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2014年1月

2014年1月13日 (月)

言葉では説明できない…ぬくもりの事

私は髪が長い方です。
しかし、高校2年生まで坊主頭でした。
学生の頃は真ん中分けで、メディアへの露出度が高かった頃のふかわりょう…みたいな髪型でした。
空手の試合などでも、長い髪というだけで結構敵意を持たれたりしました。
時はバブルで、同じ様な髪型がたくさんいました。
そういう髪型はチャラチャラしているイメージが強かったのだと思います。

現在もその延長線上ですが、そこはサラリーマン。
しっかりおでこは出しています。
でも、真ん中分け。
古い先輩達は入社当時、スケベ分けとかおっしゃっておりました。

ご先祖様を見るに、以後髪型が変わる心配はなさそうです。
子供の頃から髪は固く、何もしないで伸ばし放題だとヤマアラシとか揶揄されました。
ところが、これが現在はとてもいい方向です。

髪が固く、ストレートなので、整えると自然と段がつきます。
様々なところで、どれくらいの頻度で美容院へ行くのですかとか、いくらぐらいかかるのですかとか、どこで誰に整えてもらっているのですか?
と、答えるのが恥ずかしくなる質問をされます。
そんな質問をされると、いつもの床屋の親父の顔が浮かびます。
ニコッと笑うと、最近歯に隙間が見えるようになったあの親父。
カリスマ美容師とは言わずとも、超絶技巧の整髪士とでも申しますしょうか。
そして、日々のスタイル維持の為、私にはケープは必需品です。

1月の成人の日を含む3連休は人間ドックの予約をしており、帰京しておりました。
先日の長い正月休みの事が頭になく、おおよそ1年後だからと予約していたのです。
妻とふたりで出かけました。

検査項目にある眼の検査です。
眼圧を調べるのに、小さなのぞき窓をのぞき込んでいました。
すると必殺シリーズの京本政樹よろしく、私の髪がおでこに垂れており、写り込んでいる模様でした。
その時、検査をしている女性が私のその髪をそっと、指で戻したのです。

ドキリとしました。

した事はあっても、された事はありません。
真っ暗な眼科検査室で、しなやかな細い指は確実に、そして的確に私の髪を捉えたのです。
惚れてまうやろー

夕暮れ、帰阪の際、乗換のキー駅での事です。
冷たい風が吹き、乗換用のデッキはどこにいても寒い状況でした。
暗い寒空の下、HISのチラシとHISの青いティッシュを配る女の子がいます。
いつも、この時間と時期にその作業が必要なのだろうかと思います。
本当に効果があるのだとうかと。
なんだか少しアレルギー反応があった私は、有り難くひとつ受け取り頂戴しました。

そのティッシュとチラシを受け取ると、そこには、そのティシュには、手に抱えていた配る女の子のぬくもりが移っていました。
微かに暖かいのです。

福岡支店に勤務している頃は、まだ長男も幼稚園に通っておりました。
夏休みや冬休みなど、長い休みになるとそれぞれのおじいちゃんやおばあちゃんのところへ遊びに行っておりました。
私はしばらく福岡で一人暮らしです。

そんな折、私も休みを合わせて合流する前の事です。
出かけた先で着る予定の洋服を先に宅急便で送ったのです。
それを届け先で妻が明けた際、近くにいた長男が私の服を見つけました。
すると、それを顔にあててこう言ったのです。

「お父さんのにおいがする」

長男はしばらく手から放さず、昼寝する時もその服を抱え込んで眠ったと後で聴きました。

今日、帰りの新幹線で座席で座りなおすと、着ているシャツから違う香りがします。
大阪の別宅で私が使用している柔軟剤とは違う香りです。
それは妻が洗濯をし、仕立てくれた証です。

人はどこか、言葉で説明できない事に安心したり、嬉しくなったりする事があるのですね。

…ところで、現在東海道新幹線「のぞみ」は山手線並の間隔で出発しているのをご存じですか。
今日、私は19分と29分で、自分が乗車する電車を間違えました。
予約済みの電車に乗ると、自分の指定席に誰かが座っています。
妻に持たされた夕食のお弁当を食べる事で頭がいっぱいだった私は、もうなんて思いながら席に近づいて行きました。
チケット見せながら「お間違いではありませんか?」と訊いたら、間違っていたのは私です。
お詫びし、自由席に向かおうと思いましたが、一番近い自由席まではおよそ8両移動しなければなりません。
途中で車掌さんに、事情を話し、どこか空席ないかと訊くと「ない」とのつれない返答でした。
仕方なく、一杯飲んだと思ってグリーン車に席を確保しました。

だから、満喫すると共に、横柄に席を使ったやろうと貧乏人根性で、キーボードを必要以上にバシバシ叩いています。
自分は携帯音楽プレーヤーで音楽を聴いているので聞こえません。
ザマあみろ
…って、誰に。
自分のそそっかしさ加減に涙が出ます

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2014年1月 4日 (土)

今日ですべてが始まるさ

新年のガソリンスタンドは閑散としています。
奥さんに灯油買ってきて…なんて言われたであろうご同輩がいます。
灯油の給油機の前で、知らない同士ですが、軽く挨拶を交わしたりします。

