2012年1月24日 (火)

ウィスキーの琥珀に溶ける思い

先日、担当している取引先の社長が新年の挨拶にと事務所に寄ってくれました。
お昼少し前にお立ち寄り頂く様お願いし、少し事務所で話をした後にお鮨やさんへ行きました。
カウンターで座って年末年始の他愛無い事を話しながら、ご一緒していました。

カウンターの向こうの板さんは、話が上手です。
取引先の社長と私の話に、時々上手に入ってきます。
決して会話を邪魔する事なく、差し出がましい事もなく。
また、お鮨を握って出すタイミングも会話の様子を計っています。
吸い物の出汁と同じで、とてもいい味です。

ドアが開いて、若い女性がひとり。
カウンターにしますか、テーブルにしますかと聞かれ、テーブルの席に着きました。
ランチなら1,000円前後。
東京のランチなら、普通の水準です。
考えてみたら、この方が豊かな気分になるでしょうか。
取引先の社長が「いいね」とつぶやきました。

板さんの話の入り方、我々の話題を上手にふくらますところなど、本当に上手です。
こういうところはお客様を案内しても心配がないし、板さんの会話の仕方は勉強になります。

取引先と食事をする事があります。
近頃はまず2次会に行く事はなくなりました。
私はどちらかと言えば下戸。
少ないお酒で酔える経済的なタイプです。

東京で食事をしたりした際には、お客様をホテルや駅にお送りした後にひとりで飲む事があります。
決まったバーで、それも1杯だけ。
必ずウィスキーをロックで1杯だけ。

ちょっとかっこいい…言い方になりますが。
あのウィスキーの琥珀につまらない事や消化しきれない思い、家へ持ち帰りたくない気持ちを溶かします。
そういう思いは、あの琥珀に溶ける気がします。
ちょうど1杯が電車でウトウト眠るのにいい薬になるのです。
長居は無用です。
お店の方も一切話しかけてきません。

今日は出張先で取引先主催のパーティーがありました。
出席しているのは200人前後。
名刺交換もずいぶんしましたが、明日でも顔と名前が一致する人は少ないと思います。
2次会は遠慮し、ホテルの部屋へ。

靴も脱がないでベットに倒れこんで、しばらく身じろぎせず。
sleepy…いかん、風邪をひくし、スーツがしわだらけになると起き上がりました。
パーティーではなかなかお腹いっぱい食べる事もできないので、なんかちょっと食べたい気持ちです。
2次会へ行く連中が次の店に入った頃を見計らって、蕎麦でも食べに行こうとホテルを出ました。
寒い、風が冷たい。
こういう時間に、こうして食べる蕎麦はおいしいんだよなぁ。
ん…ラーメンもいいかなぁとわくわくしながら人気の少ない街に靴音を響かせます。

太る薬なのに…。

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2012年1月22日 (日)

行く先の、彼女の未来の、しあわせを願い、心から祈ります。

年明けからの忙しさも、今日は小休止となりました。
明日締め切りの仕事を本日は午前中事務所へ出て、集中して片付けてきました。
進歩がないのか、まだ小学生の夏休みの宿題と同じ状況が時々あります。

年末、いつもは書籍や部屋の片付けや整理に追われます、今年は11月末に引越しをした事から、その作業は殆どありませんでした。
年末から年明けの休みに読もうと思って買っていた本を、どれから読もうかとパラパラとめくっている時の事です。
何気なく聴いていたマーラーの交響曲に耳を奪われました。

マーラーの交響曲第5番 嬰ハ短調。
その第4楽章 アダージェット。
映画「ベニスに死す」で使用され、単独で演奏される事も多い名曲ですね。
「ベニスに死す」はまだ観た事がないのですが、マーラーに必ずついて回る「死」の話とこの映画の内容をよく話題にする方がいます。

第4楽章のハープの音と弦楽器の音の重なり方は本当に美しく、何度聴いても飽きません。
本当はマーラー自身より19歳年下のアルマ・シンドラーへ捧げた愛の告白だったそうですが、「ベニスに死す」のイメージが強過ぎるのでしょうか。
便箋20枚の熱烈なラブレターとアルマに捧ぐとの表記のあるこの交響曲第5番。
出会って1ヶ月で婚約、3ヵ月後には結婚。
マーラーさん、凄い。
世界にはいろいろな愛の形があります…。

しかし、昨年末の第4楽章は特別な思いがありました。
年末の特番では、恒例の今年のニュース映像を繰り返す番組が各局でありました。
その際に必ず東日本大震災の映像は取り上げられます。
勿論、この事を抜きにして2011年は考えられないでしょう。

