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2013年5月

2013年5月25日 (土)

哀しみ 歌い、語り、叫び、描き、書く

彼は突然私たちの前から姿を消しました。
取引先の優秀な方で、私とは先日あった現象の解析作業を行っていたのです。
私は自分でもよく理解できない問題に、よく彼の知恵を借りました。
彼は現在の仕事に就いてから多くの事を学び、その知識や見識も我々をはるかに凌駕していました。
私や他の仕事上の仲間からも、困った時に相談できる頼れる存在だったのです。
その取引先の重要なブレーンであり、日常取引事項を打ち合わせするその方の右腕でした。

問題の案件に関する解析結果が研究所から送られてきており、彼にそのメールを転送して、その日の私の仕事は終わりでした。
時間も遅かった事から、そのメールを読んだ見解は翌日にでも伺うつもりで連絡はしませんでした。

しかし、その時彼は既にこの世にはいなかったのです。

その訃報は朝突然に勤務先の取締役から私の携帯電話宛にありました。
不慮の事故で亡くなったのです。
言葉を失いました。
その日の予定を終え、私は現地、その取引先へと向かったのです。

日常の打ち合わせを行う担当の彼の勤務先の取締役が待っていてくれました。
応接へと通されました。
彼はこの方の重要な右腕として、事業の発展に大きく寄与し、代る人のいない存在だったのです。

ポツポツと事実を伝え始めてくれました。
しかし、途中からは涙声で言葉が詰まりました。
返す言葉がありません。
憔悴しています。

ケンシロウさん、どうしてだろう、なぜだろう…

言葉がありません。

彼が自宅に無言の帰宅をした後、その方は会いに行ったそうです。
彼の奥様から生前に仕事にやりがいをとても感じていると話していた事を伝えられたそうです。
ケンシロウさん、でもそれを今言われてもなぁ…、なあ、ケンシロウさん。
でも、それだけが今では救いだ…その方は途切れ途切れに語りました。

会いに行ったら、小学3年生の娘が一生懸命絵を描いているんだよ。
俺は悲しくないのかな…って思ったよ。

その方には申し上げませんでした。
その小学3年生の娘さんは、とてつもない哀しみの中にいます。
周りの大人が悲しみ、また告別式等の準備や段取りに追われている事をわかっているのです。
いい子でいるのです。
本当は泣き叫んで、哀しみを心から亡きお父さんに伝えたい。
でも、今それをしてはいけないと自分で考えているのです。
それを、わかっているのです。

その彼女が何を描いていたかは知る由もありません。

保原高校(福島県伊達市)の美術の番匠あつみ先生が行っている活動を報道で知りました。
保原高校は東日本大震災で半壊してしまったそうです。
昨日まで学び、昨日までおしゃべりし、昨日まで集った、その場所は失われてしまったのです。
そのショックは想像に難しくありません。

この番匠先生は昔話の「花咲じいさん」の「枯れ木に花をさかせましょう」から「がれきに」花を咲かせて、少しでも見た人に元気を出してもらえないかと考えます。
そして、このプロジェクトを開始します。
「校舎のかけらに花よ咲け」
番匠先生によれば、見る側も勿論、作る側にも元気を与える事となったという事です。

変わり果てた思いでの場所の欠けらと向き合いながら、自身の心に浮かぶものを見つめ、希望への轍を作り上げてゆく。
神様が人間にだけ与えてくれた、表現をする能力は、生きてゆくための力になる事を教えてくれます。
深い哀しみも、
溢れんばかりの喜びも、
天を衝く怒りも、
愛に心ふるえる時も、
私たちは、語り、描き、歌い、書く事が出来るのです。

すべてが押し流され、色を失ってしまった風景。
その中で、ピンク色の花がひときわ鮮やかだった。
「桜を見ているだけで元気になれる」。
がれきを片づけていた被災者の方は、1本だけ残った桜の前でそう語った。
がれきに油性絵の具で花の絵を描いてゆく「がれきに花を咲かせようプロジェクト」のきっかけとなったできごとだ。

