スポーツ

2013年3月15日 (金)

強くやさしい人になりたい

マニー・パッキャオ
フィリピン、ミンダナオ島出身のボクサーです。

極貧の中で育ち、ボクサーとして6階級制覇という驚異的な記録を残しています。
身長は170㎝に満たないボクサーとしては小柄なタイプですが、自らよりも上の階級の黒人や白人選手と戦い勝利して行きます。

私たちは巨大な敵に少数の力で勝利を収める戦いに関心を示します。
例えば、織田信長の桶狭間の戦い、日露戦争がよく例になると思います。

育ったミンダナオ島の極貧で厳しい環境を少しでも改善させたい。
ファイトマネーを祖国に還元し、国会議員にもなって、故郷のために戦います。
議員もしながら、プロボクサーという大変な二足の草鞋を履くのです。

しかし、この厳しい環境がボクサーとしてのパッキャオを追い詰めて行きます。
厳しい環境の中で、限界がささやかれ始めます。
そして、宿命のライバル、マルケスとの世紀の決戦。
文字通り死闘となり、マルケスを追い詰めたと思ったその瞬間。
勝利を確信した瞬間に落とし穴が待っていました。
結末は衝撃的でした。
マルケスの渾身の一撃にマニー・パッキャオはマットに沈みます。

ミンダナオ島ではテレビの前に皆が集まり、応援しています。
見ている人の、応援している人の目は真剣そのものです。
皆、パッキャオと一緒に戦っています。
パッキャオも地元の期待と希望を背負い戦っている事を痛いほど感じています。

結果が示された瞬間。
会場では悲鳴と落胆の声が上がり、茫然と映像を見つめる人が映りました。

パッキャオが飛行機で故郷へ帰る映像がありました。
飛行機の中で、彼は地元の期待に応えられなかった事をさらに痛切に感じているようでした。
申し訳ない…映像からは、そんな表情を読みとる事が出来ました。

故郷で、どんな罵声を浴びせられるだろう…。
石を投げられるからもしれない…。
誰も話なんて聞いてくれないかもしれない…。

そんな彼が空港から、車で地元へ到着すると…。

そこは賞賛の嵐だったのです。
故郷のために、命を懸けて戦った男を皆が賞賛し、歓迎しているのです。
車が通る沿道にはたくさんの人が押し寄せ、命を懸けて戦った故郷の英雄パッキャオを賞賛しているのです。
自分よりも大きな敵に、小さい身体で果敢に戦った男。
その姿に勇気を、生きる力をもらったからこそ、皆が賞賛しているのです。
心から応援したからこそ、賞賛しているのです。
彼は最初は戸惑いながらも、沿道の人から寄せられる歓声に答えてゆきます。

そして…
「俺は故郷を背負って、皆の期待を背負った戦ってきたと思っていたが、支えられていたのは自分だったんだ」
パッキャオはそう語ったのです。

NHKスペシャルでこの内容は放送されたのですが、私はしびれてしまいました。
貧困から来る哀しみや苦しみをなくしたい。
誰もが笑顔でくらせる、そんな日常を。
彼が自分の苦しかった幼少期を思い、自分を闘鶏になぞらえ、でもこれを解決してみせるという闘志を燃やします。
哀しみを、力に変えるのです。

そして、負けたパッキャオが初めて感じるその思いは、哀しみを、自分の苦しみを人へのやさしに昇華させるものだったと思います。
ここに強くやさしい男がいると私は思います。

日本の障害児教育の祖である石井亮一さんは、伴侶である筆子さんにこんな言葉を残しています。

「人は、誰かを支えている時には、自分のことばかり考えるけれど、実は相手からどれだけ恵みをもらっているかは、気づかないものだよ」

パッキャオが感じた思いも同じでしょうか。
石井亮一さんやパッキャオの様にはなかなかなれませんが、私も強くやさしい人でいたいと心に思います。

| | コメント (0)

