心と体

もうすぐ夜明けが来る

誰かが亡くなると、その故人に対し言葉を贈ります。
故人は決して読む事も、聞く事もできません。
でも書かずに、言葉をかけらずにはいられないのです。

きっと、私だけでないと思います。
人は涙では越えられない哀しみを言葉にします。
涙では足りないのです。
だから読まれる事のない手紙やメッセージを書きます。
それは自分におきた事、自分が心を痛めた事、友の事、やり場の無い怒りや哀しみと様々です。
的確な表現を得られず、能力の限界を感じながらも言葉を紡ぎます。
そしてそれは言霊という言葉がある通り、きっと伝わると信じています。

深い哀しみが容易に癒されないと思います。
でも、哀しみは必ず癒される日が来ると信じています。
上も下も横もわからない様な、深い哀しみの中にいる時。
もうここで全てが終わったと感じる時。
どんなに頑張っても、もがいても、出口を示す一筋の光すら見つけ出せない時。
そんな時、言葉が何の役に立つだろうと思います

確かなものもない。
約束もない。
暖かなぬくもりもない。
そんな…ただの言葉が何の役にたつのか…と思う時があります。

でも、人が人に出来る事がそんなには多くはないと思います。
そんな多くない事に、実は一番エネルギーが注ぎ込まれているかもしれないと考えます。

自分の表現力のなさを露呈させるような事ですが、そんな事がお気に入りの楽曲の中に多くあります。



飛び方を忘れた鳥のように
僕は何かを見失って
傷ついたその場所から生まれ出た
痛いほどの幸せを見つけた

飛び方を忘れた小さな鳥(抜粋) / MISIA


深い哀しみの中から、立ち上がった時、振り返って今の自分への意味を考える事がありますよね。
その哀しみを知らなければわからない、今のしあわせを。
この曲アルバム「KISS IN THE SKY」のバージョンも良いのですが、「星空のライヴ ~ The Best Of Acoustic Ballade ~」が私はお気に入りです。
切々と歌うMISIAの歌声が、やがて来るしあわせを信じさせてくれます。

そして、スキマスイッチの「ボクノート」は、まさに言葉に表せない哀しみから、きっともっと強くなって、大切な人の来る哀しみも振り払えるようになりたい。
そんな力強さを感じるのです。



今僕の中にある言葉のカケラ
喉の奥、鋭く尖って突き刺さる
キレイじゃなくたって 少しずつだっていいんだ
この痛みを形にするんだ

足元に投げ捨てたあがいた跡も
もがいている自分も全部僕だから
抱えている想いをひたすらに叫ぶんだ
その声の先に君がいるんだ

この声が枯れるまで歌い続けて
君に降る悲しみなんか晴らせればいい

ボクノート(抜粋) / スキマスイッチ


そして、初めて聞いた時には思わず涙が出そうになった曲が「ヘロン」です。



どんなにさみしい夜も
やさしい声が聞こえる
にじんだ瞳の中で
小さな未来が生まれる

心よ目を覚ませ
見果てぬ夢を
数えながら
もうすぐ夜明けが来る

流れる時に抗い
命を燃やし続ける
全ての孤独な人よ
涙は言霊になる

明日を待っている
色鮮やかに
あのホライズン
貫いて夜明けが来る

ヘロン(抜粋) / 山下達郎


涙の中で未来が生まれ、新しい夜明けが来るなんて。
地平線から、新しい未来の光が見え、夜明けが来るなんて。
深い哀しみの中から、新しい希望が生まれる。
たまらない気持ちになりました。



心よ目を覚ませ
見果てぬ夢を
数えながら
もうすぐ夜明けが来る

ヘロン(抜粋) / 山下達郎

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ガーベラの花言葉は「希望」

今週は久々に海外出張でした。
仕事でもプライベートでも出かけた事がないヨーロッパ。
機中泊2泊、現地3泊と予定がギッシリと詰まったスケジュールです。
でも、未知の世界が楽しみで、それまでの国内の殺人的なスケジュールをこなす上でも励みになりました。

出張先はドイツです。
現地メーカーとのコミュニケーションは英語です。
日本法人の日本人営業マネージャーが現地で待ってくれており、ビジネス上でのやり取りでは心配がありません。
意思疎通や確認事項に誤りがあるといけないので、彼がこちらの意思を的確に伝えてくれます。

現地2日目の昼食時。
そこは500年前開業のレストランです。
Pfaubrau000
昼食時から当たり前にビールを頂き、いくつかドイツの伝統料理をご案内頂きました。
アルコールは時差ボケにはきつい薬となりましたが、食欲増進剤となり美味しい料理を堪能しました。
また、勿論平日なのですが、夫婦で訪れる方々が多く、会話をしながら食事を楽しんでいます。
その雰囲気もとても良いものでした。

各テーブルには必ず花があります。
花はガーベラでした。
とても美しいオレンジ色でした。

たまたま現地法人の社長と二人になる瞬間がありました。
二人で黙っているのもつまらないものだと思い、私から話をしました。
それはガーベラにまつわる私の話です。
次の事を英語で話しました。
今は間違いを指摘されると嫌なので日本語で書きます。

それは私の命名の話です。
私は予定日より1ヶ月近く早く生まれました。
出産時に母親は子宮筋腫である事がわかり、出産は大きな出血を伴う事となりました。
私が逆子であった事も難産となる原因となり、心音も弱く仮死状態での誕生となりました。
誕生後、父親は医者に呼ばれ、母子共に危険な状態であると説明を受けました。

私は次第に元気になりましたが、母親は長く危険な状態が続きました。
父親は覚悟をしていたそうです。
そこで、私の名前には唯一最大の望みとして健康の「健」が入っているのです。
やがて幸いにも母親の容態が落ち着きました。
母親が病院で意識が戻ると、病室にガーベラの花があったそうです。
父親が持ってきてくれたもので、とても印象に残っている話であり、花なのだと聞かされた話をしました。
私は命名の通り、今しっかり生きていると話しました。
先方の社長さんから、名前の漢字での表記と、どの文字がその意味を示すのか教えて欲しいと言われ説明をしました。
そのメモを大事そうにしまってくれていました。

翌日の昼食後に次の目的地に移動する途中で先方の社長から話しかけられました。
「あなたは何故、英語で話をしないのか?」
「私の英語はビジネスでは不安な事と悪い英語が多いので使わない」と英語で返答しました。
「悪い英語とは何だ?何で英語を学んだのだ?」と重ねて聞かれました。
「私はハリウッド映画で覚えた英語が多く、ビジネスや会話には使うべきものではない」
「悪い英語とは例えばどんな英語だ?」
「例えば…Lick the hole of my buttocks(俺のケツの穴を舐めろ)」

たまたまシーンと共にそれが頭に浮かんだです。
これには先方の社長も大笑いでした。
ユーモアのある社長でよかった。
それは誰が言っただのと聞かれたので、アル・カポネだと話したらまた大笑いでした。

それからは英語で会話する事が当たり前となり、先方も気軽に話しかけてきます。
互いに家族やこれまでの事、大学での専攻やいろいろな話となりました。
やがて話題が音楽の事となりました。
互いの趣味の範囲となり、クラシックからヘビメタルまで話が盛り上がりました。

それからモーツァルトの生誕地オーストリアのザルツブルグへ行こうsign03となりました。
夕闇迫る頃市内に入り、ホーエンザルツブルグ城までの城下町?を案内してもらいました。
街並みだけでも素敵でした。
夕方の活気は、当地で生きる人の息吹を感じる事が出来ます。
当日、ホーエンザルツブルグ城内ではコンサートが行われる予定でした。
チケットがないのでコンサートは聴けませんが、社長がお願いをしてくれ、特別に開演前のホールを見せてもらう事ができました。
素晴らしい。

直接の意思疎通を行うようになってから、明らかに態度が変わった事を感じました。
帰国の日、最後に宿泊したホテルでの朝食の事。
そこのテーブルにも美しいオレンジ色のガーベラが一輪ありました。
それを見つけた社長から「この花はとっても長持ちするんだ。長く美しく咲く。あなたの父親はそんな願いを込めていたのかもしれないな」と話しました。
そうだとしたら、親父もずいぶんニクイ事をするもんだと思いました。

空港でまた日本かドイツで会おうと話して握手をし、帰国の途につきました。
とても仲良くさせて頂きましたけど、ビジネスはビジネス。
甘くはないですね。
それとこれとは別…ちゃんと区別しますもんね。
当たり前か。
でも…仕事抜きでも、初めてのヨーロッパ・ドイツには魅了されました。

この文章を最後まで書いてから、ガーベラの花言葉を調べました。

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それが案外、いちばん人間が人間らしい瞬間じゃないかな

現在の住まいの近くにある大きなけやきが並ぶ場所で、初めて気がついた事。
けやきの枯葉がコンクリートの歩道を渡る時、独特の音を奏でて渡っていくのですね。
枯葉が一度地上におりてから、風に吹かれて行く時、例えば落葉果樹の葉とは明らかに音が異なると気がつきました。
なかなか素敵なサウンドでした。

先日、妻がふとテレビ番組の話。
フジテレビの「ヘキサゴン」でのドッキリの事。
対象になった芸能人に同じパターンのドッキリを仕掛けて、その反応を比較するというものだったそうです。
反応は様々で、人として疑いたくなる反応や過剰なまでの反応といろいろあったとの事です。

そのドッキリの仕掛けの内容は、こんな内容です。
自分が座っているカフェの席へ、おばあさんがやって来ます。
「さっき、私ここへ座っていたのですが、財布を忘れていなかったか?」と聞くのです。
「これから、おじいさんのお見舞いに行く交通費や薬代が入っていた」と説明するそうです。

複数の芸能人の反応で、上地雄輔さんの反応は違ったそうです。
おばあさんの話を聞くと一緒になって一生懸命探し、随分先の事まで心配していたそうです。
他には一切他人事として、取り合わなかった人もいるとか。
いろいろだね…なんて話でした。

子供の頃見たドッキリカメラでとっても印象に残っている場面があります。
多分、野呂圭介さんがやっていた番組だと思うのですが…。
そのシチュエーションはこうです。
上野駅(多分)で家出をしてきたという女性が、「両親に黙って家出をして来た。田舎に帰りたいのだがお金がない。切符代をもらえないか」とお願いする仕掛けでした。
頼まれた人が、これにどんな反応をするかという内容です。

他の人は一切覚えていないのですが、ひとりお年を召した男性の反応がとても印象に残り、今でも記憶にあります。
その方の反応はこうでした。
話かけられた時はびっくりしているのですが、話を聞くにつれ、うつむき加減に話す仕掛人の女性の顔を覗き込む様に話を聞いています。
やがて、少し震えれる指で財布から紙幣を数枚取り出し、仕掛け人の女性に渡しながら、こう話したのです。

「そうか、わかった。必ずご両親の元に帰るんだよ。必ず、必ずだよ」

まったく知らない他人からの突然のお願いに、その方は仕掛け人である女性の身を案じ、お金を手渡したのです。
自分には何も得がある事ではないのに、関係ない事なのに、そんな時になぜ、人は人の事を思う事ができるのでしょう。
まったく知らない人、今後会う事もないその人を心を砕いて心配し、その行く末のしあわせを案じ、そのしあわせを祈る。

そして、ネタ明かしをされ、この方がこれがドッキリであったと説明されました。
仕掛け人の女性がその方にお礼を言っています。
その時、その方は恥ずかしがって笑ったり、怒ったりしたのではありまでんでした。
安堵のため息を漏らしたのです。

「そうか、本当にそんな事でないのならよかった」

幼いながら私の心には暖かい「しあわせのランプ」が灯りました。

残念ながら廃刊になってしまった雑誌「BRIO」のインタビュー記事にこんなのがありました。

先日、CIAの問題でアメリカのジャーナリストが収監されましたね。
あの記者は法に触れたが、ジャーナリストという共同体の掟は守ったわけです。
結果的には彼はすごくいいことをしたと思っているはずですよ。

中略

この行為をすれば損をする、とわかっていても、それらを選択することがあるのが、人間なんです。
動物との違いは、決定的な瞬間に、反理性の行為をとれることじゃないだろうか。
それが案外、いちばん人間が人間らしい瞬間じゃないかな。

BRIO 2005年10月号 異端者の告白 宮崎 学 インタビューより


けやきの木の枯葉が道を渡ってゆく。
明日も晴れるかな。

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笑顔は誰よりも輝き、 くもり空まで晴れになる

祝福される水嶋ヒロと絢香のカップル(敬称略)。
美男美女である事は勿論ですが、祝福し、とても応援したくなる素敵なカップルですね。

帰国子女で留学中、そして帰国してからもずいぶん苦労を経験した水嶋ヒロ。
留学につきまとう異文化を理解し受け入れいる事の大変さ。
留学先では、自分だけが違っている、違っていると見られる事。
孤独。
今度は帰国すると反対の事がおき、馴染んだ留学先の文化の尺度では異分子扱いをされ、受け入れてもらったり、理解してもらうのに時間が必要となります。
これもまたずいぶん辛い一人ぼっちを感じます。

デビュー曲の「三日月」を聞いた時の事。
歌詞の一語一語をせつせつと歌う絢香の歌い方と歌詞の内容。
これが18歳前後の作品だと知って、驚いた覚えがあります。

ここから先は想像の範囲です。
互いの所属事務所には内緒で結婚する事を決めたとの事。
ここには、最悪解雇されても、絢香との人生が一番だという水嶋ヒロの覚悟があったかもしれません。

そして絢香の病気の事。
これはきっと最初から水嶋ヒロも知っていたのではなく、好きになった女性がたまたまその病気であったという事だと思います。
でも好きになった女性が、病気で苦しんでいるなら、その病気をなんとかしたい、一緒に闘いと考えたと強く思います。

絢香はずいぶんの勇気を持って病気の事を告白したでしょう。
直視したくない自分の病気を孤独に闘いながら、でもそれをわかるのではなく、一緒に闘うと言ってくれる心強さ。
自分の病気の事は他人は同情はしてはくれますが、理解はなかなか得られないものです。
病気と闘うのはとても孤独な事。
しかも、いつ完治するかわからない病気はなお更です。
それを一緒に闘うと言ってくれた事が、どんなに勇気と闘病への力が湧いてくる事であるか。
受けとめて、認めてくれる喜び。
絢香が見ないふりをしてきた自分の病気を、直視する事が出来るようになった…なんだかわかる気がしませんか。

互いに魅かれあいながら、互いを必要としている。

水嶋ヒロが一緒に闘うと言った事を、絢香はなぜ単なる同情と感じないのか。
これは水嶋ヒロの言葉に真実味があるからだと思います。
それは孤独を知り、哀しみを知る人が語る言葉だからなのだと思います。

あなたの笑顔は 誰よりも輝き
くもり空まで 晴れにしてしまう
何度も高い壁を 乗り越えたから
何も怖くない ひとりじゃないよ
みんな空の下

みんな空の下 / 絢香

末永くお幸せに。

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草原で風にゆれる名前も知らない花

出張先で訪れた長野県も夏休みの混雑シーズンが終わり、シルバーウィークを前に静けさを取り戻しています。
ここは初めて訪れたところでしたが、景色はすばらしい場所。
思わず車を降りて、携帯で撮影しました。
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この道路の向こうは既に別荘地となって開発されています。
しかし、熊出没注意の看板が多数。
ここでの仕事は、人間の所業よりも先に住んでいた熊を始めとする皆さんとの折り合いをつける事が一番の難題だなぁ…なんて考えます。

さて、本日予定の仕事を終え、明日の仕事場所である上田市方面へと移動します。
そこで通り道として、ビーナスラインを経由して行きました。
夕刻、日が沈む頃に霧が峰に近づきます。
霧が峰でエンジンを止め、車を降り、しばらく立ち止まります。
通り過ぎる車も殆どなく、風の音がします。
当日の気温は15度前後。
少し肌寒いですが上着を着て、立っていると通り過ぎる風が心地よいのです。
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そこは孤独です。
さびしいという感情を超えます。
人恋しくもなります。
でも、なぜか生きている事に感謝したくなる…そんな気持ちにもなるのです。

私はブルックナーの交響曲が大好きです。
特に交響曲第7番・第8番・第9番の晩年の作品が好きです。
その霧が峰の大好きな場所で聞いた事はないですが、交響曲第8番の第3楽章を聞くと、この霧が峰の雰囲気をいつも思い浮かべます。
ベートーヴェンやブラームス、チャイコフスキーの様な人間の感情が爆発…という感覚はブルックナーの交響曲には感じません。
ですが、雄大な景色、草原に咲く名前も知らない花が風にゆれている様、沈む夕陽の様に誰も止める事が出来ないという厳然たる事実。
でも、その現象ひとつひとうに深い愛情があると感じるのです。
ブルックナーの交響曲は、そんな人間を含めた自然への愛で満たされていると思うのです。
大いなる自然の摂理の中で、自然の一部として生かされている…そんな事を感じるのです。
それは人間が美しい自然の景色を前に、感動をして涙を流す事に近いのかもしれません。

