この本能は人間が地球上に生き続けていくための基本的な本能なのです
今年の1月。
お年玉をもらった二男にせかされて、おもちゃ屋さんへ。
すっごい人。
そりゃ、クリスマスの次の稼ぎ時なのだから、当たり前だけれど。
人ごみの中、すり抜けてゆく子供の方が移動するのは断然早い。
追いかけますが、ぬいぐるみのキリンの首がばぁい~んっ
て、メガネに当たったりします。
踵には車が追突。
この車のバンパーが靴の足首につきささり、車が止まります。
どうみても、おじさん、早くどいてよ
…って顔。
二男も目的の場所でじっくりと物色を始めました。
それを後から見ていました…というか決まるのを待っていました。
すると右側から火の点いたように泣く3歳ぐらいの女の子が見えました。
おもちゃ屋さんで子供の泣き叫ぶ声はつきもの。
少し様子を見ていたのですが、これは迷子かな…と思い近づいていこうとしたら、お姉ちゃんらしき女の子が近づいてきました。
「いたよーっ」とそのお姉ちゃんと思しき女の子が、これまた少し年上のお兄ちゃんに声をかけています。
見つけてもらって安心した女の子は少し上のお姉ちゃんに抱っこされています。
しかし、お互いにあまり背丈が変わらないので、抱っこしてもらっているというよりは、相撲の寄り切りに近い姿です。
お姉ちゃんに抱っこしてもらいながら、背中越しに見える顔は泣き止んでいましたが、涙と鼻水でぐっしょりでした。
そんなに年も離れていないだろうに、お姉ちゃんはお姉ちゃんなんだな…なんて思いました。
ふと、頭をよぎる事がありました。
私たち人間が赤ちゃんとしてこの世の中に生を受けた時、私たちはすべて私たちより先に生まれてきた人間を信じて生まれてくるのです。
また、そうでなければ生きていけないのです。中坊公平・私の事件簿 中坊公平著 集英社新書
私は住専処理の問題で、初めて中坊弁護士を知りました。
その後しばらくして、中坊弁護士を特集したテレビ番組を見たのです。
そこで、この言葉が冒頭陳述書に記載された事件の事を知りました。
中坊弁護士はこの冒頭陳述書を全て暗記しており、一言一句間違えずに40分近い弁論を終えられたそうです。
その一部を抜粋します。
なお、この冒頭陳述書は同書に全て記載されています。
昭和30年当時、被害者は原因不明の発熱、下痢を繰り返し、次第に身体がどす黒くなっていき、お腹だけがぽんぽんに腫れ上がってきました。
そして夜となく昼となくなき続けたのであります。
そういう場合に母親としては、なんとかしてその子を生かせたい助けたい一心で、そのミルクを飲ませ続けたのです。
そのミルクの中に毒物が混入されていようとはつゆ考えておらなかったのであります。生後八ヶ月ともなりますと赤ちゃんは、すでにその意思で舌を巻いたり手で払いのけたりして、この毒入りミルクを避けようとしたそうであります。
しかし、母親はそれをなんとかあやして無理にミルクを飲ませ続けたのです。
その結果、ますますヒ素中毒がひどくなり、現在の悲惨な状況が続いてきたのであります。この18年間、被害者が毎日苦しむ有様を見た母親が自責の念にかられたのは当然でございます。
母親たちは言いました。
私たちの人生は、この子供に毒入りミルクを飲ませた時にもう終わりました。
それから後は暗黒の世界に入ったみたいなものです。
私たちは終生この負い目の十字架を負って生き続けなければならない、かように叫んだのであります。中略
しかし、この自責の念はひとり母親だけのものでしょうか。
私たち人間が赤ちゃんとしてこの世の中に生を受けた時、私たちはすべて私たちより先に生まれてきた人間を信じて生まれてくるのです。
また、そうでなければ生きていけないのです。
したがって逆にこの世に生を受けている人間というものは、生まれてきた赤ちゃんに対しては絶対的に保護し、育成しなければならないのです。
それは単なる義務ではありません。
まさに人間の本能なのです。
しかもこの本能は人間が地球上に生き続けていくための基本的な本能なのです。この人たちは、心ない世間の人たちからアホと呼ばれています。
そして外へ遊びに行くと、がんぜない子供たちは、逆にこの子供をいじめるのです。
アホと言って罵られたり、あるいは殴られたり、蹴られたり、ひどい時には頭から砂をぶっかけられたり、水をかけられたりして、家へ帰ってくることも少なくなかったと聞きます。
そんな時、この子供たちは、決して泣かなかったのです。
泣かないのは、わからないからだろうとお考えになると思います。
しかし、この子供たちは、家に帰って来て、母の手にすがった時には泣き叫んだのです。
この子供たちは本当は非常に悲しかったのです。
悲しくても抵抗しようにも、一本の健康な手も足もなかったのです。また、異口同音にこの親たちが言うことは、自分たちはいずれ先に死ぬ。
残ったこの子の面倒を誰が見てくれるかということなのです。
この事件において被害者の救済が真に望まれるゆえんはまさに、この点にあるのであります。中坊公平・私の事件簿 中坊公平著 集英社新書
お姉ちゃんに見つけてもらってよかったね。
きっと、お兄ちゃんもお姉ちゃんも安心したね。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


最近のコメント