2011年8月10日 (水)

その情熱の中に、松田選手の、そして男の意地を見ました。

今日の日韓戦。
帰宅して、後半戦をわずかに見る事が出来ました。
香川選手の2ゴールと6年ぶり勝利。
素晴らしかったですね。

20110804004

8月4日。
仕事で長野県内におりました。
夕刻の予定の準備でホテルにチェックインし、身支度を整えていました。
部屋に入ってすぐ点けたテレビは6時からのニュース番組でした。
この時、一番長い時間を使用していたのは、松田選手の訃報でした。

松本山雅での活躍とチームの発展を期待されていた事も勿論です。
番組でサポーターにインタビューをしています。
松本山雅のサポーターは松田さんの、人物そのものに魅力を感じていた。
とてもそれを感じました。

俺、マジでサッカー好きなんすよ。

私とは年齢がちょうど10歳違います。
勿論、私が年上。
マスコミを前に発言する事も多く、またそれによっていろいろな評価をされたと思います。
2002年の日韓でのW杯で、当時のトルシエ監督ともぶつかり、その発言と共に大きな話題となりました。
その後、遠征先の韓国から無断で帰国するなんて事もニュースになりました。
それからジーコ監督時代にも、チームからやっぱり無断で離れた事があり、結局日本代表からは外される事となりました。
いろいろメディアを賑わせましたが、日本代表が急速に世界の舞台で戦える力を持つ原動力となったDFだったと思います。

発言するリスク…場面場面でいろいろあると思います。
沈黙は金という言葉もありますが、近頃はそれがあまり評価されない事も多くなりました。
仕事でも外国人を相手にする事が増えました。
外国人が相手では、日本人同士で会話する際の暗黙の「そんな事言わなくてもわかるでしょ」という妥協は許しませんし、通じません。
ついでに、意思を表示しなければおもんばかってなどくれません。

日本のサッカーを世界レベルへと躍進させた松田さんと私が同じ目線では少々厳しい話ですが、思う事があります。
それは小学校時代の道徳の授業での事です。
教材は学校へは持って来てはいけないものを持って来た子供の話です。
それを他の子供が見つけて、先生に告げ口をします。
するとそれを周りの子供たちが「先生に告げ口するのはヒドイ」と中傷します。
教材の話はここで終わります。

この事に意見を書かされるのです。
その意見を担任の先生が集約して発表しました。
先生に告げ口をするのではなく、本人に直接言うのがいい。
私ひとりを除いて、皆がこの意見でした。
皆と違うのは私ひとりでした。

ルールに従って先生に話したのに、ルールを破った人ではなく、注意をしたその人を責めるのは間違っている。

担任の先生は匿名で、こんな意見の人がいましたと、ついでにさらりと言いました。
とても記憶に残っています。

高校時代はひとりぼっち。
臆するものがありません。
冷静にクラスメイトを見ていました。
私は孤独ではありましたが、とても自由でした。
最初から仲間ハズレだし、そうされない様にリーダー格にゴマをする必要がありません。
そんな環境なので、ずいぶんと冷ややかにクラスの様子を眺めていました。
やっぱり人の世界。
いろいろあります。
しかも外の世界とは隔絶された部分が多い教室です。

小学校の高学年の頃から、生意気だとか、どこかで少し世間にもまれた方がいいとか、中学を卒業するまで、よく大人から言われました。
前述の道徳の時間の話は一例ですが、つまらない理屈を言う小生意気なガキだったと思います。

自分の意見を持つ事。
そしてそれを意思として表示する事。
この重要性は大学時代のホームステイのアメリカ人より学びました。

社会人となって、その重要性は周りの環境と共に変わりました。
学生の頃と比べれば、話の仕方や、人と人との応対の仕方、交渉の仕方と発展し学んだつもりです。
世の中は変わって、生意気は自分の意見を持っているからいいと評価される場面が多くなりました。
世の中変わったと思います。

