恋愛

2013年4月 7日 (日)

冬の終わりに風が吹いた

映画「ジュリエットからの手紙(原題:Letters to Juliet)」のストーリに関連する記述があります。

冬の終わりに風が吹いた
妙に暖かくて泣きそうになった
あなたの笑顔が
いつでも僕の励みだった
その温もりを その輝きを
どれほど心に繋いで
今を生きてるだろうか

夢の蕾 / レミオロメン

私はこの歌の最初のこのフレーズが大好きです。
長く辛い日々が終わるような感じを、私はとてもこの曲から感じ取るのです。

冬の終わりにとても暖かい風が吹く…

新しい毎日が始まるような、そんな希望に満ちている気がするのです。
長い冬の終わりを、人生の辛い日々の終わりを思います。
辛い日々のトンネルを抜けたら、そこには素晴らしい青空があったような…そんな思いがあるのです。
空はどこまでも美しく、何も遮るものが無いような。

勘違いの様な暖かい日
公園の木々も空へ伸びている
あなたとこうして
日だまりの中 手を繋いで
上手くいかない日もあるけれど
わずかな木漏れ日の中にも
同じ太陽感じられる

夢の蕾 / レミオロメン

大切な人がいて、上手くいかない日々があっても、もう辛い日々に、その思いに戻る日はない事。
かつての同じシチュエーションであっても、過去の辛い日々に思ったと同じ思いにはならない。
そんな強さと生きる希望を感じるのです。

愛する人 あなたの
幸せを守りたい
強く優しく本当の夢はいつも
あなたの笑顔の中にある

夢の蕾 / レミオロメン

この人だ…と思っても上手くゆかない事は多々あります。
我々は同じ失敗は繰り返したくないと思うのに、でも同じ事を繰り返してしまいます。
その度に傷つけてしまう事もあるし、傷ついてしまう事もあります。
もう、金輪際こんな思いは嫌だと思う日々があります。
自分の何がいけなかったのだろう…と自問を繰り返す日々。
あの事がいけなかったのだろうか…と後悔を繰り返す日々。

でも、どこかで、いつか、そんな日々が終わると信じていたい気持ちも必ずどこかにあります。
その時は世界の全てが終わる様な気持ちになるけれど。
ノストラダムス(古い?)も、マヤの暦の破滅もどうぞ、その通りにやって頂戴なんて…ね。

しかし、私たちが地球上のいかなる生物とも異なるのは、未来を予測する事が出来る事です。
人の次に知能が高いチンパンジーでも、目の前のバナナと明日のバナナには思いが及ばないのです。
それゆえに苦しい事もたくさんありますが、でも、明日を迎えたいと思う気持ちがどこかにあります。
明日、私たちはしあわせになりたいと思う心があります。

映画「ジュリエットからの手紙(原題:Letters to Juliet)」の中にこんなセリフがあります。

Dear Claire

'What' and ‘if’ two words as nonthreatening as words come.
But put them together side-by-side and they have the power to haunt you for the rest of your life
What if?'..."

"I don't know how your story ended.
But I know that if what you felt then was love - true love - then it's never too late.
If it was true then it why wouldn't it be true now?
You need only the courage to follow your heart..."

"I don't know what a love like that feels like... a love to leave loved ones for, a love to cross oceans for... but I'd like to believe if I ever felt it.
I'd have the courage to seize it.
I hope you had the courage to seize it, Claire.
And if you didn't, I hope one day that you will."
all my heart Juliet

親愛なるクレア

「もし」と「あの」はそれぞれごく普通の言葉にすぎません。
でもその2つを合わせるとあなたを一生苦しめる力を持つのです。
「もし あの時」

物語の結末はわからない。
でもかつて真実と感じた愛なら、遅すぎることはありません。
かつて真実なら今も真実のはず。
少しの勇気を持ち、あなたの心に従って。

ジュリエットの愛をどうたとえれば…親しい者を捨てる愛、荒海をも越える愛、私もいつかそのような愛を感じたら、つかみ取る勇気を持ちたい。
クレア あの時は無理でも、いつか勇気を持てることを信じます。
愛をこめて ジュリエット

*和訳は映画の日本語字幕を引用しています。

映画も大変素敵なストリーに出来上がっています。
是非、ご覧になって頂ければと思います。
45歳のおじさんが語るには、映画の内容から違和感もおありと思いますが、これは誰かを心に思った事がある人であれば、誰にでも思うところにある映画ですよ。
だれも、後悔を繰り返した日々があり、人を恋いうる気持ちに苦しむ事があり、でも、自らの恋の最後の勝利を信じる気持ちに疑いが無い事である事。
今、辛い境遇にあるのならば、きっと自分もしあわせになれると思える映画ですよ。
…おじさん、この手の長い間の想いみたいなストリーにはめっぽう弱い方です。

雪をかぶった夢でも
あなたへと続いていく
この道を歩いて行こうと思うよ
見失わぬように
すれ違い 抱き合い
雪が降り 春を待った
今なら分かる本当の夢はいつも
愛する人の笑顔の中

夢の蕾 / レミオロメン

映画「ジュリエットからの手紙(原題:Letters to Juliet)」のアマンダ・セイフライドはとっても可愛いです。
加えて、ヴァネッサ・レッドグレーヴの演技は映画にとても深みを持たせていると思います。

http://youtu.be/Wdy8YXkscpQ

| | コメント (0)

2012年8月 1日 (水)

そのままの自分でいい…BORN THIS WAY

恋に失敗はつきものですよね。
自分の思いが上手に伝えられないとか、届かないとか焦りや苦しみがあって大変です。
ぶつかりあったり、心配したり、もっと好きになったりとか、まあ忙しいですよね。
すっかりおじさんの私は恋に逡巡する人を微笑ましく見てしまいます。
大竹まことさんのラジオ番組で、いとうあさこさんの恋愛の話が話題になっていたのを聴いた事があります。
なんかその時はもう、いとうあさこさんを応援する親戚のおじさんみたいな気持ちです。

