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2008年9月

この子は充分愛されて 育っていますね

もう少し前の事です。
その日は歯医者の予約時間に間に合わせるのに必死だったのです。
なんとか時間に間に合い、直前の予約の人の治療が遅れており、一息つく間が出来ました。
いつもは必ず読みかけの書籍等をもっているのですが、その日は慌てて飛び出したので忘れてしまったのです。

待合室にあった”日本一短い「母」への手紙 一筆啓上 福井県丸岡町編”を手にとったのです。
最初の作品が

お母さん、雪の降る夜に私を生んでくださってありがとう。
もうすぐ雪ですね。
天根利徳

だったのです。
これだけで、こぼれそうな涙を我慢していましたが、その後の作品で我慢するのは無理だと考え、書籍名を覚えて本を戻しました。
このシリーズは父親や家族宛も含めていくつかあり、人前ではとても読めそうになかったので、帰り道に買って家のトイレで密かに読みました。

先般の福岡での悲しい事件に始まり、罪もない子供が殺される事件に胸が痛むと共にやるせない気持ちを感じます。
この事件の詳細が報道されるにつれ、思い出した事があり書籍を探しておりました。
思い出したのは以下の文章です。

この子は充分愛されて 育っていますね

親と子と別々の面談のあと、児童相談所の先生の口から最初にでた言葉です。もう何年も前のことですが。
障害を持って生まれた息子は、知的障害の他にも次々と病気がでて、そのつど親は右往左往。
また、思うようにできにない「しつけ」にあせり、いらだちと、どうしてよいのかわからず、ただただ一緒に泣いたりと、親の感情のままに育てた子なのに…。
私にとっては意外な言葉でした。

知的障害は様々な症状からくる弊害が大きく、言葉でのコミュニケーションがむずかしい分、本能的に驚くほどいろいろなことを察知します。
そのため、ごまかしがきかず、また素直でむじゃきなのです。

この言葉を聞いたあと”あぁ、いまのままでいいのだ”と思えるようになり、「障害児」という不思議人間と格闘するのはやめよう。
むき合って教えなくちゃという気持ちが萎えて、一緒に並んで、のんびりゆったり歩こうと思えるようになりました。
私が息子にしてやれることは、精一杯愛していくことだけなのかも知れません。

渥美京子 愛知県
こころにしみた 忘れられない言葉 岐阜県笠原町【編】

途方にくれ、迷っている時に、自分を肯定してくれるこんな言葉に出合ったらどんなに勇気と希望を与えられるでしょう。

長崎でまだ小学生で、同級生が同級生を殺す事件があった時、その事を契機としたNEWS23の特集に事件現場の映像に重ねて「タガタメ」が使用されました。

子供らを被害者に 加害者にもせずに
この街で暮らすため まず何をすべきだろう?
でももしも被害者に 加害者になったとき
かろうじて出来ることは
相変わらず 性懲りもなく
愛すこと以外にない

タガタメ Mr.Children

愛すこと以外にない。

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しあわせのランプ(Chapter4) 渇望

荒む中学生活、勉強するのではない。
何か楽しい事はないかなと学校へは行くのだ。

私は性質が悪かった。
家庭でのしつけは親父も厳しく、一見は普通の生徒に見えるが、先生や親の見えないところでは…というタイプだった。
仲間はたくさんいた。
自分がその中心にいる事で私は満足だったのだ。
それは自分の傍若無人が通用するからだ。

通学していた公立中学校は特殊学級を併設している学校だった。
特殊学級に所属する生徒もホームルームと国語の授業だけは一緒に受けた。

おそらく小児麻痺が原因だった思うが、マーちゃんは話す事、歩く事が不自由だった。
いつものように教室で輪になって話していた時、たまたまホームルームでマーちゃんが教室にいたのだ。
視界に入った私は「マーちゃん、どう思うよ?」と何気なく声を掛けたのだ。

近くで我々の話を聞いていたから、彼はとても嬉しそうに答えてくれた。
嬉しそうに答えてくれた事を、本当は私が嬉しくて、教室に来るたびに必ず彼を入れて皆で話したのだ。