しかし、自分が発言し、意志を表示したならば、行動か、結果が伴わなければ、狼少年の遠吠えとして、次からは信用してもらえなくなります。

このプロジェクトはこの方法で上手く行く。
この取引はこの条件で、次の発展性がある。

いつも上手く行くよりも、上手く行かない事が多いのですが、そう言ったならば、必死にそれを成就させる努力をします。
その過程は厳しい評価の目にさらされます。

松田選手は遠征先から無断で帰国する…なんて事がありました。
16年間所属した横浜マリノスでも、監督との衝突は話題になりました。
トルシエ監督の「フラットスリー」を批判する時の覚悟とその後の成果。
発言に伴うリスクを背負う覚悟とその後の取り組みです。

横浜マリノスでの戦力外通告の後、松本山雅でプレーする事となりました。
その道を選択しました。
松本山雅をJ2に昇格させ、その後Jリーグへ。
都合よくまとまれない、松田選手の情熱です。
その情熱の中に、松田選手の、そして男の意地を見ました。
苦難のその道を自ら選び、成就させる事に挑戦する男の意地です。
器用な部類じゃ…ありませんね。

俺、マジでサッカー好きなんすよ。
マジで、もっとサッカーやりたいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月28日 (日)

浅田真央さんの大粒の涙

自分のおよそ半分の年齢の浅田真央さんが、競技後すぐのインタビューで、大粒の涙を流し、インタビューにも答えられなくなる。
浅田真央さんの倍近い年齢の親父である私がそれを見ていると、(もう、その辺でいいだろ…終わりにしてあげなよ)と思います。
自分の心に去来するであろう、応援してくれた人への思い、期待感、勝負の事。
そして何より自分への悔しい気持ち。
自分の気持ちを整理して…なんて事は無理な話です。

ラフマニノフの「鐘」
セルゲイ・ラフマニノフ 前奏曲「鐘」嬰ハ短調 Op.3-2

重厚な音で始まる楽曲とプログラムはピッタリで、この曲の素晴らしさをプログラムの中から、改めて感じました。
今日、自分の部屋で大きな音で聞きました。
私のCDはオーケストラレーションされていない、ピアノ曲です。
本当に鐘の音を表現する様なメロディー。
ロシアへ行った事はありませんが、ロシアの街の曇り空の下に、高い塔を持った大きな教会があり、その街中に響き渡る鐘の音を想像します。
その鐘の下で、大きな決断をする様なイメージを私は持ちます。
決断よりも決意が的確でしょうか。
ノートルダム・ド・パリの影響かもしれませんが、ヨーロッパの鐘には、なぜか哀しいイメージがつきまといます。
浅田真央さんのプログラムはその表現と共に、この楽曲とピッタリです。

韓国のキムヨナ選手との対決ばかりが、クローズアップされます。
確かにライバルの存在は自身の能力を高める存在にもなりますが、本当に戦って勝つべき相手はそこにはいません。
そんな簡単な構図ではないと思います。
自分の経験でしか書けませんので恐縮ですが、まずは、昨日の自分をどう超えるかを考えます。
行き来しながら、昨日の自分を、今日の自分を、どうやって超えるか考えます。
その事で頭がいっぱいになります。

昨日出来た事がどうして、今日は出来ないのか…。
さっき出来た事がどうして、今は出来ないのか…。
昨日、さっき出来たのは、単なる偶然なのか…。
焦燥感を超え、恐怖すら感じます。