小説「四日間の奇跡」の中で、自分が辛いときに行くお気に入りの場所というのがあります。
この小説のこの部分を読んだ時に、ブルックナーの交響曲第8番第3楽章を思い起こしたのです。
小説で表現される景色は地名が記載されていければ、読者の想像の範囲ですものね。

四日間の奇跡の事を書きましたので、その中で気にっているところをご紹介です。

神というものいるかどうかは知らん。
だが時として俺自身、自分の肉体が命というものを維持しているということが、どれほど奇跡的なことか思い知る時がある。
意志とは無関係に体内で生成される様々な酵素。
その一つでも狂ってしまえば人間というのは簡単に死ぬんだ。
外傷などなくてもだ。
我々はやはり、生かされているのだと感じるよ。

だがその一方で、生きているのは俺自身だという意識も、俺は強固に持っている。
俺はその俺を裏切らぬよう、俺自身に誇れるように生きていくだけだ。

四日間の奇跡 浅倉卓弥

地球上では人間も自然の一部であり、有機物であり、酸化し朽ちてゆく宿命です。
でも、きっと生かされて生きている我々はその自然の摂理をを単純に切り取った、単純なサイクルの一部分ではないと思いのです。
自殺という結論で自らの命を終焉させようとの思いがよぎる時、自分が生かされている存在なんだと考えられたら…。
本当は歯車一つが狂うだけで終わる命が、なぜ今日、この時も生きているのかと考えられたら…。
つらくて折れそうな心でも、心のどこかに生きてゆくんだという強い気持ちがあるから、生きたいという魂の叫びが心臓は鼓動を止めない。
そんな耳を澄ませば聞こえてくる魂の叫びを、自分の気持ちを裏切ってはいけない…と私は思うのです。

原作だけ読んで映画は見ていないのですが、この四日間の奇跡のホームページにこんな言葉が記載されています。

「信じてやればいい。信じるということは、人間の脳に与えられた偉大な力のひとつだぞ」 そう言った島の医師・倉野の言葉が、心に深く突き刺さる! 人は、信じ合う人に巡り合い、救われ、そして癒される――。

四日間の奇跡のホームページです。
http://4kiseki.biglobe.ne.jp/index.html
映画の公開はもう5~6年前だったかな…。

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天国へ届け  ラフマニノフ 交響曲第2番 ホ短調 作品27 第3楽章 アダージョ

少ない車両の電車がホームに入って行く。
カバンを持った和久井映見さんが微笑んでいるところに、「妹よ」とドラマのタイトル(ちょっと曖昧な記憶です)。
そこにチャゲ&飛鳥さんの「めぐり逢い」が重なってくる。
この「めぐり逢い」はアコースティックのギターと共に曲が始まります。
ドラマは見た事がないのですが、この曲がよくてCDを購入しました。
CDはブックオフに売ってしまいましたが、楽曲はパソコンに残してあります。
歌詞もなんとも泣かせるいい内容です。

この願い 誰かこの願い
いつまでも 鍵が掛からない
いいさこの出逢い こんなめぐり逢い
今度ばかりは 傷も扉をくぐった
差し出す指に君は指でかえした
恋で泣かされた人と 恋で泣かされた人
同じ罪を振り分けてもいいね いいね

めぐり逢い CHAGE&ASUKA

結婚してまだ間もない頃だったと思います。
妻の友達が遊びに来ました。
高校時代の同級生です。
昼間は遠慮して出かけていましたが、夜は行くところがないので、私も仲間に入れてもらって一緒に飲んでいました。
テレビが会話の邪魔になるので、音楽を小さめの音で流していました。

曲はラフマニノフの交響曲第2番 ホ短調 作品27でした。
このCDを手に入れたのは、ずいぶん前の事だったと思います。
FMでこの交響曲を耳にし、惚れてしまい、次の日からCDを一生懸命探しました。
ラフマニノフの楽曲でも、当時CDショップで問い合わせると「ピアノ協奏曲 第2番では?」と確認をされ、それはもう持っている…と少々イライラした思い出があります。
御茶ノ水のCDショップで輸入盤でみつけ、わくわくしながら帰りました。
オランダ製のCDで、解説書は全て英語。
翻訳しようという努力すら試みませんでした。
素晴らしい音楽が聴ける。
それだけで良かったのです。

曲が第3楽章に入ると、妻の友達がピクリと反応しました。
目が大きく表情の豊かな、かわいい女性です。
「これ…あの曲だsign03
「妹よ」のドラマで繰り返し、この第3楽章が使われるとの事。
それから、彼女は音楽に聞き入ってしまいました。
本当にうっとりconfidentと聞き入っています。
ドラマで使用されている事もその時は知らなかったので、気に入ってくれた事がとても嬉しかったのです。
自分のお気に入りを、他の人も気に入ってくれるのは嬉しいですよね。

この交響曲がどれだけドラマチックで美しいメロディかは、文章にするのは難しいところです。
特に第3楽章アダージョのクラリネットは哀しみで心が張り裂けそうになります。
哀しみで絶望的になるのに、時々雲間から見えるひとすじの光を見つけるように、希望に満たされます。
これが交互に繰り返され、でも哀しみを乗り越え、癒されるように終わってゆくのです。

遊びに来た時は彼氏募集中だったその彼女も、やがて結婚しました。
結婚式にも夫婦で招待を頂き、祝福しました。
彼女のご主人とも話しが合うところもあり、他の夫婦も一緒でしたが、旅行にでかけた事もありました。
その後、私の転勤もあり、年賀状のやり取り程度だったようです。
やがて、東京への勤務となり戻ってくるとあまり夫婦仲が良くない話を聞くようになりました。
なかなか子供ができない事から、家族も巻き込み、お互いの関係はギクシャクしていた様です。
その後に昔の苗字に戻ったとの葉書がポストに舞込みました。

妻からそんな話を聞き「また、気が向いたら気軽に遊びに来るように言っておいてよ」なんて話をしていました。
それから、しばらくして妻の同級生同士が集まるなんて話をしており、誘ったけれど「体調が悪い」なんて返答だったなんて話を聞いていました。
やがて、妻が発信したメールの返答も来なくなりました。
その事実を聞かされ「どうしたかね…」なんて話していました。

次に連絡が来たのは彼女のご両親からでした。
彼女はガンで亡くなっていました。
つらい治療で体力も失い、でも元気な姿になるまでは、友達にも逢いたくないと回復を信じがんばっていました。

ご両親から連絡を頂戴した時には、葬儀も終わっており納骨も済ませた後でした。
妻と仲のよかった同級生が集まり、お墓参りをする事となりました。
行くべきかと…と妻に聞かれ迷いました。
ご両親は妻や仲の良かった友達の姿を見れば、「生きていれば自分の娘も…」と考えるに違いないと考えたのです。
それを察したのかご両親からは、生きている時の話をひとつでも聞きたい…と配慮を頂いたとお話がありました。

当日は彼女の家に集まり、彼女が好きだったパスタ屋さんで食事をし、最後はお墓へとまわったそうです。
亡くなる2日前はどうにも不安となった彼女が母親に「今日は帰らないでほしい」と懇願したとの話がありました。
おかあさんは今でも、彼女の骨の欠片を肌身離さず持っているそうです。
それを大切に手のひらの上でみせてくれたそうです。
胸が痛みました。

しばらくして、なぜこの時にラフマニノフの交響曲第2番を妻に託さなかったのだろうと後悔しました。
でも、このドラマ「妹よ」の放映後に、この曲はどこのCDショップでも国内盤が置かれるように有名になったのです。
この第3楽章を聞くと、彼女の冥福を祈る事があります。
第3楽章は狂おしい、哀しい、そしてせつないメロディーが繰り返されますが、最後は静か湖面の様に終わります。

やすらかに。
そして、天へ届け。
ラフマニノフ 交響曲第2番 ホ短調 作品27 第3楽章 アダージョ

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「私はこの子の母親で幸せでした」

何年か前の事ですが、太鼓の素晴らしい演奏を見る事があり、楽器を使って表現できる事の素晴らしさに憧れたのです。
そこで、一念発起し憧れのピアノ教室に通う事を実行する事としたのです。
本当は随分まえから、気持ちの中にはあり、いよいよ実行に移すぞ…なんて気持ちでした。
ちなみに当時も今も能力は、楽譜の一番下の線にかかる音符がミの音で…なんて程度です。

教室は1曲完璧マスターコースと普通にレッスンしてゆくコースの二つでした。
後者を選んで、必要なお金も振り込み、さぁレッスン開始だ…。
レッスンはウィークディであり、出張に残業にと、レッスンにまったく行けず、入学時先払いのレッスン料が終わる2ヵ月後には、電話で続けられない旨を連絡していました。
気持ちの中では、リストを弾く私の姿がそこにはあったのに…。

さて、少し前にバン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した日本人ピアニストの話題がありました。
辻井伸行さんです。
コンクールで優勝した本人の能力よりも全盲なのに…という事が話題の中心であった気がします。
何より、優勝に関するインタビューで「もし、一日だけ目が見える日があったら、いちばんみたいのは何ですか?」と聞いた事、聞いた人が注目されました。
この質問の意図が、この言葉通りなら、なんともさびしい限りですが、答える方が一枚上手でした。

「お母さんとお父さんの顔が見てみたいです。友達の顔や星、海や花火もみてみたい。でも、いまは心の目でみているので十分満足しています」

目が見えないからこそとか、目が見えないのに…なんて演奏技術に絡めて話をするのは不毛な事ではないかと思うのです。
辻井さんのこれまでの経験の中に、ショパンコンクールの話がありました。
入賞したいという気持ちが、審査員を意識しすぎ、審査員を意識した演奏となったので、不本意な結果になったと本人の反省があったとの事。
しかし、今回のバン・クライバーン国際ピアノコンクールの時は、客席の人が自身をリラックスさせ、満足行く演奏ができたとの事。
魂から発せられる、純粋なオーラは多くの共鳴する魂を感動させるのではと思います。
その場にいないのに、例えばジャクリーヌ・デュ・プレのチェロを聞くと、時間と空間を超えて意思が伝わり感動するように。

先のインタビューに限らず、有名になれば仕方がないと言ってしまえば、それまでですが、母親に対する誹謗中傷もあるようで…。
辻井さんのお母さんが、受賞後のインタビューで答えています。
「私はこの子の母親で幸せでした」
お母さんの苦労がこの言葉に結実していると、私が人の親として思うのです。
しかし、ここまでの壮絶な思いは想像の範囲を超えると思います。
他に「一緒に死のうかと思ったこともある」との言葉は、目が見えない我が子の行く末を案じ、心に浮かんだ事だと思います。
自分の子供に不自由なところがあったなら、自分が生きている間は良いが、自然の摂理からどうしても自分が先に死ななければならない。
その時、不自由な身体の子供を残し、その子供に心を残して死んでゆくことが、どんなに辛い事であるか。
ここからは想像の域ですが、一人で生きてゆくための手段がピアノだったのかもしれません。

辻井さんは「ここまで支えてくれた両親には感謝しています。でも、親孝行のためにも早く親離れ子離れをして、自立して、いいお嫁さんを見つけ安心させたい」とも答えたそうです。
辻井さんはご両親の苦労を理解しているのだと思います。
人の哀しみを知り、それを自分の強さややさしさに変えられる彼の演奏はこれからも、磨かれてゆくと思います。
きっと素晴らしいパートナーにもめぐり逢えるんだろうな…。

話はまったく別ですが、我が家の中学2年の長男は中間テストや期末テストの勉強が煮詰まってくるとよくピアノを弾いています。
妻とは現実逃避と揶揄しています。
息子は3歳から自分でピアノを習いたいと言い出し、その後中学の部活動が忙しくなるまで続けていました。
レッスンをやめてからは、ピアノに触りもしないのに、そんな時だけ弾きます。
親バカですが、この時に弾いているのがいちばん上手に弾けています。
それは何より、勉強を忘れたい一心で無心に弾いているからかもしれません。
おい、現実逃避の時間がながいぞ。
勉強しろ。

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人が人に出来る事は、そういう事だったんじゃと思う

「君を守るなんて言葉が一番信用できない」なんて、フリートーク形式の番組で女性のパネラーが話していました。
「物理的な事も含めて、そんなのは無理だろう」と言っていました。
無理だと思います。
24時間かたときも離れずに、見守る事は出来ないし、つきまとわれる方もたまりません。
その女性パネラーの言葉が真意かどうかは前後の脈略なく、フト見た番組でしたのでわかりません。
本当は意思とは反対の事を話して、その論理を打ち砕く強い論理が必要だったのかもしれません。

例えば子供の事を親は守ると言います。
これをどう考えるかはいろいろな立場であると思いますが、私は子供が一人前になる。
そんな道を自分で拓いてゆける力を与えてやる事。
これもひとつだと考えるのです。

大切な人の存在が心を守る事があると思いませんか。
もう死んでしまおう…と心が絶望で満たされる時。
フト大切な人の笑顔を思い起こして、思いとどまる事がある。
人の道に反することに及ぼうとした時、大切な人の哀しい顔が心に浮かび、その事を思いとどまる時。
怖いとき…大切な人に助けを求める。
辛いとき…大切な人に語りかける。
折れそうになった心に、絶望の淵を歩いていた心に小さな灯りがともる。
心が死に、心が折れそうな時にその手前で留まる気持ち。

高倉健さんと田中裕子さんの主演で「ほたる」という映画があります。
井川比佐志さんや大人の俳優で作られた、とっても味わい深い映画です。
私の大好きな映画のひとつです。

この映画で印象的な台詞があります。

一緒に飲んで、一緒に泣いてやったのに…。
人が人に出来る事は、そういう事だったんじゃと思う。
今になって気がついた。

これもきっと「あなたを守る」という言葉につながると思うのです。

ふたりで支え合って、寿命をまっとうする事だけはしようって約束したでしょ。
寿命に逆らわんでいいの…。
ふたりで、ひとつの命じゃろうが…ちがうんか。

この台詞のシーンに「あなたを守る」という気持ちが溢れ出します。

誰にも、どうにも、できん事があるんよ。
私も何度も死のうと思った。
どこかに吸い込まれそうで…それを支えてくれたのがおいさんやった。

この台詞が映画のどこでかは、ぜひ作品をご覧頂く楽しみとして欲しいのです。
TUTAYAが選ぶ泣ける映画100円レンタルに、どうしてこの作品がふくまれないのでしょうかangry

さて、田中裕子さんですが、TBSドラマの「想い出づくり」に出演していたのを見て、すっかりファンになってしまいました。
当時、私は中学生。
本屋さんに「田中裕子さんの写真集はありませんか?」と問い合わせ、「た、田中裕子さんですか?」と店員に訝しがられた覚えがあります。
坂口良子さんのファンだった仲の良かった友達と、それぞれファンレターを書きました
その中には…私の友人に坂口良子さんのファンがいます。今度、田中裕子さんと坂口良子さんとその友達と私で一緒にお食事しましょう…と大真面目に書いて送りました。
友人は坂口良子さん宛てに同じ内容で。
返事はいずれにもありませんでした。

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しあわせのランプ(Chapter15) 高く空に舞い上がれ!! 親父の想い

親父の帰りが遅いのは当たり前で、休みの日以外に夕食のテーブルに一緒につくなんて事は殆どなかった。
同級生が早くに帰宅する親父と野球とドラマでチャンネル争いをするなんて、当時の我が家ではありえなかった話をよく聞いていた。
親父は帰りが遅い…これは当たり前の事だったので、別段うらやましいなんて感情もなかった。
どちらかと言えば、親父には近寄りたくなかった方だ。

凧がなかった。
明日から正月で、凧揚げが解禁となる小学生にはこれは重要な問題だった。
どうして、そんな事になったのかは覚えていないが、この時ばかりはそれから親父とおもちゃ屋をいくつも回ったのだった。
百貨店も近くにはいくつもあったが、当時は街のおもちゃ屋さんが主流であり、もう終わった時間だったと思う。
トイザラスは勿論、22時まで営業している様な店はなかった。
いくつか探したおもちゃ屋さんで、最後に駅のそばで1軒営業している店をみつけ、そこで凧を買ってもらったのだ。

もう辺りはすっかり暗かった。
親父が私の肩を抱きながら「よかったな」と言っていたと思う。
おもちゃ屋さんの親父が、とても丁寧にその凧を笑顔で、私と視線をあわせながら私の手に渡してくれた。
暗くなった通りに、そのおもちゃ屋さんの明かりはひときわ明るかった。