しばらくして、マーちゃんの母親から手紙をもらった。
それは「学校で話をするたくさんの仲間が出来て、マーちゃんが学校へ行くのが楽しくなった」と言っていると書いてあった。
「いつまでも仲良くしてやって下さい」と書いてあった。
マーちゃんが不自由な体で、大きな文字で「ありがとう」と書き添えてあった。

マーちゃんと会ったのは中学3年生になってからだった。
私は彼の存在をそれまで知らなかったのだ。
半身が不自由な為、口からよだれが垂れてしまう事があった。
その事が「汚い」と言われ、いわれない暴力を受けていた事もあった。

嬉しかった。
単純に嬉しかった。
誰かに感謝される事が嬉しかったのだ。

お山の大将が複数いる時代。
マーちゃんと仲良くなってから、マーちゃんをいじめたグループを別の口実を作って争いを発生させ潰したのだ。
マーちゃんは私の仲間となり、もう暴力や汚いと言っていじめる連中はいなくなった。

特殊学級の生徒は別棟で通常は授業をしており、我々がその棟に入る事は許されなかった。
しかし、特殊学級の先生から皆で来て欲しいと招待をされたのだ。
先頭になって迎えてくれたマーちゃんの笑顔が忘れられない。
マーちゃんからもらった年賀状は私の似顔絵が大きく書いてあった。

ケンカや勢力争いの日々。
「井の中の蛙、大海を知らず」ここに極まれリであった。
多くの人を傷つけた。
自分のグループが大きくなって行く事で満足だったのだ。
それが、何で結びついている仲間なのかなのど、考えもしなかった。

ある日、仲間が一人づつ校長室に呼び出された。
理由は暴力だった。
彼が家で風呂に入ろうとしていたところ、体にある多くの痣を見た母親が心配して連絡してきたのだ。
私は一番最後に呼ばれた。
先生からは私がその事を自分の仲間がやっていたが、黙認していた事を知っていたのだ。

私には「直接暴力をふるうのと、精神的な暴力とどちらかが辛いか考えた事があるのか」との詰問だった。
自分の仲間がやっていて、それを黙認している立場が一番罪が重いのではないのかと。
私は何故、この事がわかったのかと聞いた。
どうしてその事を問い合わせたのか、自分でもわからない。
彼の体にある多くの痣を見た母親が心配して連絡してきたのだとの返答だった。

自分の子供の体に少なくない痣があるのを母親が見つけたらどんなに心配するだろう。
何も説明しない自分の子供が、痣のある体をかかえて震えていたら、どれだけ心配するだろう。

私はシラケてしまった。

仲間が増えて行く事が魅力であり、最大グループになって行く事が結びつきの理由だったのだ。
それには争いを続けてゆくしかないのだ。
シラケた私はそれを放棄した。
グループは急速に瓦解して行く。
卒業は間近だった。

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総合レストランはあなどれない

出張で大分県へ参りました時の事。場所は熊本県との県境近く。
昼食時になりまして、道路端の総合レストランに行きました。
総合レストランとはよくありがちのうなぎ、すし、うどん、土地柄だから「ちゃんぽん」となんでもあるところ。
メニューも日焼けが過ぎて、皺が多い。
見えるからいいでしょって、ってなもん。
殆どパピルスのヒエログリフ。
店内をグルッと見回すと、壁にもメニューが貼ってあります。
その中に、輝くメニューが

★★★あじ寿司★★★

迷わずそれにしました。
まさか、回転すしステージで光沢を失い、ひたすら無言で踊りつづけるプリマドンナの地方興行では…。
ところが、上寿司と同じ皿のそのものは、秘境の女神像でした。

アジが新鮮で、その輝きが美しい。
また、厚さ1cmはあろうアジが、これでもかというほど大きなしゃりにデーンとのっています。
箸で持って食べるのが大変。
口に含むとアジがプリプリっと歯ごたえがあり、臭みもない。

こりゃ美味い!

6個はいっておりましが、十分満足。
飽きないで食べれました。

しかもお値段、1人前700円。
以前、銚子で食べた事がありましたがアジ、価格、ボリュームともに満足、満足。
なんだか、テレビショッピングのようですが、総合レストランはあなどれません。

食べたくなったでしょ?

