2012年5月13日 (日)

ちょっと切なくなる、でも嬉しい話。 そして、切ない楽曲です。

ブランドに恋してしまう事は誰にでもあって、とても輝いているからこそ、無理の無い話しです。
ブランドに恋してしまうとは、その人物そのものよりも、その人物の周辺の事が中心で、それに恋してしまう事です。
例えば、○○に勤めている人がいいとか、○○部のキャプテンだからカッコイイとか、職業だったり、年収だったり、見栄で、見栄が恋をすると言った感じでしょうか。
始まりはいろいろなので、簡潔に表現するのが難しい事でしょうか。

いろいろな憧れから恋がスタートし、互いの理解が進んで、共にハッピーであればこれが一番です。
でも、ブランドだけに恋していれば、それが無くなってしまったら、それで終わり…とさびしくなります。

少し前にサラリーマンの間で流行ったブラックジョーク?
いえいえ、結構マジな話です。
旦那が家に帰って一言。
「今日俺、会社でリストラされた」と言った時、奥さんはどう反応するか。

【1】「なんであなたがリストラされなきゃならないの!!」
【2】「(生活費は)明日からどうするの?」
【3】その他

【1】だよね。【2】は哀しい。
【3】は夫婦により、パートナーのタイプによりいろいろでしょう。
おじさん達の、飲み席での与太話です。

フェラーリに乗っていたり、クルーザーを持っていたり、それは素敵な事だけれど、あなただから楽しいとか、あなたとだからいい…が欠けていると、何か大きな大事なものが不足している気持ちになります。
フェラーリも、クルーザーもないから、ヤッカミみたいだけれど、恋だけじゃお腹が空くから、やっぱりしっかりと生活もしなければならない。
日常があるから、非日常がきっと楽しいのであって、ディズニーランドも毎日はいられない。

JR東日本の新幹線にあるフリーペーパー「トランヴェール」で、角田光代さんの連載があります。
「目的地まで、あとどのくらい」の13回目「あの夜の若い二人」というエッセイを読みました。
東日本大震災から約1ヶ月後に被災地へ入った時の出来事です。
昼間に垣間見た風景に、お酒の量が増えざるを得ず…。
飲食後に立ち寄ったじゃじゃ麺店で出会ったカップルの事でした。
角田さんが、そこで出会ったカップルふたりの結婚式に、花束つきの祝電を送る事を約束し、約束を実行します。
そして、後日受け取った二人から、礼状が届きます。

女性は岩手、男性は福島在住で、来月結婚するのだという。
いっしょに暮らす予定でいたけれど、今回の震災で、少しのあいだそれがむずかしくなり、とうぶん遠距離結婚になるとふたりは話してくれた。

中略

結婚式の写真も同封されていた。
読んでいてあの夜を思い出し、私は泣いた。
ありがとうと言いたかったのは私だったのだ。
壊れて流されたいくつも暮らしを見て、自分の無力さを思い知って、ひたすらに言葉を失って、夜更けまでごまかすように飲んで、そんなとき、いろいろ問題はあるが、それでもこれから生活を作り上げていくという二人に会って、私はなんだか救われたような気持ちになった。
お礼を言いたいのは私だと、早速返事を書いた。

じゃじゃ麺屋で相席した若い二人のしあわせそうな写真を、今も私は持っている。

トランヴェール「目的地まで、あとどのくらい」
「あの夜の若い二人」 / 角田光代

それぞれ異なる環境で育って来た二人が、一緒に生活を築いて行くのだから、楽ではない事もあります。
でも、ふたりで新たに作って行く事は楽しい事です。

結婚した頃はamazonも見られる環境にはなく、新聞広告を見ながらしるしをつけて、お目当ての品物のために開店前に並んだりしました。
結婚した年、平成5年の米パニックの時は、タイ米を買ったけれど、どう料理しても口に合わなかった事。
MJBのコーヒーが大きな缶で「お得だね」と思って買ったら、やっぱりこれも…。

新しい生活を作って行く。
それはとても楽しい事で、二人の共通部分が増えて行く事は、互いの理解も深まるし、一緒に出来た事、共有した事はとても大切な財産になります。
普段は意識していないけれどね。

このエッセイに出てくる二人が、きっとたくさんのものを失ったけれど、まず二人が生きて、変わらない愛情を持ち続けている。
これがまぶしいのだろうな。

ここ最近、行きでも帰りでも通勤時や出張の時に1日に1回必ず聴いているアルバムがあります。
DANCING WITH A GHOST
VALENCIAのアルバムです。

打ち込みではなく、バンドがしっかり演奏をし、そして歌っています。
JAPAN BONUS TRACK が最後に2曲あるのですが、これがいい。
どの楽曲をとっても良くて、どこから、どの楽曲から聴いてもいいのです。

このアルバムで角田光代さんのこのエッセイにピッタリの楽曲があります。
この下のYouTubeから拝借した楽曲を是非聴いてみて下さい。

You are what you leave,like the simple lessons my dad taught me.
I know we all grow old and die and make our place in another life.