そのおもちゃ屋はしばらくバス通りにあり、営業をしているのに気がつき、そんな事があった事を時折思い出したりした。
やがて、雛人形や五月人形の専門店となり、今は大きなスーパーマーケットに変わった。
おもちゃ屋の親父がしっかり私と視線をあわせて凧を手渡したのも、殆どお客が来ない時間に来た事から、それがただ凧を買う以上に大切な事だったのを知っていたのだ。

凧は和凧で、源義経の絵が描いてあった。
当時は三角のゲイラカイトが大人気だった。
ゲイラカイトが羨ましくなかったと言えば嘘になる。
でも、友達がゲイラカイトでも、古いタイプと言われても、何とも思わなかったよ。
むしろ誇りだった。
それは、私の気持ちを汲み取り、正月に間に合わせる様に一緒になって凧を探してくれた親父の気持ち、想いが入っていたから。

源義経は初春の空に高く舞い上がる。

おとうさん、ありがとう。

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心を配達するニュートリノ

「虫の知らせ」とはよく言ったもので、あの人今、どうしているかなぁ…なんてフト思うと電話がかかって来たりする事があります。
あまり良い意味では「虫の知らせ」は使用しませんね。

精神物理学なる学問があるのを私は中学生の時に知りました。
ちょっとオカル的な雑誌に掲載されていたのです。
物理学は学生時代にもっとも苦手な教科でした。

しかし、その事が書いてある雑誌をきっかけに少し興味を持ち、広がりがあったのです。
その雑誌には「ニュートリノ」が人間の気持ちを媒介すると書いてあったのです。
「ニュートリノ」を直訳すると「新しい素粒子」と言ったところでしょうか。
小柴昌俊東京大学名誉教授のノーベル賞受賞時のその研究施設と共に話題になりました。
「ニュートリノ」は質量が非常に小く、地球上は勿論、宇宙空間でも重力の影響をあまり受けず、他の素粒子との反応がわずかであり、透過性が非常に高いとの事。

この「ニュートリノ」が気持ちを媒介すると言うのです。
「虫の知らせ」とか「噂をすれば影」とかはこの素粒子が作用している…なんて。
なかなか無機的な数字と記号の物理学の中で、こんな事が証明されたら、とてつもなくロマンティックですね。

男から女から、人間から発せられた、大切な人を思う心が「ニュートリノ」を媒介し、思う人に伝わる。
愛している…その人間から発せられたその気持ちが「ニュートリノ」をつかんで、思う人に届けられる。
空を見上げ、その人を思う時、その心が伝わる。
距離を越え、時間を越えて伝わる。
「ニュートリノ」が他の影響をあまり受けずに、透過性が高いなんて性質が、余計にそんな事が証明されれば素敵だなと思わせます。

また、思う相手が睡眠中は余計にストレートに気持ちが伝わるのだとか。
睡眠中は活動中と異なり、心と体のバリアーが薄くなっており、このニュートリノを利用して伝わる気持ちがスーッと心に入って行くのだとか。
うーん、これが「透過性が非常に高い」と言う事か。
これならあの世からのメッセージも、発せられた魂から伝わるとすれば、言葉にするよりも、言葉以上に理解できる事なのかもしれません。

しかし、ひとつ。
心がや想いが伝わるのは、互いに送受信が可能な状況になっていなければ、難しいだろうなぁ。
例えば私がどんなに夏川結衣さんのファンでもこれは無理なお話。
また、知り合いでも着信拒否や迷惑メールに指定される「ニュートリノ」はダメだろう…ね。

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今度はきっと、きっと素晴らしい世界に生まれておいでよ

血まみれで倒れている母親の近くで5歳ぐらいの男の子が泣いている。
裸の男の子はどうしてよいかわからずに、体全体を使って大声で泣き叫んでいる。
その男の子の姉と思しき女の子は、血まみれで倒れている母親のそばで放心状態となって座っている。

引越しをしてから、テレビの難視聴地域との事でCATVの契約をしました。
そんな時、チャンネル銀河で「映像の世紀」の再放送を放映していました。
NHKスペシャルで放送されたのを見ていたのは、約10年程前と思います。

冒頭の場面はその番組中の映像です。
これに加古隆さんの「パリは燃えているか」が重なります。
この曲も映像も言葉では説明しにくいのです。

子供は周りの世界を、親や身近な大人を通じて見ます。
外の世界を窺い始める時、信用できる大人と安心の手綱となる手をつないで見ます。
また、親の背後から、足にしがみついて様子を伺っている子供の姿を見ますよね。
言い換えると、小さな子供にとっては親が全てです。
食事も安全な環境も全て親が生殺与奪の権利を握っています。

自分で生きてゆく力がない子供は、自分を虐待している親に対し抵抗する術がありません。
「今日はお父さんの、お母さんの機嫌がいいように…」と祈る気持ちでいっぱいになります。
「お父さんやおかあさんが怒るのは私が良い子じゃないから…」と自分を責めます。
「今日はぶたれないで一日が終わった…」と就寝する時に安堵します。

誰も「しあわせに生きたい」この気持ちに変わりはありません。

インタビュー記事や会話の中で「生まれかわったら何になりたい」なんて質問があります。
今日を、明日を、明後日を、1週間後を、1ヵ月後を、1年後を必死に生きている。
つらい気持ち、満たされない思い、苦しい心、例えようのない孤独。
このままで良いと思っていないその心を抱えて、明日こそは、明後日には、きっとこの先には…。
私は「自分」と答えます。
私は明日を信じて、「今」を生きているのです。

でも、繰り返される哀しみの中で、理不尽に亡くなってゆく子供にはこの質問を空に投げかけます。
「今度生まれてくるときには何になりたい?」
「美しい花を見ると人は感動して涙を流す事もあるんだよ。知っているかい?」
「海に太陽が沈むとき、一瞬だけ違う輝きがあるんだよ。知っているかい?」
「人は、愛し愛されていると感じるととってもしあわせな気分になるんだよ。知っているかい?」

今度はきっと、きっと素晴らしい世界に生まれておいでよ。

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しあわせのランプ(Chapter14) 肩に降る雨

深い穴の中から、空を見上げる。
見上げる空は丸くて小さい。
この穴から抜け出したいと心の奥底で思っているのに、体はもっと穴を深く掘る作業を繰り返す。
狭い穴の中では、自分が掘った土が溜まってきて、このままでは自分で自分を埋めてしまう。
しかし、それでも穴を掘る事を止められない。
わかっているのに、止めれられない…。

もっと自分の気持ちに素直になれたら…。
もっと自分の気持ちを素直に表現できたら…。
傷つけるつもりなんてないのに、なぜ傷つける事ばかり繰り返すのか…。
今日は、今日こそは…と決意する気持ちと裏腹の事ばかり…。

やがて、自分で掘った土に埋まりながら「なんだか、この方が楽かなぁ」。
それでも掘ることを止めずに「このまま埋まってしまって、何もかもわからなくなる方が楽かなぁ」。
昨日もダメだった。
今日もダメだった。
明日も…ダメだろうな。
心の奥底の声には気付かずに、気付くことができない。
穴から見える小さな空でなく、広い空を見たみたい。
穴から外の世界へ行ってみたい…。

あの時こうすればよかった…。
何であんな事を言ったのだろう…。
後悔の気持ちばかりが浮かんでくる。
わかっているのに…なんで出来ないのだろう。
なぜなんだ…。

遠くまたたく光は遥かに 私を忘れて流れて行く

幾日歩いた線路沿いは 行方を捨てた闇の道
なのに夜深く夢の底で 耳に入る雨を厭うのは何故

肩に降る雨の冷たさは 生きろと叫ぶ誰かの声
肩に降る雨の冷たさは 生きたいと迷う自分の声

肩に降る雨の冷たさも 気付かぬまま歩き続けてた
肩に降る雨の冷たさは まだ生きてた自分を見つけた

肩に降る雨 中島みゆき

あの日、背中を伝う雨の雫を冷たいと感じ、自分が心の底から生きたいと思っているのだと気づいた日。
自分が、自分は生きたいんだと気付いて、そして感じたあの日。
心の奥底の声が、大きなエネルギーを与えてくれたあの日。
彼がじゃない、彼女がじゃやない、誰がじゃない…自分自身が生きたいと思う。

穴の上から、たくさんの人が手を差し伸べてくれているのに、自分で深く掘り続け、残土で視界がふさがれて行く。
自分で閉ざしてしまった自分のこころ。

この曲を知ったのはあの日から少し後の事だった思います。
ピアノの静かなメロディーから始まるこの曲はアルバム「miss M」の最後の曲です。
この曲の素晴らしさに絶句でした。
自分の事を投影し、今日のこの文章のヒントを得ていると自分で感じます。

前述引用の歌詞「私を忘れて流れてゆく」の後で、メロディーが変調します。
ピアノの音が少しずつ音階を上がってゆく様が、少しづつ空を見上げる様に顔を上げてゆく、そのしぐさを表すようです。

もう死んでもいいと思いながら、幾日も歩いた線路沿いは過去の辛い日々の道。
自分なんてどうなってもいいと思いながら歩く、行方を捨てた闇の道。

死んでもいいと思っているのに、どうして耳に入る雨を厭うのか。
自分なんてどうなってもいいと思っているならば、どうして耳に入る雨を厭うのか。

前述引用の歌詞「耳に入る雨を厭うのは何故」の後、チェロのソロが入ります。
やがて、このチェロのソロをストリングスがやさしく包み込みます。
それはまるで、支えてくれる多くの人のやさしさの様に。

そして続きます。

肩に降る雨の冷たさは 生きろと叫ぶ誰かの声
肩に降る雨の冷たさは 生きたいと迷う自分の声

肩に降る雨の冷たさも 気付かぬまま歩き続けてた
肩に降る雨の冷たさは まだ生きてた自分を見つけた

肩に降る雨 中島みゆき

そして、終わりは余韻を残しながら静かに消えてゆきます。

ひとりで生きているんじゃない。
誰かが、支えてくれている。
誰かが、自分が生きている事を支えにしてくれている。

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あの人が出来ているのに、何故自分にはできないのか…。

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今年の3月はどうにも営業成績が悪く、苦闘悶絶の毎日。
近年、こんなに営業成績が振るわないのを思い出すのも大変なぐらいの苦闘です。
原因はいくつも考えられるのですが、それを有効に解決する方法がイメージ出来ないのです。

最後まであきらめないのが性分と自分に言い聞かせているので、必死に知恵をしぼります。
「こんな景気だから仕方ない」
「今、売れる方がおかしい」
なんて話はいろいろあるけれど、この局面を打開する知恵と方策があると考えます。

迷ったら基本に戻れ。
勿論、そう思う。
しかし、今回の販売不振は何か制度疲労や大きな流れが変わるところなのでは…と焦燥感がつのります。

出張先で取引先に夕食に誘われても、気分がのりません。
ホテルに帰ってPCを起動しますが、何度もスクリーンセーバーになって、復帰の為のパスワードを聞いてきます。

夕方、後輩からも不調である連絡が入ります。
しかし、中には順調に推移する人もいます。
こういう厳しい時ほど、個人の手腕が問われると自分に、自分を奮い立たせる様に言い聞かせます。

焦燥感がつのるとつまらない事を考えます。
あの人が出来ているのに、何故自分にはできないのか…。
例えば、入社当時に先輩達の仕事ぶりを見ていると、大変に難しい処理をなんなくこなしてゆく姿を素晴らしいと思います。
やがて、自分も経験を重ね、自分のカラーも織り込んで尊敬のまなざしで見ていた先輩を超えてゆく、そんなアイデアが出せる事もあります。

しかし、その発想がでるまでには「こうやれば、上手く行く」と考えているのに、それが出来ない!なんて状況が続きます。
焦燥感がこれと同じサイクルに自分を追い込んで行きます。

遅くまで残業しての帰り道。
なんだか、歩きたくて、夜風にあたりたくて、地下鉄の入口をやり過ごして少し離れたJRの駅へ向けて歩き出しました。
下を向いて歩き、くやしい思いが蘇っては、舌打ちをします。
そんな事をしている自分にも嫌気がさし、思い切って夜空を見上げた時。

古い信託銀行のビルと、それに連なって最近出来た高層ホテルが重なって見えます。

もしかしたら、いいや多分、私は他人から見られている自分を意識しすぎているのではないのか。
こんな時勢でも自分は成績が良くなくては…と過度に自分で考え、寄せられる期待にも答えようと意識しすぎていたのではないか。
あの人が出来ているのに、何故自分にはできないのか…。
自分にだって、意識していないのに他人から見たら凄いと思われている事が…あるはず。

そう、自分が思う人に「何でそんなアイデアが…」「何で実行できるのか…」と聞くと大抵そういう人は、その素晴らしさを認識する以前に、当たり前の事としてやっている。
見上げた景色は超えてゆくべき大きな壁に見えてきました。
超えるには目もくらむような高さだけれど、これまでだっていろいろな困難に挑戦してきたじゃないか。
困難な目標を達成して行く為に、自分のエネルギーを傾けてゆく、知恵を使う、汗をかく。

ポジティブなエネルギーが満ちてきます(ああ、なんでこんなに単純なのか)。
3月もあと2日。
今般が惨敗なら、これを必ず取り戻して見せる。
仕事で出来た穴は、仕事で取り返す。

あの人が出来ているのに、何故自分にはできないのか…。
そんな事を考えている時間があったなら、そんな事に嫉妬しているなら、自分の能力を点検して、不足分を補ってゆく。
実は自分で気づいていない能力もあって、それが次の大きな発展を導く鍵かもしれない。

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あなたが、私をみつけられるように、世界で一番不幸になっているから

大学1年生の一般教養「倫理学」で聞いた話です。
一般教養の授業は退屈な授業も多くありましたが、初めて学問に触れられる部分は楽しんでいました。
と言うよりも、退屈な授業は出席しない事が許される…許してしまうのですが、哲学や心理学とこの倫理学などは楽しみな分野でした。

そう、そこでのお話。
プラトンは「人間は球・丸であった」と話しました。
人はこの世に生れ落ちる前は一つの球で、誕生する時に2つに分かれる。
故に地上で誕生してからは、もとの自分の片割れ、自分の半分を求めて、人間は、男女の間は彷徨するとの話。
男女と書きましたが、同性同士もあるとプラトンは話したとの事。
なんとなく、現実の世界で起きている事もよく説明できる気がします。

例えば…
初めて逢ったのに、とても懐かしい気持ちになる…。
理由もなく、一緒にいるだけで気持ちが安らぐ…。
同じ事に、同じように共感するとか…。

さすが、プラトニックラブの語源たる思想。
私は単純に素敵な思想だと思ったのです。

「青い鳥」の「あなたが、私をみつけられるように、世界で一番不幸になっているから」と現世での再会を約束する、そんな気持ちと同じでしょうか。
プリンセス・プリンセス(ああ、このバンド名を書いたり、聞いたりすると80年代と思う今日この頃…)のアルバムで「Lovers」というタイトルがあります。
これはメンバーが「必ず売れる」と豪語したと言うだけあって、看板に偽りなしのとてもいい作品です。
特に私は1曲目のムーンライトストーリーが好きです。

きっと昔も2人は恋に落ち 何かに引き裂かれて
長い年月越えて 再び出会えてここにいる
そんな気がするの 今夜

PRINCESS PRINCESS  ムーンライトストーリー

曲の終盤でのキーボードの入り方なんて秀逸で、初めて聞いた時にはググッと引き込まれました。
これも、プラトンや青い鳥ではないですけれど、求めていた人に巡り会う、その喜びであると思います。
まだ、そんなに遅い時間でもないのですが、なんだかロマンティックモードですね。
お昼過ぎから少し暖かい、東京の気温がそんな気分にさせるのでしょうか。
でも、私の場合は春の訪れは、花粉と共にやって来ます。

期待も長くしていると疲れてくる。
そんな素敵な出会いや、出来事が自分自身にもあるだろうかと思う。
自分には…とか、自分なんて…思う時がある。
ずっとそれが、そんな気持ちが続く事がある。

自暴自棄になるそんな瞬間も、自分が現れるのを膝を抱えて、待っている人がいる。
今まで乗り越えてきた哀しみが、その人の哀しみを癒す事ができるかもしれない。
そのために、今の辛い事があるのかもしれない。
決して自ら死を選んではいけないと思う。
死ぬほうが、死んでいる人がうらやましいと思う日があっても!