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しあわせのランプ(Chapter3) 裸足で走れ

写真を撮影する為に一列に並んだラガーマンが勝利の喜びで泣きながら、カメラの方を向いている。
チームの勝利だ。
個々人の能力が結晶して、勝利へと結びついたのだ。
皆で分かち合う喜び。
撮影の合図に「イェーッ!」と反応している。
「あなたにもこういう思いをさせてあげたい…」
テレビ画面を見ながら、母親はそう言ったのだ。

中学時代は校内暴力華やかりし頃で、授業もまともに出来ない日があった。
ケンカは日常茶飯事。
大人の世界の縮図の様に、権力闘争もあった。

荒んでいたのだ。
その荒んだ心に共鳴する人は多くいたのだ。
夕暮れの校庭で感じた孤独感や大切の思ってくれる人の気持ちは意識の外にあった。
ランプのあかりが灯っているのに、その灯りが見えなかった、見えない事にしていたのだ。
仲間は多くなり、私の振る舞いは傍若無人だった。

小学校の高学年から地元ユースの野球チームに入った。
センターで背番号は9番となり、レギュラーにぎりぎり入っていたのだ。
その後に肩のよさを評価され、ピッチャーへ抜擢された。

運動会でも主役になれる機会はなく、ピッチャーという野球で絶対の主役になれる事は本当に嬉しい事だったのだ。
練習も意欲的に取り組んだ。
試合に登板する事を予告され、前日は自分がスターになるところを夢見ながらなかなか眠れなかったのだ。
勿論、両親にも話した。
練習も試合も見に来た事がないのに、その日は見に来ると言ったのだ。

しかし、当日はベンチだった。
両親の前で、膝を抱えて土いじりをしていた。
両親には帰って欲しい…と思っていた。
当日の登板は一つ年齢が下のチームメイトだった。
聞きたくなかったが、彼の両親が監督へ懇願したのだ。
その事実を本人から聞かされた。

この頃から、大人には「君は子供らしくない」とよく多くの人から言われるようになった。
大人びているという事ではなく、つまりは可愛くないという事だ。

だからって、そんな事があったなんて、言えるはずもない。
登板できなかったという事実だけがあったのだ。
くやしいという気持ちよりも、そんな事が認められる事にシラケたのだ。
でも、残念なのと申し訳ない気持ちで消えてしまいたかった。

しかし、別の日に登板する日がやってきた。
そんな事があってもやっぱり嬉しかったし、その時は興奮した。
同級生の仲の良い友達がキャッチャーをしており、彼とバッテリーを組める事は嬉しかった。
彼は本当にニッコリして「ガンバレヨ」と私にボールを届けに来た。

やっぱり実力がなかったのだろう。
ひどい結果だった。

交代を告げられると、相手チームが声を揃えて私を野次る歌を歌い始めたのだ。
本当は結果が出せない自分に一番腹が立っていたのに、これまでの事もあり、私を刺激するにはその歌は強烈すぎたのだ。
交代を告げられ、当人両親推薦の投手に無言でボールを渡す屈辱感にまみれ、「頼む」と一言マウンドを降りた。
しかし、自軍のベンチに戻るのではなく、相手チームのベンチに私は歩いて行った。
野次る歌声が大きくなったのではない、自分が近づいて行っているのだから、大きく聞こえてくるのだ。

監督が「いつまでも、そんなところで野次にのまれているんじゃない」と後から声を掛ける。
次の瞬間、私は相手チームの一番大きい声で歌っている、一番大きな奴に殴りかかったのだ。
後は試合にならなかった。

写真を撮影する為に一列に並んだラガーマンが勝利の喜びで泣きながら、カメラの方を向いている。
チームの勝利だ。
個々人の能力が結晶して、勝利へと結びついたのだ。
皆で分かち合う喜び。
撮影の合図に「イェーッ!」と反応している。

この類の光景が、私にとって一番忌み嫌うものとなった。

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あなたの記憶にある最初の思い出はなんですか?