I'm glad that there's still time to let you know,I still need your around.
I'd be lost without you.
I'm not sure I could face this world on my own.

父さんが教えてくれた教訓
みんな年をとって死んで
別の命にまた居場所ができる
まだ君に伝える
時間があって
良かった

オレたちが先に進んでも、まだ傍に居て欲しい
君がいなかったら、オレは彷徨ってしまう
一人で世の中と向き合えないと思う

Still Need You Around (Lost Without You) / VALENCIA

ちょっと切なくなる、でも嬉しい話。 そして、切ない楽曲です。

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2012年5月10日 (木)

顔晴る(がんばる)。

頑張る。
これは自分の我を張ること。
心が意地で凝り固まっている時でもあること。

顔晴る。
これは上を向いて、晴れやかな顔であること。
健やかな心であること。

平原綾香さんが、高校生の時に恩師からもらった言葉とのこと。

見上げれば、若葉が美しく、その間から見える青空は更に美しく。
木漏れ日はやさしく。
風は心地よく。
顔を上げ、表情は晴れやかに行きましょう。

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2012年4月29日 (日)

親父の恋 お袋の恋

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東京での打ち合わせを終えて、一緒に仕事をしている企業の担当者と共に、現場へと向かう事になりました。
東京発は17時過ぎです。
新幹線の席は別々で、私は現地でレンタカーを運転する必要があった事から、アルコールは飲みませんでした。
相手には私は気にならないので、どうぞと話しておきました。

降車駅で再会をすると、いい顔つきで「誘惑に負けました」と話していました。
酔いもあったと思いますが、レンタカーの中でも饒舌で、互いの事をいろいろと話しました。
年齢は私とひとつ違いで、子供が3人います。
一番上は女の子で高校生1年生です。

サービスエリアのレストランで遅い夕食をする事としました。
その席で、その高校生1年生の話となり「彼氏がいるかとか、心配でしょ」なんて話していたのです。
私の高校2年生の男子の事にも話が及び息子の彼女について、どう思うかなんて訊かれたのです。
私は「当人同士の事だから、親が言っても始らないしね。
でも、国名や場所もわからない、言葉も文化もよく知らないところはびっくりするだろうけど」と返答しました。

「自分より年上なんて、どうですか?」
「そりゃ、びっくりするよね。なんて呼ぶのかな」なんて笑っていました。
重ねて訊いてきました。
「それでは、福島県の人だったら、どう思います?」
「なんだ、そりゃ」

彼は自分の子供が福島県出身の人と結婚すると言ったら考える。
この話は先般、仲間同士の飲み会の席で、キレイ事ではなく、その席に居合わせた人で、真面目に考えてみろとの話になったとの事です。

結婚では、お互いの背景が少なからず影響する事は否定しません。
でも、今のご時世スタートはまず当人同士の問題です。
その人の、その背景を知ってから、好きになるとか、そんな器用な事は出来ないでしょう。
そんな事がその人を求めるいちばんの事であるならば、その後の生活はいつまでも満たされないでしょう。

私は答える替わりに、こう訊きました。
「立場が変わることもあるって、考えた事があるのか」
「私もそれを考えました」と返答してきました。

私の態度が急変した事を相手も感じていたと思います。
私は残念な気持ちから、怒り心頭で心の中では「絆…笑わせる話だ」と思っていたのです。
私は答えました。

結婚するのは私ではなく子供だ。
自分の子供の事を愛しんでくれ、自分の息子が一生をかけて愛していこうと思った人であれば、応援しこそすれ、否定する事はないだろう。
私は自分の子供を、そういう覚悟が出来る男に育てて行くと返答しました。