この映像とマーラーの死生観と津波で流される街の様子。
人間の都合の一切を受け付けない自然の脅威。
哀しみにくれる人々の姿。
今も続く哀しみと苦しみと。
自身が見聞きしたものと。
いろいろな事がこの第4楽章と共によみがえり、不覚にも涙が止まりませんでした。

昨年の12月11日にNHKで放送された「東日本大震災 震災孤児1,500人」。
8歳の少女の事です。
震災前、両親と姉、本人の4人家族の生活がありました。
しかし、震災で本人以外、大切な家族は亡くなってしまいます。
今は祖父母の元へ身を寄せ暮らしています。
祖母が母親が遺骨となって帰って来た時の様子を話していました。

泣きじゃくったそうです。
やがて、遺骨をなでながら「ママ、ママ」と声を出さずに遺骨をいつまでも抱いていたとの事。
その姿がいじらしくて、いじらしくて…と語る祖母も涙を流していました。
それから、しばらく彼女は泣くという事をしなくなった、出来なくなったとの事でした。
夜は祖母と同じ布団で眠り、祖母に「いつまで、私のそばにいてくれるの?」と問います。

身体の底から、身体中から得たいのしれない熱を帯びたものを感じました。
続く人の世の哀しみに、理不尽さに。
説明の出来ない感情に。
上手に表現が出来ないのです。

番組の後半で彼女が書いた作文が紹介されます。
それはマラソン大会での事でした。

彼女が苦しくて「もうダメ。走れない」と思ったその瞬間…。

(ガンバレ、○○○)とママの声…。
(そうそう、ウチの分までガンバレ)とおねえちゃんの声…。
(津波に負けなかった○○○が、負けるわけない)とパパの声…。
彼女は「ウチ、頑張っているから、応援お願いね」と答えるのです。

小さな胸にしまいこんでいる
空に似た大きな心
泣かないでって 大丈夫って
包み込むように笑うんだ

星が顔を出し あなたが眠る頃
同じ空の下 願う人がいる
明日もあなたが 笑っていられますようにって
見守っているよ 遠い場所から

みんな空の下 / 絢香

行く先の、彼女の未来の、しあわせを願い、心から祈ります。

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2012年1月 9日 (月)

Sympathy of the Heart 心の共感

私の着ていたセーターの模様が、その子の知っている何かと同じマークに見えたらしく、見つけた事が嬉しくて指を指していました。
2歳ぐらいの男の子です。
ファミリーレストランで食事をしていた時の事です。
私もニッコリ微笑んで「ん?何のマークに同じなの?」と訊きました。
するとその子のお母さんが駆け寄ってきて「すみません」と言って彼を連れて行きました。
私のいる席から右斜め前のコーナーでした。
お父さんとお母さんに子供がふたり。
先ほどの2歳ぐらいの子供と乳児でした。

ちょっと気になって見た時の事。
お父さんはスマホを見ながら食事をしています。
お母さんは乳児の様子を見ながら、さっきの2歳ぐらいの子供に食事を与えています。
お母さんは殆ど食事をする事が出来ません。
でも、お父さんはまったく気にする事なく、スマホとにらめっこしながら、黙々と食事をしています。

余談ですが、青春がバブル世代の私は、女性をレストランでエスコートする際に、席は必ず女性が壁を背にする様に案内する。
これが暗黙の了解でした。
これが福岡へ転勤した際にまったく逆だった事で、とても地域性を感じた事がありました。

さて、話は戻ってファミレスの事。
加えて、この家族に会話が無いのです。
勿論、ジーッと見ていたわけではありませんが、お父さんはやっぱりスマホとニラメッコです。
お父さんがそんなに威張っている様子はありません。
きっと気づかない、気づいていないのだと思います。
現在の状況に共感したり、想像したりする気持ちが欠如しているのかもしれません。
お母さんが、お父さんに「ねぇ、ちょっと代わってくれる?」と言えば、何も迷う事無く、躊躇する事なく代わっていたと思います。
でも、これは言われなくても、状況から判断して「代わる」と言ってもいいのではないかと思うのです。
夫婦でも、恋人でも互いに関心を示さなかったり、関心がなくなったのであれば、ただのペアに過ぎません。

