていく。

中島潔さん。
私は不勉強でこの方の名前を知りませんでした。
紹介された京都・清水寺に奉納された46枚の襖絵はテレビの画面を通して見ているにもかかわらず、圧倒的な存在感を持っていました。

特に、番組に登場する実物を見た方々の評価が高かったのは、一面を埋め尽くすイワシの大群とそれを見つめる少女を描いた作品「大漁」でした。
金子みすゞの詩をモチーフに描かれたこの作品は「見る者を圧倒する」と大きな反響を呼んだとの事です。

朝焼け小焼だ
大漁だ
大羽鰮(いわし)の大漁だ。

浜は祭りのようだけど
海のなかでは何万の鰮のとむらいするだろう

大漁 / 金子みすゞ

自身の人生とこの金子みすゞの「大漁」の詩がシンクし、作品「大漁」へ…と私は感じました。
ART OF LIFE
まさに命の芸術。

若年で故郷を離れ、仕事を始めます。
絵はその頃から独学で始められたそうです。

中島潔さんは幼少時、体が弱かった事から、とてもお母さんがいろいろな事に気づかってくれていたそうです。
母への思慕。
唯一、画家になりたい夢を後押ししてくれた母(ウメ子さん)。
ご自身が16歳の時にガンで他界してしまいます。
その2年後に父は再婚し、悲しみと憎しみを糧に絵の勉強に励んだそうです。
届くはずのない母への手紙をしたため、それを海に流した事も…。

中島さんの絵にある子犬のウメ吉。
これは母(ウメ子)であり、絵に登場する子供たちに、いつも寄り添っているのです。
実父も他界し、実父の真実と気持ちも知ったそうです。

そして、京都・清水寺の襖絵。
母への想いを、命を、凝縮したものだと思うのです。

僕自身の「大漁」を描けたかなって思ってるんです。
まず第一に命を輝かせられたことですね。
で、個々の小さなイワシのみんな、夢があるし思いがあって、命が生まれたから。
生まれた生命がですね、海の中で、結局いろんな大変なことをしながら生きているわけですよね。
その一つ一つは結局、生まれて消えていっても輝いているんだっていう。
命が、亡くなったからっていって、失せるものじゃないと思うわけですよ。
例えば、人間でしたらその人の心が残るんですよね。
周りの人に残ってまた、その次の人に残っていく。
だから、命ってそういうものじゃないかなと思うんですよ。

消えても、失せない 残るものだと思うんですよ。

2010年 5月31日(月)放送「クローズアップ現代」
風の画家・中島潔“いのち”を描く

見る人が圧倒される理由はここにあるのだと思うのです。
ご本人にインタビューをしているアナウンサーが涙を堪えています。

ご自身がガンに罹患している事を知り、手術と治療をします。
成功し、その後に完成した絵がありました。

岸壁に少女が立っています。
少女は未来へと視線を合わせています。
そこにもうウメ吉の姿はありません。
この絵「空」がまた素晴らしい。

自身の母校へ行き、後輩である子供たちへ話しをしていました。
その話しの中に、こんな言葉がありました。

一番大事な事はやさしい事。
友達だとか、自分の他の人気持ちを考えられる事。
哀しいだろうな、嬉しいだろうなとね。
人の事をわかる気持ち。
やさいい事と人の気持ちをわかる事。
この心があったらね、どんなに頭がいい人がいたって、どんなに強い人がいてもね、その人たちに負けません。

哀しみを知り、その人の哀しみを人のやさしさ、自分の強さに変えられる人の、その言葉だと思いました。

命を大切にする事は誰もが知っている事のです。
必要なのは「あなたが大切」と言ってもらえる事、わかってもらえる事ですよね。
若年で離ればなれとなり、若くして亡くなった母親との関係から始まる自分の存在の意味や哀しみや、苦しみ、愛する事、愛される事への渇望。
それを俯瞰できるからこそ、出来る時だからこそ、あの「空」の絵の、その少女と希望の空になった…と私はひとり思うのです。

中島潔さんのHP
http://www.nakashimakiyoshi.com/gallery-heart/

文中「金子みすゞ」は敬称略となっています。
どう表現してよいのかわからず、不遜承知で略しております。
ご容赦下さい。
ところで、先日半蔵門線の三越前駅の広告で金子みすゞ展の広告を発見しました。
せっかく事務所の近くなので、必ず行きたいと考えています。

没後80年金子みすゞ展
http://www.mitsukoshi.co.jp/store/1010/kaneko/

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