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2010年11月16日 (火)

わが青春の宇宙戦艦ヤマト

宇宙戦艦ヤマト。

子供の頃に見た宇宙戦艦ヤマトは夕方に放送していた再放送だったと思います。
まずは、あの主題歌のメロディが心を捉えました。
そして、沈んだ戦艦大和の中から現れる宇宙戦艦ヤマト。

本当に小さな頃から読んでいた戦艦大和が甦るのです。
小学館の子供用シリーズに戦艦大和の本があり、図書館へ行くとその本ばかり読んでいた覚えがあります。
戦えば世界最強の戦艦であった事や、今大和はこうして海底に眠っている…なんて想像図を夢中で眺めていました。
残る資料が少ない事が余計に想像力をかきたてるのだと思います。

戦艦大和のその造形美も好きでした。
宇宙戦艦ヤマトはその美しい造形美を引き継いでおり、これまた美しい姿だと子供心に思いました。
宇宙戦艦ヤマトの発進を阻止するべく、ガミラスが超大型ミサイルを送り込みます。
ヤマトが戦艦大和の中からその姿を現し、超大型ミサイルを主砲で破壊します。
するとその爆発と共にヤマトが消えてしまうのです。

しかし、ヤマトはその黒煙の中、艦首からゆっくりその姿を現します。
宮川泰さんのこの時の音楽も素晴らしく、大きな黒煙を背景にヤマトが高度を上げて行きます。
地球滅亡まであと363日。
シビレタヨ…。

そして、子供ながらに大好きだったのは、そのドラマです。
どんでん返しの連続。
どんなに絶望的な状況になっても、それでも決して諦めないヤマトの乗組員。

ヤマトが建造される前の地球艦隊が絶望的な戦いを強いられます。
その時の総司令官、後のヤマト艦長の沖田十三が撤退を決意し、それを伝えます。
すると、それを主人公の古代進の兄が拒否します。

「僕は嫌です!ここで撤退したら死んでいった者に顔向けできません」

「いいか古代、今ここで全滅してしまっては、地球を守る為に戦う者がいなくなってしまうのだ。明日の為に今日の屈辱に耐えるんだ。それが男だ」

映画「宇宙戦艦ヤマト」より

学生時代には様々に、苦杯をなめる事もあります。
喧嘩に負けてみたり、試験でライバルにどうしても勝てなかったり等々…。
そんな時、この沖田指令(当時)の「明日の為に今日の屈辱に耐えるんだ」というスピリッツが、小学生の頃の強烈な印象で、その言葉を忘れていても、その言葉が生きていたと思うのです。
これにラッシャー木村さんの「耐えて、燃えろ!」は今日の不遇に腐る事なく、明日を、明日の成功を信じて頑張れ、今日を越えてゆけ…と私を支えてくれた時期もありました。

そして、信じた道を進めば、道が拓けると思ったシーンがあります。
さらば宇宙戦艦ヤマトで、ヤマトを超える戦艦として新造されたアンドロメダが白色彗星の前には無力に終わります。
地球人類が絶望していると、小さな子供がその父親に語りかけます。
「ねぇ、ヤマトはどうしたの?ヤマトがくればあんなのやっつけてくれるよね?」
この子供の言葉に周囲の人たちが、ヤマトの戦いを思い出し、ヤマトはどうした?ヤマト…なんてシュプレヒコールになって行きます。
信じた道を進んだヤマトは、その前に反逆罪として、地球連邦から訴追されていたのです。