2013年3月12日 日本経済新聞掲載

JR東日本の新幹線に置いてある「トランヴェール」。
5月号の中に震災ガレキがオブジェに生まれ変わる「ワタノハスマイル」プロジェクトに関する記事が掲載されています。
東日本大震災で発生したガレキを利用し、子供たちがオブジェを制作します。
そのオブジェに名前をつけて、イメージを増幅させて行きます。
このプロジェクトを紹介する記事のタイトルは「悲しみさえも笑顔に変える、子供たちのちから」です。

子供たちにとって、この作品はいまは価値がないかもしれません。
でも、大人になった作者には大きな価値が出てくるはずです。
作った自分を恥ずかしく思う人もいるかもしれません。
けれど震災の記憶がこのオブジェに刻まれています。
いつか自分の子供に見せてほしいし、震災の記憶と、震災から立ち上がった記憶を次世代に語り継いでほしいと願っています。
きっとこのオブジェが、自分が経験した記憶を思い起こすスイッチになるはずです。

トランヴェール 2013年5月号 明日をつくる底力

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彼の葬儀は参列者が予想を超え、案内の時間の1時間前からご焼香が開始される事となりました。
その参列者数は生前の彼の人望を示すものでした。
彼の遺影の前で、私は心からお礼を申し上げました。

彼のその小学生の娘さんは、多くの参列者に気丈に挨拶をしていました。
どこかで、お父さんが亡くなってしまった自分を哀しみ、亡くなってしまったお父さんの事を哀しむ。
誰にはばかる事なく。
それがお父さんへの一番の供養となる事。
それを周りの大人が許してくれるでしょう。

私も「自分のためには泣かない」と固く決めていたから、我慢していた事がありました。
いつしか、そんな自分の心を制御できずに、声をあげて泣いたとき、その時その人が近くにいる事を感じました。
そして、私の哀しみを救い上げてくれたと思った事があります。

私は歌う事も、描く事も、演奏する事も出来ません。
でも、誰でも可能な事、つたないながら文字にする事が出来ます。

次に彼と仕事をした同じ空の下に行った時、もう一度心から、空を見上げて「ありがとう」と伝えるつもりです。

がれきに花を咲かせようプロジェクト
http://www.hobara-h.fks.ed.jp/zennichi/bukatsu/bunka/gareki/gareki-top.html

ワタノハスマイル
http://www.watanohasmile.jp/

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2013年5月18日 (土)

あしあと

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今年、中学1年生となった二男はつい先頃に初の中間テストがありました。
「なんでこんなに勉強しなければいけないんだ」とかなり私の才能と素質を受け継いだ発言がありました。
血は争えませんね。
勉強は好きではない様です。

そんな二男だから、歴史の教科書がリビングに放り投げてありました。
少し手に取って眺めて見ました。
今は教科書もA4サイズだし、カラーのページも多く、読みやすくなっているなぁ…なんて思っていました。

試験範囲の印がついているページはスタートだから、人類の黎明期です。
猿人が、原人が、クロマニヨン人が…なんて内容です。
ふと、思い出した事があります。

人類の祖先と思われる猿人が登場したのが約700万年前。
その後、進化の経過を辿ってゆきますが、現在の我々にもっとも近いご先祖様の痕跡はアフリカで多く発見されています。
その中で、家族の足跡が残されている事を聞いた事があります。

場所はやっぱりアフリカのタンザニア。
およそ350万年前。
石灰岩質のところを歩いた足跡を発見したとの事。
その石灰岩質の土に残った足跡の上に、火山の爆発による降灰物が堆積し、その足跡は残ったそうです。

足跡は明らかに男と思われる大きな足跡。
その大きな足跡の横に、手を引かれて歩くように残る子供の足跡。
その少し後方に、女性と思われる足跡。
およそ350万年前には家族の形があった事を示す、偉大な遺跡です。
足跡です。