傷ついたり、不幸にして恋が終わったりすると「どうしてだろう…」と考えます。
苦しみ、哀しみ、泣いてみたり、叫んでみたり…。
疲れて、もうどうでもいいや…なんてどこかであきらめたり。

でも、新しい恋にトキメキます。
そんな時、フト考える事がありませんか?
…前の恋愛での失敗を繰り返さないようにしよう。
経験から学習する事は大切な事ですが、勿論相手も違うのだから、過度にその原因と思っている事に囚われる必要はないと思います。

芸能界で最近よく話題になる「年の差婚」。
周りの人は凄いとか、勇気があるとか、はたまた若いとか、勝手にいろいろな事を、いろいろに言ってくれます。
でも、当人同士は年齢の差なんて瑣末な事であり、周りには「それしか言う事はないのかい?」と訊きたくなるでしょう。

これが年齢の差を隠して続く恋であったらどうでしょう。
例えば、本当の年齢を知ったら、嫌われてしまう…なんて。
とても辛い事だと思います。
自分は年齢の差で愛してもらえない。
若くない自分が愛されないと考えたら、どれだけ辛い事でしょう。
それが嫌われる原因になると思い込んで隠したら、相手にとっては何でもない事なのに、自分の中ではとても重要で、深刻な問題に自分でしてしまうと思うのです。

やがて、その事を隠すために、自分の心に嘘をつき、本当の自分を、そのままの自分を偽ってしまいます。
その事が知れたら…本当の、そのままの自分を知られたら嫌われる。
恋は終わってしまう…と考え始めたら、もう妄想は超高速で膨らんでゆきます。

いつか、本当の、そのままの自分を隠している、その自分が、本当の自分を、そのままの自分を嫌いになってしまいます。
そうしているうちに、隠している事実から始まる事よりも、嫌われる事が一番怖い事となり、本当の自分を、そのままの自分を決定的に否定してしまいます。
嫌われたらもう生きていけない。
こうなってしまっては、恋は喜びよりも、苦しみが勝ってしまいます。

生きる事に疲れてしまった日。
絶望の中で、何の希望も見出せず、もう全てが終わってもいい、終わらしてしまいたいと思う時…。

生きる事、その事が怖い日。
誰も自分など気にかけてくれない。
何も期待されていない。
反対にいつも自分の心とは、思いとは、違う役割ばかりを期待されてしまう時…。

喜びが多いのが恋なのに、嫌われる事が何より怖いと思う日。

誰かの期待に応える自分はやめてしまおう。
捨ててしまおう。
生きる事は誰かの期待に応える事ではない。
おとうさんの、おかあさんの、子供の、先生の、上司の、先輩の期待に応える事じゃない。

いつも誰かの期待に応える自分は、いつも誰かに怯えている事と同じ。
いつも誰かに高く評価してもらいたい自分は、いつも反対に批判される事に怯えている事と同じ。

日々つまらない事も、辛い事も多くあります。
生きてゆく事は楽ではありませんよね。
また、自分が評価されればやっぱり嬉しいし、低く評価されれば腹が立ちます。
でも…。

一度人気絶頂となった芸能人が、落ち目となり、やがて復活する事があります。
そんな時、よくお話にありませんか。
誰かにプロデュースされた自分ではなく、何もなくても応援してくれた人への感謝の言葉を。

そのままの自分を認めてあげよう。
誰かの期待に応える事が、これまでの生き方であったなら、ちょっと自分を大切にしてみよう。
自分が素晴らしいと思える事。
自分が楽しいと思える事。
そんな事に一生懸命になって、喜んだり、哀しんだり、いろいろな自分を見つけてみよう。
本当の自分を、そのままの自分を愛しく、やさしく、抱きしめてあげよう。

My mama told me when I was young,
We are all born superstars.

She rolled my hair and put my lipstick on
In the glass of her boudoir.
"There's nothin' wrong with lovin' who you are"
She said, "'cause He made you perfect, babe"
"So hold your head up girl and you'll go far,
Listen to me when I say"

I'm beautiful in my way
'Cause God makes no mistakes
I'm on the right track baby
I was born this way
Don't hide yourself in regret
Just love yourself and you're set
I'm on the right track baby
I was born this way

あたしが若い頃 ママが言ってた
「みんな生まれたときからスーパースターよ」

髪をまくり上げて 口紅を塗ってくれた
ガラス張りのブードアで
「ありのままの自分を愛せばいい」
ママが言ったわ「そのままで完璧なあなたを 神は創ったの」
「だから顔を上げていれば 遠くまで生けるわ
これから言うこと よく聞いて」

自分らしいままで美しい
だって神には一寸のブレもない
このまま進めばいいのよ ベイビー
私はこの運命のもとに生まれたきた
悔いに身を隠さないで
ただ自分を愛せば それでO.K.
このまま進めばいいのよ ベイビー
私はこの運命のもとに生まれたきた

BORN THIS WAY / LADY GAGA
対訳:June Bug

P1010029


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月13日 (日)

ちょっと切なくなる、でも嬉しい話。 そして、切ない楽曲です。

ブランドに恋してしまう事は誰にでもあって、とても輝いているからこそ、無理の無い話しです。
ブランドに恋してしまうとは、その人物そのものよりも、その人物の周辺の事が中心で、それに恋してしまう事です。
例えば、○○に勤めている人がいいとか、○○部のキャプテンだからカッコイイとか、職業だったり、年収だったり、見栄で、見栄が恋をすると言った感じでしょうか。
始まりはいろいろなので、簡潔に表現するのが難しい事でしょうか。

いろいろな憧れから恋がスタートし、互いの理解が進んで、共にハッピーであればこれが一番です。
でも、ブランドだけに恋していれば、それが無くなってしまったら、それで終わり…とさびしくなります。

少し前にサラリーマンの間で流行ったブラックジョーク?
いえいえ、結構マジな話です。
旦那が家に帰って一言。
「今日俺、会社でリストラされた」と言った時、奥さんはどう反応するか。

