今度はきっと、きっと素晴らしい世界に生まれておいでよ
血まみれで倒れている母親の近くで5歳ぐらいの男の子が泣いている。
裸の男の子はどうしてよいかわからずに、体全体を使って大声で泣き叫んでいる。
その男の子の姉と思しき女の子は、血まみれで倒れている母親のそばで放心状態となって座っている。
引越しをしてから、テレビの難視聴地域との事でCATVの契約をしました。
そんな時、チャンネル銀河で「映像の世紀」の再放送を放映していました。
NHKスペシャルで放送されたのを見ていたのは、約10年程前と思います。
冒頭の場面はその番組中の映像です。
これに加古隆さんの「パリは燃えているか」が重なります。
この曲も映像も言葉では説明しにくいのです。
子供は周りの世界を、親や身近な大人を通じて見ます。
外の世界を窺い始める時、信用できる大人と安心の手綱となる手をつないで見ます。
また、親の背後から、足にしがみついて様子を伺っている子供の姿を見ますよね。
言い換えると、小さな子供にとっては親が全てです。
食事も安全な環境も全て親が生殺与奪の権利を握っています。
自分で生きてゆく力がない子供は、自分を虐待している親に対し抵抗する術がありません。
「今日はお父さんの、お母さんの機嫌がいいように…」と祈る気持ちでいっぱいになります。
「お父さんやおかあさんが怒るのは私が良い子じゃないから…」と自分を責めます。
「今日はぶたれないで一日が終わった…」と就寝する時に安堵します。
誰も「しあわせに生きたい」この気持ちに変わりはありません。
インタビュー記事や会話の中で「生まれかわったら何になりたい」なんて質問があります。
今日を、明日を、明後日を、1週間後を、1ヵ月後を、1年後を必死に生きている。
つらい気持ち、満たされない思い、苦しい心、例えようのない孤独。
このままで良いと思っていないその心を抱えて、明日こそは、明後日には、きっとこの先には…。
私は「自分」と答えます。
私は明日を信じて、「今」を生きているのです。
でも、繰り返される哀しみの中で、理不尽に亡くなってゆく子供にはこの質問を空に投げかけます。
「今度生まれてくるときには何になりたい?」
「美しい花を見ると人は感動して涙を流す事もあるんだよ。知っているかい?」
「海に太陽が沈むとき、一瞬だけ違う輝きがあるんだよ。知っているかい?」
「人は、愛し愛されていると感じるととってもしあわせな気分になるんだよ。知っているかい?」
今度はきっと、きっと素晴らしい世界に生まれておいでよ。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


最近のコメント