デートで漫画喫茶に行く。
それぞれ違う漫画を読んで、時間になるとそれぞれ帰る。
それがお互いの趣味であれば、それでいいと思うのですが、それぞれ読んでいる本の話は何時するのだろうか。
デートって互いが積み上げる共通の時間、出来事で、それぞれ違う環境で育ってきたふたりが、相互に理解する為の大切な時間ではないのか。
もっと一緒にいたい、もっと知りたい。
私が齢を重ねたが故に思うのでしょうか。

愛されるべき子供たちが、虐待され、傷つけられるニュースが後を絶ちません。
これまで以上に、親が追いつめられている事も間違いないと思います。
我々を取り巻く閉塞感は、誰に説明の必要もない事です。
でも、我々は人の子の親になる瞬間に変わらねばならない大きな事があります。
特に男性は女性と違い、人の子の親になる時、出産という大きな契機が無いのだから、心の内から変わらねばならない時があると思うのです。

それは自分が一番ではなくなる事。
それを理解する事と私は考えるのです。

少し極端な表現です。
子供は親に対し自分がいちばんです。
何よりも自分を大切に思い、自分が保護されるものだと考えます。
大人の男になる時、まずこの考えから、そして思いから、完全に離れていなければなりません。
この思いを持ち続けていると、例えばお付き合いをした女性に母親と同じ事を求める事になると思うのです。
自分が愛している女性に対して、何をおいても自分がいちばんでなければ不満となるのです。
違う環境で育ってきたふたりが、最初からトップスピードで思いを通わせられる事は稀です。
だから、大人の男になれていない者から見れば、どうしてわかってくれない…と思う気持ちが増幅し、相手の女性は「私はあなたのママじゃない」という気持ちになります。
最悪、男はこの思いを暴力で服従させる事で遂げようとします。

私は大学時代のホームスティで来たアメリカ人に、大人の男になる…この事を認識させられました。
直接指摘されたわけではありませんでしたが、外側から見た幼稚さを痛いほど認識させられました。
彼は同じ年齢ではるかに大人の男でした。

同じ事を経験(体験)して行く事で、お互いの思いを知ったり、ふたりの新しい共通の歴史が出来て、もっと仲良くなれないでしょうか。
出来上がったステージに上るよりも、一緒に作ったステージの方が強いところも、弱いところも知っていて、いろいろな事に対応出来ると思うのです。
そして、きっとその方が楽しい。
持っている物は、失えばただ終わり。
作り上げたものは、一時失う事があっても、それまでの道筋を知っているのだから、比較的簡単に再生する事が出来ます。

「オレの狙いはこの女を追ってくる男。」
「なにい!! 女の…たかが女のためにこの修羅の国に追って来る男がいるというのか?」
「この国の人間には判るまい!! 男はおのれのためにのみ生きず!!」

北斗の拳 修羅狩り序章の巻

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2012年1月 8日 (日)

いいものは決して滅びない

前途は遠い。
そして暗い。
然し恐れてはならぬ。
恐れない者の前に道は開ける。
行け。
勇んで。
小さき者よ。

小さき者へ / 有島武郎

Kirigamine008

寒い冬の日。
行く宛てなく震えながら歩く子猫を見れば、可愛そうだと思います。
連れて帰ることが出来るのならばいいですが、出来ないならとてもせつないです。
一時のしのぎにしかならないとわかっていても、ミルクを与えたりします。
孤独を知っているのならば、更にせつなさがつのります。

大人は、大人ならば、こういう子猫がどうすれば、どうすれば全ての子猫が暖か部屋で丸くなって、安心して眠る事が出来るのか。
どうしたら、こういう子猫を出さずに済むのか…そう考えると思うのです。

様々な人が、様々な思いで、本人は「誰かのしわせのために」、そう思っていなくても取り組んでいる事があります。
私がビジネスで頑張れる気持ちの源泉にも、自分を奮い立たせるエネルギーにも、同じ気持ちを含んでいます。
正直に言えば、勿論それが全てではありません。
…ちょっとカッコつけすぎかcoldsweats01

2011年10月24日の日経ビジネスの掲載された、植松 努さんのお話です。
抜粋して引用します。

暴力と精神的虐待、そして性的暴行−。
天使の園は、親から身の危険を守るために保護された1〜18歳の62人が共同生活を送っている。

「ここに来た時、誰も親を憎んでいないんです」。
だが、感情の抑圧は心身の変調となって表れる。
「中には、突然、パニックに陥ったり、寝ている時に叫び声を上げる子もいます」。