知らなかったのですが、重松清さんが原作の「その日のまえに」が映画化されていたんですね。
私はこの本、重松清さんが好きな作家なので、発売時に無条件に購入して読んだのです。
ネタばれは無しにして、私は新幹線で涙がこらえきれなくなり、この本を新幹線内で読むのをやめました。

確認のしようがない話ですが、私睫毛がとっても長いんです。
メガネをしているのですけれど、結構調整が大変なんですよ。
いつもメガネ屋さんが困ります。
だから、瞳からこぼれそうな涙を我慢していると、まばたきをするたびに睫毛が涙をメガネの内側に飛ばして、汚してしまうのです。
以前、韓国に行ったおり、メガネが安いからと勧められサングラスを購入しましたが、これが問題で現在は車に置いてあります。
そのメガネをすると「謎のインチキ外人」と皆から言われます。
ようするに似合わないって事。

日常が永遠でない事。
今を生きている事。
しあわせな事が特別であり、すばらしい事なんだと、こころにこの本がストンと落ちてきます。
決して自ら死を選んではいけないね。
あなたが現れるのを待っている人が必ずいる。
自分の分かれた半分が待っている。

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しあわせのランプ(Chapter12) 伝われ、愛

過去の出来事の奴隷になってはいけない。
きっと、哀しみの意味ばかり考えてい自分に、それも全てが生きたいと思う気持の上にあると気づく事ができた。
気持ちが軽くなった。
自分で作った殻の中に閉じ込めていた心を太陽の下へ。
世界が変わって見えてきた。
殻の中に閉じ込めていた心を太陽の下で温めようと思ったのだ。

まずはよく笑ってみるようにした。
当時、中村雅俊が先生役の学園ドラマが夕刻に再放送していた。
ドラマの中にあるバカ騒ぎの場面をおもしろいと思ったら笑った。
努めて笑った。
一生懸命笑った。
やがて、心がほぐれてきて自然に笑えるようになった。
まずは、近くにいた家族が私の心境の変化に気づき始めていた。

学校では相変わらず一人だった。
それはもう気にする問題ではなく、心の扉は開かれて風通しはよかったのだ。
ある日、休み時間に窓から校庭を見ている私にY君が話しかけてきた。
「いつもマイペースでいいね。うらやましいよ…」
眉間に皺を寄せる厳しい表情から、やわらかくなったから話しかけられたのだろうかなんて思っていた。

いつも他人事として見ていたが、Y君はクラスの中で緊張していた。
自分がバカにされたり、嫌われたりする事を極度に警戒していた。
以前、彼が誰かと話している話が聞こえてきた。
「ケンカなんて何をしてもいいんだよ。勝てばいいのだから。」
こんな事を言っていたのを覚えていた。
それを聞いた時には、そうでなくてはあなたは誰にも勝てない…と思っていたのだ。

少し前と違っていたのは、新しい音楽を聴きたいと思う気持ちだった。
特に生きる事を高らかに素晴らしいとポジティブに表現している曲がお気に入りだった。
その中に渡辺美里のこんな歌詞があった。

ホントの自由は真実もとめるココロにあるはずと
Teenage Walk 渡辺美里

孤独ではあったが、自由だった。
自由に考える事が出来た。

不思議だ。
上手に言葉に出来ない。
何か 優しい透明なものが僕の体を支配している。
何もかも忘れようと踊ったあの頃のぼく。
けれど あの感じとも違う。
体はちっとも動かないのに、体がまるで羽が生えたように軽い

今の僕には、今の僕には、憎むべきものが何一つ無い!!
これだったんだ。
僕が探していたものは、これだったんだ。

解放とは何もかも捨てて見知らぬ地へ旅立つ事じゃなかったんだ。
今まで許せなかったものが全て許せるようになったこの瞬間。
解放とは僕の心の内にあったんだ!!

今までの僕は他人の欠点にばかり目がいって、それがどうしても許せなくて、悩んだ揚句にそこから逃げる事ばかり考えていたんだ

結局、僕はいつだって人からの愛だけを一人占めしたい。
自分を振り返る事すらできない、ただの自分勝手な子供だったんだ。

これから先、辛い事が多くても自分の方から人を愛していけるようなそんな人間にならなくてはいけない…。

「C」―マゼンタ・ハーレム  第6巻  きたがわ翔 著

哀しみのわけばかり考えていた。
哀しみは簡単には忘れられない。
忘れなくてもいい。
乗り越えて行けばいいんだ。

…世の中には、大人になるにつれ、辛く苦しい面ばかり追いはじめる人とそれらが全て昇華されて、光りへ向かう人がいるわ。

「C」―マゼンタ・ハーレム  第6巻  きたがわ翔 著

誰も皆、それぞれに、それぞれの事がある。

昨日・今日・明日

所詮、人はひとりなのだと、
心傷ついて、その思う日が誰にだってあるだろう。
そんなときに、今の瞬間も、誰かがどこかで、やっぱり頑張っているのだと、
そんな気配を感じることができたなら。
どれほど、人は励まされることだろう。

呼吸している生き物が、宇宙に自分一人しか残っていないような寂しさが、
両肩に、のしかかる、そんな真夜中
どこかで誰かが呼吸していることを、聞くことができたなら、
どれほど、心細さは、和らげられることだろう。

自分の荷物は、どうせ誰も、負ってはくれないけれど、
もしかしたら、
生きているということも、捨てたものではないかもしれない。

そんな誰かから、そんな誰かへ。

 海を超え。

 町を超え。

 寂しさを超え。

 怒りを超え。

 伝われ、愛。

「伝われ、愛」 中島みゆき

辛いのも、大変なのも、自分だけじゃないんだ。
自分で作った殻の中に閉じ込めていた心を太陽の下へ。

伝われ、愛。

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しあわせのランプ(Chapter11)  俺は生きたいと感じている

もう、どれくらいここにいるのだろう…。
ここは…どこなのだろう。
紫色だった空はすっかり灰色になっている。
外灯が雨で霞んでいる。
外灯の灯りのところだけ、雨が降っているのが見える。
先ほど降り出した雨は霧雨で、髪からしずくとなって顔を流れてくる。
傘は持っていない。
そもそも雨など、どうでもよいのだ。

今日は空手の稽古の予定があった。
もう、終わる時間だろうか…。
そんな事も、もうどうでもいい…。

生きる意味など、明確な答えを示せる人はいない…。
心を殺して生きれば、世の中はなんて事はない…。
いちいち細かい事を考えていては、身体が持たないよ…。
しょうがない…そんな事だらけだよ。
暗い奴なんて、生きる事に楽しみがあるのかよ…。

雨が葉をたたく音が聞こえる。
着ていた服はすっかり、雨に濡れてしまった。
遠くでトラックが走る音が聞こえる。
いつもこんな自分のお供をしてくれた自転車が近くに倒れている。
まるでライトが目となって自分を見つめている様だ。
そんな目で見るなよ…。

もう、どれくらいここにいるのだろう…。
ここは…どこなのだろう。
冷たいはずなのに、だんだん冷たいなんて感じなくなっている。
顔に降り続く雨ももう感じないようだ。
近くを車が走ってゆく音がする。
道路に随分雨が溜まっているのかな…。
そんな事関係ないな。

もう、どれくらいここにいるのだろう…。
ふと、自分の目から涙が流れた。
泣いているなんて思わなかったのに。
両目から頬を伝うように、ひとしずく、頬を伝っていった。。
雨に濡れている感覚すら気にならなくなっていたのに、自分の涙が伝わるのには温度を感じたのだ。

ふいに両手で頬を触れると、開いた襟首から雨のしずくが背中を伝っていった。
自分の涙の温度に混乱しているとろこへ、背中に入ったしずくを「冷たい」と思った。
「冷たい」と感じた。

「冷たい」
身体が、魂が、生きたいと言っている。
理由でもない、意味のある事でもない。
ただ、生きたいと言っている。
そうか、俺は生きたいと思っているんだ。
「冷たい」と感じている。
「冷たい」事が嫌だと感じている。
俺は生きたいと思っている。

この発見がうれしい。
ただ、ただ、生きたいと思っている。
生きたいと感じている。
すっかり服が濡れて重くなった身体を起した。
「まだ…帰れる」
倒れてこちらを見ている相棒の元に近寄って行き、動きにくい足を持上げサドルにまたがり、ペダルに足をかける。
雨に霞んでいるが、少し先に電話ボックスの灯りが見えた。

電話ボックスから家に電話をかける。
お袋が電話をとった。
空手の稽古に行ったのに、帰りが遅いと感じていたらしい。
「○○斎場って近くの電話ボックスから電話をしている。ここはどこなんだ?」
「なぜ、そんなところにいるの?」
「いいんだ、これから帰る。ここはどこなんだ?」

家までの道のりに、よろこびがエネルギーに変わってくるのを感じていた。
俺は生きたい。
生きたいと思っているんだ。

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はじまりの歌

今の状況に身をおいていれば、実は少々不自由な事があっても、それでいいんだと自分を誤魔化してしまう事があります。
納得させてしまいます。
少しの勇気を持って、次の扉を開けると、そこは今よりももっと素晴らしい世界が待っていますよね。
加えて、自分の勇気と決断で開いた扉はもう、後ろ向きに開けられる事はないと思いませんか。

過去のよい想い出はとっても美しい場所です。
居心地が良い場所です。
過去の事をああでもない、こうでもないと並び替える。
過ぎ去った出来事は、もう一度自分を傷つける事はないから、そこは安住の地となりやすい。
でも、電車の車窓から見える景色も、進行方向を向いていればいつでも美しい景色は向かってきますが、反対方向を向いていれば全て過ぎ去った景色になります。
やっぱり、過ぎて行くよりも、やって来る方がいい。

新しい五線譜を眺めて 探し始めたメロディー
向き合うのは成果ではなく 胸に住み着いた弱虫
うまくいかなくって苦しくて 涙が溢れ出したら
ほら一つ前に進めたっていう証

いつも通る道を少し胸を張って
歩くだけ それだけで 景色が違って見えたんだ
ほんの単純な事 気持ちの持ちようさ
日常に埋もれてた 本当の自分を見つけた
不安とは想像が生みだした罠(トラップ)だ
足をとられぬように 自分を信じて

はじまりの歌 大橋卓弥

次の扉を開く事はいつもドキドキする事。
恐ろしくて恐怖を乗り越えるために、次の扉に勢いで突進し、蹴り倒す事も実はしばしば。

私はいつも…
「この先(未来)にいい事があるのか?」と聞かれれば、「あるよ」と答えます。
「先(未来)なんてわからないのに、どうして?」言われれば、「信じてるから」と答えるんです。
信じる事が強さを生み出すと考えるのです。

そうやって自分を励ましている…かなcoldsweats01

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つないだ手の暖かさよ

本年は暖冬で昨年の同時期と比べれば、随分過ごしやすい事と思います。
しかしながら、人間は勝手なもので、暑い夏には寒い冬が恋しくなり、寒い冬には真夏の太陽が恋しくなります。
それでも、朝晩は寒くなりましたよね。

先日、出張の帰り道です。
時刻も遅くなり、駅のホームのライトで人影が浮かび上がる頃、まもなく電車がホームに到着するとのアナウンスで待合室を出ました。
吐く息は白く、荷物を持っている手はポケットに入れられず、少し寒さで冷たくなっていました。
不意にホームに子供の笑い声が聞こえ、声のする方向を見ました。
小さな女の子が二人、おかあさんのコートの左右のポケットにそれぞれ一方の手を入れています。
おかあさんがコートを左右に振ると、手がポケットから抜けてしまわない様にその周りを一緒に回っています。
笑いながらとても楽しそうです。
やがてホームの端が電車のライトで照らされるとおかあさんはポケットから一旦自分の手を出すと荷物を腕にかけ、ポケットの中で再び子供の手を握りました。
おかあさんを中心にライトで照らされ、つながる三人の美しいシルエットが見えました。

ああ、もう遠い記憶。
思春期のデートで意中の女の子と手をつないで歩く。
自分より小さくてやわらかい、それでいてしっとりとした手の感触が心に伝わってきます。
嬉しいのに緊張で、ついないだ手の少し先にある相手の顔は見れないし、ましてやまともに話などできません。
緊張で手のひらに汗をかきます。
(やべぇよ、すげぇ汗かきと思われないかなぁ)。
胸の鼓動が高鳴ります。
(ドキドキしているの伝わってんじゃねぇのかな…かっこ悪るぃ)。
しばらく話をしないので口の中が乾いてきます。
(俺、ずーっと黙ってるよ。次に話した時に声が上ずったり、かすれたりしたらどうしよう…)。
この時には緊張で頭がいっぱいですが、その日に眠る頃には見慣れたはずの自分の手を何度も見てみたり、次の大人へのステップを勝手に想像して照れたり、作戦を考えたりと今にして思えばなんとも可愛いものです。
しかし何より、つないだ手のぬくもりは、興奮しているのかわかりませんが、何だか意味も無く明日への活力が沸いてくる様でした。

残念な事ですが、今年は若い命を自ら絶つ人が少なくなく、マスコミ等で多く取り上げられました。
いじめられての自殺はそのいじめの苛烈さや凄惨さと遺書に残された無念さが多くの人に衝撃をもたらしました。
報道ではいじめられた側が取材の対象として取り上げられる機会が多く、一方は社会の病巣と抽象的な表現で片付けられる事が多かった様に思います。
この事に私は「生きているという実感」が希薄な事が自殺までに至らしめる凄惨さを伴うと考えるのです。
日々我々は生きている喜びを感じながら生きていません。
一日が終わり、眠りにつくその時は明日が当たり前にくる事に疑いを感じません。
でも、入院する程に体調を崩したり、不治の病の人を知るにつけ、自分が健康である事に、生きている事を実感し感謝する現実があります。

いじめられている子が絶望の中で自分と同じ涙を流している姿を、傷ついて血を流しているのを見てはじめて「生きているという実感」を得るのでしょう。
自分が思う絶望や孤独を他人が感じているのを見て、自分と同じと思い安心する。
だからこそ、その不安の大きな波にのまれて、流されて、泳いでいるつもりが流されてしまう。
繰りかえしても決してその不安は解消されないのに。
手をつなぐ、たったそれだけの事が人を人として認める、人を肯定する。
その大きなきっかけとはなりえないでしょうか。
出張先で読んだ新聞のその記事に私は思いました。

クリスマスは普段はちょっと恥ずかしいなと思う事もオブラートに包んでくれます。
ほら、普段は街角の募金なんかできなくても、なんとなく慈悲深くなったりしますでしょ。
だから、親や兄弟、家族、友人、知人、大切な人と手をつなぎ、そのぬくもりや暖かさ、やさしさ、生きている事を感じるというのはどうでしょう。

本年もあとわずかですね。
来年も皆様にとりまして素晴らしい1年でありますように。
MerryXmas

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泣いたのは僕だった

何を聞いても、何を言われても、気持ちは深い海の底へ沈んでゆく。
日の光も届かない、暗い深海。
どんなに偉い人の言葉も、励ましの言葉も、やさしい言葉も。
深海で触れた姿の見えない深海魚の様に、何が触れたのか、姿かたちもわからない。
心がこたえてくれない。

自分自身の気持ちが沈む時、どうにもモチベーションが上がらない時。
これまでにも、
つらくて…
さびして…
哀しくて…
苦しくて…
こんな事ではいけない。
自分で百も承知なのに、心が自分の気持ちに、立ち上がろうとする気持ちに、こたえてくれない。

でも、こんな時は必ず誰にでもある。
こんな事を思う自分が嫌になって、嫌いになる時は、ちょっと空を見上げて「しょうがないなぁ」とつぶやいてみる。
「しょうがないなぁ」は人生をあきらめている事、投げている事ではなく、どうしもなく混乱した自分の感情を整えるキーワード。

混乱した気持ちがおさまるまで、ゆっくり。
次に心が元気を取り戻すまで。
これは、心が次の道しるべを探すために、必要な時間。
深海から見上げて、道しるべとなる日の光が射すのが見えてきたら、その方向にゆっくり歩いてゆこう。
海面に近づくにつれて、日の光の筋が多くなり、海水も温度が上がってくるよ。

泣いたのは僕だった
弱さを見せないことが そう
強い訳じゃないって君が
言っていたからだよ
I believe

人を好きになれることに
初めて気付いた 今は

泣いたのは僕だった
つながった冬の星座
この空に消えてかない様に
見つめていたんだよ

伝えたい言葉を繰り返すのに
また声にならない

他愛ないことで笑って
優しく包むよ 君を

ORION(一部抜粋)中島美嘉

上を向いたら、立ち上がったら、歩き出したら、深海から動けないなら、誰かと話してみよう。
1人で自分の世界だけで悩むのは、きっと得策ではないよ。
悲観的な気持ちで迷路に迷い込まないように。
他の人に相談すれば、違う考えも聞く事が出来て、その話の中にヒントが隠されているかもしれない。