我々人類は哺乳類の中でも、誕生時は特に脆弱で、牛や馬の子供の様にすぐに立ち上がって歩く…というような事が出来ません。
外敵から身を守るには、他の誰かの保護が必要です。
また、成人になっても、他の動物と比較してそのサイズは大きい方ではありません。
だからきっと、生まれたばかりの脆弱な子供を守るために、必然としてこの家族の形が出来上がったのではないでしょうか。

我々はこの350万年前に足跡を残した家族の子孫です。
なんだかとても素敵だと思いませんか。
想像してください。

はじめ人間ギャートルズの様な風景かもしれません。
意思疎通をするための言葉があったかどうか、わかりません。
寒いのか?
暑いのか?
晴れなのか?
雨なのか?
でも、お父さんに手を引かれる子供がいて、それを後ろから見守りながら歩くお母さんがいる。
きっと、今の世界とあまり変わりがないと思います。
夜になれば、空に輝く星々の下に、この家族は存在したのです。
雨になれば岩の隙間に身を隠し、雨をやり過ごしたのかもしれません。
暑い日は原始植物の大きな葉で、強い日差しを遮っていたかもしれません。

この記事は東京駅まで帰る新幹線の中で書いていました。
上野駅を過ぎたところで、片づけて代わりにウオークマンを準備しました。
ADELEの21を聴いていました。

何だか、とても不思議な気持ちでした。
東京駅構内の雑踏でも、乗換駅の新宿の雑踏でも、たくさんの行き交う人がADELEの楽曲で、何だか様々な人生を感じさせるのです。
皆、いろいろな事を抱えて、様々な自分の人生を生きている。
でも、生きている。
それがどれだけ素晴らしい事であるか。
生まれてきた事、それだけでどれだけ素晴らしい事であるか。

今日、ここで行き交う人はタンザニアの遺跡にある足跡から始まるように、今日ここまで、この日に、この時間に、この場所につながっている。
なんだかのその不思議と350万年という想像の出来ない悠久の時間に、ひと時思いを寄せました。
まるで、その雑踏の中を350万年前の家族が歩いているような錯覚にとらわれました。
私は始まりではないけれど、終わりでもない。

Someone Like You
あなたのような誰かが、いつの日かどこかにいて、今日を私が生きている。

ADELEのアルバム「21」のラストソング「Someone Like You」
結果として別れてしまった人に残る心を歌った楽曲ですが、歌い方もあって、とても切ない気持ちになります。

Never mind, I'll find someone like you
I wish nothing but the best for you too
Don't forget me, I beg

決して気にしないで、他にあなたのような誰かを見つけるから
私はあなたのしあわせだけを願っている
でもどうぞ、私のことを忘れないで

ADELE / Someone Like You
あやしい和訳 ケンシロウ


http://youtu.be/hLQl3WQQoQ0

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私たちは始まりでもないけれど、でも終わりでもない。

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2013年5月 8日 (水)

楽曲中の忘れられないメロディと演奏

柴崎コウさんの「かたちあるもの」という楽曲が大好きです。
このGWでちょっと時間のある時に、自分の部屋で大音量で聴いていました。
それも、CDに入っているインストルメンタルばかり。
妻は私がCDに合わせて歌っていると思ったと言っていました。

Photo

私はこの楽曲のストリングの進行が大好きなのです。
この楽曲の各楽器のパートが立体感を感じて聴き、全ての楽器の進行をわかるのがたまらない快感です。
その事よりも、何よりこのストリングスのドラマチックな進行が大好きです。

Middle_man_f

中学生の頃に出会って聴いたBoz ScaggsのMiddle Manというアルバムに私は夢中になりました。

少し大人の香りとストリングスとロックの融合。
このアルバムにYou Can Have Me Any Timeという楽曲があります。
英語を勉強し始めた頃で、この楽曲の歌詞の中に