【1】「なんであなたがリストラされなきゃならないの!!」
【2】「(生活費は)明日からどうするの?」
【3】その他

【1】だよね。【2】は哀しい。
【3】は夫婦により、パートナーのタイプによりいろいろでしょう。
おじさん達の、飲み席での与太話です。

フェラーリに乗っていたり、クルーザーを持っていたり、それは素敵な事だけれど、あなただから楽しいとか、あなたとだからいい…が欠けていると、何か大きな大事なものが不足している気持ちになります。
フェラーリも、クルーザーもないから、ヤッカミみたいだけれど、恋だけじゃお腹が空くから、やっぱりしっかりと生活もしなければならない。
日常があるから、非日常がきっと楽しいのであって、ディズニーランドも毎日はいられない。

JR東日本の新幹線にあるフリーペーパー「トランヴェール」で、角田光代さんの連載があります。
「目的地まで、あとどのくらい」の13回目「あの夜の若い二人」というエッセイを読みました。
東日本大震災から約1ヶ月後に被災地へ入った時の出来事です。
昼間に垣間見た風景に、お酒の量が増えざるを得ず…。
飲食後に立ち寄ったじゃじゃ麺店で出会ったカップルの事でした。
角田さんが、そこで出会ったカップルふたりの結婚式に、花束つきの祝電を送る事を約束し、約束を実行します。
そして、後日受け取った二人から、礼状が届きます。

女性は岩手、男性は福島在住で、来月結婚するのだという。
いっしょに暮らす予定でいたけれど、今回の震災で、少しのあいだそれがむずかしくなり、とうぶん遠距離結婚になるとふたりは話してくれた。

中略

結婚式の写真も同封されていた。
読んでいてあの夜を思い出し、私は泣いた。
ありがとうと言いたかったのは私だったのだ。
壊れて流されたいくつも暮らしを見て、自分の無力さを思い知って、ひたすらに言葉を失って、夜更けまでごまかすように飲んで、そんなとき、いろいろ問題はあるが、それでもこれから生活を作り上げていくという二人に会って、私はなんだか救われたような気持ちになった。
お礼を言いたいのは私だと、早速返事を書いた。

じゃじゃ麺屋で相席した若い二人のしあわせそうな写真を、今も私は持っている。

トランヴェール「目的地まで、あとどのくらい」
「あの夜の若い二人」 / 角田光代

それぞれ異なる環境で育って来た二人が、一緒に生活を築いて行くのだから、楽ではない事もあります。
でも、ふたりで新たに作って行く事は楽しい事です。

結婚した頃はamazonも見られる環境にはなく、新聞広告を見ながらしるしをつけて、お目当ての品物のために開店前に並んだりしました。
結婚した年、平成5年の米パニックの時は、タイ米を買ったけれど、どう料理しても口に合わなかった事。
MJBのコーヒーが大きな缶で「お得だね」と思って買ったら、やっぱりこれも…。

新しい生活を作って行く。
それはとても楽しい事で、二人の共通部分が増えて行く事は、互いの理解も深まるし、一緒に出来た事、共有した事はとても大切な財産になります。
普段は意識していないけれどね。

このエッセイに出てくる二人が、きっとたくさんのものを失ったけれど、まず二人が生きて、変わらない愛情を持ち続けている。
これがまぶしいのだろうな。

ここ最近、行きでも帰りでも通勤時や出張の時に1日に1回必ず聴いているアルバムがあります。
DANCING WITH A GHOST
VALENCIAのアルバムです。

打ち込みではなく、バンドがしっかり演奏をし、そして歌っています。
JAPAN BONUS TRACK が最後に2曲あるのですが、これがいい。
どの楽曲をとっても良くて、どこから、どの楽曲から聴いてもいいのです。

このアルバムで角田光代さんのこのエッセイにピッタリの楽曲があります。
この下のYouTubeから拝借した楽曲を是非聴いてみて下さい。

You are what you leave,like the simple lessons my dad taught me.
I know we all grow old and die and make our place in another life.

I'm glad that there's still time to let you know,I still need your around.
I'd be lost without you.
I'm not sure I could face this world on my own.

父さんが教えてくれた教訓
みんな年をとって死んで
別の命にまた居場所ができる
まだ君に伝える
時間があって
良かった

オレたちが先に進んでも、まだ傍に居て欲しい
君がいなかったら、オレは彷徨ってしまう
一人で世の中と向き合えないと思う

Still Need You Around (Lost Without You) / VALENCIA


ちょっと切なくなる、でも嬉しい話。
そして、切ない楽曲です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年4月29日 (日)

親父の恋 お袋の恋

2012040802

東京での打ち合わせを終えて、一緒に仕事をしている企業の担当者と共に、現場へと向かう事になりました。
東京発は17時過ぎです。
新幹線の席は別々で、私は現地でレンタカーを運転する必要があった事から、アルコールは飲みませんでした。
相手には私は気にならないので、どうぞと話しておきました。

降車駅で再会をすると、いい顔つきで「誘惑に負けました」と話していました。
酔いもあったと思いますが、レンタカーの中でも饒舌で、互いの事をいろいろと話しました。
年齢は私とひとつ違いで、子供が3人います。
一番上は女の子で高校生1年生です。

サービスエリアのレストランで遅い夕食をする事としました。
その席で、その高校生1年生の話となり「彼氏がいるかとか、心配でしょ」なんて話していたのです。
私の高校2年生の男子の事にも話が及び息子の彼女について、どう思うかなんて訊かれたのです。
私は「当人同士の事だから、親が言っても始らないしね。
でも、国名や場所もわからない、言葉も文化もよく知らないところはびっくりするだろうけど」と返答しました。

「自分より年上なんて、どうですか?」
「そりゃ、びっくりするよね。なんて呼ぶのかな」なんて笑っていました。
重ねて訊いてきました。
「それでは、福島県の人だったら、どう思います?」
「なんだ、そりゃ」

彼は自分の子供が福島県出身の人と結婚すると言ったら考える。
この話は先般、仲間同士の飲み会の席で、キレイ事ではなく、その席に居合わせた人で、真面目に考えてみろとの話になったとの事です。