え〜、へっへん
私も19歳の時に世界選手権に出場した事があります。
空手です。

世界大会の個人戦で試合場へ入る前の選手集合の控え室。
先に発表されているトーナメント戦の対戦表で自分の対戦相手が外国人と既にわかっていました。
国籍はイギリス。
「まったく〜どいつだよぉ…」なんてキョロキョロ探していました。
(イギリス人だから白人で、金髪で…いねぇじゃん)
(あそこにいるトレーナーのフードかぶっている黒人はイギリス人じゃないだろうし…)。
そんな人探しをしている間に入場の合図があり、試合場へ入って行きました。
試合場の両端に並んで、目で順番に数えてゆくと、どうしてもさっき控え室でフードをかぶってうつむいていた黒人になります。
(おかしい…誰かトイレにでも行って欠けてるんじゃないの…1、2、3おかしいよなぁ)。
すると同じ組だった先輩が「ケンシロウ、お前の対戦相手は…あの黒人の魔術師みたいな奴だよ」と明快すぎる回答を持って来てくれました。
「えーっ、イギリス人に黒人がいるんですか。俺、世界史専攻ですけど、アングロサクソンは白人しかいないって聞いてますけど…」
当時の誤った見識はご容赦頂く事として、先輩の「魔術師みたいな奴」は忘れられません。

背が高い。
手足も長い。
どうやって間合いをとって戦うか…。
私はその事で頭がいっぱいになりました。
試合が始まって驚愕したのは、同じ流派であり、私がとった方法を鏡に映す様に、同じ動作をしたのです。
(バカにしてるのか…、偶然なのか…)
いろいろな気持ちが交錯し、この時点で私の敗北は決まっていました。
頭に血が上った私は無鉄砲に飛び込む事となりました。
勿論、自分では覚えていません。

くやしくて審判に止められるまで、間に入って遮られるまで、われを忘れていたのです。
歯を食いしばってはずせなくなったマウスピースを、投げ捨てる様にはずしました。
口の中から血が流れ、それを手で覆った時に、鼻血が出ている事に気がつきました。

医務室へ運ばれ、しばらくすると最初に負けた悔しさが爆発します。
それから、自分のとった愚かな行動が、思いが、その情けなさが、自分への怒りとして変化してきます。
試合中にわれを忘れたり、迷ったり、欲が出たり、慢心した事について、後悔の念が押し寄せてきます。
私の経験と浅田真央さんの戦うステージは比較するべきものではありません。

私は浅田真央さんの大粒の涙の中に、まだまだ秘めているであろう大きな可能性のエネルギーを感じます。。
一夜明けて、今晩のニュース映像では、とても良い笑顔もありました。
浅田真央さんには笑顔が似合う。
でも、今般のプログラムのこれまでにない一面と思われ、その表現力は素晴らしかった。
普段の笑顔とは違う凄みは、いつもは見せない、人としての深さを示すものと私は思うのです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年11月 8日 (日)

敗れる事で学ぶ事

11月3日決勝が行われた2009Jリーグヤマザキナビスコカップ。
試合後の表彰式で、準優勝の川崎フロンターレの選手が、メダルをすぐに外すなど、当時の態度が悪くマスコミをはじめ、話題になっていましたね。
悔しい事は勿論だろうし、まじめにやっているからこそ、悔しい気持ちも生まれると思います。
しかし、評価をされる際に、プロだからという厳しい尺度は求められてしまうので、お話が大きくなる事もやむを得ないのかもしれません。

相撲が好きなわけではないのですが、ちょっと気になった事がありました。
先場所は朝青龍の「引退か?」なんて事も絡んで、メディアに取り上げられる機会が多かったと思います。
初日の朝青龍と把瑠都の一戦は、寄り切りで勝った朝青龍が、把瑠都にダメ押しをする様なところがありました。
翌日、勝負が見えてからのあの行為は横綱にあるまじき行為と様々なところから批判されました。

朝青龍の立場だと、本当に「引退か?」って事がかかっていれば、初日はなんとしても勝ちたい…と考えるのは自然な事です。
気合余ってという部分も理解は出来る。
しかし、横綱に求められるもの…と考えた時には、川崎フロンターレに同じく厳しい尺度が求められる事と思います(時々、朝青龍に対するインタビューで、ずいぶん意地悪な質問の仕方をする人もいるなぁと思う事もあります)。
そんな報道がされた影響もあったと思いますが、先場所はふと中継を見たのです。
日馬富士と翔天狼と一戦。
寄りきりで日馬富士が勝ちました。
土俵際まで追い込み、勝負が決まった時、日馬富士は翔天狼が勢いで土俵下に落ちないように、手を握って止めたのです。