幼年時代、植松は暴力に怯えていた。
父・清は子供の反論を許さなかった。
そして時に手を上げる。
学校でもそうだった。

救いはどこにもなかった。

「どうして大人は子供を虐待するのだろうか」。

虐待を加える人は、自分も幼少時に親から虐待を受けていたケースが多い。

「大人は本心ではやりたいことがあっても、『どうせ無理だ』と諦める。その鬱憤がたまり、弱い立場の子供が標的になっている」。

小学6年生の卒業文集に夢を綴った。
すると教師から「できもしない夢を書くな」

「おまえには無理だ」。
そう繰り返し刷り込まれた少年は、夢を諦め、不満がたまっていく。
そして、大人になって、児童虐待に走る…。
長年の疑問が1つの解を生み出した。
大人から否定された経験と、殴られ続けた体験が、きれいにつながった瞬間だった。

日経ビジネス 2011年10月24日号 旗手たちのアリア
文章中の敬称略。

植松さんは、天使の園での出来事がきっかけで、父親から継承した事業を転換し発展をさせます。
その経営方針の中核には物事を初めから「無理」と決めつけない事があるそうです。
そして、大人が子供の虐待に走るのは、日々の生活で大人が追いつめられているからだと判断します。
大人を追いつめるのは、日々の生活での経費、中でも教育費と住宅ローンだとの判断をします。
そこで、植松さんは、この二つの大きな問題を解消する事業にも取り組まれております。

人の哀しみを知り、自分の哀しみも、それを変える力に変える事が出来る。
哀しみが、哀しみの日々が希望に変わる。
そして、上を向いて歩ける…そんなどこかの、誰かの希望になれる事。
素敵な事です。
それは、人の哀しみを知り、自分の哀しみも、それを変える力に変える事が出来る人だからこそだと思うのです。

パンドラの箱が開かれたその後に…。
希望しか残らなかった…と考えるのか。
希望は残っている…と考えるのか。

夢や希望…。
少々くすぐったい言葉かもしれませんが、本年最初の記事ですのでご容赦下さい。

Hope is a good thing,
maybe the best of things,
and no good thing ever dies.

希望はいいものだよ。
多分最高のものだ。
いいものは決して滅びない。

映画「ショーシャンクの空に」より。

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2011年12月31日 (土)

荒野が美しさで満たされるように

今年の11月に引っ越した先は、分不相応な豪邸です。
しかし、引っ越す前の物件確認時から予測していましたが、結構手を入れなければならない部分がありました。
まずは、家族の皆が生活する部分から手を入れて行きました。

休日に時間を作っては庭で黙々と作業をしていました。
前にお住まいだった方はご高齢だった模様で、庭は一応の片付けはしてあるものの、荒れていました。
雑草が跋扈し、芝は痕跡だけ。
地を這うような雑草が繁茂していました。
雨が降ると水たまりがところどころにできていました。

毎週末に少しづつ作業をしました。
雑草は全て抜いて、無秩序に伸びた植木を手入れしました。
芝を植える予定のところは、土をおこして土壌改良材を入れました。
歩く場所に飛び石を置きました。
引越して来た時よりも、人が住んでいる様子がわかるようになったのです。

春には芝を植える予定です。
最初に手入れをした花壇のマリーゴールドはしっかりと根がつきました。

作業は大変ですが、とても楽しくやっています。
土いじりが楽しい…ではありません。

夏の終わりには芝がついて、花壇に花がよみがえる。
その姿を想像する事が楽しいのです。
荒れ放題だった庭がよみがえる…その事が私をわくわくさせるのです。

私には生きる事も変わりがありません。
くじける日もある。
先の予測がつかない日がある。
でも、必ず輝き、美しい日々がある。
それを掴んでみせる。
そう思って取り組める事が、私を進ませる原動力です。

荒野が美しさで満たされるように。

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2011年12月25日 (日)

死んではいけない

自分なんて生きていも仕方がない…。
自分は必要なのか、不必要なのか…。

今、自分の命を終わらせようと立った学校の屋上。
お昼休みで、学校では放送室からエーゲ海の真珠が流れている。
もう、一歩踏み出せば…自分の命が終わりになる。
終わりにする事が出来る。
踏み出す、その瞬間…。