Tonights Dreams Will End

という歌詞があり、(今夜で夢は終わりだけれど…)って、なんかとても切ないと思っていたのです。
わけもわからず。
でも、楽曲の進行は、それを感じさせるのです。
当時、和訳のあるレコードは高く、少しでも安い輸入盤を購入していました。
中学生のお小遣いは少ない…。

そして、何よりこの楽曲で最後にストリングに重なるカルロス・サンタナ(Carlos Santana)のギターが素晴らしい。
シビレました。
泣きのギターというか、どうしてこんな音が出るのというところなのです。

同じくこのアルバムの中にある You Got Some Imaginationのギターはまたたまらないのです。
その後TOTOのギターリストとなるスティーブ・ルカサー(Steven Lukather)です。
これは先の楽曲と異なり、もうイエーッ‼て感じなのです。
アルバムの最後を飾る楽曲にふさわしく、もう一度このアルバムを聴いてみようと思う楽曲なのです。
デヴィッド・フォスター(David Foster)の存在は勿論ですが、最高のアルバムです。

Middle_man_b

関係ありませんが、このアルバム発売時にもひざまくらの女性の事が話題になりました。
未成年じゃないかとか、隠し子なんじゃないかとか、まあ人の噂は勝手なものです。
アルバムに触れたのは多感な中学生の頃。
気にならないはずがありません。

Toto

その後、スティーブ・ルカサー(Steven Lukather)がTOTOでプレイしたアルバムTOTO IV ~聖なる剣に含まれる楽曲

I Won't Hold You Back

この楽曲のギターもたまりません。
これもギターとオーケストレーションのハーモニーが素晴らしくて、タイトルの「もう一度あなたを抱きしめたい」にため息でしたね。

この手の話は尽きませんので、もうこれぐらいで。

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2013年5月 5日 (日)

to U

今年のGWは前半と後半に分かれていますね。
私の勤務先は暦通りで、お休みは連続ではありません。
…殆どの事業所がそうでしょうか。

でも、気持ちだと思いますが、このGWの間のお休みは都内は少し空いていた気がします。
行き帰りの通勤電車も、少し混雑が緩和されていたと思います。
GW始まりの前の金曜日は、出張先から夕刻東京駅に戻ってきて驚きでした。
小さな子供も含めたくさんの人で、到着した東京駅のホームはとても混雑していました。

キー駅の繁華街も人でごった返しています。
4月に入社したと思しき新入社員が、これから飲み会にでも行くのか集まっています。
そうだよな、研修会も一段落で今日あたりは知り合ったみんなで飲み会かな…なんて考えていました。

そんなGWの間のウィークデイに、都内の取引先との打ち合わせがあり、昼間の電車で移動をしました。
あまり都内で昼間の電車に乗る事がありません。
いつも乗車するのは人垣で窓からの光も差し込みにくい満員電車なので、ただ明るいだけの車内それだけでも、とても心地よさを感じました。

小さな子供がお母さんと一緒に乗っていました。
お母さんに抱かれて、とても気持ちよさそうに眠っています。
姉弟で座席に座り、ジタバタする弟をそれほど年齢差がないと思われるお姉ちゃんがきちんと座るように話しています。
降車駅は既に過ぎているのでは…と心配になるぐらい大爆睡のご同輩。
難しい顔をした大先輩の隣に黙って座っている、とても涼しいお顔のご婦人。
本当に人の表情は様々だなと思いました。

ひとり。
就職活動中と思われる女性が座席に前かがみになって座っていました。
表情にはとても疲れが浮かんでいます。
なんだか虚ろで、これから楽しい休みが待っている…という感じではありません。

就職活動。
就活。
内定を得るまでの長い時間はとても辛いだろうと思います。
何度もエントリーシートを作成し、何度も面接を繰り返す。
いろいろなメディアで見聞きし、読んだ記事には100社ぐらいへのアプローチは当たり前との事。

書類選考ではじかれる事繰り返し、面接まで進めるのは稀。
繰り返し落とされて、どうして自分が不合格なのかの理由もわからず、それでも次の内定を信じてアプローチを繰り返さなければならない。
これは本当に辛い。

