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2013年10月 2日 (水)

あなたをなくしたら 明日に何を思えばいい?

今日の朝のニュース映像に心が釘付けになりました。
昨日JR横浜線で起こった踏切事故の報道です。
たまらない、やるせない、この事故に、言葉はありません。
献花が絶えない事故現場で、中学生と思しき学生が線路を挟んでひとり踏切の反対側から手を合わせていました。
誰に言われたわけではない。
心からこの不幸な事故を痛み、冥福を祈り、その行動に敬意を示す。
私はその映像に心が釘付けになりました。

今日、岡山県への出張から戻り、録画予約していた番組を再生しました。
その中に、この事故で亡くなられた女性のお父さんがインタビューに応える映像がありました。

娘の行動でひとつの命が救われた。
でも、大切な娘の命は失われてしまった。
ひとつの命が救われた事に、娘が亡くなった事を重ね合わせても。

人の痛みをわかるようにと育て…。
人の哀しみを自分の事として感じられるやさしい人になるように育て…。
生きる事の尊さをわかるように育て…。
だからこそ…。

娘は父の前で逝ってしまった。

このお父さんの気持ちを思う時、私は涙が止まらなくなりました。
しばらくしても、なんだか出張の荷物も片づける気持ちが起こらず、スーツのままでソファに座っていました。
温度センサーが付いている天窓が自動で閉まる音に気が付いて、きっかけで立ち上がると同時にオーディオのリモコンを手に取ってスイッチを押しました。

最近気に入って聴いていたJUJUのDistanceです。
きっと、結ばれない、結ばれる事が許されない者どうしの切ない気持ちの楽曲だと思います。

終りにしたほうがいいって
頭でわかっても
心が言うことをきかなくて

あなたをなくしたら
明日(あした)に何を思えばいい?
教えてよ

愛してるって言わないで
またつらくなってしまうから
今はただ 何も言わずに
夕陽が姿消すまで そばにいて

JUJU / Distance
http://youtu.be/aJq6N0cuqrI

この歌詞におとうさんの気持ちを思い、涙が滲みました。
いつもより少し強めに顔を洗いました。

踏切の高齢者助け、女性死亡=事故現場に献花相次ぐ―横浜

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2009年8月 9日 (日)

ふたりぼっちの孤独

ふたりだけの孤立を、ふたりぼっちの孤独を、なんとかする事ができなかったのだろうか。
彼女の身体に新しい命が育まれている事を知った時、どう思ったのだろうか。
どうしよう、どうしようと思い続けた結論は、どうしよう…と結論が導けない事でしかなかったのだろうか。
ホテルで不安と孤独の中で、産まなければならなかったその気持ちは考えるに辛すぎる。

我々は必ず誰かの息子であり娘だ。
産みの親と育ての親が違っても、この世に誕生してから、誰かの手が、暖かい手がなければ生きてゆけない。

産まれてから喜びを感じるよりも、手をのばしても温もりはなく、寒さに生存のための不安でいっぱい。
目も見えず、声も出せない。
最初で最後に抱かれた鉄の籠は命を守ってくれるゆりかごではなかった。

ふたりにとって幸せはさびしくない事だったかもしれない。
ふたりなら、ふたりぼっちなら、いいんだと思っていたのかもしれない。
いつも互いが互いに寄りかかっていては、疲れて歪が出てしまう。
互いに時と場面を変えて、それぞれが支えあう力も必要なんだ。

そんな力を養ってゆく為に、そのために、大人がいるんだよ。
信用して、相談できる大人が近くにいなかったんだよね。
少し、君たちより経験を重ねたふりをして威張っているけれど、皆多かれ少なかれ同じ道を辿ってきている。
あなた達が思う疑問を明確に答えられる大人なんていないよ。
でも、あなた達と苦しみも、哀しみも、喜びも分け合う事も、知恵を出す事もできるかもしれない。

産まれて亡くなってしまった子供に、なぜ彼女が生まれてきたのか、何の意味があるのかと誰もが納得のできる説明ができる人はおそらくいない。
それは大人も、誰もが自分が生きている価値や意味を探し続けているから。
「今、生きて自分がここにいる」そんな感動を繰り返したり、求めたりして人は生きているのではないだろうか。

この「ふたりぼっちの孤独」と哀しみがふたりを囚われの人生に陥れるだけとならないように。
そして生きる事ができなかった彼女には「今度はきっと素晴らしい世界に生まれておいでよ」と心から祈ります。
そして、こんな哀しみが終わる日を信じて。

自転車のかごに乳児を遺棄 容疑の18歳母と少年逮捕

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