学校のハンドマイクの様なスピーカーから、大音量のギターの音。
ギターの音に、ドラムや他の楽器の音が重なり、厚みを増して行きます。

T-REXの20th CenturyBoy

今、飛び降りようとした事より、何が起きたかと辺りを見回します。
放送室は占拠され、20th CenturyBoyが昼休みの学校に響きます。

映画「20世紀少年」の1場面で、私が大好きなシーンです。
そして、こう締めくくられます。
自殺しようとした彼のナレーションです。

「学校にロックが鳴り響いた日、僕に、友達ができた」

自分が誰にも必要とされていない…そんな絶望から、友達が出来て生きる希望へと変わってゆく。
この180度状況が転換する、このシーンが大好きです。
実は私、この「20世紀少年」は原作漫画は全て読みましたが、映画は見ていないのです。
たまたま帰宅した時、地上波で放送していたのを子供が見ていて、この最後の場面だけを見たのです。

子供には内緒で、HDDに残っていたこのシーンを、繰り返しひとりで見ました。
泣けて、泣けて、何だか泣けて、ちくしょうやっぱり泣けて。
生きる…そう思えた。
なんだか、それがとても嬉しくて、ああ嬉しいんだぁ~って。

死んではいけない。

「北の国から」の「'95秘密」で、こんな台詞があります。

お前の汚れは、石鹸で落ちる。
けど、石鹸で落ちない汚れってもんもある。
人間、長くやってりゃあ、どうしたってそういう汚れはついてくる。
お前にだってある。
父さんなんか…汚れだらけだ。
そういう汚れは、どうしたらいいんだ…

北の国から/'95秘密

つきあっている彼女の過去に、わだかまりが捨てられず、どうしても許せない。
ふたりの関係が破綻しかかっている時に、消せない過去に苦しむ人の哀しみを知る事を促すのがこの台詞です。
許す…この事の困難さと、その尊さを思います。
生きていれば誰にでも、忘れたいのに忘れられない過去があり、消せない過去があり、それでも人は生きてゆく。
笑顔の裏に、表情を失ったその顔の裏に、程度の差こそあれ、誰もが等しく持つこの想いを。
時に落とせない汚れに、自分を許せない、その苦しさに全てを終わりにしてしまいたくなる時があっても。

死んではいけない。

auのCMで使用している曲に、ビビッと反応しました。
しばらくぶりに聴いた「Sex Pistols」の「My Way」です。
初めて聴いたのはいつ頃だったか記憶がはっきりしませんが、往年の名曲をアレンジし、バンドの性格と相まってとっても痛快でした。
歌いだしのモノマネみたいなところから、

And may I say not in their way
Oh no, oh no, not me!
I did it my way

お前らのやり方とは違うと言わせてもらおう!!
違うぜ、そんなのは俺じゃない!
俺は俺のやり方で行くぜ!!

Sex Pistols / My Way
訳:ケンシロウ

権威に寄らず、反逆するところに痺れていました。

I've lived, a life that's full
And each, and every highway
And yet, much more than this
I did it my way

俺は全開で、俺の人生を生きたぜ
どこでも、どんな場所でも
もうこれ以上になく、十分に
俺は俺のやり方で

Sex Pistols / My Way
訳:ケンシロウ

Kirigamine020

こうして言える様に、自分の人生を、自分のやり方で進もうじゃありませんか。

死んではいけない。
明日、あなたに逢いたい人がいる。
明日、あなたと出逢う事で立ち直る人がいる。
明日、あなたの哀しみを理解してくれる人がいる。
明日、あなたと出逢う事を待っている人がいる。
明日、あなたを愛する人がいる。

Merry Christmashappy01

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2011年12月 8日 (木)

冬は春を待つ季節

本日も出張先におります。
今日は取引先との会食予定もなく、もうホテルにおります。
ホテルの周辺は不気味なぐらい静かです。
隣の部屋からも、人の気配が感じられません。
いつ雪が降っても不思議でない空ですが、風も吹いていません。
静かです。

少し仕事をするためにPCを起動させ、そういえばなんか音楽コピーしてあったかな…と探したところありました。
その中から「THE BEATLES」の「ABBEY ROAD」を選びました。

ビートルズ最後のアルバムです。
このアルバム中で私が好きな曲は「HERE COME THE SUN」「GOLDEN SLUMBERS」「OH! DARLING」です。
特に今日は「HERE COME THE SUN」でしょうか。
この楽曲の成り立ちはジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンとの有名な話があり、とても私の心に迫ります。