こうして、言われなき事で、何度も傷つく人がいると思う。
それだけで怒り心頭だったのです。

でも、今こうして文章にしていると、私は彼の迷いも感じるのです。
自分の中で迷いがあるからこそ、きっと私に問いかけてみたのだろうと思うのです。

私の親父は6人兄弟の末っ子です。
お袋はふたり姉弟で、高知県の出身です。
親父の実家は、その前は良く聞いた事がなく知らないのですが、元禄の頃から呉服屋が家業でした。
現在の住まいの地域を中心に、いくつかの支店もあり、大きく商売をしていたそうです。
結婚前のお嬢さんが、行儀見習いにも来ていたそうです。

子供の結婚は当時の社会背景があると思いますが、親が決めるものでした。
男の子は近所で家同士の取り決めから。
平たく言えば、素性のわかるもの同士。
女の子は自分の家よりも大きな家に…というのが不文律だったそうです。

私の両親は共に太平洋戦争中に生まれています。
若かりし頃は、テニスやダンスでデート?もしていたみたいです。
話してくれと言った覚えはないのですが、幼い頃聞いた事があります。
私が音楽を自分の選択で聴き始めた頃、ダンスステップの解説がついたレコードを見つけて、これなんだ?と思った覚えがあります。
大学生の頃と親父とマジで意地になってテニスで対決した事があります。

さて、親父とお袋が結婚するとなった時、詳しい場面は聞いていませんが、反対されたそうです。
そりゃ、江戸時代からたどって、恋愛結婚は初めてなわけですから。
しかも、当時の当主(私のおじいちゃん)からすれば、高知県は海の向こう四国にある外国みたいなものです。
おじいちゃんにはもう、親父の嫁にと考えていた、見当をつけていた人がいたのだと思います。

親父は賛同と了解を得られないと判断すると「ならば、自分の意志をつらぬくのみ」と言って家を出て行ってしまったそうです。
やったぞ親父。
お袋を連れて飛び出したものの、その日の眠る場所にも困り、どこだかは知りませんでしたが、これまで宿泊した事がある旅館だかに「布団部屋でもいいから泊めてください」とお願いしたそうです。
ところが、通される部屋は特別室。
持ち合わせが少ない事を説明しても変わりません。

これはおばあちゃんが行く先の見当をつけており、「来るかもしれないから」と先に連絡し、お金を行く先々においていったそうです。
ダメだな親父。
親父が生まれた時からお手伝いさん(当時は子供ひとりに、ひとりいたそうです。親父はこのお手伝いさんに幼い頃肩車をしてもらったのですが、嬉しくて暴れて下に落ち、頭を怪我しました。その傷跡でハゲになっているところと、その現場の敷石で説明された事があります)が、その方が追いかけていたのだと思います。
紆余曲折があり、最後はおじいちゃんが私のお袋をいちばん気に入ったそうです。
お袋はそれからもいろいろ苦労したみたいだけれど…。

親父はサラリーマンだったし、私が生まれてからしばらくして、呉服屋は支店を全て従業員の方に暖簾分けし、家業としては廃業をしました。
先代(親父の兄弟の長兄)は別の事業を始めました。
私は呉服屋の記憶が殆どありません。
かすかに店舗のバックヤードで、大勢の人とごはんを食べるのが楽しかったという記憶が、本当にかすかに残っています。

結婚してから私が生まれるまでの間、お袋は呉服屋を手伝いに行っていました。
お袋は言わないけれど、古いしきたりが多く残る世界だし、慣れない世界だし、慣れない仕事だし、苦労もあった事と思います。
傷つく事もあったでしょうが、親父と育む愛情が傷つく事はなかったのでしょう。

前の1行を書いて、思い出しました。
谷川俊太郎さんの「生きる わたしたちの思い」という詩集にこんな詩があります。

こころやからだが傷ついたとしても
愛する気持ちにはかすり傷すらつかないこと

しおり
愛する気持ちは、なにものにも侵されることはなくて、なにかつらいことや悲しいことがあっても、ただ愛する人を想えばこころもからだも癒される、という思いをつづりました。

生きる わたしたちの思い/谷川俊太郎

彼にこんな詩がある事を、私も飲んで話せばよかったかな…と思います。
飲んでないと、照れちゃうかもしれないからね。

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さて、私にもしっかり親父の血を受け継いでいると実感する出来事がありました。
その話は、また別の機会に。

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2012年4月19日 (木)

