雲路の果て
東京では昼間に白夜行のドラマが再放送をしていますね。
私は東野圭吾さんの原作を読んでから、ドラマ化されている事を知り、レンタルDVDで見ました(本当に気に入ってしまい、結局DVDBOXを買いました
)。
原作も素晴らしく、夢中になって一気に読みましたが、このドラマも素晴らしいと思いました。
ドラマは原作では表現していない部分を、本当にとてもせつなく描いています。
こういう視点もあるのだと思いました。
やっている事は犯罪なのに、山田孝之さんと綾瀬はるかさんの2人の演技が秀逸で、この2人をなんとか幸せに…という気持ちになるのです。
そのドラマの中でこんな台詞があります。
犯罪に手を染め、もう引き返せないと分かっている桐原亮司役の山田孝之さんの台詞です。
「どうか子供たちに、本当の罰は心と記憶に下されると伝えてください」
TBSドラマ「白夜行」より
哀しい事件が後を絶ちません。
親と子や親族同士で殺し合いをする。
我が子を理不尽に殺してしまう。
事件はセンセーショナルに報道され、その残虐性ばかりが際立って取り上げられます。
映画「プラトーン」で米軍が支配下においた村のシーンがあります。
そのシーンが終わるところで「バーバーの弦楽のためのアダージョ」が流れます。
それまではその村のシーンで音楽は一切流れないのです。
全編を通じて流れるこの曲が、ここでは特に心に迫るのです。
私はこの映画をはじめて見た時、このシーンで涙が止まりませんでした。
燃える村を背景に、哀しみと絶望がわきあがります。
誰もが幸せに生きたいのに、なぜこんな事が、なぜこんな哀しみが続くのだろう。
いったい人類はいつまで、こんな事を繰り返さなければならないのだろう…と。
テレビアニメの「ベルサイユのバラ」でルイ16世の長男が脊椎カリエスで亡くなる場面があります。
フランス革命前夜、貴族支配に対し、被支配者層がデモを行います。
そのさなか病魔に苦しみながら「なぜ、貴族と平民は仲良くできないの」と言いながら亡くなってゆきます。
映画「フィフスエレメント」の中でも、人類の行為に絶望するシーンがあったと思います。
人を恣意的に傷つけ、一時の感情は満たされても、それは急速に萎んでゆきます。
テレビのご対面番組で時々「あの時、傷つけてしまった人に謝りたい」という人が登場します。
全てがこれに該当するわけではありませんが「本当の罰は心と記憶に下される」と違いのない事だと考えます。
そんな番組の中にある「あなたと別れてから、あなたの事を一日として考えなかった日はなかった…」そんな言葉からも感じるのです。
私にも「あの時、素直に謝っておけばよかった」「なぜ、あんな事を言って傷つけてしまったのだろう」と思う事が少なからずあります。
人を傷つけ、人に傷つくのも「人」ですね。
でも、私はその「人」の可能性に希望を見出します。
ドストエフスキーの「罪と罰」にある、人を殺す事すら正当に認められる理由があれば構わないと考える、そんな人物が最後に思った事は何であったのか。
自分に嘘をつき、誤魔化してゆく事の辛さ。
「本当の罰は心と記憶に下される」
例えば、赤ちゃんポストにわが子を預けざるを得ない母親の気持ち…
一時の感情で傷つけるつもりなどないのに、傷つけてしまった時…
勇気が出せなかった日…
それでも、人は、人には明日を信じる大きな可能性がある。
私たちは打ち勝つ
たとえ遠回りをしていたとしても
行く着く先に「正義」があるかぎり私たちは打ち勝つ
なぜなら「偽り」が
永遠に生き続けることはないから私たちは打ち勝つ
私はそれを
心の深いところで信じているマーティン・ルーサー・キング牧師
人が人を傷つける言葉が、傷つける手が、人を暖め、励ます言葉に、人を慈しむ手になる様に。
いつか、いつの日か。
この雲路の果てに。
ドストエフスキーの「罪と罰」について、以前に記事を書いた事があります。
よろしかったら、ぜひご覧下さい。
http://an-easy-light.cocolog-nifty.com/bloglight/2008/04/post_c6cc.html
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