結婚では、お互いの背景が少なからず影響する事は否定しません。
でも、今のご時世スタートはまず当人同士の問題です。
その人の、その背景を知ってから、好きになるとか、そんな器用な事は出来ないでしょう。
そんな事がその人を求めるいちばんの事であるならば、その後の生活はいつまでも満たされないでしょう。

私は答える替わりに、こう訊きました。
「立場が変わることもあるって、考えた事があるのか」
「私もそれを考えました」と返答してきました。

私の態度が急変した事を相手も感じていたと思います。
私は残念な気持ちから、怒り心頭で心の中では「絆…笑わせる話だ」と思っていたのです。
私は答えました。

結婚するのは私ではなく子供だ。
自分の子供の事を愛しんでくれ、自分の息子が一生をかけて愛していこうと思った人であれば、応援しこそすれ、否定する事はないだろう。
私は自分の子供を、そういう覚悟が出来る男に育てて行くと返答しました。

こうして、言われなき事で、何度も傷つく人がいると思う。
それだけで怒り心頭だったのです。

でも、今こうして文章にしていると、私は彼の迷いも感じるのです。
自分の中で迷いがあるからこそ、きっと私に問いかけてみたのだろうと思うのです。

私の親父は6人兄弟の末っ子です。
お袋はふたり姉弟で、高知県の出身です。
親父の実家は、その前は良く聞いた事がなく知らないのですが、元禄の頃から呉服屋が家業でした。
現在の住まいの地域を中心に、いくつかの支店もあり、大きく商売をしていたそうです。
結婚前のお嬢さんが、行儀見習いにも来ていたそうです。

子供の結婚は当時の社会背景があると思いますが、親が決めるものでした。
男の子は近所で家同士の取り決めから。
平たく言えば、素性のわかるもの同士。
女の子は自分の家よりも大きな家に…というのが不文律だったそうです。

私の両親は共に太平洋戦争中に生まれています。
若かりし頃は、テニスやダンスでデート?もしていたみたいです。
話してくれと言った覚えはないのですが、幼い頃聞いた事があります。
私が音楽を自分の選択で聴き始めた頃、ダンスステップの解説がついたレコードを見つけて、これなんだ?と思った覚えがあります。
大学生の頃と親父とマジで意地になってテニスで対決した事があります。

さて、親父とお袋が結婚するとなった時、詳しい場面は聞いていませんが、反対されたそうです。
そりゃ、江戸時代からたどって、恋愛結婚は初めてなわけですから。
しかも、当時の当主(私のおじいちゃん)からすれば、高知県は海の向こう四国にある外国みたいなものです。
おじいちゃんにはもう、親父の嫁にと考えていた、見当をつけていた人がいたのだと思います。

親父は賛同と了解を得られないと判断すると「ならば、自分の意志をつらぬくのみ」と言って家を出て行ってしまったそうです。
やったぞ親父。
お袋を連れて飛び出したものの、その日の眠る場所にも困り、どこだかは知りませんでしたが、これまで宿泊した事がある旅館だかに「布団部屋でもいいから泊めてください」とお願いしたそうです。
ところが、通される部屋は特別室。
持ち合わせが少ない事を説明しても変わりません。

これはおばあちゃんが行く先の見当をつけており、「来るかもしれないから」と先に連絡し、お金を行く先々においていったそうです。
ダメだな親父。
親父が生まれた時からお手伝いさん(当時は子供ひとりに、ひとりいたそうです。親父はこのお手伝いさんに幼い頃肩車をしてもらったのですが、嬉しくて暴れて下に落ち、頭を怪我しました。その傷跡でハゲになっているところと、その現場の敷石で説明された事があります)が、その方が追いかけていたのだと思います。
紆余曲折があり、最後はおじいちゃんが私のお袋をいちばん気に入ったそうです。
お袋はそれからもいろいろ苦労したみたいだけれど…。

親父はサラリーマンだったし、私が生まれてからしばらくして、呉服屋は支店を全て従業員の方に暖簾分けし、家業としては廃業をしました。
先代(親父の兄弟の長兄)は別の事業を始めました。
私は呉服屋の記憶が殆どありません。
かすかに店舗のバックヤードで、大勢の人とごはんを食べるのが楽しかったという記憶が、本当にかすかに残っています。

結婚してから私が生まれるまでの間、お袋は呉服屋を手伝いに行っていました。
お袋は言わないけれど、古いしきたりが多く残る世界だし、慣れない世界だし、慣れない仕事だし、苦労もあった事と思います。
傷つく事もあったでしょうが、親父と育む愛情が傷つく事はなかったのでしょう。

前の1行を書いて、思い出しました。
谷川俊太郎さんの「生きる わたしたちの思い」という詩集にこんな詩があります。

こころやからだが傷ついたとしても
愛する気持ちにはかすり傷すらつかないこと

しおり
愛する気持ちは、なにものにも侵されることはなくて、なにかつらいことや悲しいことがあっても、ただ愛する人を想えばこころもからだも癒される、という思いをつづりました。

生きる わたしたちの思い/谷川俊太郎

彼にこんな詩がある事を、私も飲んで話せばよかったかな…と思います。
飲んでないと、照れちゃうかもしれないからね。

2012041505

さて、私にもしっかり親父の血を受け継いでいると実感する出来事がありました。
その話は、また別の機会に。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年1月 9日 (月)

Sympathy of the Heart 心の共感

私の着ていたセーターの模様が、その子の知っている何かと同じマークに見えたらしく、見つけた事が嬉しくて指を指していました。
2歳ぐらいの男の子です。
ファミリーレストランで食事をしていた時の事です。
私もニッコリ微笑んで「ん?何のマークに同じなの?」と訊きました。
するとその子のお母さんが駆け寄ってきて「すみません」と言って彼を連れて行きました。
私のいる席から右斜め前のコーナーでした。
お父さんとお母さんに子供がふたり。
先ほどの2歳ぐらいの子供と乳児でした。