さて、熱が入ってきてしまいましたが、あとふたつだけ。

ひとつは、男の生き様です。
さらば宇宙戦艦ヤマトで八方ふさがりとなった主人公の古代進が沖田艦長のレリーフに語りかけると沖田艦長が答えます。

「お前にはまだ武器が残っているじゃないか。戦うための武器が」

「教えてください沖田さん。どこにあるんです?何が武器なんです?」

「命だよ。人間の命だけが邪悪な暴力に立ち向かえる最後の武器だ。素手でどうやって勝てる?死んでしまって何になる? 誰もがそう考えるだろう。わしもそう思う。だが古代、男はそういうときでも立ち向かって行かねばならないときがある。また、そうしてこそ初めて不可能が可能になってくるんだ。古代、お前はまだ生きている。生きているじゃないか。ヤマトの命を生かすのがお前の使命なんだ。命ある限り戦え!わかるな。」

映画「さらば宇宙戦艦ヤマト」より

生きている。
その事の素晴らしさを思います。
諦める事なく、命ある限り生きる事が不可能を可能とする力を持っている事。
決して、絶望はしない事。

これが最後です。
ガミラスとの最後の戦いで、ガミラス星をほぼ崩壊させる戦いが終わった後で、古代進と森雪が話します。
あたりは戦いの後で、静まりかえっています。

「私達は、なんという事をしてしまったの?私には、もう、神様の姿が見えない」

「俺達は、小さい時から人と争って勝つ事だけを教えられて育ってきた。学校に入る時も、社会に出てからも、人と競争し、勝つ事を要求される。しかし、勝つ者がいれば負ける者もいるんだ。負けた者はどうなる?負けた者達には幸せになる権利は無いと言うのか?今日まで俺はそれを考えた事がなかった。俺は悲しい、それが悔しい!ガミラス人達は地球に移住したがっていた…この星は、既に寿命に達していたんだ。俺達は彼らを受け入れるべきだったのだ…それなのに…戦ってしまった。我々がしなければならなかったのは、戦うことではない。愛しあうことだったんだ!勝利か…クソでも食らえ!」

映画「宇宙戦艦ヤマト」より

勝つ者がいれば、負けるものがいる。
そして、誰もしあわせに生きたいと願う心。

今年、宇宙戦艦ヤマトは復活篇が映画とし公開されました。
http://yamato2009.jp/index.html
映画は見る機会を逸しましたが、ホームページで見た予告編は何度か繰り返し見てしまいました。
「人類最後の希望」なんて言葉に第1作の宇宙戦艦ヤマトを思います。
CGも使用しているのか、そのグレードが上がったヤマトは更に美しくなっていました。
特に氷を蹴散らし、発進する姿はやっぱり美しいです。

今年はヤマトYearと言われているとの事。
木村拓哉さん主演のspace battle ship ヤマトの公開が間近ですね。
http://yamato-movie.net/index.html
ヤマトはいろいろな人の思い入れがある作品なので、製作は大変だったと思います。
こちらは映画館で見たいなぁと考えています。

わが青春の宇宙戦艦ヤマト。

去る11月7日に宇宙戦艦ヤマトの映画プロデューサーであった西崎義展氏が、海の事故でお亡くなりになったとの事。
ご冥福をお祈り致します。

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2010年5月30日 (日)

星空に伝えるありがとう

およそ9年前に現在の勤務先で、福岡県の事業所に勤務していた時期があります。
その時、大分自動車道をひとり、夜遅く福岡方面へ車で戻る最中に、あまりにきれいな星空を見て、ふと思い出し、その時の心が甦った事があります。
この事は若い日の自分に大きな影響があった事であり、「ありがとう」と伝えたかったのに、伝える事が出来なかった大きな後悔です。
今回のネタにどうしても、その事を書きたくて、一度この内容は記事として掲載しているのですが、若干の加筆をして投稿する事に決めました。
それ以後、感謝の気持ちは素直に率直に伝えるものだと考えるようになりました。
自分が伝える感謝の言葉は、日々の多くの人やさしさで、有り余るたくさんの感動を今も私に与えてくれます。

夜のとばりがおりる頃…。
小高いところから、暗くても木々がわかる進む道の側面の山。
正面には墨絵のような形しか、わからない闇に浮かぶ山。
その正面の墨絵のような山の左上方にひときわ大きく輝く星がありました。
星はその明るさから一等星とか、なんとかなんて言うんだよななんて、ぼんやり考えていた時の事です。