悩みを打ち明けるのは、弱音を吐くことじゃない。
そんなちっぽけな事で悩んでいるなんて、人間が弱いとか、小さいとか、思われると嫌だと考えて、ついつい自分で頑張ってしまう。

大事なことは「人からどう見られるか」ではなくて、この心を、この気持ちを、どうするかだものね。

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しわせのランプ(Chapter9) 心の空白を埋めるため

いつ訪れるとも知れずの勝利の日を、信じて続けていた。
心の空白を埋めるのに必死だったのか、それしかなかったのか…。

高校入学して、しばらくし私は空手を始めた。
学校に行っても誰とも話す事もなく、一言もしゃべらない日もめずらしくない毎日で、まるでそれは私が自分で心の空白を埋めるのに都合がよかったものに出会った様に、急速にのめり込んで行った。
とても魅了されたのだ。

自身の努力以外、結果を示せるものもなく、それ以外に言い訳が通じない世界。
否応なしに自分と向き合う環境となった。

子供が海の怖さを知らないように、多くの事にチャレンジした。
しかし、本当は自分を追い込み、自分を壊してみたいと考えていたのだ。
稽古の中で自分が成長してゆく事への喜びではなく、限界まで行って壊れしまいたいと思っていたのだ。

ひとつ問題があった。
試合ではなかなか初勝利が上げられなかったのだ。
同期入門の連中は初戦で初勝利を得ていた。
早々に試合場から応援席へ引き揚げなければならない気持ちは大変辛かった。

師範は稽古では鬼であったが、試合の結果は不問だった。
全力で取り組んでいる事は承知であったので、それによる結果を評価する事はなかった。
これは、反対に辛い事もある。
結果が出せない事を叱責される方が気持ちが楽な事もあるのだ。

くやしいと思う気持ちも勿論、焦りもあった。
この焦りが思考も体も硬直させ、なお更に結果が出ない方へとシフトするのだ。

定期的に自分が稽古をしていた支部道場に、開祖の最高師範の愛弟子である先生が指導に来られていた。
その時、ふとこんな事をおっしゃったのだ。
「我々の流派の奥義は既に様々な基本動作の中に公開されています」と。
この話を聞いた当初は何の事だか、理解出来なかったのだ。
それにもまして、焦る気持ちが募るばかりだった。

遂に初勝利の日はやってきた。
遅れきた分、初勝利はとても嬉しいものとなった。
師範をはじめ、とても祝福してくれたのだ。
とても嬉しかった。
その場で両手をあげて、大きな声で叫びたいぐらい嬉しかったのだ。

それから、この初勝利は大きな励みになったが、心のどこかにあった破滅願望は消えていなかった。
そうして、待ちに待った事態が起きた。
遂に耐え切れなくなり、体が悲鳴をあげた。
ざまあみろ。これで望んでいた通りとなったね…と思っていた。
休養を余儀なくされた。

しかし、ここが変わり目だった。
体も回復し、稽古へ復帰してからの事。
憑き物がとれた様に体が軽くなった。

稽古でも試合でも、相手を憎悪するかのように取り組んでいた気持ちを感じなくなっていた。
変わりに例えば試合ならば、その3分間に集中をしており、試合後はとてもスッキリした気持ちとなっていた。
試合前に、こうして、ああしてと作戦を考えるまでもなく、体が反応をする様になっていた。
試合中の記憶が殆ど無いのである。
これが、禅で言う「無」の境地なのかと思った。

そうして、開祖の最高師範の愛弟子である先生の言葉が理解できた気持ちになったのだ。
稽古で繰り返す単調な基本動を体が覚えていれば、事態に体が反応するのだ。
と、同時に普段の鍛錬の継続がいかに大切か、思い知らされる事でもあった。
開眼する境地には勿論達してはいないが、それからは常勝ではないが、勝利を手にする事が出来るようになった。

現代人はそれでは納得しませんけれど、明らかにしない、秘密にする、ということは、そのもとが平凡なことだからなのです。
茶道でも、華道でも、突きつめていくと到達するところは平凡です。
お茶の奥義に「夏はいかにも涼しきように、冬はいかにも暖かなるように」というのがありますが、これなどはいい例ではないでしょうか。
いかにも平凡に聞こえますが、これができる人はどれほどいることでしょう。
その平凡にいきつくまでの、大切な過程を省略して、行きついた結論だけを示せば「なんだ、こんなことか」となってしまう。
行きつけば平凡、当たり前のことが、本当は重大なことだととわかるために、あえて秘密にするわけです。
「般若心経の本」高僧「松原泰道」

遅い初勝利は耐える事を多く学び、同期入門者が脱落して行く中で私は残り、結果として有段者になる事が出来た。
しかし、空手を通じて得た事はもっと大きな事だった。
大切な人の死。
大きな代償と後悔。
この時期にあった様々な出来事が相まって、私を変えた。
それは、今も私の心に脈々と生き続けている。

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しあわせのランプ(Chapter8) 後悔と大きな代償

とても信じられなかった。
彼女が亡くなった事に。
あなたと出逢ったのは11歳の頃だったね。
互いに意思を確認する事はなかったけれど、いつも静かに暖かく見守っていてくれた。
魂が抜ける様に、するりと私の腕から抜けた…。

悲しみなんて感じなかった。
自分でもわからないその気持ちは怒りとなって込み上げてくるばかりで。
何日も、周りの人が涙していても、悲しみを感じなかった。
お墓に行っても…。
あなたの遺品を見ても…。

ある晴れたその日に、自分の部屋から窓の外を見ていて、ふと語りかけたその時、突然悲しみはやってきました。
涙がとめどなく溢れて、泣きました。
立っている事が出来ずに、両膝をついてしまいました。
泣いた。本当に泣きました。

悲しみを感じ、涙と共に流れた殻の中から、そして得体の知れない怒りが何であり、どこへ向けられていたものかが、わかったのです。

後悔でした。
怒りは後悔をする自分に、後悔をする様な事しか出来なかった自分に。
勇気のない自分に。
自分の弱さから後悔する自分に。

後悔する事しか、後悔する様な生き方しか出来なかった私に、それがいかに愚かな事であるか。

あの時、きちんとわかってあげられなくて、本当にごめんね。
あの時は、私も自分のことでいっぱいだったから…。
でも、今なら、あなたの気持ちが理解できる。
理解できるようになったと思う。

後悔に囚われる事がいかに愚かな事か、それを理解するにはあまりに大きな代償でした。
そして、その後も、私は後悔に囚われる事無く、今もしっかり前を向いています。

偉大な作曲家は絶望の谷へと突き落とされる。
聴力の障害が発生する。
耳が聞こえなくなり始めて書いたベートーヴェンのピアノソナタ「月光」。
第3楽章は何故、あんなにスタカートの連続で激しいのか。
人生のあまりに苛烈な出来事の連続に、作曲家として、音楽家として、生命としての聴力を失う。
その恐怖たるや。

彼はその生涯に三度の遺書を書いているが、自分のこめかみに銃をあて、その生涯を終わりにしようと目を閉じたそのとき、窓の外の雲間から射す光を感じ見て、自然からの語りかけに神を感じ、「おお神よ、私にまだ生きろというのですね」
繰り返される試練に、それでも必死に生きること、生きるために闘う。

第3楽章はベートヴェンが自分の人生に降りかかるその試練に果敢に闘いを挑む気持ち。

これが闘志 生涯を貫いてみせるというエネルギーに満ちた闘志。
負けない、闘って、生き抜いて見せるぞという、困難に立ち向かう勇気。

私には何故、第3楽章があれほど激しいのか、この時から感じるようになった。

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形(文)にする事は、その細部が甦り、形にする事で忘れられる、過去の事にできると思いながら、殆どは余計にリアリティを持ってしまいます。
冒頭の出来事は私がトンネルを抜け出るその頃のであり、今までその一切を形にする事はしませんでした。

今の状況に身をおいていれば、実は少々不自由な事があってもそれがいいんだと自分を誤魔化してしまう事があります。
納得させてしまいます。
少しの勇気を持って、次の扉を開けると、そこは今よりももっと素晴らしい世界が待っています。
加えて、自分の勇気と決断で開いた扉はもう、後ろ向きに開けられる事はありません。

過去の事をああでもない、こうでもないと並び替える。
過ぎ去った出来事は、もう一度自分を傷つける事はないから、そこは安住の地となりやすい。
でも、電車の車窓から見える景色も、進行方向を向いていればいつでも美しい景色は向かってきますが、反対方向を向いていれば全て過ぎ去った景色になります。
やっぱり、過ぎて行くよりも、やって来る方がいい。

しかし、やっと出来た内容は自分尺度のものとなってしまいました。
いかに貧弱は表現方法しか持たないのかを痛感させられました。
引用を多用すれば、人の言葉を切り貼りするようなもので、的確な表現もありますが、誰が書いたのかすらわからなくなってしまいます。

でも、少しだけ引用を

「われ事に於て後悔せず」 宮本武蔵「五輪書」
その日その日が自己批判に暮れるような道を何処まで歩いても、批判する主体の姿に出会う事はない。
別な道がきっとあるのだ、自分という本体に出会う道があるのだ、後悔などというお目出度い手段で、自分をごまかさぬと決心してみろ、そういう確信を武蔵は語っているのである。
  小林秀雄「私の人生観」

悲しみで花が咲くものか
世界はそれを愛と呼ぶんだぜ/サンボマスター

自分が、自分の心が、殻の中で、答えのない問いに苦しみ始めていました。
トンネルの出口の明かりが見えているのに、その出口は月より遠く感じられたのです。

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風のガーデンより「人の為にやるという事が、自分を支えている」

普段はスケジュールの確保は殆ど出来ず、連続のテレビドラマは見る事が出来ません。
職種からなかなか自分の都合通りゆかず、決まった時間…は難しいです。
しかし、「風のガーデン」だけは脚本が倉本聰さんである事から、必ずパソコンで録画しています。
倉本聰さん脚本のドラマを見るのは「北の国」から以来です。
PSPで見れるように変換し、出張中の飛行機や新幹線の移動時間に見ています。
私のPSPはゲーム機ではありません。

見ている時は時間を忘れてしまいます。
集中していると言うか、のめりこんでいると言うか。
脚本が素晴らしい事は勿論、一流の俳優や女優さんの演技が秀逸で素晴らしい。
中井貴一さんと奥田英二さんとの二人の場面などは、演技に見えないぐらい。

今週の放送分は宿泊しているホテルで見ました。
ソファーに座って身じろぎもせず、じーっと見ていました。

先週の放送で中井貴一さん役の医師が、奥田英二さん役の患者さんに言った一言。
「人の為にやるという事が、自分を支えている」
これにはグッときました。
琴線に触れました。

人間にとって一番辛いものは貧しさや病気ではなく、それら貧しさや病気が生む孤独と絶望のほうだと知っておられたのである。
イエスは群衆の求める奇跡を行えなかった。
湖畔の村々で彼は人々に見棄てられた熱病患者のそばにつきそい、その汗をぬぐわれ、子を失った母親の手を、一夜じっと握っておられたが、奇跡などはできなかった。
そのためにやがて群衆は彼を「無力な男」と呼び、湖畔から去ることを要求した。
だが、イエスがこれら不幸な人々に見つけた最大の不幸は、彼等を愛する者がいないことだった。
彼等の不幸の中核には愛してもらえぬ惨めな孤独感と絶望が何時もどす黒く巣くっていた。
必要なのは「愛」であって病気を治す「奇跡」ではなかった。
人間は永遠の同伴者を必要としていることをイエスは知っておられた。
自分の悲しみや苦しみをわかち合い、共に泪をながしてくれる母のような同伴者を必要としている。
          イエスの生涯 遠藤周作

私はキリスト者ではありませんが、この本に出逢えた事。
そして、この言葉に多くの場面で励まされました。
この言葉はきっと偉い神様の言葉としてではなく、人間の言葉として心に入ってきました。

学生時代に大学の近くの書店で、理由もなく手にとって購入したのです。
この中には心にある表現できない気持ちを表現する言葉を与えてもくれました。
それは長いトンネルを抜け出た私の心にしみこむ、美しい水でした。

「人の為にやるという事が、自分を支えている」
人の哀しみを知り、それを自分の力に変える事ができる強い人。
そして、やさしい人だけが、こういう言葉を話せると思うのです。

しばらく「風のガーデン」には夢中です。

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しあわせのランプ(Chapter7) 折れた心

過日、取引先メーカーの工場と研究所にお伺いした時です。
研究室の管理が厳しいところに、その機械はありました。
シークエンサー。遺伝子解析の機械です。
大変高価な機械ですが、外側から見たのではデスクトップ型のパソコンに見えます。
Macの方が、よっぽどいいデザイン。

「これが○○の遺伝子を解析したものです」と見せられましたが、糸くずみたいなものが、つながっている様にしか見えません。
ここに瞳を青くするとか、ハゲになるとか、様々な設計図というか仕様書が書いてあるわけですよね。
九州大学では遺伝病や難病の治療にいよいよ活用する事になったそうで、この部分については成果に活用を大いに期待したいところです。
しかし、科学は時としてロマンを崩すようで。

空の星も地球から見る美しい姿は女性とのデートには不可欠ですが、これに近づいてヘリウムや炭酸ガスの集まり…ではあまりにムードがありません。
人間はまた、神の領域に近づいたでしょうか。

バブルな景気が膨らみ始めた頃です。
軽薄短小がもてはやされ、「おもしろくなければテレビじゃない」なんて言葉が使われる頃の事です。
私は空手に明け暮れる日々を過ごす高校生でした。

Chapter5とChapter6のとおりの高校生活でした。
他人にそうされたのではなく、自分からそうしたのですが。
折り目正しい、まじめな高校生…って感じでしょうか。
修学旅行の時です。
夕食も終わり、ひとしきりそれぞれの部屋へ帰ったあとです。
クラスメートが別の部屋から大変に楽しそうにしている声が聞こえてきました。
いつも、無視して仲間にも入らないのに、その時だけはどうしても気になったのです。
同じ部屋のクラスメートが、行ってみないかとと私を誘ったのです。
自分でも信じられませんでした。
どうしてこの時だけは頑なに通していたプライドと意地を捨ててしまったのでしょう。

どうして部屋へ入っていたのかは覚えていません。
ドアを開けて私の姿が確認できた途端に冷たい空気が漂いました。
「何しにきたの?」
自意識過剰と言えないでもないけれど、皆の目がそう言っているようでした。
それでも私は部屋の一角に腰を下ろしたのです。

まもなく会はしらけたムードの後に散会となりました。
そして、その部屋で就寝する人のみが残りました。
いたたまれなくなり、私が立ち上がった時です。
「まじめで、バカは取り得がないよな。バカなら明るいほうがいいよな。」と明らかに私を中傷する言葉が耳の入りました。
修学旅行のスナップ写真に私の姿は1枚もありません。
天の岩戸の扉の向こうは楽しい世界ではありませんでした。
外の宴は私を穴からださせる宴ではないって、自分が一番わかっていたはずなのに。

ずいぶん前ですが「小さいことにくよくよするな」なんて本がベストセラーになりましたね。
なるほど、気持ちの持ちようで、変わるなあと思う事がありました。
その中に「人と同じ幸福があると思うから辛くなる。幸福は平等ではない。」なんて項目がありました。

どうして、他人のように幸せになりたいという気持ちを割り切らなければならないのでしょうか?
あの人のように幸せになりたいと願い、考える事が不幸と苦しみの始まりなのでしょうか?