ちょっと気になって見た時の事。
お父さんはスマホを見ながら食事をしています。
お母さんは乳児の様子を見ながら、さっきの2歳ぐらいの子供に食事を与えています。
お母さんは殆ど食事をする事が出来ません。
でも、お父さんはまったく気にする事なく、スマホとにらめっこしながら、黙々と食事をしています。

余談ですが、青春がバブル世代の私は、女性をレストランでエスコートする際に、席は必ず女性が壁を背にする様に案内する。
これが暗黙の了解でした。
これが福岡へ転勤した際にまったく逆だった事で、とても地域性を感じた事がありました。

さて、話は戻ってファミレスの事。
加えて、この家族に会話が無いのです。
勿論、ジーッと見ていたわけではありませんが、お父さんはやっぱりスマホとニラメッコです。
お父さんがそんなに威張っている様子はありません。
きっと気づかない、気づいていないのだと思います。
現在の状況に共感したり、想像したりする気持ちが欠如しているのかもしれません。
お母さんが、お父さんに「ねぇ、ちょっと代わってくれる?」と言えば、何も迷う事無く、躊躇する事なく代わっていたと思います。
でも、これは言われなくても、状況から判断して「代わる」と言ってもいいのではないかと思うのです。
夫婦でも、恋人でも互いに関心を示さなかったり、関心がなくなったのであれば、ただのペアに過ぎません。

デートで漫画喫茶に行く。
それぞれ違う漫画を読んで、時間になるとそれぞれ帰る。
それがお互いの趣味であれば、それでいいと思うのですが、それぞれ読んでいる本の話は何時するのだろうか。
デートって互いが積み上げる共通の時間、出来事で、それぞれ違う環境で育ってきたふたりが、相互に理解する為の大切な時間ではないのか。
もっと一緒にいたい、もっと知りたい。
私が齢を重ねたが故に思うのでしょうか。

愛されるべき子供たちが、虐待され、傷つけられるニュースが後を絶ちません。
これまで以上に、親が追いつめられている事も間違いないと思います。
我々を取り巻く閉塞感は、誰に説明の必要もない事です。
でも、我々は人の子の親になる瞬間に変わらねばならない大きな事があります。
特に男性は女性と違い、人の子の親になる時、出産という大きな契機が無いのだから、心の内から変わらねばならない時があると思うのです。

それは自分が一番ではなくなる事。
それを理解する事と私は考えるのです。

少し極端な表現です。
子供は親に対し自分がいちばんです。
何よりも自分を大切に思い、自分が保護されるものだと考えます。
大人の男になる時、まずこの考えから、そして思いから、完全に離れていなければなりません。
この思いを持ち続けていると、例えばお付き合いをした女性に母親と同じ事を求める事になると思うのです。
自分が愛している女性に対して、何をおいても自分がいちばんでなければ不満となるのです。
違う環境で育ってきたふたりが、最初からトップスピードで思いを通わせられる事は稀です。
だから、大人の男になれていない者から見れば、どうしてわかってくれない…と思う気持ちが増幅し、相手の女性は「私はあなたのママじゃない」という気持ちになります。
最悪、男はこの思いを暴力で服従させる事で遂げようとします。

私は大学時代のホームスティで来たアメリカ人に、大人の男になる…この事を認識させられました。
直接指摘されたわけではありませんでしたが、外側から見た幼稚さを痛いほど認識させられました。
彼は同じ年齢ではるかに大人の男でした。

同じ事を経験(体験)して行く事で、お互いの思いを知ったり、ふたりの新しい共通の歴史が出来て、もっと仲良くなれないでしょうか。
出来上がったステージに上るよりも、一緒に作ったステージの方が強いところも、弱いところも知っていて、いろいろな事に対応出来ると思うのです。
そして、きっとその方が楽しい。
持っている物は、失えばただ終わり。
作り上げたものは、一時失う事があっても、それまでの道筋を知っているのだから、比較的簡単に再生する事が出来ます。

「オレの狙いはこの女を追ってくる男。」
「なにい!! 女の…たかが女のためにこの修羅の国に追って来る男がいるというのか?」
「この国の人間には判るまい!! 男はおのれのためにのみ生きず!!」

北斗の拳 修羅狩り序章の巻

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年8月24日 (水)

ピンチの時、誰の顔が心に思い浮かびますか?

恋をするとわかる事。
特に片思いの時は想いが相手に伝わらず、伝えられず、とても切ない気持ちに誰もがなった事がありますよね。
想いを伝えたい。
相手と何か、どこかで、つながっていたい。
そんな気持ちが募ります。

「僕が君を守る」
私はこの言葉がいちばん信用出来ない。
かつてトーク番組で女性のタレントさんが声高に話していました。
「どうやって守るんだ」「教えて欲しい」と話していました。
テレビ番組用のコメントで真意ではないかもしれません。

守る。
具体的に暴力の危険から守る場合もあると思います。
しかし、大抵はもっと多くの意味合いを含んでいる事だと思います。
実際に目の前に、その事のみで四六時中居座られたら、される方がとても迷惑だと思います。

大切な人がいる。
これだけで犯罪に手を染める事を思いとどまったり…。
くじけそうな時。
大切な人の励ましが、乗り越える力となったり…。
守る…と言った以上、哀しい思いをさせないようにしようと努めてみたり…。

物理的に近くにいても、離れていても、この世にいなくても、いつもそばにいる。
それを感じる。
この事がどれだけ心を守り、そして心を強くするでしょうか。
守る。
それは一方通行の気持ちではないと思います。
ピンチの時、誰の顔が心に思い浮かびますか?