年末のガソリンスタンドは洗車を待つ長蛇の列でした。
愛車も大掃除というオーナーの気持ちですね。
そう、年末は大掃除。
テレビのCMも各社洗剤や掃除用具が多くなります。
1年のいろいろな汚れを掃除してきれいになりたいと思います。

人間も同じですね。
忘年会なんて、1年の憂さを晴らして来年もガンバローなんてね。

ノストラダムスの大予言が華やかなりし世紀末。
多くの書籍を始め、様々なメディアでこれを煽る現象がありました。
1999年の自分の年齢を考えて、その頃はどうしているかなぁ…なんて想像してみたりしました。
31歳か…子供もいるかな?
自分は31歳まで生きられるけれど、子供は小さいからかわいそうだな…。
ところで…誰と結婚しているんだ?
人類が滅びるかもしれない世紀末大予言に、ずいぶん小市民の想像です。

その頃に読んだ香山リカさんの著作でとても印象に残っている事があります。

人間は区切りを設けたくなる生物である…とのお話です。

1999年の騒動に1000年前に999年にあった事象も重ねながら、その深層心理に迫るものでした。
残念ながら著作が思い出せません。
今日の連続である明日を人は時々リセットしたくなる。
世紀末の破滅的思想もそういうところから生まれてくる。
だから、年度末に正月、卒業式に入学式。
人にはこういう節目が必要なのだ…という内容だっと思います。

とても解かりやすい話でした。
人はどこかで、これまでのしがらみを断って、新しい自分で生きたいと思う事があります。
例えば、自分の事を誰も知らない、そんな場所で暮らしてみたいとかです。
でも現実にはそんな事はかないませんから、節目を作ってモデルチェンジをするのだと思います。

同じ営業部から、他地区の営業へ異動する後輩に話した事があります。
初めて行く新任地では、誰もあなたの事を知らないのだから、モデルチェンジを志せと。
自らの層を厚くしたあなと、またどこかで一緒に仕事をするのを楽しみにしていると話しました。
カッコいいでしょ。
…私も初めての転勤でそう言われたのです。

妻の実家では私は王子様もいいところです。
食べなさい、飲みなさい…と歓待して頂いております。
妻の両親は自営業で、31日の夕刻まで仕事があり、実質元旦のみがお休みというところです。
そこで、例年31日から伺って、1日に失礼するというスケジュールでした。

昨年末もすっかり酔っぱらって、居間で横になりうつらうつらしながら、紅白歌合戦を見ていました。
泉谷しげるさんが歌っていました。

私は泣きました。
でも泣いた事を悟られる事が嫌だったので、横になって眠い目をこするような仕草でごまかしていました。
それでも右側を下にしていたので、伝う涙を隠すのが大変でした。

テレビの向こうでよ、ひとりで紅白を見ているお前ら、ラジオを聞いているお前らいいか。
今年はいろいろあったろう。
いろいろ辛いこともあったろ。
だからよ、忘れたいことも忘れたくないことも、今日は自分の今日にしろ。
自分だけの今日に向かって、そっと歌え。

今日ですべてが終わる
今日ですべてが変わる
今日ですべてが報われる

自分に向かってそっと歌いやがれ。
いいか、声に出さなくてもいいぜ。
自分だけに向かって歌え。
自分だけの今日に向かって。
自分だけの今日に歌え。

今日ですべてが終わるさ
今日ですべてが変わる
今日ですべてが報われる
今日ですべてが始まるさ

2013年12月31日 泉谷しげる / 春夏秋冬

今まさに、テレビに、ラジオの向うで戦う人々にどれだけの勇気を与えただろうと思ったのです。
それを俺は知っている。
俺の心はいつもお前と共にあると。
お前の戦いはひとりじゃないぜ。

苦しい今を、
哀しみに苦しむ今を、
明日への希望すら見いだせない今を、
自分の惨めさに涙する今を、
孤独に苛まされる今を、

ここで終わりにしようぜ。
明日から、新しい自分で生きようぜ。

昨年末から、佐村河内守さんの交響曲第1番 HIROSIMA の第3楽章のメロディが頭から離れませんでした。
あの80分に及ぶ大作の第3楽章が繰り返し頭の中によみがえります。
繰り返される困難や絶望の後、最後にやさしく美しい全てを癒すようなメロディが引き取ります。
第3楽章も25分前後あると思いますが、これが部分でなく最初から繰り返し頭の中で演奏されます。
私はやっぱりこの交響曲が大好きです。

普段は日本経済新聞以外はなかなか読む余裕がありませんが、近くにあった朝日新聞を読んでいました。
そこに、東日本大震災でご主人と息子さんを亡くされた大槌町の小畑幸子さんの記事がありました。
ご主人と息子さんの生きた証として、歌を詠んでいらっしゃいます。
その事が特集記事として掲載されていました。