湯布院の温泉街の灯りだけが、星から離れて集まって遠くに見えます。
まるで、その星だけが灯りからはじき出されたように。
でも、その星の輝きは孤高ではあるが、美しく、また気高く感じました。

荒んだ中学生活を追え、逃げるように私立の高校へと進みました。
当時、クラスで私立高校へ行くのは私を含めてもう1人だけでした。
高校生になって新たな生活に切り替える事をしばらくは試みました。
…学校には友達が誰もいませんでした。
学校には欠席せず、かならず行きましたが、1日1言も話さない日は少なくはありませんでした。

中学生の頃は、徒党を組んでケンカに明け暮れて、自分の仲間をいかに増やして行くかの毎日。
だから、いつも自分の周りにはたくさんの人がいました。
しかし、考えれば一部の人を除いてはその関係は希薄なものであり、徒党を組んだ人々が日常をスムーズに過ごすための関係でしかなかったのです。
中学生活の終わりにその事に気づいてしまった私は立ち止まりました。

高校生ともなると少しは思慮深くもなり、人間関係においても何でもケンカで解決するわけにはいきません。
また、大学の付属高校に進学したため、ケンカは御法度で大学への進学を阻む、大きな要因になったのです。
そんな事を繰り返したきた私は他人との関係を上手に保てなくなってしまいました。

昨日帰りにマクドナルドでどうしたとか…。
パーソンズの服がどうしたとか…。
皆で集まってコンパをしたとか…。
本当は自分も仲間に入れて欲しいのだけど、中学生の頃自分は…が邪魔をしてどしても仲間に入れてくれとは言えません。
さびしいから、ひとりは嫌だからと…この気持ちで自分を、自分の気持ちを殺してもいいのか。
そうして、私は話しをする人もいなくなってしまいました。
家族にも、今までの友人にも。
自分で自分の心に壁を作ったのです。

かつて自分が「追放」といっては仲間はずれにしてきた人はこんなにさびしい気持ちだったのか。
だれも、自分の存在すら認識してくれない瞬間ってこんなに淋しくて、哀しいのか。
また、空手をはじめた事で、同時に殴られる痛みを感じ、自分の行ってきた愚かな行為が身にしみるようでした。

中学時代のその彼と会ったのは街を歩く時も、下をみて歩く事の方が多くなった頃でした。
後ろから肩を叩かれ、振りかえると彼がいて、私は驚愕しました。
会いたくなかった…が正直な気持ちでした。
にっこり微笑みながら、彼は私に「元気?」と聞いてきました。
本当は走って逃げ出したい気持ちだったのだけれど、しばらく話しをする事になりました。
彼は中学生の頃、いじめられていた自分を私が救ってくれた、仲間に入れてくれたと。
その事は忘れない「ありがとう」と彼は言いました。

違うんだ…そうじゃない!!
私は彼をいじめていた奴にケンカを売る材料が欲しかっただけなんだ。
彼を救うなんて気持ちでやったんじゃないんだ。
「ありがとう」なんて言われる資格はないんだ。

過去の私を知る人と会えば、今の自分と比較される。
今の俺を見ないでくれ…。
その気持ちがいっぱいで、何を話したかすらよく憶えていないのです。

私はこの事が、自分の中に少しずつ変化が出る大きな出来事であったと振りかえって思います。
その後、直ぐにはいきませんでしたが、多くの人との出会いと様々な出来事とともに私は変わりました。
しかし、辛い高校時代がなければ、その後の私はなかったでしょう。
「幸せという字は十分辛いと書く」と教えてくれた人がいました。

