明日がくるから Maybe Tomorrow
灰色の日に 行きづまっても
あきらめは出来ないの Maybe TomorrowREBECCA / Maybe Tomorrow
若い日の恥ずかしい事を若いときに認識出来る事は素晴らしい事。
確か、どこぞの偉人さんの言葉。
言う事はもっともだし、よくわかる。
でも思い出をす時は若かったもんネなんて、穏やかな気持ちで話を出来る事は殆どなく。
思い出すと叫びたい程、恥ずかしい事の方が圧倒的。
恥ずかしいと思えるのは成長した証かもしれない。
でも、過去の愚かな行いは、もうどうにもやり直す事も訂正する事も出来ない事。
忘れるしかないだろうとも考え、無理やり納得させるしか他に方法がない。
全ては過去の事ではなく、今でもある。
日々作りだしてしまう。
過去の私は、特に真っ暗なトンネルを手探りで歩いている時は、起こってしまった出来事や思い、結果をあれこれと並び替えながら考えるのが、私は好きだったのだと思う。
過去はその時以上に自分を傷つける事はないし、安心出来る場所。
特に良かった時の事は、とても甘美な場所。
しかし、そこには後悔も伴う場所。
並び替えたりしながら、ああだったらよかったのになぁ…。
自分はどこでこんな道を選択してしまったのだろう…。
自分はどこで道を誤ってしまったのだろう…と考える。
ああ、なんだかもう嫌だ…。
後悔ばかりだ…。
これからの行く先々に楽しい事など待っているのだろうか…。
生きていて、いい事があるのか…。
生きる意味はあるのか…。
そんな事ばかり考える日々を繰返す。
考えれば、考えるほどに募ってゆく後悔に、ますます悪い循環を自分で作り出して行く。
なぜ、あの人はあんなに楽しそうに人生を謳歌しているのか…。
自分はどうして、あんなに楽しいという感情が湧いてこないのか…。
いいや、自分は自分の道を行くのだ…。
自分の行いに、後悔ばかりがある一方で、予期せず自分の行いを評価してもらえる事もある。
「ありがとう」と感謝される事。
自分の思いとは違う、痛みや生命の危機から、魂が生きたいと思う事を、自分の心と思いのなかで改めて認識される事。
でも、答えが無いその問いには、一時の鎮静剤にすぎない。
自分なんか…。
いや、自分は違うんだ…。
生きたい、しあわせになりたい。
当たり前に誰もが等しく、思う気持に違いない。
悩みに悩んで、堂々巡りを繰返す。
誰かが答えを持っているのではないか。
誰も持ってはいない。
皆同じに悩み、答えを探している。
いろいろな人が、自分で答えを探す為のヒントを意識しなくても与えてくれる事がある。
人との出会いの中で。
そんな時、頭をフル回転させて考る。
考えて、考えて、悩んで、悩んで、苦しくなって。
はは…って、フト苦笑してしまった。
とても気持ちが楽になって、答えじゃないけれど私の心にフト浮かんだ事のいくつか。
誰のものでもない。
私の人生は私の人生。
生きてゆくのは私なんだ。
とても単純な私は、その事に気づいて、それだけで生きようと思う気持ちが湧いてくる。
全ては自分で決め、自分で歩いた道。
そして歩む道。
例えば占い師が「あなたは今日はアンラッキーだ」と言っても、「明日あなたは死にます」と言われても、生きるのは私なのだ。
占い師は私の人生に関わりもないし、責任もない。
今日がアンラッキーな日と言われれば、ハッピーな日にする。
ハッピーな日にしてみせる。
明日死ぬ。
これは誰にも明日の保証はないから、わからない。
でも、明日も生きる。
生きてみせると考える。
私が生きていくと歩んでゆくという意識がなければ、道は拓かれないないのだ。
それは全て、私なのだ。
そして、多くの人との関わりの中で磨かれてゆく。
いつも誰かと比較するから、妬みや苦しみばかり。
不安と不満ばかり。
今、自分が生きている。
生きている奇跡を、もっと感じるんだ。
そして過去の奴隷とならないように。
過ぎ去った過去の
奴隷にならずに
浄化の海に飛び込んで
深く潜り込み
どこまでも泳いでゆけ。
そして、
自らを尊び
新しいパワーを身につけ
人生を新たなる高き視野から見直し
それがなぜ
そのようであったを知って
戻ってくるがよい。…エマーソンプンダリーカ―心のミソギ、魂のリセット / 浅野 佳枝
今でも後悔する事はある。
反省する事もたくさんある。
いつも自分で感じる。
もうひとりの自分が後から追いかけて来る。
でも、もう過去の自分に囚われ、未来を失う事はない。
追いかけてくる自分に囚われる事は、もうない。
過去には生きられない。
ずっと探していた 理想の自分って
もうちょっとカッコよかったけれど
ぼくが歩いてきた 日々と道のりを
ほんとは"ジブン"っていうらしいねぇ ぼくらがユメ見たのって
誰かと同じ色の未来じゃない
誰も知らない世界へ向かっていく勇気を
"ミライ"っていうらしい世界中にあふれているため息と
君とぼくの甘酸っぱい挫折に捧ぐ…
"あと一歩だけ、前に 進もう"Progress / スガシカオ
走ったり、歩いたり、休んだり。
でも、一歩前に進もう。
明日がくるから。
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コメント
今晩は~! ケンシロウさん~☆
こちらのブログを拝見していますと・・。
思わず背筋を伸ばしている私がいます。
私など随分、いい加減に生きていますから。(笑)
ケンシロウさんの真摯な気持ちが伝わって来ます。
それに、こちらのブログは、全編に詩が満ちていますものね~。
そうそう空の写真、綺麗です。どちらの空なのですか・・?