修学旅行のこの出来事はバブル景気に向う世の中にあって、私は思いました。
まじめに一生懸命に生きる人が馬鹿にされ、軽んじられるなんて。
そんな世の中があっていいのか。

享楽にふける者が真摯に、必死に生きる者をバカにする。
そんな事に怒りを覚えながら、例えば神の教えに忠実に生き、生活する人々がいる。
そんな人々に向かって、神に祈って、神が何かをしてくれたというのか…と心で問う。
神を信じて、すがる者にも、沈黙し何も答えないではないか。
この世の現状をみろ。
救世主など待てないのだ。

いいや、人を好きになろうと愛しんでほしいと思う気持ちがあるからこそ、苦しみが生まれる。
それが苦しくなる原因なら、自分はその事から一番遠い存在でいい。
本当はそれが一番できないはずなのに。
そう思ったのです。

そう考え人を見る程に、人それぞれに哀しみや苦しみがあり、わからなくなりました。
人間の本当の不幸は自分が誰にも必要とされてないと思う事。
自分の存在がなんなのか。
どうせ自分なんかと思う絶望感や孤独感。
そんな気がしてきたのです。
勝手に思い込んで…生まれた時から両親も健在で、兄弟がいて、多くの友達に恵まれ。

神は人の心にいると私は思うのです。
この世で、奇跡を行い、人を哀しみから開放する人はいないと思うのです。
新興宗教の多くが、一見現実の哀しみや苦しみを忘れさせてくれるけど、その多くが破綻したように。
この世の他の人も自分の事で精一杯。
他人を救おうなんて余裕のある人はいない。
でも、人間は一人で生きているのでなく、そんな中でも人を求めて、支えあい生きてゆく。

私は、私が孤独に苛まされた高校生活をそれからの自分にとっても必要な事だった思えるのです。
宗教を哲学的側面から捉えて、そう思える私の心には神がいると思うのです。
手をあわせて祈る事はないけれど。
神は沈黙などしていなかったと。

生きて行くとき、様々な失敗をし、人を傷つけ、それでも何で生きているのか。
私は自分がしてきた失敗や苦しみが人の役に立つ事が生きがいなのだと思う。
そんな瞬間が。
それは様々な人の人生が私に生きる力を与えてくれたから。
そして、愛は時に哀しみも苦しみも生むけれど、それだけではない、ぬくもりやあたたかさもある。
やっぱり私は人間が好きだ。

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この世の出来事に一喜一憂する毎日ですが。
しばらくこの事は考えており、文章にして、書きとめておこうと思っていました。
何度もパソコンに向かい書きましたが、どれも自分の気持ちの表現が上手くできずにおりました。
ここまで書いても、その時の自分の気持ちが…と考えるときがあります。
「歴史は創りかえられるように個人史だって自由に変えられる」と言ったのは寺山修二。
記憶の糸をたどって、綴りました。
当時、自分の存在を現実の事と言葉を結び付け不定期に日記をかいておりました。
生きているという証が欲しかったと今思います。
しかし、その後に読み返し、内容に耐えきれず処分しました。

多くの出来事が複雑に絡み合い、様々な感情の中で私は変わってきました。
未完の自分と戦いながら「しあわせのランプ」をもう少し織ってゆきたいと思います。

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この子は充分愛されて 育っていますね

もう少し前の事です。
その日は歯医者の予約時間に間に合わせるのに必死だったのです。
なんとか時間に間に合い、直前の予約の人の治療が遅れており、一息つく間が出来ました。
いつもは必ず読みかけの書籍等をもっているのですが、その日は慌てて飛び出したので忘れてしまったのです。

待合室にあった”日本一短い「母」への手紙 一筆啓上 福井県丸岡町編”を手にとったのです。
最初の作品が

お母さん、雪の降る夜に私を生んでくださってありがとう。
もうすぐ雪ですね。
天根利徳

だったのです。
これだけで、こぼれそうな涙を我慢していましたが、その後の作品で我慢するのは無理だと考え、書籍名を覚えて本を戻しました。
このシリーズは父親や家族宛も含めていくつかあり、人前ではとても読めそうになかったので、帰り道に買って家のトイレで密かに読みました。

先般の福岡での悲しい事件に始まり、罪もない子供が殺される事件に胸が痛むと共にやるせない気持ちを感じます。
この事件の詳細が報道されるにつれ、思い出した事があり書籍を探しておりました。
思い出したのは以下の文章です。

この子は充分愛されて 育っていますね

親と子と別々の面談のあと、児童相談所の先生の口から最初にでた言葉です。もう何年も前のことですが。
障害を持って生まれた息子は、知的障害の他にも次々と病気がでて、そのつど親は右往左往。
また、思うようにできにない「しつけ」にあせり、いらだちと、どうしてよいのかわからず、ただただ一緒に泣いたりと、親の感情のままに育てた子なのに…。
私にとっては意外な言葉でした。

知的障害は様々な症状からくる弊害が大きく、言葉でのコミュニケーションがむずかしい分、本能的に驚くほどいろいろなことを察知します。
そのため、ごまかしがきかず、また素直でむじゃきなのです。

この言葉を聞いたあと”あぁ、いまのままでいいのだ”と思えるようになり、「障害児」という不思議人間と格闘するのはやめよう。
むき合って教えなくちゃという気持ちが萎えて、一緒に並んで、のんびりゆったり歩こうと思えるようになりました。
私が息子にしてやれることは、精一杯愛していくことだけなのかも知れません。

渥美京子 愛知県
こころにしみた 忘れられない言葉 岐阜県笠原町【編】

途方にくれ、迷っている時に、自分を肯定してくれるこんな言葉に出合ったらどんなに勇気と希望を与えられるでしょう。

長崎でまだ小学生で、同級生が同級生を殺す事件があった時、その事を契機としたNEWS23の特集に事件現場の映像に重ねて「タガタメ」が使用されました。

子供らを被害者に 加害者にもせずに
この街で暮らすため まず何をすべきだろう?
でももしも被害者に 加害者になったとき
かろうじて出来ることは
相変わらず 性懲りもなく
愛すこと以外にない

タガタメ Mr.Children

愛すこと以外にない。

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あなたの記憶にある最初の思い出はなんですか?

先週は取引先との接待もあり、立山アルペンルートを富山県から長野県へ向かうルートで移動しました。
天気にも大変恵まれ、美しい景色を堪能する事ができました。
役得役得。
写真もいくつか撮影し、帰宅して小学生2年生の二男に見せると「今日は会社の遠足だったの?」と聞かれてしまいました。

黒部ダムで取引先がダムの下を覗き込んでいる時、同じくダムを覗き込んでいる家族に置き去りにされ、ベビーカーから大脱出イルージョンを試みようとしている子供が一人。
イルージョンは成功せず、遂に関心を引き戻す為に泣き始めました。
これを後輩と同じ視線で見ていた私は「子供ってかわいいよな。自分の子供はあんな時期は過ぎたけど、孫なんてできたら間違いなく溺愛しそうだ」と私。
後輩も(彼は結婚が早かったので、既に高校生の子供がいます)「私もそう思います。他人の子供でも、子供を見ているだけで顔が緩みます。自分にも孫なんかできたら、間違いなく溺愛しますよ」と話しておりました。

長崎県の島原半島にある有家という場所へ仕事で行った事があります。
取引先と現地事務所での待ち合わせでしたが、約束の時間より相当早い時間に到着しました。
応接に通されましたが、道路をはさんで聞こえる波の音に誘われ、海岸へ降りて行きました。

時期は2月頃だったと思います。
関東の人から見ると、九州は南国のイメージもありますが、冬にはところにより降雪もあります。
確かその日も日本海から有明海へと吹く風は冷たい日だったと思います。

曇りであまり波もない海岸から水平線を見ている時、胸に息苦しさを覚え、思わず両膝をついてしまったのです。
哀しみで涙がこみ上げて来ます。
自分でも理由がわからず困惑しています。
こんな事は経験がありません。

この頃、島原半島では全国ニュースになる大きな事件がありました。
保険金殺人です。
旦那と子供に保険を掛け、情夫と共に妻が殺害する事件でした。

その事件について一部始終を報道や現地の人々から見聞きしたのです。
やるせなく哀しい気持ちになったのは、殺された中学生の子供の事でした。
父親が殺され、情夫が公然と出入りする様になると情夫から暴力を振るわれ、情夫がいる間は家に入る事も許されない。
寒いガレージで膝を抱えて、じっと寒さをこらえながら時間が過ぎるのを待つ。
まだ、自分で、自分の力でこの環境を捨てて人生を切り開いてゆくには幼すぎる年齢。
彼のその絶望と孤独を思うと、例えようのない哀しみと怒りが体中をめぐります。

どんなに哀しかっただろう。
どんなに辛かっただろう。
どんなにさみしかっただろう。

やがて情夫に夜釣りに誘われます。
夜釣りに誘われても楽しい事もない、断る事もできないその状況で、いったいどんな絶望の中で出かけたのだろう。
そこで、睡眠薬を飲まされ海に突き落とされ溺死させられます。
這い上がろうとするところを、押さえつけられて。
そして、その行為を実の母親が手伝っている事を認識しながらです。

私には霊が見えるとか、憑依するとかそういう能力はありません。
でも、それはなぜか突然に私の心をつらぬいたのです。
そう感じたのです。

その後も哀しいニュースは後を絶ちません。
…ただ、おかあさんと一緒にお風呂に入って、眠りたいだけなんだよ。
…悪いのはぼくです。おかあさんは何も悪くありません。
今度生まれて来る時は、愛しんで大切にしてくれる人のところに生まれるんだよ…と祈ります。
一方に心の闇がある事もわかります。
しかし、一方には選択の余地がありません。

「人間失格」という野島伸司さん脚本ドラマの最終回でこんな台詞があります。

…あなた達には実感がないんです。
生きてる実感がきっとないんです。
何か大きなものに流されて、自分がなんなのか分からないでいるんです。
人間なのか、自分の体の中に何色の血液が流れているのか、傷つけると痛みを感じるのか。
それが分からないあなた達は、友達の体から赤い血が流れて、苦痛に顔を歪めて、孤独や絶望で表情を失っていくのを見てほっとするんです。
友達を傷つけることで、生きてる実感を感じようとするんです。
勘違いしないでください。
友達にいくら赤い血が流れていても、涙が溢れていても、それはあなた達自身じゃない。
あなた達は、人間だとは言えません。
みんなが…みんなが生まれたことだけで、もうとても素晴らしいことなの、生きていることだけで、素晴らしいことなの。
自分自身の存在に、早く自分自身で気づいて。
素晴らしい自分の命と同じように、友達の命も素晴らしいことに気づいて。
自分を愛するように、友達も愛して…。
            …人間・失格―たとえばぼくが死んだら 野島 伸司 (著)

あなたの記憶にある最初の思い出はなんですか?
そう問いかけられた時に、誰もが自分が愛しまれた素晴らしい思い出であるように。

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音楽は思想を超え、宗教を超え、言葉を超え、伝わる人間が持つ心。

中学生の頃、深夜番組を親の目を盗んで見たい事がありまして。
中学生の男の子が、親の目を盗んでみたい番組です。想像して下さい。
当時、日本に初来日していたカラヤンの番組を見ると嘘を言って、ちょっとHな番組を見ようと、ドキドキワクワクしながら、親が就寝するのを心待ちに準備をしていました。

しかし、カラヤンの番組を本当に最初に見たら、その虜になりました。
神経質そうなその風貌。
来日するのに、専用のシェフを連れてくる。
専用のジェット機で来る。
フルトヴェングラーとの確執。
ヘビィメタルバンドのメンバーとは大きく違います。

ヘルベルト・フォン・カラヤン
何よりも情熱あふれる、指揮するその姿。
目を閉じながら、水面を走るようにしなやかに、大地を割るように振り下ろされる刃物のように、震えながら天を衝くように振り上げられる指揮棒。

もともとクラッシック音楽は好きでしたが、その作品の背景よりも楽曲で聞くというか、メロディーで聞く事が殆どだったのです。
カラヤンの指揮する姿にすっかり心奪われました。
音楽を聞く事の深みを与えてもらった気がしました。
オーケストラを手中に、目を閉じながら、感情を高ぶらせて、神々しい。

それから、特に来日したヘビィメタルバンドがステージで狂ったようにプレイする姿は見ましたが、カラヤンの指揮と同じ感覚はありませんでした。
それはそれで素晴らしいと思いましたが、神々しさは感じなかったのです。

ところが、日本のヘビィメタルバンド「X Japan」yoshikiのドラムプレイを見たときにカラヤンと同じ感覚がありました。
全身全霊を込めて、猛烈なドラミング。
曲のドラマチックな部分では必ず表れ、ギターやボーカルにも決して負けない猛烈な存在感のドラム。
あれじゃ、ライブの最中に倒れるのも理解できる。

今度は反対になりますが、エドワード・デュプレのチェロを演奏しているところは見た事がありませんが、その気迫は残されたCDのプレイに感じます。
エルガーのチェロ協奏曲は私がこのCDに出会えてよかったと思ったCDの一つです。
人が呼吸をするように聞こえてくるそのチェロは、弦が限界まで演奏者と闘っているようであり、喜怒哀楽いやそれ以上がメロディーを超えてくるのです。
愛なのか、喜怒哀楽なのか、楽器の変遷か、または演奏者の人生か。
彼女の人生が聴く者に更に迫ります。

小学2年生の息子が先日、妻が見ていた「戦場のピアニアスト」のDVDを横で見ていました。
私はこの映画を見た事がありません。
ナチスドイツがユダヤ人に対する迫害の残酷なシーンがあるそうです。
彼はそれを見て、何を、どう感じたのでしょうか。
ストーリーを理解出来たでしょうか。あえて聞いてはいません。

しかし、イラクを始め世界で繰り返される悲しいニュースに、時々興味を示し私に理解できない内容を聞いたりします。
それから彼が弾くピアノには、何かを感じる…は親バカすぎます。
現在は3月の発表会に向けて、半分いやいやながら練習をしています。
ところが、通知票にある先生のコメント欄に「ピアノを弾いていたら、皆が集まって来て、スゴイと尊敬されていました」なんてのがありました。
おいおい、そういう事に使うんじゃないよ。

ショパンの革命はなぜ、あんなにも狂おしいのでしょう。
ベートーベンはなぜ、第9の最後を喜びの歌で終わらせたのでしょうか。

鹿児島への出張で、知覧の特攻隊の記念館に立ち寄りました。
その遺品や遺書は表現が困難です。
その時に一緒に同行した取引先の常務は女性であり、母でもありました。
彼女は涙を禁じ得ませんでした。
肌身に迫った現実があるわけではありませんが、悲劇は世界で繰り返されています。

ショパンの革命はなぜ、あんなにも狂おしいのでしょう。
ベートーベンはなぜ、第9の最後を喜びの歌で終わらせたのでしょうか。
私はなぜ、カラヤンの指揮する姿に感動をし、デュプレの演奏に感動をするのでしょうか。

きっと人間の根幹は単純で、皆が同じものを持っているからなのであろうなあと思うのです。
音楽の可能性に崇高を感じ、人間の可能性を感じます。
男と女、兄弟、親子、隣人、同じ故郷、そして…世界に住む同じ人間。
思想を超え、宗教を超え、言葉を超え、伝わる人間が持つ心。

あまりに尊大なテーマですが、でも答えは単純なところにある気がしませんか。
上手に表現ができませんけど…。
ベートーベンはきっと、苦難の連続だった人生でも、喜びの歌で表現をしました。
いや、したかったのだ、せざるを得なかったのだと私は思うのです。

さて、冒頭本当にカラヤンの指揮に感動をした私はHなテレビを忘れていたのでしょうか。
いいえ、忘れていません。
カラヤンの番組が終わると、大急ぎでチャンネルを変えましたが、終わっていたのです。
やっぱり…ガックシ。
懐かしい…青い想い出です。

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少し疲れた…そんな時

職場の夏季休暇は自身の仕事と相談で随時休暇をとります。
今年もお盆の時期も仕事でした。
時節に関係なく仕事柄、電車を始めとした様々な交通機関で移動をします。

お盆の時期を中心に小さな子供や小学生をつれた家族連れが増え、いつもは妙に静かな場所がにぎやかに華やいでいます。
行く道で読むために買ってもらってであろう本を、ホームに座り込んで熱心の読んでいる子。
売店のお菓子をキラキラした目で眺めながら、どれにしようか迷っている子。
朝早く起されて、眠くて仕方の無い様子の子。
皆、楽しそうで、なんだかこちらも楽しい気分が伝染します。

しかし、仕事も毎日順調ではなく、相手のある事ですから、自分の都合通りに行かない事もしばしばです。
都合通り行かない事の方が多いかな…。
予想していなかった事も日々多く発生します。
疲れもたまってくれば、今日はエンジンがかからないなぁ…なんて。

その日、互いに合意に至らない状況が続き、最後はその方の自宅へ招かれ、続きはそこでとの話になりました。
正直「しまった…」と思ったのです。
アウェーに持ち込まれてしまったと思ったのです。

伺ったお宅はその地位に相応しく大変立派な家でした。
応接でしばらく待つように言われ、ソファーに座って待っていました。
すると男の子が一人、部屋におもちゃを持って入ってきました。
幼稚園の年中さんくらいかな。

応対者から見ると、その子は孫にあたります。
「かっこいいおもちゃ持っているね」なんて話始めました。
それは男の子なら、たいてい一度は夢中になるミニカーです。
待たされている間に応接間にトミカワールドが完成していました。
二人でひとしきり、いろんな話をしながら待っていました。

着物に着替えてきた応対者が応接に入ってきました。
「また、着物とは…」思っていると、孫に片付けて部屋から出て行くように言いました。
孫は楽しく遊んでいたので、勿論抵抗します。
私は気にならないと伝え、そのまま話の続きが始まりました。