すっかりそんな出来事もしばらく忘れる程の時間が経過したある日、彼が自殺した事を知りました。

地上は湯布院の温泉街のたくさんの灯り。
空には輝く孤高の星。
本当はその灯りの中に入りたいのだけれど、燦然と輝く星は孤独に耐えているようで…。
仕事や日常の様々な事で、孤独に負けそうな時は夜空に一人で輝く星を見上げて…何万光年も先でひとりぼっちのくせに、きれいに光りながら頑張りやがって。
負けられないじゃないかって。


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2010年4月17日 (土)

実現不可能だと思われる事でも、今では夢だと思われている事でも、全ては、その理想や希望から始まるのだよ

「実現不可能だと思われる事でも、今では夢だと思われている事でも、全ては、その理想や希望から始まるのだよ」

高校生活も終わりの頃の事。
今にして思えば大学時代に倫理学を専攻していたと思われる教師がいました。
デカルトやカントなどの記述のところは、やけに力が入っていたような気がしたのです。

印象は、なんといっても理屈っぽい人だなぁ…です。
授業でも黒板に書ききれない程で、あまりに熱く、先生ひとりで大盛り上がりの授業であり、大半の生徒はシラケていました。
私もそのひとりです。

ある日、どんな事情があったかは覚えていないのですが、その先生とふたりで話をする環境となったのです。
書籍から得た知識で、論争を挑みました。
小室直樹さんの本に刺激を受けていた事もあり、確か当時の社会党が唱える「非武装中立論」なんて、ひとりよがりの夢でしかない…なんて事を話していました。
可愛くない高校3年生ですね。
私が一方的にまくしたてました。
その先生は腕組みをして、黙ってニコニコしながら、私の話を聞いています。

そして、私の話が一段落したところで、笑顔そのままで一言だけ…「実現不可能だと思われる事でも、今では夢だと思われている事でも、全ては、その理想や希望から始まるのだよ」と言ったのです。

それは話の主義主張の内容ではなく、それ以前の大前提であり、ストンと心に落ちました。
青二才の私の話を、余裕を持って黙ってニコニコしながら聞いている。
待っていられる。
そして、最後に一番大事な事を提示される。
本当の大人の余裕です。

書籍から得た知識で積み上げた話は、積み木の城より不安定で、いまだにスタートラインにすら着いていない事を思い知りました。
自分の思いではなく、誰かの話を、誰かが作り上げたものを単純に評論するだけ。
これは誰にでも出来る事であり、人の話のあげあしをとって、言葉尻をとらえるだけ。
これが、いかに子供であり、大人のする事ではないと感じたのです。
論争をするならば、自分の夢や希望、思いを持って、他人の思いと論争しなければならない。

夢や理想や希望を持てる事の尊さ。
全てはそこから始まるのだと思う事を知った、大人の言葉でした。

ああなりたい…。
こうなりたい…。
こうしたい…。

パンドラの箱に残ったのは、希望だったのか、未来を知る予兆が残ったからこそ、人間は希望を持てるのか…。
諸説あるようですが、私は希望は箱の外へ出て、未来を知る予兆が残ったのだと思います。
未来がわからない事は不安です。
でも、だからこそ希望を持てる。
先がわかってしまっては、楽しみはないし、夢も希望を持っても何の意味もない。

限られた命だからこそ、人間は一生懸命生きるのだと思います。
永遠の命ならば、そもそも後悔などもないのでしょうね。

自分の思いも、夢も、希望も…そんなものはないよ。
なんて思う時期がそれからもありましたが、ないのではなく、探さないから、ないのだ…と気がつくまでにも時間が必要でした。
誰かが運んできてくれるものでもないし、与えられるものでもない…。
自分から探しに行くからこそ、出会えるものなのだと知りました。
それは「実現不可能だと思われる事でも、今では夢だと思われている事でも、全ては、その理想や希望から始まるのだよ」とこの大人の言葉から始まっていると振り返って思うのです。


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2010年3月24日 (水)