やさしさの欠片

取引先で出会う人。
仕事以外で出会う人。
いろいろな関係から、新たに友達になる人。
多くの出会いの中で、嬉しくなったり、感銘を受けたりと様々です。

例えば仕事の関係で出会った人。
仕事での互いの理解も進んで、いろいろな事を話したりする様になります。
すると互いの発言の真意などが見えてきたりします。
勿論、誤解もありますが、それはそれです。
当たり前です。

先日、私にはうかがい知れない事情ですが、シングルファーザーの人と仕事で一緒になりました。
仕事で共に多くの時間を費やす中で、かなりプライベートな話にもなりました。

その方には男の子の子供がいます。
小さな男の子。
やっぱり可愛くて、可愛いが故にいろいろ心配な事が多いとの事。
「親のこころ、子知らず」とは私も思い知らされた側ですが、相手のその話にはうんうんと頷く事が多いのです。
話しぶりから、その男の子も間違いなく、おとうさんが大好きで、とてもしあわせそうです。
でも、おとうさんはやっぱり何か不足しているのではないか、そんな気持ちが常にある様でした。

ひと通り(勿論詳しくは書けませんが)、そんな気持ちを伺いました。
私は彼(可愛い男の子)は何も不足などしていないのではないですか…と話しました。
彼はとてもしあわせだし、○○さん(佐々木蔵之助さんに似ている方なので、以後便宜上佐々木さんにします)は日々の仕事をこなしながら、十分やっているのではないですか…と。
頑張っているじゃないですか…と。
すると佐々木さんは、涙をポロポロと流し始めました。

打ち合わせの為に入った午後のスターバックスで、なんだか私が借金の取立てでもしながら、相手を泣かせているみたいです。
coldsweats01ははは…。
それからは、佐々木さんのとても大変な半生を聞きました。
こんな事にならない様に、あんなにさびしい思いは自分だけで十分と思っていたのに…。
そう思っていたのに…。
ひとりになってしまった、してしまった子供の事を不憫に思い、考えてしまうのだと…。

子供は大好きなおとうさんがいれば、ひとりぼっちではないんじゃないですか。
そして、自分の哀しみを力に変えて、自分の大切な人に同じ哀しみを繰り返さない様に努力する。
それは強くて、やさしいからこそ、出来る事ではないのですかと私は話しました。

周りの人に聞こえない様に、声を抑えて。
それでも目の前の人が、大人の、大の男が泣いているので、私は芸能人みたいに注目されている…と思いながら。

そして、佐々木さんはもう十分に頑張っているじゃないですか。
佐々木さんは、うんうんと繰り返しながら頷いていました。

生きていればいろいろな事があって、誰もが傷を抱えていますよね。
折り合いのつかない事を、いろいろな矛盾を感じながら、でも折り合いをつけたい…と心のどこかで思っています。

哀しみや絶望で、何もする気持ちがない時…。
どうして、どうすればいいと思う時…。
どなってもいいと自暴自棄になる時…。

そんな時にも心のどこかで、このままではいけない。
この哀しみの中から立ち上がりたいと思う心の欠片がどこかにないでしょうか。
そんな欠片を少しづつでも集めて、私達はまた歩き出す。
振り返って、そう思う日があったでのはないでしょうか。
佐々木さんとの話をしたその日、帰り道で私はつらつらと考えていました。

何年か前に、フランスの映画で「ずっとあなたを愛している(原題:IL Y A LONGTEMPS QUE JE T'AIME)」という映画を見ました。
冬彦さんで有名なTBSのドラマは「ずっとあなたが好きだった」です。
タイトルはわずかな違いですが、ストーリーはまったく違う映画です。
タイトルから恋愛映画をイメージするとガッカリ間違いなしです。

でもしかし、デートでも互いを理解しあう二人で見たら、そんじょそこらの恋愛映画ではかないません。
派手な音楽があるのではありません。
劇的にストーリーが、変化していくのでもありません。
登場人物の細かい説明もありません。

生きる事に絶望しているのだけれども、でも死ぬ事はできない。
そんな心に深い傷を負った人が、再生してゆく物語です。
主演のクリスティン・スコット・トーマスは、まるで小説を読みながら心情を綴る様な演技です。
見ている私は演技と感じていないです。
私はすっかり惹きこまれてしまいました。

