新製品が発表になったりすると、スーパーマーケットなどでよく、例えばビールとか試飲コーナーを設けたりして販売をします。
「○○が発売されました。どうぞお試しください」なんてやっていますのを見た事がありますよね。
あれって、結構孤独なんですよね。
ちょっと見ていても、声をかけているのに、そこに誰もいない様な顔をして通り過ぎたりします。
子供が風船欲しさに近づくだけでも結構歓迎だったりして。
試飲したり、試食したりすると買わなきゃいけない…なんて心理が働きますが、そんな事もないんですよね。
たくさんの人がいるのに、無視されると余計に孤独を感じたりします。
私は結構ひっかかります。
例えば新発売のビール。
「どうぞ
」なんて若いお姉さんにいい笑顔で進められたりすると「じゃ、いただくよ」なんて。
「あっ、美味しいね」なんて言って、
「じゃ、お母さんこれ買っていこう」なんて言って、
妻に「本当に飲むのね」とギロリと確認で念を押されます。
「嫌だなぁ、たまにはふたりで一杯と思っているからさ」
我が家の冷蔵庫にビールがあふれます。
「旦那さん、これ食べてみて」
別の日、なんだかやけに大きめの○○餃子とかいうものを勧められました。
「ん、美味しい。お母さん、これ今日の夕食にしよう」と言って、それを買ってもらいました。
「はい、1,200円です」
(何
6個で1,200円
。1個200円じゃねぇか。でも、いるって言った以上、この程度で高いから、いらねぇとはいえねぇよ)
…と買って帰りました。
ところが、これが家族には大不評。
「お父さん、責任とって食べてね」とひとりで○○餃子と格闘する事となりました。
自分の仕事では、決してしない行わない失敗をします。
まあ、そんな事はともかく実演販売は結構孤独です。
スーパーで実演販売の経験はありませんが、似たような経験がありますし、現在でもしなければならない場面があります。
もうひとつ。
不動産販売の現場近くでよく見るもの。
現場近くの交差点等で現地までの案内看板を持って座っている姿を見ませんか。
ものすごい炎天下でも、雨が降っていても、誰かが目印にしているかもしれないけれど、本当に非生産的な気がします。
きっと、路上に看板を立ててはいけないなんて関係法令があったりするのだと思います。
私ならそれよりも販売に携わる事の方が役立つ思いがします。
あれは孤独と言うよりも、苦痛というか、苦行という気がします。
私はビジネスの世界でよく考える事があります。
例えば、明日の命を継げるかどうかわからない子猫にミルクをやる。
それは命を守るため、喫緊の取り組むべき問題です。
その時は、その子猫の境遇と孤独を共有します。
自分の姿を投影する事もあるでしょう。
でも、取り組む事は「どうしたら、こういう子猫を出さずに済むのか」という事です。
先日、引越しに際し」CATVの契約を継続する事にしていましたが、結果として引越し先が導入できない事が、移転工事の際に判明しました。
工事の最中にCATV会社の営業の部門の一番偉い人が来て、その説明が始まりました。
契約していたCSの専門チャンネルが見られなくなるのは残念でしたが、ネット等は契約をしていなかったので、まあ大きな問題ではないし、仕方ないよねってところでした。
お偉方はお詫び一辺倒でした。
その最中に移管の契約を担当した営業担当が家の前まで来ていると、工事担当の人が営業のお偉方に耳打ちしました。
「ここまで来させますか?」
工事担当の人が聴こえる小声で話しました。
「必要ない。待っていろと伝えておけ」とよく聴こえる小声で返答しました。
契約をした営業担当の人は怒られるだろうなぁ…と頭をよぎりました。
ずいぶん一生懸命、熱心な人でした。
でも、一度の失敗で、この失敗で、つまらない迷路に入り込まないようにと思いました。
格差社会。
嫌な響きの言葉ですね。
持っている人は持っていない人を見て、自分の恵まれた立場を確認する。