いつもそばにいる。
ひとりじゃない。

この事で、とても心強くなって、そして強くなり、そしてとてもやさしくなります。
自分の想いが伝えられない、伝わらない事はとても辛く哀しい。
自分の想いがわかってもらえない。
誰も自分とつながっていなくて、本当にひとりぼっち…そう思う時は本当に辛く哀しい。
そして、さびしい。

いつもそばにいる。
ひとりじゃない。

「卒業したら、ひとりぼっちじゃないおとなにならなきゃな。ひとりぼっちの寂しさを知っているんだから、今度は、だっ誰かがそばにるよろこびを知って、だっ、だっ、誰かのそばにいてやれ」

重松 清 / 青い鳥「カッコウの卵」

哀しい時、さびしい時、辛い時。
どんな話も、今の境遇を説明するどんな意味づけよりも…。
ひとりじゃない心強さとか、ひとりじゃない暖かさとか、それが全てを許してくれる事もあります。

いつもそばにいる。
ひとりじゃない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年1月31日 (月)

内心、ThankYou

先日、お寺の近くを通っていると、階段を登った参道から声をかけられました。
ニャ~。
野良猫だと思いますが、呼びかけられた声に足を止めたので、鳴きながら近づいてきました。
頭を少し撫でてやりました。
「ゴメンな。あなたが美味しいと思うものは今日は何も持っていないんだよ」と言って立ち上がり歩き出しました。
しばらくついて来ていましたが、途中でヒョイと参道の方へ戻って行きました。

尾道を旅行した際に、街中に猫がいたのを思い出しました。
とってもいい街ですね。
大好きです。
街を歩き、少し座ったりするとどこからともなく鳴き声と共に猫が現れます。
猫の小道なんて名前の道があったよなぁ。

005
撮影に慣れていないのか、緊張しているようです(2001年尾道で撮影)。

019
親子で寄り添っているようです(2001年尾道で撮影)。

尾道出身の音楽アーティストでは、ポルノグラフティが有名ですが、その少し前に「The東西南北」というバンドが確か尾道出身でいたと思います。
ヴォーカルで作曲の久保田さんは、その才能で将来を非常に嘱望されていたと思います。
このバンドのセカンドシングルで「内心、ThankYou」という楽曲があります。
これ、隠れた名曲です。

このバンドのデビューアルバムはLPで持っていたのですが、しばらく忘れており、偶然レンタルCDで見つけてレンタルしました。
とってもせつないのです。

二人で生きてゆけたら
もうぼくは
世界中敵にまわしてもいいよ
悩む君の瞳に
内心、ThankYou

内心、ThankYou / The東西南北

もう、ストレートな気持ちに応えられない、彼女の苦しみが伝わります。

しばらく逢うのを
我慢してなんて
冷却期間せがんだ君の
気持ちわかるから
内心、ThankYou

内心、ThankYou / The東西南北

もう、予感は確信に変わります。

振られそうな予感したから
覚悟だけ出来てるよ
All I Can Say Is Thank You

内心、ThankYou / The東西南北

ヴォーカルの久保田さんの独特の声がせつなさを助長させます。
きっと、誰にでもある失恋の記憶です。

まさか、YouTubeにアップしている人がいるかな…と期待しながら探してみると、とてもありがたい方がいました。

原曲も勿論よいのですが、スネオヘアーのこのバージョンも久保田さんとは声の優しさが違い、とてもいいですね。

もうすぐバレンタインですね。
期待を持って待っている男子諸君に決断が下される日ですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月 3日 (月)

「ラ・パレット」の花束

昨年末12月28日、仕事の納めの日の事です。
やっぱり事務所での納会は嫌いで、一昨年同様に取引先へ挨拶へ行く予定を決めて、出席はしませんでした。
予定を終えて、広尾へと向かいました。
地下鉄日比谷線の広尾駅から、おさんぽ通りを歩いて、花屋さん「ラ・パレット」へ向かいます。
散歩通りは近くの幼稚園で何かイベントがあったのか、小さなお子さん連れの方がたくさんいました。
何だかとても賑わっています。

「ラ・パレット」
近頃はなかなか行く機会が持てないのですが、雑誌で読んだオーナーのスピリットが好きで、人に花束を贈る時はここと決めています。
その年の仕事納めの日、妻へ花束をプレゼントする事にしています。
いろいろな所を泊まり歩く出張が多く、ジプシーの様な生活が続くことも多い私の仕事です。
そういう仕事もあなたがいるから出来るのです…という感謝の気持ちで贈ります。

久しぶりのお店へ行き、花束を作ってくださいとお願いをします。
「どういうご用途ですか」と聞かれ、「感謝のしるしです」と返答をします。
「お贈りするのは女性の方ですか?」と聞かれ、「奥様です」と答えます。
ここがミソです。
なんだかちょっと恥ずかしい気持ちもあり「妻です」とは言えず、「奥様」と答えるのが精一杯です。
それもずいぶん小さな声。

「色合いはどうしますか?」と聞かれ、「寒い時期なので、暖かい色でお願いします」とお願いします。
応対してくれる女性の応対がとても自然で、だんだん気負いさせない様にしてくれるのです。
花束が出来るまでお店で待っていてもよかったのですが、少し遅い昼食を済ませようと散歩通りへと戻りました。

出来上がった花束を受け取りました。
やっぱり素晴らしい。
受け取ってから、JR恵比寿駅までの道のりを伺いました。
説明して頂いている間に思い出しました。
思い出した事を言うと、とってもいい笑顔で「良いお年を」と送ってくれました。

JR恵比寿駅を経由して新宿駅を経由して、小田急に乗り換えます。
スーツに花束を持っていると、やっぱり違和感があります。
花束を抱えて、待ち合わせの女性を迎えに行く石田純一さんというよりも、転勤か退職の席で頂きました…ってな感じです。

20105
*写真は我が家の玄関にて飾られたものです。向かって左側は別です。

中学の頃、大好きだったJourneyというバンドがありました。
Steve Perryの音域の広いボーカル。
Neal Schonのストレートなギター。
底抜けに明るいのだけれど、それでいてハードなJourneyに夢中になりました。
自分が一番好きなアルバムはEscapeですが、セールス枚数ではこのアルバムの次に発売された「Frontiers」です。

このアルバムに「Faithfully」という楽曲があります。
当時、伝説のテレビ番組「ベストヒットUSA」でこの楽曲のプロモーションビデオが放映された事があります。

DJの小林克也さんが、キーボードのJonathan Cainが奥さんのために作り、奥様の前で歌ったと解説していました。
その時、奥様は黙って涙を流しながら聴いていたとのエピソードを披露していました。
当時、中学3年生でしたけど、ちょっとジーンとした記憶があります。