佐々木さんが、精一杯の愛情を注ぎ、その記憶が佐々木さんの子供の心でやさしい気持ちとなって花を咲かせ、その気持ちを誰かの心に伝播させて行く。
大切にされたその気持ちは、しあわせな気持ちは、どこかで希望を見出す力へと変わって行く。
佐々木さんと話をしたその日。
帰り道で私はこの映画の物語を思い出しました。

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2012年4月 5日 (木)

とても暖かい気持ちになりませんか

先日、帰宅してからの事。
小学5年生の息子が神妙な顔つきをしておりました。
どうしたのかと訊くと、その日に放映されたオカルト番組の内容に戦慄をしている様子でした。
私も小学校高学年から中学生で、その得たいの知れない世界に魅かれ、オッカナビックリ見ていた覚えがあります。
「あなたの知らない世界」とかね。

小学5年生の息子には「あんまり考えすぎちゃいけないよ」と話しました。
「誰もあの世から帰ってきて、上手に説明してくれないので、わからない事が多い世界は怖い事が多いんだよ」と。
「昔はカミナリも超常現象だったんだからね」なんてね。

先日、特別養子縁組に関わるドキュメント番組が放映されていました。
望むべくして授かったのではない子供を、子供を求める夫婦へと養子縁組をコーディネートします。
番組では10代で妊娠してしまった女の子と、同棲相手との間に出来た子供を産む事にした25歳の女性を追っていました。
それぞれ我が身に育んだ命と、誕生後わずかな時間で別れる事となります。
養子縁組が成立した後では、会う事は勿論、名乗り出る事は一切許されない状況となります。
25歳の女性が我が子を手放さなければならないその場面は、心に渦巻く哀しみが熱く、例えようもない気持ちになりました。
自分に育てる能力を持たず、誰かに育ててもらう方が、しあわせになるから…そうして自分の気持ちを納得させなければならない辛さを、どうして癒すことができるでしょう。

身体に残る温もりを、匂いを、声を、重さを、表情を忘れる事なんて、できるのでしょうか。
流産など、様々な事で生まれる事が出来なかった子供がいます。
不幸にしてその様な結果になってしまった母親も、身体をケアするために、複数回通院する必要があります。
そんな時、一方で誕生の喜びが目の前にあり、目撃し、声を聞き、気配を感じる。
どれだけ辛い事でしょう。
「また、できるから」と気のない慰めが、どれだけ傷つけ、それだけ辛い思いをさせるでしょうか。
生まれてくる事がどれだけ奇跡的な事で、それだけでどんなに素晴らしい事であるのか。

その裏側で、今日を無事に過ぎる事を心から祈る子供がいます。
本来ならば、全幅の信頼を寄せるべき両親や大人から、傷つけられている子供がいます。
絶望の中で喘いでいる子供がいます。
大人が追い詰められ、弱いところへシワが寄ります。
大人も希望を失い、絶望の中で喘ぎ呆然としています。

生まれてくる事がどれだけ奇跡的な事で、それだけで素晴らしい事であるのか。
ついつい忘れがちになってしまいますよね。
日々の様々な事に心奪われ、心痛めて、そんな気持ちになかなかなれません。

和田正人さんは両親が離婚をし、父方の祖父母に育てられたとの事です。
長じて陸上部で活躍し、企業の陸上部に所属していました。
この陸上部が廃部となり、自分で俳優になる事を決めたのだそうです。
20年以上も離れ、記憶にもない母親と再会します。
会ったその時は、互いの現況を表面的な会話でつくろいます。
そして、母親から訊かれます。

「小さな頃、お弁当大変じゃなかった?」
「えっ?」

幼い頃、周りの友達が華やかなお弁当だったのに対し、祖母の作るお弁当が質素で、和田さんは恥ずかしいと思い、やがて自分で本を見ながら作って持って行ったそうです。
「お弁当大変じゃなかった?」
離れていても…
姿が見えなくても…
声が聞こえなくても…
自分の事を心配し、思い続けてくれていた母の心に、母の想いに、自分の心の中で暖かいものが広がっていったそうです。

「しあわせってなあに?」という絵本があります。
主人公の犬のジェイクが大好きな公園にいるネコやハリねずみなどの友達に「きみのしあわせはなに?」と訊きながら物語は進みます。

最初の書き出しです。

【しあわせって何でしょう
 何かを手に入れることや、何か良いことがあったり、得したり、
 という滅多にないことが起きた時のことばかり言うのでしょうか。
 しあわせは、日常の中の小さなかとに、
 一人ひとりの心の中に、いつまでもある、
 そのことに気づいた瞬間のことではないかしら…】