先週は取引先との接待もあり、立山アルペンルートを富山県から長野県へ向かうルートで移動しました。
天気にも大変恵まれ、美しい景色を堪能する事ができました。
役得役得。
写真もいくつか撮影し、帰宅して小学生2年生の二男に見せると「今日は会社の遠足だったの?」と聞かれてしまいました。

黒部ダムで取引先がダムの下を覗き込んでいる時、同じくダムを覗き込んでいる家族に置き去りにされ、ベビーカーから大脱出イルージョンを試みようとしている子供が一人。
イルージョンは成功せず、遂に関心を引き戻す為に泣き始めました。
これを後輩と同じ視線で見ていた私は「子供ってかわいいよな。自分の子供はあんな時期は過ぎたけど、孫なんてできたら間違いなく溺愛しそうだ」と私。
後輩も(彼は結婚が早かったので、既に高校生の子供がいます)「私もそう思います。他人の子供でも、子供を見ているだけで顔が緩みます。自分にも孫なんかできたら、間違いなく溺愛しますよ」と話しておりました。

長崎県の島原半島にある有家という場所へ仕事で行った事があります。
取引先と現地事務所での待ち合わせでしたが、約束の時間より相当早い時間に到着しました。
応接に通されましたが、道路をはさんで聞こえる波の音に誘われ、海岸へ降りて行きました。

時期は2月頃だったと思います。
関東の人から見ると、九州は南国のイメージもありますが、冬にはところにより降雪もあります。
確かその日も日本海から有明海へと吹く風は冷たい日だったと思います。

曇りであまり波もない海岸から水平線を見ている時、胸に息苦しさを覚え、思わず両膝をついてしまったのです。
哀しみで涙がこみ上げて来ます。
自分でも理由がわからず困惑しています。
こんな事は経験がありません。

この頃、島原半島では全国ニュースになる大きな事件がありました。
保険金殺人です。
旦那と子供に保険を掛け、情夫と共に妻が殺害する事件でした。

その事件について一部始終を報道や現地の人々から見聞きしたのです。
やるせなく哀しい気持ちになったのは、殺された中学生の子供の事でした。
父親が殺され、情夫が公然と出入りする様になると情夫から暴力を振るわれ、情夫がいる間は家に入る事も許されない。
寒いガレージで膝を抱えて、じっと寒さをこらえながら時間が過ぎるのを待つ。
まだ、自分で、自分の力でこの環境を捨てて人生を切り開いてゆくには幼すぎる年齢。
彼のその絶望と孤独を思うと、例えようのない哀しみと怒りが体中をめぐります。

どんなに哀しかっただろう。
どんなに辛かっただろう。
どんなにさみしかっただろう。

やがて情夫に夜釣りに誘われます。
夜釣りに誘われても楽しい事もない、断る事もできないその状況で、いったいどんな絶望の中で出かけたのだろう。
そこで、睡眠薬を飲まされ海に突き落とされ溺死させられます。
這い上がろうとするところを、押さえつけられて。
そして、その行為を実の母親が手伝っている事を認識しながらです。

私には霊が見えるとか、憑依するとかそういう能力はありません。
でも、それはなぜか突然に私の心をつらぬいたのです。
そう感じたのです。

その後も哀しいニュースは後を絶ちません。
…ただ、おかあさんと一緒にお風呂に入って、眠りたいだけなんだよ。
…悪いのはぼくです。おかあさんは何も悪くありません。
今度生まれて来る時は、愛しんで大切にしてくれる人のところに生まれるんだよ…と祈ります。
一方に心の闇がある事もわかります。
しかし、一方には選択の余地がありません。