投稿: リラ | 2010年6月23日 (水) 18時15分
リラさんへ
コメント有難うございます。
背筋を伸ばすなんて…私が恐縮してしまいます。
リラさんのうつり行く自然や花の儚い美しさへの思い。
大切に生きていなければ、気づく事の出来ない事ばかりだと思います。
さて、写真ですが長野県へ出張した際に携帯電話のカメラで撮影しました。
美ヶ原から霧が峰へ向かう途中にあるビーナスライン上のとある場所なんです。
松本方面に沈む夕陽です。
その日の仕事が終わった後、時々遠回りして立ち寄るのです。
なかなかそういう機会はないのですがネ…。
投稿: ケンシロウ | 2010年6月26日 (土) 00時26分
☆ケンシロウさんへ☆
ご無沙汰しております
先日はコメントありがとうございました。
さすがに慣れない場所で長時間神経張り詰めているので疲れますねぇ
ところで
誰でも”あの時こうしていれば・・・”って
思うことありますよね。
でも、もう戻れない・・・。
けれど
それは大人にならなければ気づかなかったこと
かもしれません。
思い出を語ることは決して後ろ向きの行為ではなく
人間が生きていく上で大事なことです。
重いでは個人の歴史であり人間の歴史でもある
人間ひとりひとりの物の見方や意見は
その人が過ごしてきた生活経験から生まれたもので
それを自分の意見にあわないからと言って
否定してしまうのは間違っている
この言葉は先日の授業で学びました。
過去も現在も未来もケンシロウさんの歴史です。
私も今自分の歴史をつくっている最中。
立ち止まったら動けなくなりそうだから
ノンストップで前だけを見て走っています。
何かが変わると信じて・・・
投稿: eipyon | 2010年7月 5日 (月) 00時22分
eipyonさんへ
コメント有難うございます。
遅くなってゴメンナサイ。
私は過去に囚われる事から開放される事を知ったその日から、いろいろと見方が変わったのです。
トンネルや路地裏を歩かなければならない時、例えばそこに咲く花や景色から、そこに存在するものから気がつく事がありますよね。
そんな時に…
思った事、考えた事、喜んだ事、哀しんだ事、癒された事、傷ついた事、この全てが別の意味を持つ事を感じたりします。
わかるのではなく、感じる…のです。
路地裏に咲いていたタンポポに見えていた花は、太陽に向かって咲くヒマワリだった…なんて感じるのです。
そして、誰かを信じ、自分を信じる事が路地裏を表通りに、トンネルを明るい通りにかえる一番の要素だと思います。
信じる心がきっと希望になるから。
この希望はどこかの誰かの、同じ事で苦しんでいたり、トンネルや路地裏を歩く人の、希望となるのだから。
大変な環境で学び続ける事に果敢に挑戦するeipyonさんは、どこかの誰かの希望です。
それは、eipyonさんが何かが変わると信じて走っているからですよね。
投稿: ケンシロウ | 2010年7月 8日 (木) 00時47分
☆ケンシロウさんへ☆
>わかるのではなく、感じる…のです。
その通りだと思います。
”感じる”って素晴らしい事。
過去は誰も消せやしない。
私自身脳を削り取っても良いから
消したい記憶があります。
でも、受け入れることは出来ない。
そんなこともあり
弱っちい自分を変えたくて
無理なこと承知で選んだ道
このまま一生同じ景色を見て
辛い過去に泣かされ苦しむのは限界
その限界を違う限界にすること決めたんです。
人間として
もう一度学び
何かが変わると信じて・・・。
ケンシロウさん
ありがとうございます。
投稿: eipyon | 2010年7月 8日 (木) 10時16分
私たちの誰もが、保護してくれる誰かの近くから、やがて自分で歩むように。
私たちは、もう既に一度経験し、今でも繰返している。
最初から強い人などいませんよね。
学んだり、喜んだり、傷ついたり、いろいろな事で変わってゆきます。
でも大切な事は本当にわずかでも、自分を信じる事ですよね。
あと、一歩だけ、前に進もう。
投稿: ケンシロウ | 2010年7月 9日 (金) 00時07分
初めまして…
こちらは2010年の投稿なんですね🍀
こちらをみて沢山の方が勇気をもらったと思います。
その中の一人です私が(*^^*)
読んでる中うなずいたり、時には涙もでました。
泣き崩れました。。
でも泣いてばかりはいられません。
Maybe Tomorrow…
投稿: さぶちゃん | 2017年6月21日 (水) 21時11分
さぶちゃんさんへ
コメントありがとうございます。
うれしいです。
また、長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
ギリシャ神話のパンドラの箱のお話し。
パンドラの箱を開けた時に、厄災がこの世に放たれた。
急いで箱を閉じたら、希望は箱にあった。
希望しか残らなかったと考えるか…。
まだ希望が残っていると考えるか…。
私は、まだ希望が残っている…と考えられるように変わっていったのだと思います。
それが、きっとMaybe Tomrrowですね。
投稿: ケンシロウ | 2017年6月22日 (木) 14時03分