時々、話の間に入ってきてトミカの話になるので、応対者の声が荒くなります。
気にしないで欲しいと私が返答をし、互いの折衝が続きました。
結果、その応接では互いに結論と合意に至る事は出来ませんでした。

本日の話が終了した旨を確認し、ソファーを立つとトミカを抱えながら、彼が私に帰らないでくれと言い始めました。
応対者が「そうは行かないのだ」と話しますが、なかなか納得してくれません。
私もさすがに「じゃぁ、あと少し一緒に遊ぼう」とは言えず、困ってしまいました。

応対者が少し強めに話すと、しぶしぶ諦めました。
玄関まで、応対者と共に彼もついて来て靴を履く私の顔を下から覗き込んで「ねぇ今度何時来てくれる?」と聞いてきたのです。
適当な返事で期待を持たせる事は、かえって心無い事と思い「わからないよ」と答えました。
「じゃ、あした来て、あした、お願い」と言います。
「約束はできないよ」と話すと、「いい加減にしろ」と応対者が話しを止めました。

日を改め、この日の案件は折衝を行いましたが、結果はまとまりませんでした。
その別の日に彼の事を聞かされました。
応対者の娘さんが10代で親の反対を押し切って結婚をし、彼を授かったが、残念ながら結婚は不幸な結果となり、娘さんは実家に帰ってきたとの事。
よい再婚相手も探しているが、候補も見つかっておらず、彼には寂しい思いをさせているとの話でした。

心から、彼に素晴らしい新しい父親が現れる事を祈りました。
暴力を振るったり、疎外感をいただかせるようなろくでもない奴でない事を。
たっぷりの愛情を注げる人物である事を。
メディアで伝えられる、悲しい事とは無縁の彼の明るい未来を心から祈らずにはいられませんでした。

少し疲れたとき、例えばQUEENのフレディ・マーキュリーが死の淵に立ち、絶唱した「The Show Must Go On」を。

Oooh, inside my heart is breaking
My make-up may be flaking, but my smile... still stays on
Yeah oh, oh, oh

My soul is painted like the wings of butterflies
Fairy tales of yesterday will grow but never die
I can fly, my friends

…Queen The Show Must Go On

さびしさを超え、彼に強く生きて欲しいとの願いと祈り。
明日夜が明けたなら、またしっかり生きて行くんだと自分へのエール。

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とびっきりの笑顔と涙がいっぱいの"幸せのおすそ分け"…

とびっきりの笑顔と涙がいっぱいの"幸せのおすそ分け"…

とても暑い日のデートの事です。
仕事が遅れ気味で、待ち合わせの時間を気にしながら、焦っていました。
しかし、結局遅刻。
少しでも遅れを縮める為に、走って待ち合わせ場所に急ぎました。

溶けるように汗をかきながら、待ち合わせ場所へ。
遅刻をひたすらに謝り、食事へと行きました。

その日は串焼きです。
串焼きのコースでカウンター越しにお客の食事する様子を伺いながら順次出てきます。
場所は高層ビルの上層階。
んーっ雰囲気もなかなか。

しかし、日中の暑さと直前のダッシュでビールの喉越しがとてもいい。
1杯、2杯…と当時からお酒は強くないのに進みます。
あーっうまい!!
喉の渇きもおさまり、料理が出されるタイミングが少し緩慢となってきました。
連日の残業と睡眠不足。
少し飲み過ぎてしまったかな…アルコール。

いつしか、私は境界線をふらつきはじめ、羊がたくさんいる世界とを行ったり来たり。
「仕事の話を少ししてもいい…俺、キヨスクで人形売ってるんだけど知っている?」と仕事とはまったく関係のない、日常の業務には一切関係のない一言を残して私は眠りに落ちてしまいました。
「まったく最低…」と彼女が言ったかどうかは…知りません。

それから、3年程してその店を訪れる機会がありました。
何故、訪れたかって…。
その時デートした相手が奥さんになってくれたからです。
また来る事ができた…これが正確な表現でしょうか。

妻のつわりも落ち着き、食欲が旺盛になってきたので休日に出かけたのです。
今度は羊の世界へ行く事もなく、しっかり食事も終える事ができました。

さて、会計が終了すると店長がサービス券をくれたのです。
それはその高層ビルの飲食テナントの割引券でした。
「これラッキー賞」なんて冗談で聞いたら、店長のお答えはこうでした。

「妻が妊娠している時に、とあるお店に行ったら、大きなおなかでは店の雰囲気が悪くなる」と言われたとの事。
また、「生まれた小さな子供をつれて行くと、露骨に嫌な顔をされる店」があったとの事でした。
「それから私は自分の店でそんな不愉快な思いはさせたくない、多くのいろんな人に利用をしてもらいたいと本当に考える様になったんです。
大きなおなかや小さな子供がいても、めげずに当店も含めておいしい食事にいらして下さい。」

昨日の日本経済新聞朝刊の社会面に「幸せの象徴 丹念に」との連載記事が掲載されました。
それは「アトピー」という言葉があまり知られていなかった頃から、「アトピー」の自分の子供が喜んで食べれるケーキを作り上げるまでのパティシエールの事でした。

ケーキには子供の、子供の成長を願う、人の思いが込められる。
一年を無事に生き、ろうそくが1本増えたケーキを前に火を消し、おいしそうにほお張る我が子、孫の姿が見たい。
ケーキはそんな、ささやかでせつない幸せの象徴でもある。

私の長男も喘息がひどく、苦しくて眠れない夜がありました。
そんな時長男が「どうしたら、苦しくなくなるの?」と涙ながらに聞く様に、かわいそうで自分の無力を思い知らされました。

串焼き店の店長も、ケーキ屋さんの渡辺香代子さんも、自分が受けた哀しみや苦しみを人へのやさしさへと変えられる人。
そんな人が灯す、しあわせのランプは明るくて、とてもやさしい灯りです。

誠に勝手ながら、ケーキ屋さんはHPを見つけました。
ネットでの注文も可能になっています。
URLを記載します。
http://she_watanabe.at.infoseek.co.jp/

なお、私はケーキ屋さんとは一切関係はございません。
念のため。

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しあわせのランプ(Chapter1) 黄昏はまだ遠く

「ああ、寒いほど独りぼっちだ」
…井伏鱒二 山椒魚

小学2年生の時の帰りの会。
窓際の席から、窓の外の校庭を見ながら言い知れぬ孤独感を感じていた。
その日は学校の近所に理科の授業で昆虫採集に行った日だった。
その事は覚えているのだけれど、何があったか記憶にない。

この頃の記憶は殆どないのだけれど、いくつか鮮烈に覚えている。
小学1年生の間に着用する通学用の黄色の帽子が皆と違っていた事。
これは「1年生の間は野球帽をいけないんだぞ」と言われる格好の材料となった。
皆と同じ帽子は申し込みに間に合わず、私のはジャイアンツの黄色の帽子だった。

入学時は五十音順で席が決まっていたので、私は窓側の一番前の席だった。
授業中に外を見ていた時、他のクラスの皆が校庭で大きな霜柱を集めて遊んでいた。
その楽しそうな光景に耐えられず、私は窓際から校庭に出れる扉を開けて、外へ出て行ったのだ。

夏休みが始まる最初の日。
通知表と一緒に7人の子供が先生から親への特別の手紙をもらった。
それぞれの事情があったと思うが、私はその7人の1人だった。

その夏休みから書道教室へ通う事となった。
その年の暮れに両親が担任の先生のところへお礼を申し上げに行くと言い出した。
きっとその手紙に書かれている問題点が、先生のアドヴァイスに従い、解決されてゆく傾向がみられたのだろう。
先生は経験豊富な男の先生だった。
伺うその日に車の中での憂鬱な気持ちをかかえていた。
結果、先生が留守で会えなかった事にホッとしたのだ。

私は3人兄弟の長男だ。
第1子で長男なのだから、いろいろ注目されて育ったはずなのだ。
両親の愛情も独占していたのだ。
しかし、しあわせであったが故に、都合の悪い事は忘れる。

弟が赤ん坊が珍しい近所の女の子の友達に家に行っている時、ワークブックを母親を独占して一緒にする時があった。
その時の楽しい、満たされた気持ちは忘れていない。

小学2年生の時にオマケつきのお菓子のオマケがブームとなった。
私はさびしさから注目されたいばっかりにだったと思うが、2人のクラスメイトにそのオマケを2つずつあげると約束した。
しかし、必要となる都合4つのオマケつきのお菓子を一度に買って欲しいとのお願いはできなかった。
弟もそのオマケとお菓子が好きで、買い物について行っては、そのお菓子を一つずつ買ってもらっていた。
買い物について行けば、毎回買ってもらえるものでもなかったのだ。

学校へ行けば約束の履行を迫る二人に困った。
でも、弟のオマケまで誤魔化して持って行き、解決しようとは考えなかった。
自分が言い出してしまった問題であった事よりも、無くなったオマケを必死に探すであろう弟の姿を見るのが何より嫌だった。
時間をかけて約束を履行したのだ。

帽子の事を言うのも、自分で勝手に約束したのだけれども、その履行を迫った二人は同じ二人だった。
クラスでも人気があった。
「あんな明るくて元気な子供が好きだな」と言った何気ない母親の一言は衝撃的だった。
母親に悪気はなかったのだ。

自分の存在を否定された様な悲しい気持ちになった。
自分が忌み嫌うその二人みたいな子がいいなんて。
私にもそんな子供になれと期待しているのか。
絶望感が渦巻いていた。
「愛されない」という例えようもない孤独と絶望。

私は「1年生の時に何故、皆と同じ通学用の黄色帽子を買ってくれなかったの…」と聞くのが精一杯だった。
「申し込みに間に合わなかったのよ」という返答だった。
期待していたのはそんな答えではなかった。

音楽の授業でハーモニカを忘れた。
忘れたハーモニカを机の中を探すふりをしてゴソゴソする私を無視する先生にも急速に気持ちが薄れた。
その日の音楽の授業は放棄した。
教科書の裏面に書いてある氏名欄に漢字で母親が書いた自分の名前がよっぽど魅力的で、その時間に練習をした。
家に帰ってから、漢字で自分の名前が書けるようになったと母親に報告をした。
書いてみせ「すごいじゃない」と褒められる。
とってもうれしかった。

自分より小さな兄弟がいる。
小学2年生は幼児ではない。

そして、私は小さいけれど、とても暖かくやさしいランプを灯してもらう人と出逢ったのだ。

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狼になりたい

最近も仕事は増加したよりも、なすべき事が多く、日々の仕事に忙殺される日々です。
アイデアもたくさん浮かんできて、あれもやってみたい、これもやってみたい…。
自分で仕事を増加させているのでしょうか。
まさに忙殺されるという表現が的確です。

考えていない時は、寝ているとき。
ブログに書こうと思っていたネタが頭に浮かぶと、メモに書き書き。
たくさんたまりましたが、見た事象を感情的に捉え、読み返すとなかなか文章に起こすことも、はばかられる事が多いです。
何を考えているのでしょうかねぇ。

さて、ずいぶんと前の事です。
テレビCMで「決然と前へ」というコピーを使ってOA機器会社が宣伝をしていました。

CM曲もこれが、なかなか良く、当時HPで誰の曲かを調べました。
そのコマーシャル用に作った、オリジナル曲だそうです。
  タイトル:「LET IT ALL OUT」
  歌手:RAJ RAMAYYA(ラジュ・ラマヤ)

この会社のCMコピーの事です。
「決然と前へ」

出張の多くの移動時間で、たくさんの本を読みます。
その中に「FINE DAYS」という4編の短編小説が入った本があります。
いずれも、ページをめくるのが楽しくなる本でした。
いまでも蔵書のひとつとして大切にとってあります。

もし、読まれようと思う気持ちがあるといけないので、ストーリーの記載はしません。
登場する人物がそれぞれに熱いハート持っていて、これが伝播します。
楽しいですよ。
どうしても一部分引用をします。
この短編の中でも、私がとっても、かっこいいと思う女性のセリフです。

…ただ事実を積み重ねるためだけに時は流れる。積み重ねられた事実は時の中に溶けこみ、絡み合う。
それを因果と呼びたければ呼べばいいし、運命と名づけるならそれもいい。
私は生まれ、生き延び、今、ここにいる。
ここから先の時の中に自分の力では選び得ないものが溢れているとしても、私はその時に向かって昂然と胸を張っていたい…

…爬虫類がどうして卵を温めないか、お前、知ってるか?
自信がないんだよ。
それまで自分が誰かを温めたことなんて一度だってなかったから、だから、一番大事な温めるべきものを前にして臆病になるんだ…

…でも一度くらい試してみたっていい。そう思わないか?…

先日、お客様との会食で事務所より少し離れたお店を指定されました。
事務処理に少々追われていたその日、約束の時間に間に合うようにと慌てて事務所をでました。

目的地までのルートは3つ。
地下鉄、徒歩、タクシー。
時間を買うつもりでタクシーに乗りました。

タクシーの運転手さんに急いでいる事と近くて申し訳ない事を話しました。
するとタクシーの運転手さんは通常の運転手さんでは走らない道を通ってくれたのです。
お茶の水界隈は学生時代からの根城で、細かい道も知っています。
運転手さんに「随分、細かい道を知っているね」と話しかけ、「この道を通ってくれた運転手さんは初めてだ」と話しました。

支払いの際に運転手さんに「今日はとってもいい運転手さんに出会えた」と話したら、「70を過ぎてこの仕事をする事ができる。
させてもらえる。
こんなに嬉しい事はありません。
近いや安いが問題じゃないんです。」

さて、ここで脈絡なく続いてきた文章をつないでみたいと思います。

活かされている事は素晴らしい事ですよね。
誰かに為に生きる事は簡単で楽な生き方のように思われがちですが、本当は難しい事だと思うのです。
思い入れをされた相手も人間であるならば、意志があり、思いがいつも通じるとは限りません。
そのずれに誰かの為にだけ生きる人は苦しみます。

しかし、自分が能動的になって、相手に活かされていると感じる時、自分の存在や価値を見出す事ができるのではないかと思うのです。
支え合う事を否定するのではありません。

多くの要素とテーマがあって、この事は単純に示せる事ではないですよね。
かなり混乱気味です。
例えば、つないだ人の手のぬくもりや、暖かさは、言葉や理屈ではない事が多いように。

決然と前へ、自分の意志を持ち、進み、活かされている事に感謝する。
本当はこの事を、この気持ちを上手に伝えたかったのだけれど。
上手につながりませんね。
行間を読んで下さい。

狼はファミリーが最小であり、最大の単位です。
狼が群れている話しはあまり聞いたことがありません。
タイトルは中島みゆきの名曲から拝借をしました。

いつもまでも、狼でありたいと思います。
要領を得ない内容ですけで、長文お付き合い有難うございました。
お疲れ様でした。

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心を贈る花

現在の勤務先事務所が日本橋に移転し、通勤途中に表参道や赤坂、渋谷等…寄り道をする事を楽しみにしていましたが、事務所へ出社する日は残業ばかりで、とても寄り道する気持の余裕が生まれません。
しかし、最優先で広尾に立ち寄りたい店があります。

雑誌「BRIO」4月号(2004年)に大人の店として広尾の花屋「ラ・パレット」が紹介されていた記事を読んでからです。
店主のインタビュー記事なんですが、これが結構興味深くとても印象に残っています。

オーナーの前職は工場やタンカーから洩れた油を処理する乳化剤を販売する仕事をしていたそうです。
しかし、事故が発生したら商売となる、他人に不幸が起きたら自分の商売チャンスになる。
普段営業に会社を訪問すれば「縁起が悪いから来るな」と言われ、次第に仕事が嫌になったそうです。
その頃に花と出会い、思い立ったその人は履歴書を持って花屋さんを回り、飛びこみで採用をお願いしてまわったそうです。
その後、1年して自分の店を露天商からスタートして今では広尾に店を構えるまでに。

「仏様に上げる花を」と生まれて初めてお客さんからアレンジの注文を受けた。
普通なら菊だ…彼はカーネーションに野草を組み合わせた。
そして、束にして老婦人に渡した。
彼女は驚いた表情をして「まあ」と言い、お辞儀をして帰っていった。

…注文されたのは、いろんな花なんですよ。すみれとか、ひまわりとか…。
買い物帰りにお金が余ったから、500円できれいな花束を作ってくれと注文された事もあった。
今日はとても楽しいのよ、可愛い花を一輪だけちょうだい…、なんて言われて。
幸せですよ。幸せを売るってのはあんな感じだな、うん。
その時に思いましたね。

誰に贈るんですかって聞いたら、バカねぇ、杉田さん決まってるじゃない、自分のためよ、自分に贈るのよ。
だって、きょうはもうたくさん、働いたんだから、花とお菓子を買って帰るのよって。
カッコいいなあと思った。
花を自分に贈るって。