「人間失格」という野島伸司さん脚本ドラマの最終回でこんな台詞があります。

…あなた達には実感がないんです。
生きてる実感がきっとないんです。
何か大きなものに流されて、自分がなんなのか分からないでいるんです。
人間なのか、自分の体の中に何色の血液が流れているのか、傷つけると痛みを感じるのか。
それが分からないあなた達は、友達の体から赤い血が流れて、苦痛に顔を歪めて、孤独や絶望で表情を失っていくのを見てほっとするんです。
友達を傷つけることで、生きてる実感を感じようとするんです。
勘違いしないでください。
友達にいくら赤い血が流れていても、涙が溢れていても、それはあなた達自身じゃない。
あなた達は、人間だとは言えません。
みんなが…みんなが生まれたことだけで、もうとても素晴らしいことなの、生きていることだけで、素晴らしいことなの。
自分自身の存在に、早く自分自身で気づいて。
素晴らしい自分の命と同じように、友達の命も素晴らしいことに気づいて。
自分を愛するように、友達も愛して…。
            …人間・失格―たとえばぼくが死んだら 野島 伸司 (著)

あなたの記憶にある最初の思い出はなんですか?
そう問いかけられた時に、誰もが自分が愛しまれた素晴らしい思い出であるように。

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音楽は思想を超え、宗教を超え、言葉を超え、伝わる人間が持つ心。

中学生の頃、深夜番組を親の目を盗んで見たい事がありまして。
中学生の男の子が、親の目を盗んでみたい番組です。想像して下さい。
当時、日本に初来日していたカラヤンの番組を見ると嘘を言って、ちょっとHな番組を見ようと、ドキドキワクワクしながら、親が就寝するのを心待ちに準備をしていました。

しかし、カラヤンの番組を本当に最初に見たら、その虜になりました。
神経質そうなその風貌。
来日するのに、専用のシェフを連れてくる。
専用のジェット機で来る。
フルトヴェングラーとの確執。
ヘビィメタルバンドのメンバーとは大きく違います。

ヘルベルト・フォン・カラヤン
何よりも情熱あふれる、指揮するその姿。
目を閉じながら、水面を走るようにしなやかに、大地を割るように振り下ろされる刃物のように、震えながら天を衝くように振り上げられる指揮棒。

もともとクラッシック音楽は好きでしたが、その作品の背景よりも楽曲で聞くというか、メロディーで聞く事が殆どだったのです。
カラヤンの指揮する姿にすっかり心奪われました。
音楽を聞く事の深みを与えてもらった気がしました。
オーケストラを手中に、目を閉じながら、感情を高ぶらせて、神々しい。

それから、特に来日したヘビィメタルバンドがステージで狂ったようにプレイする姿は見ましたが、カラヤンの指揮と同じ感覚はありませんでした。
それはそれで素晴らしいと思いましたが、神々しさは感じなかったのです。

ところが、日本のヘビィメタルバンド「X Japan」yoshikiのドラムプレイを見たときにカラヤンと同じ感覚がありました。
全身全霊を込めて、猛烈なドラミング。
曲のドラマチックな部分では必ず表れ、ギターやボーカルにも決して負けない猛烈な存在感のドラム。
あれじゃ、ライブの最中に倒れるのも理解できる。

今度は反対になりますが、エドワード・デュプレのチェロを演奏しているところは見た事がありませんが、その気迫は残されたCDのプレイに感じます。
エルガーのチェロ協奏曲は私がこのCDに出会えてよかったと思ったCDの一つです。
人が呼吸をするように聞こえてくるそのチェロは、弦が限界まで演奏者と闘っているようであり、喜怒哀楽いやそれ以上がメロディーを超えてくるのです。
愛なのか、喜怒哀楽なのか、楽器の変遷か、または演奏者の人生か。
彼女の人生が聴く者に更に迫ります。

小学2年生の息子が先日、妻が見ていた「戦場のピアニアスト」のDVDを横で見ていました。
私はこの映画を見た事がありません。
ナチスドイツがユダヤ人に対する迫害の残酷なシーンがあるそうです。
彼はそれを見て、何を、どう感じたのでしょうか。
ストーリーを理解出来たでしょうか。あえて聞いてはいません。

しかし、イラクを始め世界で繰り返される悲しいニュースに、時々興味を示し私に理解できない内容を聞いたりします。
それから彼が弾くピアノには、何かを感じる…は親バカすぎます。
現在は3月の発表会に向けて、半分いやいやながら練習をしています。
ところが、通知票にある先生のコメント欄に「ピアノを弾いていたら、皆が集まって来て、スゴイと尊敬されていました」なんてのがありました。
おいおい、そういう事に使うんじゃないよ。