ジェイクのメッセージ しあわせってなあに? 絵と文 / 葉 祥明

ここから始まる物語は実際に本を読んで頂く事にして、お勧めだけしておきます。

人はきっと、誰かに理解をされて、誰かとつながっていたいと思う…そういう生物だと思うのです。
例えば、100人の中でも、誰かひとりがわかってくれていると思うだけで99人が反対でもいいのです。
例えば、どこかで、つながっている人がいる…と思えるだけで、凍える程に孤独の時も、たぐり寄せる心の糸にかすかな反応を感じる事ができると思いませんか。

和田さんのお話の中にあった様に、
同じ空の下で…
互いはわからなくても…
離れていても…
会えなくても…
声を聞く事が出来なくても…
自分を思ってくれている事がわかった瞬間、とても暖かい気持ちになりませんか。

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和田正人さんのお話はPodcastで聴く事ができます。
「ゆうちょ LETTER for LINKS」
http://www.tfm.co.jp/links/

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2012年3月29日 (木)

試合中は絶対下を向かない

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今まで、いろいろな人やいろいろな事に恵まれて、これまでよかった営業成績が、3月末で事業年度を迎える今期は具合が良くありません。
多くの方々や、営業をサポートしてくれる人々のおかげで、良い結果を残す事が出来てきただけに、今まで以上に、それぞれの持ち場でサポートしてくれる人達にも申し訳ない気持ちです。
前年実績を割り込む事態になりそうなのは、実に10年ぶりです。
「こういう時もありますよ」…と声をかけてくれる人もいますが、私の心のどこかでも芽生えるこの気持ちは禁物です。
3月末の締め切りまでには、まだ時間があります。
最後まで諦めないのが信条です。
…と書きながら自分を励ましているかな?

今年、春の選抜高校野球に出場した石巻工業高校。
選手宣誓も勿論よかったのですが、その試合内容も良かったと思います。
決定的に不利な状況でもあきらめず、遂には相手は脅かす結果となったのです。

地元で応援してくれている人。
アルプススタンドまで応援に来てくれた人。
試合は見れないけれど、心から応援してくれる人。

その気持ちもエネルギーとなり、そして何より勝ちたいと思う選手の気持ちが、勝利への執念を燃え上がらせるのでしょう。
石巻工業高校ナインは試合中、決めていた事があるとの事。

それは「試合中は絶対下を向かない」事だったそうです。

雪が舞う軽井沢の駅で、新幹線を待つ間、コートのポケットに手を入れて、プリンスのアウトレットモールを駅の高いところから見渡しながら、私は「クソッ」と呟きました。
上手く行かないときは、焦りで気持ちの余裕も無くなり、そんな事があります。
事務所でも私の成績が芳しくない事について、殆ど触れられる事がありません。
遠巻きに、私がどういう対応をするのかを見られている気がします。

私が気にかけるのは、誰かの目、視線ではなく、自分自身を見る、自分の視線だと思ったのです。

こういう時もあるさ…。
仕方がないよね…。

いいえ、「試合中は絶対下を向かない」です。

3月26日。
自宅最寄り駅で、トボトボと歩いていました。
下を向きながら歩いている…と自分で気がつき、ハッと視線を上げました。
夜空を見上げました。
空には月に連なる、ひときわ輝く星二つ。
あれっ?なんだっけ?
北斗七星を探しました。

月と金星と木星が並ぶ天体ショーでしたね。
後から知りました。
美しい。

締め切りまでは、もうわずか。
でも、「試合中は絶対下を向かない」です。
この心意気ですね。

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2012年3月25日 (日)

誰かの気配

日が暮れ始めた頃、長野駅で乗車した東京へ向かう新幹線。
その日は新幹線の中で仕事をする気にもなれず、乗車してからすぐ音楽を聴き始めました。
仕事終わりはROCK'n ROLLの気分ではなく、ベートーヴェンの交響曲第9番第4楽章でした。
第4楽章から聴くのもなんですけどね…。

新幹線が軽井沢に近づいた頃、車窓から見えるところでは、まだしっかり雪があります。
その雪の中にある家々から、灯りがもれています。
もうすっかり闇に支配される空の下、白い雪の淡いほの明るさと、その中に建つ家の窓からわかる灯り。
何だか、人の気配がわかって、とても暖かいイメージがわくのです。
マッチ売りの少女かいな…。