Sakura

いろいろな番組で桜が開花する頃になると、桜に関する歌のリクエストとか、卒業や春に関する…なんて楽曲の番組が放送されます。
定番もありますが、その質問で私が答える曲は今年チェンジです。

「sakura」です。
先般、レミオロメンの春~花鳥風月~ 季節限定商品 TSUTAYAレンタル限定CDマキシシングル「春夏秋冬」を聴いたのです。
「虹/ゆず」と一緒にレンタルしたのです。
この中にある「sakura」のオーケストラバージョンはもう最高。

まるで映画のサントラの様にはじまり、決して歌の邪魔はしていないのに、元の楽曲よりもドラマティックなんです。
いろいろな物事が始まり芽吹く春に、生きている喜びを謳歌する様な感じがいいのです。

卒業…。
荒んでいた中学時代の卒業は、唾を吐きながら去るような事。
高校は気持ち開放され記念日。
もう思い出したくない事だらけような事。
大学は社会へ挑戦する、自分自身を燃やしてしまいそうな事。
まもなく自身をあっけなく燃やし尽くしました。
あまりいい想い出はないのです。

でもこの曲は満開の桜の木々の下で、両手を広げて空を見上げながら、生きている事が嬉しくなる様な事を感じる…そんなイメージなのです。
花が咲き誇り、見上げる桜の木々に、散る花びらが重なる様な感じです。

春の匂いがする
蜜蜂が飛んでいる
四ツ葉のクローバーを君にあげたいな
いくつ季節が巡っても変わらぬこの想いを

Sakura/レミオロメン

…実際には花粉症がひどくて、そうはなかなか出来ないですけどね


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2010年3月20日 (土)

あと5年したならば、また読んでみようと考えています

小説は登場人物の人生を疑似体験する事となり、学ぶと言うよりも少し大げさですが、体験する…という位置づけになるのだと思います。
例えば、山崎豊子の小説はきめ細かい取材のよる事実から派生する小説なので、私はグイグイと引き込まれますし、感情移入により、全身に怒りが満ちたり、哀しみに嗚咽しそうになる事がありました。

大人として読むべきオススメの本は?
私はヘルマン・ヘッセ「シッダールタ」をオススメします。

同書宣伝用の帯にもあるのですが人は何のために生きるのか」という大変な命題の書籍です。
この命題に挑戦しながらも、理解出来ない理論の構築で、哲学書の様に説明する内容ではありません。
同書を執筆中にヘッセはスランプに陥り、完成までに4年近い歳月を費やしています。
「体験しないことを書くのは無意味」だと禁欲、断食、瞑想などの難行苦行を行い完成をさせたそうです。

ヘッセ曰く「私の生涯の収穫」「最も貴重なもの」と言わしめている作品です。
あくまで小説の形態ですから、小難しい理屈のこねくり回しではないでのす。

ダリが1日を24時間とした単位は、勝手に地球人類が決めた事で、宇宙はその自身の摂理で動いていると言った事。
24時間と決めた人間は既に、人間自身が限界を決めている証ではないかと思う事。
この思想は表現を変えて、リリー・フランキーの東京タワーにも出てきます。
この事から、私は普遍性が内在している事項だと思うのです。
「時間」という事へも人間がコントロール出来ない、「時」は実在しない…。

そして、「愛」の普遍性が、実在しない「時」との関係で現れてくるのです。
自分でも消化不良なのか、上手に表現できませんが、記載されている内容を引用しての説明は避けているので、ご容赦ください。

小説の形態である事から、主人公に自身を投影し、読み進める事が出来ます。
「人は何のために生きるのか」
「真理とは何か」
私に答えがあるわけはありません。

最初に読んだのは2006年です。
あと5年したならば、また読んでみようと考えています。
これは未完というか、消化不良というか、様々な思いがあるからこそです。

なお、同書は同じタイトルで文庫本となっているのがあります。
私は岡田朝雄訳の新書版「シッダールタ」を読んでいます。

*敬称略


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2010年3月12日 (金)