ショパンの革命はなぜ、あんなにも狂おしいのでしょう。
ベートーベンはなぜ、第9の最後を喜びの歌で終わらせたのでしょうか。

鹿児島への出張で、知覧の特攻隊の記念館に立ち寄りました。
その遺品や遺書は表現が困難です。
その時に一緒に同行した取引先の常務は女性であり、母でもありました。
彼女は涙を禁じ得ませんでした。
肌身に迫った現実があるわけではありませんが、悲劇は世界で繰り返されています。

ショパンの革命はなぜ、あんなにも狂おしいのでしょう。
ベートーベンはなぜ、第9の最後を喜びの歌で終わらせたのでしょうか。
私はなぜ、カラヤンの指揮する姿に感動をし、デュプレの演奏に感動をするのでしょうか。

きっと人間の根幹は単純で、皆が同じものを持っているからなのであろうなあと思うのです。
音楽の可能性に崇高を感じ、人間の可能性を感じます。
男と女、兄弟、親子、隣人、同じ故郷、そして…世界に住む同じ人間。
思想を超え、宗教を超え、言葉を超え、伝わる人間が持つ心。

あまりに尊大なテーマですが、でも答えは単純なところにある気がしませんか。
上手に表現ができませんけど…。
ベートーベンはきっと、苦難の連続だった人生でも、喜びの歌で表現をしました。
いや、したかったのだ、せざるを得なかったのだと私は思うのです。

さて、冒頭本当にカラヤンの指揮に感動をした私はHなテレビを忘れていたのでしょうか。
いいえ、忘れていません。
カラヤンの番組が終わると、大急ぎでチャンネルを変えましたが、終わっていたのです。
やっぱり…ガックシ。
懐かしい…青い想い出です。

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音楽は神様が人間にくれた大切なプレゼント

幼い頃に聞いたお話しレコード。
「白鳥の湖」
絵本の最後のページはデュークフリートとオデッタが飛びこんだ岬に虹がかかり、共に手を握り合い、2人が昇天してゆく様だったと思います。

子供ながらに感動したのです。

その時は、悪魔の魔法を解くために、二人して、死してその魔法を解き天国で結ばれようという愛の結びつきに、その強さに感動しました。

今は闘わずに死を選んだ事を全面的に肯定はしないだろうけど。

それから、その物語に付随するチャイコフスキーのバレエ音楽「白鳥の湖」は私の心を捉えたのです。
生きるという事、愛の強さ、その激情。
多分思うにこれが、私の音楽に接する原点と考えるのです。
親に言わせれば「ひょっこりひょうたん島」の主題歌を踊りながら歌っていた…なんて言われるかもしれませんが。

その後クラッシックは親に押し付けられ、小学生のためのクラッシック大全集なんてのプレゼントされ、ところがそれをしつこく、擦り切れる程に聞きました。
小学生の頃大好きだった「宇宙戦艦ヤマト」はサウンドトラックが大編成のオーケストラだったのです。
ちっとも違和感が無いし、これも大好きだったのです。

しかし、西城秀樹。
なんで、あんなに情熱的な歌い方ができるのだろうと、どうしたら、あんなに激しく、熱く歌えるのだろうと。

夜、布団に入ってから、どうしても我慢ができなくて、2階の部屋で練習したのです。
「ボタンをはずせ~心を見せろ!!~♪」
あ~っ、どうして秀樹みたいに心から絞り出すように歌えないのだろう。
「ボタンをはずせ~心を見せろ!!~♪」
「ボタンをはずせ~心を見せろ!!~♪」
階下から親父の一言。
「ボタンをはずせはわかったから、もう寝なさい」

それからやってきましたピンクレディーブーム。
クラスの女の子も仲良しどうしでペアになって、振りマネ、歌マネ。
お誕生日会やお別れ会には必ず、何組ものピンクレディーが登場。
他の方々も皆様、グループで劇とか手品とか。
そんな中で私はいつも一人で、沢田研二。
ジュリーよジュリー。
本当に勝手にしやがれ。