子供の頃、遊んでの帰り道。
いろいろな家から聞こえて来る炊事の音。
包丁とまな板の音。
鍋と鍋蓋とおたまが作る音。
夕食の支度が出来た事を大声で知らせる、誰かのお母さんの声。
カレーの匂い。
料理の匂い。
小さく開けた窓から出ている湯気。

人の姿は見えなくても、そこに誰かがいる。
誰かの気配がある。
なんだか、誰もがホッとする光景だと思います。

私はこれにベートーヴェンの交響曲第9番第4楽章が重なる。
これが大好きです。
以前にも、夜の首都高速から見える夜景に、同じ様な気持ちを感じる事がありました。
【夜の首都高速を走る時の密かな楽しみ】

かなり昔に読んだ小説にあった核戦争後の話。
シェルターの中でひとり生き残った少年が、無線機を使い「誰か生きていませんか?」とコンタクトをとります。
応答があったのはひとりの少女。
その誰かの気配を求めて、少年が旅立つところで物語は終わります。
いろいろ面倒な事もある事を知りながら、どうして人の気配を求めてしまうのでしょうかね。

私はラジオが好きです。
FMでもAMでも、どちらも好きです。
視覚情報がないラジオは、話をしているその向こうの様子について、一生懸命想像をするのです。
言葉通り視覚情報がないので、耳を傾けるのです。

引き出しの中のラブレターという映画ありました。
【一生の忘れ物…していませんか?】
ラジオが舞台の映画ですが、これはなかなかテレビでは成り立たないと思います。
いい部分も悪い部分もあると思いますが、面と向かってはいえない事が、電話の時は伝える事が出来るように。
電波に乗る声にとても素直になったり、敏感に反応してしまう事がありませんか。
ラジオは視覚に訴える表現がない分、発するその言葉に気持ちが乗りやすいのでしょうか。

伝えたくても伝えられなかった「ありがとう」や「ごめんなさい」。
映像にするよりも、誰かの会話の様な小さなおもしろ出来事の話。

例え様のない孤独を感じる時、どこかで誰かが呼吸している事を感じるだけで…。
誰かの気配を感じるだけで…。
どれだけ勇気づけられるでしょうか。

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2012年3月11日 (日)

心燃やせ

大きくなったら、何になりたい?

子供の頃、私はこの質問が苦手でした。
その時々、大人が喜びそうな答えを探していました。
面倒だと学校の先生と答えていました。
今日も、明日も勿論楽しいことばかりと思う日々でも、私はこの質問が苦手でした。
例えば宇宙飛行士と答えた多くの子供は、いつから、その思いをあきらめて、忘れて行くのでしょうか…。

日々の事に追われ…
生活を身の丈にあわせ…
身の周りの事で…
自分ではなかなかどうする事も出来ない、そんな状況におかれている…

生きてゆく為に、たくさんの心を捨て、
わざと心を置き忘れ、
人の心を踏みにじり、
人を傷つけ、
人に傷つけられ、
その果てに何がある。

Kawanohakubutukan005

幼い頃から、きっと心にある萌芽。

たくさんの人との出会い、
たくさんの出来事、
嬉しい事、
哀しい事、
生まれてきた、それだけでもう素晴らしい事、
愛される事、
そして、愛する事。

長い歳月は心を残酷なほど傷つかせ、そして思いを、心を砕きます。
いろいろな甘言、誘惑、攻撃、孤独への恐怖、嫉妬、怒り、哀しみ。
時として、楽になる道を選びたくなるし、選ぶこともあります。
そんな事が繰り返される日々の中で、様々な事に抗い、心に残った萌芽はいつしか、気がつけば大きな大樹へと成長します。

【 錆びついた言葉投げ捨てて
  張り裂ける心を解き放て
  降るしきる雨に背を向けて
  息づく奴らに言葉はない

  感じてみろ
  叫んでみろ
  心燃やせ 】

X - X Japan

川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアムに藤子先生の誕生から逝去、そしてその後に遺志を継ぐ人々の仕事の記録となっている年表が壁面にあります。
線路の様につながっているのです。
私はこれを見て、とても感動しました。
2012年のところから少し先のところ、そこだけ黄色のマーキングで年表が書いてあります。