Circus life
Under the big top world
We all need the clowns
To make us smile
Through space and time
Always another show
Wondering where I am
Lost without you

世界中を駆け巡る、サーカス団の様な生活
笑顔でいるためには、道化師も必要
時と場所を越えてショウは続く
君に逢う事も出来ず、私はどこにいるのだろう

faithfully / Journey
日本語訳:ケンシロウ

明日からの仕事へ向けて、正月休みでなまった身体を目覚めさせるために、いつものトレーニングへ出ました。
普段はランニングの速度で登る坂道を全力疾走で登りました。
今年もまた1年、忙しい日々が続きそうです。

私の大好きな花屋さん「ラ・パレット」はここです。
http://www.la-palette.co.jp/

私がラパレットのスピリットが好きな理由はここに。
http://an-easy-light.cocolog-nifty.com/bloglight/2008/07/post_0aad.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月24日 (金)

瞳を閉じた彼女の瞼の裏に、彼女の心に、いつも君がある

中学3年生の長男にはステディな彼女がいる様で、高校受験の勉強も励ましあいながらやっている様子です。
初恋なのか、初々しいのか、大丈夫か受験勉強は…と思いますが。
かわいそうですが、デートをしている時間は互いにありません。
また、長男には高校生になるまで携帯電話は買わないと約束をしています。
PCの電源が入っていない時、ひかり電話のルーターが点滅を繰り返しているのに気がつく事があります。
無線LANの環境が家には整えてあるので、ipod touchを利用してメールのやり取りをしているのだろうな…と思います。

恋は相手の気持ちを思いやり、注意をひきつけてみたり、衝突したりと感情のやり取りがありますよね。
「100冊の本を読むより、1度の恋をした方がよい」とは金八先生の言葉です。
私も賛成です。

子供の頃「大きくなったら何になりたい?」にはいつも困りました。
その都度、大人が喜ぶ答えを探していました。
ちょっと趣は異なりますが、同じ様に困った質問に「どんなタイプの女性が好きですか?」があります。
答えるのに困る質問でした。
男同士でするヨタ話なら、背が高い人がいいとか、髪の長い人がいいとか、好き勝手ですが、女性に聞かれると考えます。
特にそれが意中の女性ならばなお更でした。
その時、その時の年齢で思う事はそれぞれ有り、固定化したものなどなかったと思います。
勝手ですね。
好きになった人がタイプで、この質問には「好きになった人がタイプ」と答えるしかありませんでした。
ズルイ答えですね。
さすがに最近は聞かれる事も殆どなくなりましたが、聞かれると芸能人で言うと「黒谷友香」さんと答えます。
本当に魅力的な女性だと思います。

さて、私の好みの女性のタイプがどうの…というツマラナイ話はこれぐらいに。
恋の達人でない私の数少ない経験からで恐縮ですが、互いが既に持っているものに、期待をしない、あてにしない事が上手く行く秘訣だと私は思います。
例えば、モデルの人と付き合えば、全てにおいてそれ、モデルである…が前提となってしまう事はさびしい事です。
モデルである事は彼女の一部であり、尊重すべき事ではありますが、やはり全てではありません。
モデルだから付き合う…これでは満たされる事がない事は説明の必要が無いと思います。
お互いが出逢う前に持っているものに、過大な期待を寄せれば、○○があるのにとか、○○なのにと、そこから不満が生じる様になります。

過去の延長線上に今の自分がある事に間違いはありません。
でも、過去へ戻る必要がどこにあるでしょうか。
互いに持っている知恵や経験は十分に活かすべきだと思います。
育ってきた環境が違う他人同士が理解をし合うには、互いが既に持っているものへの配慮は必要ですが、ふたりで新たに作って行くという視点が大事ですよね。

これまでの事は、これからのための事…と考える事。

ふたりの気持ちがすれ違う時は、もうひとつこの先の新しいフィールドへ向かう為の試練だと思い、互いが理解を深める為の道のりだと考えます。
○○大学とか、親が○○だとか、勤務先が一流企業の○○であるとか、車は○○だとか、そんなブランドが恋の中心にあっては、その先にある事がどんなにむなしい事であるか。
そんな軽薄な事を重視し、少なからず私も失敗をしました。

中学生の子供にとって、親から恋の話をされる事は身の毛もよだつ嫌な事だと思います。
でも、息子にはその相手の全てを好きになりなさい…と話したい。
いいところも、いやなところも、、喜びも、哀しみも、全部好きになりなさいと話したい。
彼女が、うれしい時、楽しい時、辛い時、苦しい時、哀しい時、さびしい時。
瞳を閉じた彼女の瞼の裏に、彼女の心に、いつも君がある。
そんな存在に。
すばらしい晴れの日も、長く続く雨の日も、風の強い日も、暑い日も、寒い日もあります。
でも、いつの日も、誇れる自分でいてほしいと願います。

P1010115

結婚した当初は自由になるお金も少なく本当に困って(あまり今も変わらないか…)、あるものは知恵だけですから、いろいろ出し合いました。
新聞に入る広告もふたりで目を皿のようにして見て、そこから安いもので出来るメニューを考えたり、特売品に開店前に並んだり。
CDはレンタルにし、本も図書館を利用する。
当たり前の事ですが、バブル世代には大変な転換でした。
その他にも知恵はいろいろ出てくるものです。

結婚して最初のクリスマス。
帰宅すると広告を利用したクラフトのクリスマスツリーが作ってありました。
季節に応じて部屋を飾るなんて事は、意識の中に無かったので、とても新鮮でした。
しかし、そのクラフトのクリスマスツリーはとても哀しい代物でした。
でも、出来る範囲で生活を楽しもうという妻の気持ちには感激をしたし、心まで貧乏していない。
それどころか、互いにとても心豊かである事がとても嬉しかったのです。
いつか、ロックフェラーセンターのクリスマスツリーを家に持ち込んで飾るぞ…と励みにもなりました。
象徴的な事ですが「こんなものが飾れるようになったわね」と言える日を信じ、それを手に入れる努力と方法を考えるのです。

何もないところからはじめざるを得なかったので、いろいろな事は互いの喜びになりました。
お金で買った資産は新しくなる事もありますが、失う事もあります。
時間と共に価値を失って行きます。
でも、いろいろな事を分かち合った心にある資産には減価償却はありませんものね。
価値が増大しても、減少する事はありません。

あんた大切な人はおるね?