私はよく花を贈り物にします。
仕事でお世話になった人が引退をされるような時は必ずお送りします。
結構センスを問われますものね。
緊張します。

でも、こんな素晴らしいお店、一度伺ってみたいと思いませんか。

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東京の人情

今日、同じ道を通り、ふと8年も前の事を思い出しました。
福岡の事務所に勤務しており、年末に東京へ帰省していた時の事です。

12月31日、東京に帰省し移動中の事です。
私の妹から借用してきた車の調子が悪く、路上に止めざるを得なくなりました。
交通量の多い、大きな幹線道路の環状8号線で。
場所は東京23区内の杉並区です。

31日も夕方、5時過ぎです。
付近の商店も灯りがついている店はまばらです。
日が暮れてきました。車も人通りもあまりありません。
バス停前の歩道に乗り上げて通行の邪魔にならない様に止める事がなんとか出来ました。

JAFに連絡をとり、しばらく待っておりました。
バス停に止まるバスも多くは無く、降りる人もまばらではありました。
しかし、この時間に1家で小さな車の中にいると、訝しげに中を覗きこんでいきます。

(よりによってこの年末のこの時間になんで、車の故障でこんなところで立ち往生しているんだ。)なんて、私のイライラも助長させます。

しばらくして、JAFの目印変わりに私が車外に立っておりました。
また、バスが1台停車。
降りた人の内の1人、年の頃50歳くらいのご婦人でしょうか。
スーパーの袋を手に下げながら私に近づき、「車故障しているのでしょ。奥様や子供さんがトイレにお困りだったら、私の家がそこだから遠慮なく、お使いなさい」と申し出てくださったのです。

物騒な事件が続く中、東京で、私が子供のいる家族連れだったとはいえ、この申し入れには感激いたしました。
私が見ず知らずの、車が故障して困っている人に、自分の家のトイレを使えとは言えません。
「私の家が嫌ならば、先にマクドナルドと、こっちにはコンビにがあるから、そこのを借りるといいわよ」と案内までして頂いたのです。

丁重に今、必要のない事をお話し、お申し入れはお断りしました。

2000年末と20世紀末、思わぬアクシデントとでしたが、忘れ得ぬ出来事となりました。
久々に東京に帰省し、再会した人々にまずこの事を話しました。
東京は…と言われる事が多い中、故郷である東京の事で胸を張れる出来事でもあったのです。

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アンタッチャブル

「試合は(どんなに困難な事があったも)最後まで戦う事だ!」

夜に書くブログは夜書くラブレターに同じく、ひときわ思い入れの感情が強くなり、独りよがりになる事が多いのですが、とても嬉しい事があったので書き始めました。

早いもので、大学を22歳で卒業して就職をし10年以上の月日が経過しました。
気の早い会社では永年勤続の最初の表彰が15年目なんてところがあるのです。
現在の勤務先には15年ではそういうシステムはありません。

気になっていた同卒のその友人は、勤め先の15年永年勤続の表彰に姿を現しました。
たまたまその友人と同じ会社に就職している、これまた同卒の友人が教えてくれました。
彼はその会社の社長から確かに15年表彰を受け取ったと。

約15年前になると思いますが「アンタッチャブル」という映画公開されました。
ロバート・デニーロがアル・カポネ。
ケビン・コスナーがエリオット・ネス。
大学の授業後にたまたま暇に任せて、その友人とその映画を見たのです。

カポネの部下にテロで殺された娘の母親が、失敗が続くエリオット・ネスに「…戦ってくれたのはあなただけだった。私はあなたを信じます…」という励ましの言葉。
人の哀しみを自分の強さにかえ、その哀しみにピリオドをと決意する力強さ。
誰か一人でも支え、応援してくれる心強さ。

告訴されたアル・カポネが新聞記者の取材に対して、「ボクシングの試合は最後まで見ろ!リングに最後まで立っている方が勝ちだ!」と宣言。
これに対し映画の最後でエリオット・ネスが「試合は(どんなに困難な事があったも)最後まで戦う事だ!」と言って勝利を手にします。

映画のその結末の爽快さに、2人で「アンタッチャブル」談義をしながら一杯やって帰った記憶があります。
彼は「デニーロアタックと言って、アルカポネになりきるためデニーロはおでこの毛を抜いた」とか「太ったんだ」なんて教えてくれたのです。
また、時はバブル絶頂期でアイビーの志向が強かった私(あ~恥ずかしい)に「あのケビン・コスナーが着ているスーツはアルマーニだ」なんて教えてもくれました。

彼は渋谷・青山・原宿・表参道辺りの事を詳しく、私にいろいろ教えてもくれました。
上昇志向が強く、様々な事でよく刺激もされました。

そんな彼が仕事上の日々の激務から、心の病になった事を聞いたのは3年程前でした。
福岡から東京へ転勤で戻ってきた際に、同卒の友人達が会を催してくれました。
「なんだ俺様が帰ってきたのに、野郎挨拶もねぇのか」なんて冗談で悪態をついていましたが、その時は仕事がどうしても都合がつけられないからだなんて事でした。

結婚も北陸の本人よりも優秀な、もったいない女性と結婚したとの連絡は前に聞いていました。
お互いの意思で結婚式もしないとか。
年賀状は届いていましたが、印刷の年賀状の一言はあきらかに奥様の筆跡(まあ、人の事は言える立場ではありませんが…)。

その後、遂に出社も出来ない状態になったと聞きました。
ユーモアのある野郎で明るく、政治から芸能まで時事に強く、話題に事欠かない奴だったのに。

ショックでした。

励ましの言葉なんて持たないくせに「会えないのか」と話した時、奥様から「今の自分を誰にも見せたくない」と言っていると聞かされました。

日々、特に仕事では締め切りや達成しなければならない目標や予算に縛り付けられます。
投げ出したくなったり、諦めて自分を納得させてしまおうと考える事が多々あります。
そんな時、自分を叱咤激励するのに「アンタッチャブル」の「ボクシングの試合は最後まで見ろ!リングに最後まで立っている方が勝ちだ!」
「試合は(どんなに困難な事があったも)最後まで戦う事だ!」
という言葉に支えられてきました。励まされてきました。(「アンタッチャブル」のDVD、しかも特別版を買って、私は本当にそれを繰り返し見ます)
誰でもが陥るその可能性から救ってくれるのは、実はこういう些細な事だと思います。

心の病で傷ついた彼がよみがえる事を祈りながら、慌てる事はない「ボクシングの試合は最後まで見ろ!リングに最後まで立っている方が勝ちだ!」
「試合は(どんなに困難な事があったも)最後まで戦う事だ!」お互いそう思った時があったよな。
慌てないで、甦ってみせろなんて考えていました。
その心の病の性質上「がんばって」は一番いけないと聞きました。

そんな彼が職場へと復帰し、永年勤続の表彰を受けるステージにまで戻って来た。
嬉しかったのです。
遅れた分を取り返す為に本人は次第に加速しているとの事。
「試合は(どんなに困難な事があったも)最後まで戦う事だ!」

なんで、お前にそんな事を改めて認識させられるのか。
嬉しくて、腹立たしいのです。

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心で育つ種をまく

「種をまく」という本があります。
ストリーの始まりはベトナムからアメリカへ移住した家族の話からはじまります。
父親を知らない女の子が、父の命日に父を思い出して泣く母や姉を見て思うところからです。
母や姉はとうさんの想い出があるから泣けるけど、私はおとうさんが亡くなってから生まれたから、想い出すものも無い…。
ベトナムでは農業をしていたとうさんが、私が種をまき、豆を育てているのを天国から見たら、娘だってわかってくれるかもしれない。
働き者だって誉めてくれるかもしれない…。
この女の子がごみ捨て場に蒔いた豆の種から、やがて周りの人や、町の人々のかかわりへと大きく物語りが展開してゆきます。
人のこころに種を蒔く…って具合に展開してゆきます。

卒業や転勤、この時期は多くの出会いや別れがありますね。
多くの人との出会いや別れを繰り返し、自分は心に育つ種をいくつもらってでしょうか。
それはまた、芽を出し大きく育っているでしょうか。

この時期になるとよく考えます。

今回人事異動で、仕事でお世話になっていた方が退職されます。
博士号も持つ、今現在私がいる業界では権威ある方です。
今の業界にデビューしてから、影になり、ひなたになり支援してくださったのです。
おかげで私は、大変仕事をスムーズにする事ができました。

先日、ご挨拶をする機会がありました。
挨拶の最後に握手をしました。
70歳を過ぎたその手は、老人特有の白く、厚みがあり年輪を感じさせるものでした。
さしだした私の右手を両手で強く握りしめ、「あなたにあってからは、仕事が楽しくなった」とおしゃって下さいました。
決して自分から話される事はありませんでしたが、仕事の合間に垣間見せた自身の人生での出来事。
その端々は私に仕事以外の多くの事を学ぶ種をくれました。

熱海芸者の置屋の女将。
取引先の社長連中とすし屋に移動し、社長連中は若い芸者さん達と、ホスト側だった私は席がなく女将とおりました。
もう5年ほど前ですが、カウンターでその70歳を超えるであろう女性が、「あんたはわかるだろうから…話すけど」と言ったきり、左手を強く握り締めながらおいおいと泣き出しました。
芸者さんにすれば、お涙はご法度だったのかもしれません。
しかし、社長連中も60歳過ぎの人ばかり。
昔の客との久々の再会に女将も嬉しさが募っての事だったのでしょう。
結局、何も話してはくれませんでしたが。

先日、入院されたお客様のお見舞いに病院に行きました。
その時、シートの一角で年老いた母親が年のころ60歳頃の息子の手をいとおしそうになでている光景を目にしました。
そんな事から、ふと思い出した次第です。

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「やさしさ」と「強さ」

自分の哀しみを、同じ哀しみを持つ人へのやさしさに変えられる人。
人の哀しみを知り、自分の力に変えられる人。

仕事も不規則で休みが何時取れるかわからないので、思い立ったが吉日と温泉地に出かけて行きました。
家族も大変満足の様子。

明方の4時頃より息子が鼻血を出し、止まっては出るを6時くらいの間までに何度か繰り返しました。
出血の量からもちょっといつもと様子が違うので、ホテルのフロントと連絡をとり、近くの救急病院を紹介してもらいました。

自分で運転するものと思っていたら、警備員の人が病院まで送ってくれるとの事でした。
治療が済んだら、また連絡下さいとのお話。
この警備員さんは年の頃65歳くらいでしょうか。
大変心配頂き、親切丁寧でした。

今回は少々傷が深くちょっと様子が違うとの事でしたが、大事に至らず治療は終わりました。

治療が済んだので連絡をし、警備員さんが迎えに来てくれました。
帰りの車中も大事に至らずよかったと自分の事の様に安心してくれました。
警備員さんも沖縄旅行中、鼻血が止まらず、沖縄の病院ではもう治療ができないとの言われ、飛行機で本土に帰ってきた事があるとの事でした。
お礼を申し上げ、部屋へと戻りました。

病院から帰ってきて、我が家だけ遅い朝食となりました。
仲居さんが部屋で朝食の仕方をしながら、警備員さんが治療中大変心配していた事を教えてくれました。
また、警備員さんは通常午前8時での勤務交代すが、心配でどうしても自分が迎えに行くと言っていてくれた事も聞きました。

そうして仲居さんは驚愕の事実を告げて行きました。
警備員さんは最近32歳になる息子さんをを白血病か、血液の病気で亡くしているという事。
沖縄の話しはおそらく、ご自身の事でなく息子さんの事でしょう。
言葉をなくしました。

自分の哀しみを、同じ哀しみを持つ人へのやさしさに変えられる人。
人の哀しみを知り、自分の力に変えられる人。

本当に強い人とはやさしい人であり、やさしさは強さと表裏一体といつも思うのです。

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「恨」は雪のように積もる…

三寒四温。
一雨毎に春本番と思いますが、続く雨には少し辟易とします。

先日、長野県から出張の帰り道、新幹線は臨時列車で上野止まり。
新宿駅を経由して帰る私には上野駅はちと厄介。
大宮駅から埼京線を利用したのです。
しかし、よかった。
手に持っていた雑誌を読み終えて車窓にフト目をやりました。
夕日とその風景。夕暮は格別の美しい。

埼玉と東京の境、戸田付近の荒川にかかる辺りはいい。
沈む大きな夕陽の下を新幹線が高速て行き交う。
朱色でかわべりの建物の西側側面を染めておりました。
これだけでも価値有りでした。

移動中に様々な書籍を読みまして、読む都度にいろいろな感想がありまして、自分の考えを頭の中でまとめていると、上手な表現方法が浮かぶ事があります。
しかし、これが記憶に留めておけないんです。
忘れるという事はたいして上手でない表現なのかもしれませんね。

以下は随分まえですが、日経新聞に掲載された記事です。
…韓国文化の母体になっているのが「恨の文化」である。
日本語では「うらみ」を意味する漢字は「怨」でも「恨」でもほぼ同じように用いられているが、韓国ではこの二つの言葉は区別されなければならない。
すなわち「怨」というのは他人にたいして、または自分の外部にたいして抱く感情であるが、「恨」はむしろ自分の内部に沈殿し積もりつづける情の塊なのだという。

怨みは熱っぽい。復習によって消され、晴れる。
だが「恨」は冷たい。
望みがかなえられなければ、解くことができない。
怨みは憤怒であり、「恨」は悲しみである。
だから、怨みは火のように炎々と燃えるが、「恨」は雪のように積もる…とここまで。

この記事を読んでから、日曜日の深夜のドキュメント番組をたまたま見たのです。
内容は里親制度で奮闘をする母親を中心にしたドキュメントでした。
事情があって集まった子供達が、「いつまでも、いつまでもおかあさん(里親)と一緒にいたい」とはじめて安心できるその場所を得て、その場所をいつか失うのではないかという不安を持ちながら、せつせつと話すその姿は「恨」と思ったのです。

母親が作った食事を大切にテーブルに、そうっと大事そうに運びます。
小さな手で大きな皿を抱きかかえ、「おかあさん、いつも忙しいのにごはんを作ってくれてありがとう」と話します。
それはいつも大人の機嫌を伺いながら、自分の居場所を確保しなければならなかった、そうしなければならなかった事の証でしょう。

番組の最後に子供が書いた短冊が映ります。
「おかさんといっしょにいたい。ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、いっしょにいたい はなれたくない」と書かれていました。

「恨」は雪のように積もる…。
昔見たテレビのドラマで、恨みに恨みを重ねても悲しくなるだけというセリフがあった記憶があります。
似てはいないのでしょうけど、「恨」の先には例えようもない孤独であったと思う事が私にもありました。

大学を4年の夏です。
バブル絶頂期で就職も引く手あまた。
しかし、学校の就職課から面接の要請があり、指定の時間に行ったのに待たされた事がありました。
その待合室にタイトルは忘れましたが福祉関係の本があったのです。
結構大きなサイズ。
暇に任せて手にとったのです。

見開きは工場で働く情緒障害の子供達の様子でした。
そこに聖書の言葉が大きく見開きで書いてあったのです。

「生まれながらにして、身体が不自由な者がおります。彼らは何も罪を犯していないのに何故、そうのですか?」
「それは終わりの日に、彼らに神の印が表れる、選ばれた人々だからなのだ」…なんて事が書いてありました。
私その時、頭の中に想像がよぎったのです。

遺伝子に影響があるダウン症は顔の表情が皆一様になる症状があります。
終わりの日があるのかどうかは別にして、そんな時、彼らが本当の自分の顔で「おとうさん、おかあさん、あなたの子供として生まれた私の本当の顔はこういう顔なんです。たいへんな私にたくさんの愛情を注いでくれてありがとう。」
そう話す本人と喜ぶ両親の姿を勝手に想像をして、涙がでそうになりました。

NYにルビコン・プログラムなる会社があるそうです。
15~16歳で父親になった者が、生活力もなく、精神面でも未発達で、裁判所から子供との面談を禁じられている、会いたいが、会わせてもらえない。
このような若者に経済的な責任をもつ事で、週末子供に会えるなどの手続きを法的に勝ち取るまでを支援する、なんてのがお仕事の一つ。

これが、かならずステップアップできる仕事を紹介し、本人の意志を高めてゆける事及びビジネスが両立しているのが特徴。
福祉とビジネスが両立する環境。
特にリック・オーブリーというお方がCEOになって、この会社の体質が大きく変貌したそうです。
ルビコン・プログラムは私の興味をかきたて、驚きと一つの方法を示してくれたなんて思ったのです。

考える事は自由…。

多くの人に出会い、同じか近い意志を持つ人々にも出会いました。
夢は決してあきらめない事。これが肝要。
毎日の業務に追われながらも、考える人でした。

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