冬は春を待つ季節

冬。
かならず選択しなければならないのは、大変ですね。
全ての季節それぞれが素晴らしく、どれかと決定するのは難しいですね。
日本には四季があるからこそ、多くの文化が花開いたと思うのです。
どうしてもと選択するならば、自分が生まれた冬としました。

冬来たりなば春遠からじ

冬は春を待つ季節

春へ向けて、立ち上がる大きな力を蓄える季節。

今週の北関東地区の雪はすごかったですね。
仕事で群馬県の富岡市や安中市の付近のおりました。

振り出した雪で、梅林が白い絨毯を敷いたように美しくなり、これに梅の花がとても美しく映えていました。
雪の白と梅の花の白は異なり、自然の白の微妙な美しさの差異は素晴らしかったです。
これが本当の雪中梅なんて…思っておりました。
やがて、湿り気を多く含んだ雪は、梅の木を花を覆い、木をしならせる程の降りとなりました。

夕刻から夜が近づくにつれて、雪は激しさを増し、高崎のホテルに着く頃には、国道17号を走る車両も殆どなくなっていました。
宿泊した部屋が高層階であったので、一面が雪景色となってゆくのを見る事が出来ました。
街燈に激しく降る雪が映りこむ。
なんだか本当の北国に来た気持ちになりました。

翌日は春の雪に高速道路も通行止めとなり、大混乱でした。
でも、雪の種類は春の雪でしたね。
花粉症の襲来と共に、春を感じます。



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2009年9月10日 (木)

高原のおいしいパン屋さん

ワーカーホリックは嫌ですねぇ…。
日曜日にも新聞を読んだり、読みかけのビジネス雑誌を手に取ると、仕事の事ばかり考えてしまいます。
フト、読み物から目を話した時に妻が一言。

「はぁ~っ、おいしいソフトクリーム食べたい…」

この一言に触発され「よし、今から食べに行こう」と私が後先考えず言いました。
時間は午前10時。
今日は長男の部活動もない。
早速、皆で支度をして、車に飛び乗りまして、さて…どこへ行こう。
休日は高速道路は1,000円。
現在の車の燃料から計算すると片道200㌔、現場でタンク半分給油で往復400㌔と判断しました。

中央高速に乗り、長野方面へ。
長坂で高速を降り、清里方面へ。
お昼は時間がもったいないので、コンビニでおにぎりやらパンを買って食べながら移動しました。

清泉寮のソフトクリーム。
いつもは子供のを一口だけ頂くのですが、本日はそれが目的だったので、私も一つ食べました。
今日は天気もいい。
でも少し霞があって、富士山は残念ながら見えませんでした。
ワーカーホリックにはこれぐらいの決断でないと気分が変わりません。

目的を達成してからは、少し他の欲が出てきます。
長男はどこかへ泊まって、明日の朝早く帰ろうと言い出しました。
明日は皆、会社に学校。
それに朝早く運転するのは誰よ。
おまけに本日の思いつき行動では予算オーバーよ。
却下!
次男は温泉に入りたいといいましたが、大慌てで出てきたので、その準備はしていない事から却下。

おいしいパンを買いに行こうという事になりました。
清里から小淵沢を通って、富士見町へ。
高原のドライブだけでもいい気持ち。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」が気持ちをとっても軽やかにします。
ルームミラーでチラッと後部座席を見ると、長男はipodで他の音楽を聴きながら、難しい顔をして外を見ています。
次男はDSに夢中。
おい、君達この名曲聴きなさいよ。

パン屋はいつものお気に入りの店です。
毎年、夏は蓼科へ出かけていましたが、本年は長男の部活動が忙しく出かけていませんでした。
出かけるときは、ここでパンを買い込んで、ハムやブルーベリーのジャム、チーズとか思い思いの具で食べます。
パンがおいしいので、それだけでも満足。
おまけに料理の手間が省けて、奥様も満足。