本当に人を好きになるなんて事を感じる中学生。
当時はアリスに松山千春、さだまさしが大人気。
さだまさしの歌に、歌詞の意味を少し考えるようにもなりました。
ちょっぴり大人への入口です。

ところが、ここで私は初めてロックンロールと出会うのです。
しかも、ハードロックという区分に納まりきらないヘビィーメタル。
ギンギンにならすギターに乱れ打つドラム、叫ぶボーカル。
おりしもベストヒットUSAなんて番組が放映されている頃。
彼らがプレイする様とそのメロディーと歌詞がテレビ画面の中から、西城秀樹に感じた私の熱い部分を呼び覚ますのです。

また聞くほどに、知るほどに、クラッシックとの差を感じなくなりました。
やりきれない生きるその苦しみを破壊や自虐で表現する事、ベートーヴェンやラフマニノフが人生の苦しみと格闘し、それをメロディーで表現した事。
死への恐怖と慟哭に苛まされたマーラーとどこが違うのかと。
表現する歌詞とメロディー、楽器の違いです。
私は急速にのめり込みました。
MSG   RAINBOW  SCORPIONS etc…。
当時は田原俊彦にマッチの「たのきんトリオ」が全盛。
ヘビーメタルなんて不良扱いです。

この頃は洋楽一色。
かなりのませガキです。
ビートルズ解散後(何故かビートルズは好きになれなかった)に次の主流を模索していたイギリス音楽界でブームになったプログレシブロック。
ロックなのですが、クラッシックの様にメロディーに変調があり、しかも1曲が10分近く。
また、BOZ SCAGGSに代表されるAOR。
クラッシックとの融合とも言うべき、この流れは本当に抵抗が無かったのです。
特にこのAORは後に車でデートをするようになって、ムード作りにこんなにイイモノはないなんてヨコシマな考えも…。

しかし…オニャン娘クラブ華やかりし、高校時代。
原田知世の「時をかける少女」を見てから、いかれてしまったのです。
それまでのロックはピタッと止まって、原田知世一色になってしまいました。
それも長くは続かず、無色な高校生活に全てのメロディーは止まってしまいました。
新しいものも、何も手を出さず、過去のものも手に取ることはなく。
当時、ヘビーメタルは色褪せ、ユーロビートがジュリアナ東京と共に跋扈しはじめたのです。
そんな事も気にならず…。

眠れぬ夜に聞いた深夜ラジオで、中島みゆきの歌をはじめて知ったのです。
あっ…これ金八先生の中で使用していた曲だ…。
彼女の作品を多く聞くにつけ、涙声で歌い、哀しみを表現するその歌に虜となりました。
当時の私の心には、砂漠に水をたらすように心にしみたのです。
そして無色の高校生活が色づきはじめようとしていた頃、ブルーハーツがユーロビートを蹴散らすように登場しました。
ストレートな歌詞とメロディーとはいろいろ難しく考えていた私を解き放ってくれたのです。
メロディーが完全に甦りました。

そして真打登場。
年代がほぼ同じ、子供の頃にクラッシックの素養あり、同じ音楽を聴いて育ってきたYOSHIKIをリーダーとするX JAPANです。
その30分に及ぶ「ART OF LIFE」は自分と重ね合わせ、参ってしまいました。
曲中にオーケストラと闘うようなX JAPANの面々。
これがクラッシックとロックの融合だ。
おおいかぶさるような弦楽器に必死に戦うYOSHIKIのドラム。
また、歌詞がTOSHIの声と共にメロディーに負けないのです。

最近は音楽をゆっくり楽しむ時間も確かに減りましたが、自分の時間で一番費やしている事です。
クラッシックを聴く事の方が多くなった気もしますが、ロックが相変わらず好きです。
じじいになっても、ジーパンとロックは止めない。
そんな節操のないじじいを目指しているのです。

音楽は神様が人間にくれた大切なプレゼント。
言葉のわからないもの同士が理解し合う事ができ、何百年前の曲が時間を超えて今を生きる人を感動させる。
楽しむ事ができるのだから幸せです。
もう、私のメロディーは止まりません。

いつも音楽とともにある生活。
素晴らしいですよね。

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