その人の幸せな様子を思うだけで、自分までうれしくなってくるような人は。

今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎる。
自分には失うものがないち思い込んで、それで強くなった気になっとう。
だけんやろ、自分が余裕ある人間て思いくさって、失ったり、欲しがったりする人間を、馬鹿にした目で眺めとう。

そうじゃないとよ。
それじゃ人間は駄目とよ。

映画「悪人」より

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月23日 (木)

不器用なやさしさがとても沁みる

先日、取引先との会食での事。
取引先社長の馴染みのクラブだったのですが、話は途中からお相手してくださったお姉様方を含め、地元の人でないと理解出来ない話になりました。
私は理解出来ないながらも、「へぇ~」とか時々質問してみたりとか、ニコニコしながら参加はしていました。
ゴルフに行こうとか、海に潜りに行こうとか、それにはどこかいいとか…まるで、バブルの時の話みたいです。
ちょっと疎外感もあります。
午前1時を過ぎ、そろそろ明日の予定もあるかお開きにしましょうという事となりました。

同席していた取引先のもう一人、中堅社員の方が私が宿泊しているホテルまでタクシーで送って、そのままそのタクシーで帰宅するとの事。
一足先にお姉様方と取引先の社長に見送られながら、タクシーに乗り込みました。
不景気ですが、タクシーが繁華街を抜けるまでには少々時間がかかります。
ゆっくり繁華街を抜けてゆきます。
周辺のネオンを何とはなしに眺めていました。

P1010092

途中、深夜にもかかわらず、蕎麦屋が営業しているのを見つけました。
最近の蕎麦屋の流行に同じく、とても店主の嗜好が反映されていると思われるお店です。
同乗している人に(ついて来ないでね)…と心で思いながら「そばでも食べてゆきませんか?」と聞きました。
「いいえ、もう眠いので帰ります」とのお答え。
「それじゃ、ぜひ次の機会に。ここで失礼します。」と満面の笑みで、しかも残念そうに話しながらタクシーを降りました。
(ん、ふふっ…)

暖簾をくぐり、入り口を入ると、清潔感のあるとてもいい感じのお店でした。
15人ぐらいは座れる大きな木のテーブルと対面式の4人用の席がいくつかあります。
入った途端に思ったのは(ちょっと高いかな…)なんて事です。
店内には同年代と思われる一組のカップルと今入った私だけです。

ビンビールを1本とそば味噌をオーダーしました。
店内はとても清潔で明るく、BGMはなく、厨房から聞こえる音ともう一組のお客の会話だけです。
冷たいビールに(今日いちばんおいしいなぁ)と思いながら、蕎麦は何にするかとメニューを見ながら考えていました。

静かな店内で、聞こうと思っているのではないのですが、カップルの会話が時々聞こえてきます。
男性の話は何を話しているのか時々聞こえますが、会話の脈略や女性の声は聞こえても、何を話しているのかはわかりません。
「元気だせよ」
「そんな事気にするなよ」
男性が女性を励ましているようです。

こんな風景を私は歌の中にあった事を突然に思い出しました。
中島みゆきさんの「生きていてもいいですか」というアルバムに「蕎麦屋」という楽曲があります。
この「生きていてもいいですか」というアルバムは魂の叫びというか、慟哭というか、聞くのに覚悟が必要です。
バラエティ番組やドラマなど、いろいろな場面で使われる楽曲「うらみます」をスタートに始まります。
初めて聞いたのは高校生になる直前だったと思いますが、当時はレコードで、特にこのB面の迫力は衝撃的でした。
ヘビィメタルキッズだったのに、その生への迫力に衝撃を受けました。
生きている事の不条理や哀しみが、当時の私が知らない世界の中で渦巻いている事を予感させ、胸が苦しくなりました。
「蕎麦屋」はそんなB面を予測させない、A面最後に静かに始まり終わります。

「蕎麦屋」は中島みゆきさんのほぼギター弾き語りで進みます。
ささやくように歌います。
それは歌の中のやさしさの様です。

世界じゅうだれもかれも偉い奴に思えてきて
まるで自分ひとりだけがいらないような気がする時
突然おまえから電話がくる
突然おまえから電話がくる
あのぅ、そばでも食わないかあ、ってね

風はのれんをばたばたなかせて
ラジオは知ったかぶりの大相撲中継
あいつの失敗話にけらけら笑って丼につかまりながら、おまえ
あのね、わかんない奴もいるさって
あのね、わかんない奴もいるさって
あんまり突然云うから 泣きたくなるんだ

蕎麦屋 / 中島みゆき

歌の中の蕎麦屋と比較すると大相撲中継はないし、暖簾もバタバタいっていません。
しかし、この歌を思い出し、とってもセンチメンタルモードになってしまいました。
もうずいぶんこの楽曲を聴いていないのに、鮮明に思い出すのです。

こういう不器用なやさしさがとても沁みる時がありますよね。
直接の原因にはふれず、やさしく励まして、まったく関係のない話をしてみたり。
共にその事を分かち合おうと考えてくれるやさしい心です。

風はのれんをばたばたなかせて
ラジオは知ったかぶりの大相撲中継
くやし涙をながしながらあたしたぬきうどんを食べている
おまえは丼に顔つっこんで
おまえは丼に顔つっこんで
駄洒落話をせっせと咲かせる

蕎麦屋 / 中島みゆき

そばを1枚オーダーし、サッと食べて店を後にしました。
深夜にこんなに食べるから…と食べてしまってから言っても始まりません。
深夜に吹く風はもうすっかり秋を感じます。
見上げた空に、宿泊するホテルの看板が見え、私は歩き出しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