ここのパン本当にどれもおいしいんです(お店のURLは文末にあります)。
まずはお店の立地、建物と雰囲気がとてもいい。
ここへ買いに来るだけで、楽しい休日が始まる…という気分になります。
そして味が良いので、ついつい食べ切れないぐらいあれも、これもとなってしまいます。
明日の朝食用のパンを買い、先日無理な仕事をお願いした後輩へのお土産を買って帰路につきました。

帰りは渋滞の名所である小仏トンネルから渋滞のお知らせ。
渋滞箇所前に一般道へ降り、山間部を抜けて東京方面へ。
途中の生産物直売所でこれまたおいしいピオーネをたんまり買いました。
これまた、1,000円でたいした量。
高速にブドウに1,000円、1000円って香港の街頭販売みたいですが、1,000円で満足できるなんて素晴らしい。

日も暮れて、帰り道きれいな星空が見えるかと期待しましたが、曇天でまったく見えません。
先は漆黒の闇。
私も、少し疲れたかなと疲労感を感じ始めました。。
いつしか子供達はお腹も満たされ、居眠り中。
目が覚めたら「お腹が空いた、ご飯まだ?」っておまえら…。

翌日は起床がいつもより少し遅くなりました。
朝食を食べる時間はなく、帰りは残業ですっかり遅くなりました。
台所でうろうろしていると妻が「何探しているの?」
「昨日買ってきた、Pan.pan.panのパン残っていないの?」
「ああ、子供がみんな食べちゃった」
「え~っ」
次男がいつ覚えたのかラプソディー・イン・ブルーのメロディを鼻歌で歌っています。
てめぇら…。

おいしい長野県富士町のパン屋さんはここです。
一部商品のネット販売もしていますよ。
http://panpapan.hp.infoseek.co.jp/

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0909062




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2009年8月 1日 (土)

暗闇に映る儚い美しさよ

オフコース楽曲「YES-YES-YES」が発売されたのが、15歳の頃。
曲中で雑踏の音が入り、誰かが走り去る音と共に曲に戻ります。
この時前後の歌詞は…

でも大切なことは ふたいでいること YES-YES-YES… (この間に雑踏の音と誰かが走り去る音が入ります) …もっと大きな声で きこえない きこえないWOO…

YES-YES-YES / オフコース

この雑踏の中で聞こえる声が、何かを話している。
それが、なんと言っているのか。
ずいぶん長い間、この事が話題になりました。

私には「ねぇ…私のこと好き」とい聞いている様に聞こえるのです。
これだと前後の歌詞となんだかマッチする気もするのです。
でも、女性にそう訊かせるのは、少しせつない気がします。

本日現在まで、記録は残念ながらまだ更新されていない(自分史の中で)。
中学時代にバレンタインデーで頂いたチョコレート。
当日は近所の公園に呼び出されては、有難く頂戴致しておりました。
おそらく一生分、濃縮してその時期に頂戴したのだと、今特に特に強く思います。

人間は勝手なもので、満たされている時の記憶は曖昧です。
しかし、比較的鮮明に記憶に残っている事があります。

頂いた瓶に詰めてあるタグに名前が書いてあったのです。
ちょうど私も含むおじさん達がクラブ活動をする際に、ボトルをキープするとかけてあるようなタグでした。
そのタグは一度書いて消した後があり、最初に書いてある名前は私の名前ではありませんでした。
ちょっと苦笑いをして、たぶんチョコレートだけはおいしく頂いたと思います。

話は少し時間が経過しています。
おそらく日直だったと思います。
その彼女とふたりで放課後に話をしたのです。

彼女はいつも自分の恋がうまくゆかないと言っていました。
線香花火の様にふぅ~と赤く膨らんだ火の玉が、少し美しい火花を散らすとすぐに落ちてしまう…。
火花を散らす前に、落ちてしまう事さえも…。