私も仕事で飛び込み営業は何度も行いましたが、相手にしてもらえないと本当にめげます。
「今度は大丈夫だ」と自分に言い聞かせて勇気を奮い立たせます。
「次の人こそ待ってましただ」と自分に思いこませて繰り返します。
自分にかける魔法もおまじないもだんだん効き目がなくなります。

100社なんて当たり前という事は、単純に考えれば100回ダメですと言われる。
しかも、なぜなのか理由もわからずに。
これは辛い。
私も女性にフラれた事は複数あれど、何となく理由もわかるってもんです。
…やっぱりねとわかったりしてね。

繰り返し、断られ、否定され続ければ、自分への自信なんて木っ端微塵です。
しかも100回が当たり前になんて。
人格の否定そのものです。

先日、東京オペラシティ アートギャラリーで開催されている梅佳代展へ出かけて行きました。
妻と中学1年生の二男と行きました。
梅佳代さんはその存在を妻から聞いていて、その写真に以前から興味があったのです。

中学1年生の二男はゲラゲラと笑っていました。
私も笑いました。
写真を見ている他の人も、たくさんの人が笑みを浮かべています。
写真を見ながら、人はこんなにも素晴らしい、豊かな表情を持っているものだと、楽しくて、そしてうれしくなりました。

そう、就職活動で、やるせない就活で、本当は素晴らしい自分を否定されたなら、そんな時こそ見てほしい写真がたくさんあります。
きっと、やさしくて、かけがえのない素晴らしいものを持った自分が帰ってきます。
人の、人間の、馬鹿馬鹿しいけど、愛おしくて、可愛いところが満載です。
それをファインダーの中に収める梅佳代さんは、やっぱり天才です。

私の現在の勤務先は転職した先です。
卒業後に入社した会社から転職し、新しい会社では人事部に配置され、給与や採用に関する仕事をしていました。
折しもバブルが崩壊した直後で、人事部は忙しい事になっていました。
そこで、採用活動に際しての会社説明を入社希望で来た学生さんにガイダンスするのが仕事のひとつでした。
3年後に現在の営業部門へ異動となりました。
後で人事部長から聞かされましたが、この時のガイダンスが学生さんから評価され、志望動機として頂く事が多く「こりゃ、あいつは営業で使った方がいい」となった結果だそうです。
当時の人事部長の読みは今思えば当たりで、私は営業部で楽しく仕事をしています。

本当に人生なんてわからない。
今の会社に入社する時、本当は私は営業はやりたくなかったのだから。

どうしても入りたかった会社に入社できなくても、次の会社でどうなるかはわからない。
不採用の通知が届いたら、時にはこんな素敵な私を採用しないなんて、後で後悔する…と思ってやればいい。
私も女性にフラれた時によく思いました。
(ああ、この先私を超えるような男は現れないのに)…なんだかキモイですか?
でも私は妻に言い切りました。
「俺よりお前をしあわせにできる奴はこの世に存在しない」とね。

梅佳代展
http://www.operacity.jp/ag/exh151/

誰かを通して 何かを通して 想いは繋がっていくのでしょう
遠くにいるあなたに 今言えるのはそれだけ
悲しい昨日が 涙の向こうで いつか微笑みに変わったら
人を好きに もっと好きになれるから
頑張らなくてもいいよ

また争いが 自然の猛威が 安らげる場所を奪って
眠れずにいるあなたに 言葉などただ虚しく
沈んだ希望が 崩れた夢が いつの日か過去に変わったら
今を好きに もっと好きになれるから
あわてなくてもいいよ

雨の匂いも 風の匂いも あの頃とは違ってるけど
この胸に住むあなたは 今でも教えてくれる
悲しい昨日が 涙の向こうで いつか微笑みに変わったら
人を好きに もっと好きになれるから 頑張らなくてもいいよ
今を好きに もっと好きになれるから あわてなくてもいいよ

to U / Bank Band

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