敗者に対するこの違いは、どこから生まれてくるのでしょうか。

私がまだ大学生で、現役で空手をやっている頃の事です。
何の試合だったか覚えていないのですが、トーナメントで控え室から出るのが、対戦相手と私が最後だったのです。
私の師範は試合に際しても、試合の結果についても当日は一切その結果には触れません。
これまで全力で取り組んできているのだから、当日はそれを十二分に発揮しろとの方針なのです。
相手方のコーチか、師範かはわかりませんが控え室に来ていました。
互いに試合前のアップをしています。
そこで耳を疑う話を聞いたのです。

そのコーチは「少しぐらい当ててもいいから、相手をビビらせて行け」と言ったのです。
試合場のトーナメント最後の試合ですから、ふたりしかいません。
誰が試合相手か探す必要もないのです。
(それが指導者の言うべき言葉か)
耳打ちしているコーチに、対戦相手はニヤニヤしています。
恐怖で硬直させる事を目的にそんな話をしている事は、誰だってわかります。

性根の悪い私は、聞こえないふりをして腹案を持って試合場へ行きました。

試合が開始されました。
私は相手が脅かす為に間合いを詰めて、当ててくる事がわかっています。
当然、相手が最初に仕掛けてきます。
それを待って、カウンターでみぞおちに当て、かがんだところを膝蹴りで鼻に当て、鼻血を出させました。
すぐ反則で一時試合は中断されました。

相手も真っ赤になって、興奮して怒っています。
最初に一発食らわそうと思っている方が、食らわされたのですから穏やかじゃありません。
やった私は(ざまぁみろ)なんて心で思いながら、ポーカーフェイスです。
それでも再開された試合は、もう試合の体をなしていない状態です。
感情的な殴り合いです。
結果は判定となり、最初に反則をした私の負けでした。

試合場で見ていた師範は、私が最初に恣意的にやった事を分かっていました。
敗れた試合の事で指導されたのは、それが最初で最後でした。

楽天の野村監督が引退をしました。
監督として最後のゲームが終了すると、両軍の選手がグランドに集まり、野村監督を胴上げしました。
野村監督が野球界の偉大なる先人として、チームを問わず尊敬をされていたのだと思います。
最後の試合は野村監督の楽天が負けているのです。

楽天監督して最後のインタビューに答えていました。
その内容に思うところがあります。
「チームとしてはこれでよかったんじゃないか。段階を踏んで行った方がいい。ビッグゲームで負けることで得られるものもある。負けた方が真剣に反省する」

とても大事であり、負けが続く苦しい中から、勝利を得た人だからこその言葉だと思います。
「負けた時には、なぜ、どうして負けたのか?」
「次のチャンスに勝つには、どうすればいいのか?」
こう考える事で負けは大きな意味を持ってくると思うのです。

常に勝ちばかりの人はいませんよね。
自己嫌悪と後悔で、本当は思い出したくない事ばかりが多いのですが、負けに懲りて行動しないことではなく、敗北を受け入れて「次のチャンスではどうできるか?」という反省が大事ではないでしょうか。
負けの悔しさを知るからこそ、勝利の喜びも倍加されるのではないでしょうか。

日馬富士の勝利者の余裕はそんなところから、滲み出てくるのでは…。
勝つ者がいる時は、必ず敗れる者もいる事。
その境目はいつも足元にある事も。
自分もいつでも、その境のどちらにでも入る事を知っているのだと思います。

敗れる者の辛さを知っているからこそ、勝利者となった時にも敗者を思いやる気持ちが持てるのではないのでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)