きみの願いは さっきからひとつ
きみは線香花火に 息をこらして
虫の音に消えそうな 小さな声で
いつか帰るのと きいた

みつめているのは 僕の顔ばかり
きみは線香花火の 煙にむせたと
ことりと咳して 涙をぬぐって
送り火のあとは 静かねって

くすり指から するりと逃げる
きみの線香花火を 持つ手が震える

線香花火 / さだまさし

さだまさしさんの線香花火はフトした事から話題になった曲でした。
彼女が誰が好きなのか…わかっていたんです。
私の前にタグに書いてあった名前は、私の友人でした。

線香花火が消えてしまうのが心配なら…。
線香花火の火が落ちてしまうの心配なら…。
いっそ線香花火ごと手に握ってしまえばいい。
美しい火花が散る前に、強く握ってしまえばいい。
その頃の私にはそんな事を話せる強さも、やさしさもなかったのです。

花火セットにある線香花火はいつも出番が一番最後です。
子供はやっぱり勢いがあったり、派手な色の花火が好きです。
そんな花火をしている時は親も遠巻きに見ています。
ところが、最後の線香花火になると皆がいつしか線香花火の周りに集まり、暗闇に映るはかない美しさに黙します。

この時の弱さは、オフコースが解散する事となり、YES-YES-YESがまたリバイバルで売れている頃に自分に身に降りかかってきました。
いいえ、自分の弱さがどれほどに人を傷つけるのか。
本当にやさしいとはどういう事なのか。
それはまた別の機会にしたいと思います。




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2009年5月 5日 (火)

数字の暗示

中学校の時の国語の教師は生徒の集中力が途切れると、怪談ネタを利用しました。
その中に数字にまつわる話がありました。
なぜか、それが記憶に残っています。

それは…こんな話。
携帯電話のCM並みに短縮します。

とある人がおりました。
トランプをしても4のカードばかり…。
かかってくる電話番号も末尾が4ばかり…。
電車の指定席も4番目ばかり…。
4ばかり…。

やがてその人は4時44分に亡くなってしまったのです。
カードや電車の指定席が告げる番号「4」は「死」の暗示であった…ってなお話。

ところが、その話を聞いてからしばらくデジタル時計を見ると必ず44分という事が続いたのです。
例えば3時44分だと思い、何かに集中してふと時計を見るとちょうど1時間後の44分…。
これが1度ぐらいの偶然ならともかく、意識しすぎていたのかもしれませんが、頻繁となったのです。
震え上がりました。

いつしかそんな話も忘れ、妻にフト思い出した様に話しました。
すると、人間は視覚で捕らえていても、意識はしていないが認識をする瞬間があるとの事。
本当は私が1時間毎にピッタリ時計を見ていたのではなく、視覚で捕らえていても意識をしている44分でしか認識をしていなかったとの事。
なるほどねぇ~。

そんな事もあってか、私の好きな数字はこの4をあわせた8です。
いろいろな事があっても末広がりに未来は良いと思う事。
少々強引です。

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2008年11月20日 (木)

白いキャンパスの紅葉

今日、仕事で東京から長野県へ入りました。

本日、朝に駒ヶ根地区に入りました。「とても寒い」と話すと昨晩は粉雪が舞ったとの事。

すると少し積もった雪と紅葉がとても美しいコントラストを作っていました。ああ、デジタルカメラをこんな日に限って忘れるなんて…。

山を見上げれば、山頂付近は雪が降っていますという具合の雲。仕事でなければ、ゆっくり撮影できるのに。一方の高遠方面は山頂付近に雪が積もる美しい峰が青空の下に続きます。白と青の美しいコントラスト。

駒ヶ根周辺から小黒川付近の景観は美しい。凛として冷たさを含む空気が充満する時間は、上った日の光が照らし、木々をなお更に美しく見せます。

これが私の秘密の紅葉スポット。

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コネタマ参加中: こっそり教えて!「穴場の紅葉スポット」

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