いじめは、いじめられている人の絶望する姿を見て、いじめる側は安心をする。
あいつはこんな奴。
彼はこれぐらいしか出来ない人。
彼女はダメな人。
近頃はラベルを貼るのが大流行。
ついでに順位付けするのも大流行です。
例えばタイヤ屋さんがつけた星の数が権威を持ってたり…。
自分が向上してゆく中で、今の位置づけを確認し、更なる向上を目指すなら良いですが、誰かを貶める事で、自分の位置づけを確認するのは、ちょっとさびしい事だと思います。
お札ではないのだから、貼り付けられたラベルに自ら縮こまって、閉じ込められる必要はない。
貼り付けられたラベルなんて、大きなお世話だと剥ぎ取って、捨ててしまえばいい。
均一化したものの中では、異質なものが恐怖であるし、常に排除したい対象となるのだ。
自ら進む道を信じ、胸を張って進もうじゃないか。
時として、ひとりになり、孤独にも苛まされる。
誤った道でなければ、やがて皆が理解する日がやってくる。
誤ったとわかったなら、修正すればいい。
心を殺して、異質なものとなる事を避け、均一化という誰かの型は窮屈だ。
俺はずっと考えてたんだ
俺たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか…
けどいくら考えてもちっとも答えなんか出やしねぇ
けど俺たちはいつも何かを考える
花や木や虫たちはそんなことを考えたりはしない
花はただそこに咲いてるだけだ
ただ無心に精一杯咲いて、いつかは何も言わずに枯れていく
俺はそんな花が大好きだ
永遠じゃないから、いとおしく思って大事に水をやる
俺たちも永遠じゃない
やがては誰もが死んじまう
ただ花と違うのは考えることだ
もっと沢山の栄養を吸収したい
もっと太陽の光を浴びたい
できれば一人で独占したい
嵐が来て他人が流されても、同情はするが助けることはない
俺たちは同情が好きだ
俺たちは他人の不幸が好きだ
俺たちはいつもいつも自分を他人と比べている
いつもいつも小さな不満がある
孤独で、自分の無力を嘆いている!
…もうそんな生き方は辞めよう
初めからやり直すんだ
ただ自分の足元と空を見つめるだけでいい
ただそこに咲いている花みたいに…
俺自身も比べられてきた
けど俺自身も友達のことを比べていたんだ
知らない間に…そいつに同情して
そいつを…友達なのに、デクを…
あいつは許してくれた
だから俺も初めからやり直すんだ
あんな事件を起こした俺でもやり直せる
俺の愛する人が教えてくれた
ただ精一杯そこに咲いていた彼女
人間の価値を測るメジャーは、どこにも…どこにもないってことさ
頭のデキや、体のデキで簡単に測ろうとする社会があるなら、その社会を拒絶しろ!
俺たちを比べるすべての奴らを黙らせろ!
お前ら自分が無力だとシラけるな!
矛盾を感じて、怒りを感じて、言葉に出してNOって言いたい時
俺は、俺のダチは、みんな一緒に付き合うぜ
未成年/野島 伸司(幻冬舎)
一昨日の帰り道。
電車のホーム、エレベターの出入り口があるところで電車を待っていました。
開いたエレベーターから、たくさんの人が降りてきました。
最初に降りてきた人が、キャスターバックを誘導ブロックの凹凸でタイヤをとられました。
その後ろから、車椅子の人がエレベーターを降りようとしていました。
しかし、出口は詰まって出れず、エレベーターのドアは閉まりかかりました。
私がキャスターバックの人を手助けしようと動き出そうとした瞬間、私よりエレベーターの近くにいた他の男性がアシストしました。
「ありがとうございます」とキャスターバックの女性が、その男性にお礼を言いました。
このろくでもない、すばらしき世界
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ただ精一杯そこに咲いていた
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