2112年ドラえもん誕生。

ここにたくさんの思いが、
心がつながって行く事が、
未来を紡いでゆく事に、とても感動したのです。

生きていれば越えられないと思う壁に、立ちすくむ事があります。
でも、そんな壁にも心は挑むのです。

心燃やせ。

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2012年3月10日 (土)

16枚目のワイシャツ

私は仕事用のワイシャツを秋冬用で16枚使っています。
長期間の出張も考えると、月曜日から金曜日の5枚×3週分です。
毎週末に1週間分の5枚をクリーニングに出し、終わった5枚をクローゼットの右端に入れ、順番にローテーションして行きます。
16枚−5枚×3で1枚残りです。
1枚だけローテーションしないワイシャツがあります。
礼装用の白いワイシャツです。
16枚の中で仕立ても、生地も、一番いいワイシャツです。
…価格も一番高いのです。

東京は梅の花がいつ咲くだろうかと思う寒い日が続いていました。
でも、トレーニングコースの途中にある梅の林は、そこだけ他の場所と違う準備が整いつつある事がわかる状態でもありました。

お寺のお堂の中の灯りで、夕闇に照らされた梅の木は、もう花を咲かす直前でした。
なんだ、あともう少しだ。
周りは闇が深くなり、見上げた梅の花のつぼみは、お堂の中からの灯りでくっきりと、中空にその姿を浮かび上がらせています。
夕刻から吹き始めた冷たい風と共に、読経の声が響きました。

その日、取引先との昼食の最中に携帯電話が鳴りました。
マナーモードです。
でも、少し気になるコールの繰り返し方でした。
会食が終了した後、ショートメールに入っていたのは、同門の後輩からで、師範の訃報でした。
およそ死とは遠いと感じていた人で、しばらくは信じられませんでした。
連絡をくれた後輩にコールバックし、伝えてくれた事にまずお礼を言いました。
彼は今、東京から離れた広島県で働いており、そこからの連絡でした。

その週末、クリーニングに出したワイシャツは6枚。
礼装用のワイシャツが1枚加わりました。

しめやかに読経の声が響く中、焼香が続きます。
参列者が多く、焼香は一度きりとなりました。
師範の遺影は、空手着姿で笑っていました。

かねてより、どこかでお礼の言葉を伝えたいと思っていたのですが、忙しさにかまけて、思うだけであり、はたせずにいました。
訃報を聞いた夜、思いを霊前に供えて頂こうとペンを持ちましたが進まず、PCの前でも同じでした。

通夜の席で、同門の先輩や後輩に挨拶をしました。
事情は伺いましたが、誰も突然の訃報に言葉を失っていました。

焼香の列が進み、見上げた梅の花のつぼみが、漆黒の闇に同化する頃、師範の霊前へと立ちました。
遺影を真っ直ぐ見ました。
そして、私の心から出てきた言葉はたったひとつでした。

ありがとうございました。
このひと言だけでした。

私も勿論知らない、私の事を知る由も無い、同門の後輩が泣きじゃくっています。
制服を着た女子高生です。

【That I can change the world
I would be the sunlight in your universe
You will think my love was really something good
Baby, if I could, change the world

もし、世界を変えることができるなら
君の世界の太陽になる
僕の愛が本当にいいものに思えるよ
ベイビー、もし世界を変えることができるなら】

Eric Clapton - Change The World

私は、私にはひとつの後悔が残りました。

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2012年3月 9日 (金)

四ッ谷駅ホームに響き渡る鐘の音

2月下旬の事。
午前7時前の中央線。

制帽と制服の小学生男子3人が、ドアの付近で何やら賑やかにやっています。
でも、会話の中に「君は…」なんて、私の知っている小学生、はたまた自分が小学生の時代には使わなかったワードで会話しています。
制服、制帽だもんね。
どこの私立小学校だろうなんて思っていました。
ずいぶん早い時間だし、今日は何か特別な行事でもあるのかな…。

東京駅を7時30分前後に発車する新幹線に乗車する時は、新宿駅を7時少し前で中央線に乗ります。
その中央線が四ッ谷駅に停車するのが7時頃です。
聖イグナチオ教会の7時を告げる鐘の音が聞こえてきます。
私は異国気分になるこの鐘の音が好きです。

その時、ひとりの男子がポツリ「ちょっと前まで7時は夜明け前だったのに、ずいぶん明るくなった」とつぶやいたのです。

鐘の音を聞きながら、私もその日同じ事を思っていました。
春はもう、そこまで来ているね。

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