心の支えは14歳になるオス犬・太刀(たち)だった。

愛犬に亡き子夫を話す時 尾ふりすりよる 話わかりて

震災後、家の辺りに駆けていき、がれきを掘って剛さんを捜した。
骨箱を見せて「兄ちゃんだよ」と言うと、箱を開けようとした。

震災後は足元がふらつくようになり、動物病院で「震災ストレス」と言われた。
そんな体調になっても、いつも小畑さんの顔をなめ、涙を拭き取ってくれた。

中略

以前は書けなかった文章も、太刀の目から見た形にすると、不思議と書けた。
士さんや剛さんとの思い出、家族を失った小畑さんを支え続けたこと…。
半年ほどかけて、大学ノート17ページ分にびっしり書いた。
「今度は息子や夫の目線で書いてみよう。
そうしたら、次は自分の言葉で書けるかもしれない」

今日より 明日はきっと良くなると 信じて生きねば 道は開けず

小畑幸子

2014年01月01日 朝日新聞

201310090011

佐村河内守さんの交響曲第1番 HIROSIMA の第3楽章のメロディは、繰り返される困難や絶望の後、最後にやさしく美しい全てを癒すようなメロディが引き取ります。
私はやっぱりこの交響曲が大好きです。

泉谷しげるさんのホームページ
http://ameblo.jp/shigeru-izumiya/entry-11740698953.html

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2014年1月 2日 (木)

今日、今ここにあるのは自分ひとりの力ではない事。

その日の風は冷たく、どうにも顔は隠す事は出来ず、冷気が頬を刺す…なんて感じていました。
小学校の近くを歩いていると、校庭で少年野球のチームが練習をしていました。
校庭を囲む道を練習風景を見ながら歩きました。

私も小学校5年生から小学校卒業までは、地域の野球チームに所属していました。
活発に取り組んでいる子がいる一方で、やっぱり嫌だなぁと思っているのがにじんでいる子。
大きな子、小さな子、いろいろいます。
野球が大好きな子、なんでこんな寒い日に練習しなければならないかと思いながらやっている子。
外から見ているとよくわかるものですね。

野球をやっている時も、ヒーローにはなれませんでした。
思い起こしてみると、なかなか女の子達にキャーキャー言われる事は無かった気がします。
無かった気がするではなく、なかったと思います。
そういうヒーローはとっても羨ましかったですね。

野球をしている時のポジションはセンターか、ピッチャーでした。
先発で出場できる見込みがあって、その事をお袋に喜び勇んで告げた事がありました。
お袋はとっても喜んで、私の活躍を楽しみに観戦に来ました。
しかしその日、私は先発する事も出来ず、それだけならまだしも、出場する事すら出来ませんでした。
とどめにはブルペンでの投球練習する機会すらなかったのです。
出場に一片の期待も出来ない状況です。
簡単に言えば、当日は用無しです。

お袋が観戦している事を知りながら、私は背を向けて、グランドの土をいじっていました。
さぞかしお袋はがっかりしただろうし、そんな事を勝手な思い込みと見込みで話した事を後悔していました。
お袋からは出場出来なくて残念だったね…そんな事は言われたかもしれません。
でも他人の子が活躍をしているのを見てもツマラナイだろうな…それぐらいはわかっています。
小学生高学年です。
お袋にも申し訳ない気持ちで、その気持ちでいっぱいだった気がします。

でも、私はヒーローになれなくて、ならなくて、きっと良かったと思っています。

とりわけこういう事に引っかかっていた訳でではないのですが、大学生の頃に同じ様な思い出があります。
もうお相手の顔も名前も思い出せませんが、交際を申し込んでフラれたのです。
その時、彼女が断った時の理由というか、言葉はこうでした。
「休日、お弁当を作ってサッカーの応援に行ける。そういう人がいいの
一応無駄な抵抗だと思いながらも「空手はそういう対象外なの?」と訊いたら、「そう、怖い」とのお答えでした。

社会人になって組織では、様々な人が役割を負担する事で成り立つ事を認識します。
営業は花形です。
大変な事も、面倒な事も、多くあります。
それはどんな部門でも同じです。
しかし、営業部門は大きな成果を残せた時はスターであり、スポットライトをあてられます。
でもその成功には、本人の努力は勿論ですが、成功まで様々な場面で協力をしてくれた人がいます。
例えば著作には、あとがきなど、どこかに必ず出版物になるまでの過程を支えてくれた人への感謝の言葉が記されています。
今日、今ここに自分があるのは自分ひとりの力ではない事、その著作物が出版物となる過程で様々な協力をしてくれた方々への感謝の言葉です。

生まれてから、歩く事も、食事をする事も出来ない自分を保護し、愛しみ、育てくれる事。
道に迷う日、道しるべを示してくれた人。
喜びの日共に喜び、哀しみの日に共に泣いてくれた人。
様々な場面で自分の持つ力を、惜しむことなく協力してくれた人。

今日、今ここにあるのは自分ひとりの力ではない事。
いつも誰かが支え応援してくれる、そんな恵まれた道を歩むことが出来た事。
感謝すると共に、どこかで自分が誰かの役に立てるように。
誰かがヒーローやヒロインになれる手伝いが出来ればと考えます。
それは今でも多くの人に支えてもらっている事を感じるからです。

写真は京都の東本願寺です。
あまのじゃくが支えています。
支えくれています。

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