この曲は、アップルでの打ち合わせに疲れていたジョージが、そこを抜け出して親友のエリック・クラプトンの家へ遊びに出掛けた際、その年初めての春らしい日差しを感じていたら自然に歌詞とメロディラインが生まれ、そして仕上がった曲とされている。
内容は、長かった冬に別れを告げ、春が来たことを歓迎するというものだが、この内容が季節を大事にする日本で大いに受け、1970年に日本のみでシングル・カットされた(シングル「オー!ダーリン」のB面として発表)。
なおアメリカでは、リッチー・ヘブンスのカヴァー・ヴァージョンがシングル・リリースされ、ビルボード誌最高位16位を記録している。
また、1976年には、スティーヴ・ハーレーのカヴァー・ヴァージョンもシングル・リリースされ、全英最高位第10位を記録している。

wikipedia/HERE COME THE SUN


Little darling, I feel that ice is slowly melting
Little darling, it seems like years since it's been clear

Here comes the sun
Here comes the sun
And I say
It's all right

かわいいひと、感じるよ、氷がゆっくり溶けてゆく
かわいいひと、もう何年も晴れてなかったような気がする

太陽が顔を出す
太陽が顔を出す、だからぼくはいうのさ
もうだいじょうぶ

HERE COME THE SUN/THE BEATLES

少し贅沢な時間です。
あっ、仕事しなければ…。

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2011年12月 7日 (水)

このろくでもない、すばらしき世界

新製品が発表になったりすると、スーパーマーケットなどでよく、例えばビールとか試飲コーナーを設けたりして販売をします。
「○○が発売されました。どうぞお試しください」なんてやっていますのを見た事がありますよね。
あれって、結構孤独なんですよね。
ちょっと見ていても、声をかけているのに、そこに誰もいない様な顔をして通り過ぎたりします。
子供が風船欲しさに近づくだけでも結構歓迎だったりして。
試飲したり、試食したりすると買わなきゃいけない…なんて心理が働きますが、そんな事もないんですよね。
たくさんの人がいるのに、無視されると余計に孤独を感じたりします。

私は結構ひっかかります。
例えば新発売のビール。
「どうぞhappy01」なんて若いお姉さんにいい笑顔で進められたりすると「じゃ、いただくよ」なんて。
「あっ、美味しいね」なんて言って、
「じゃ、お母さんこれ買っていこう」なんて言って、
妻に「本当に飲むのね」とギロリと確認で念を押されます。
「嫌だなぁ、たまにはふたりで一杯と思っているからさ」
我が家の冷蔵庫にビールがあふれます。

「旦那さん、これ食べてみて」
別の日、なんだかやけに大きめの○○餃子とかいうものを勧められました。
「ん、美味しい。お母さん、これ今日の夕食にしよう」と言って、それを買ってもらいました。
「はい、1,200円です」
(何sign026個で1,200円sign03。1個200円じゃねぇか。でも、いるって言った以上、この程度で高いから、いらねぇとはいえねぇよ)
…と買って帰りました。
ところが、これが家族には大不評。
「お父さん、責任とって食べてね」とひとりで○○餃子と格闘する事となりました。

自分の仕事では、決してしない行わない失敗をします。
まあ、そんな事はともかく実演販売は結構孤独です。
スーパーで実演販売の経験はありませんが、似たような経験がありますし、現在でもしなければならない場面があります。

もうひとつ。
不動産販売の現場近くでよく見るもの。
現場近くの交差点等で現地までの案内看板を持って座っている姿を見ませんか。
ものすごい炎天下でも、雨が降っていても、誰かが目印にしているかもしれないけれど、本当に非生産的な気がします。
きっと、路上に看板を立ててはいけないなんて関係法令があったりするのだと思います。
私ならそれよりも販売に携わる事の方が役立つ思いがします。
あれは孤独と言うよりも、苦痛というか、苦行という気がします。

私はビジネスの世界でよく考える事があります。
例えば、明日の命を継げるかどうかわからない子猫にミルクをやる。
それは命を守るため、喫緊の取り組むべき問題です。
その時は、その子猫の境遇と孤独を共有します。
自分の姿を投影する事もあるでしょう。
でも、取り組む事は「どうしたら、こういう子猫を出さずに済むのか」という事です。

先日、引越しに際し」CATVの契約を継続する事にしていましたが、結果として引越し先が導入できない事が、移転工事の際に判明しました。
工事の最中にCATV会社の営業の部門の一番偉い人が来て、その説明が始まりました。
契約していたCSの専門チャンネルが見られなくなるのは残念でしたが、ネット等は契約をしていなかったので、まあ大きな問題ではないし、仕方ないよねってところでした。
お偉方はお詫び一辺倒でした。
その最中に移管の契約を担当した営業担当が家の前まで来ていると、工事担当の人が営業のお偉方に耳打ちしました。
「ここまで来させますか?」
工事担当の人が聴こえる小声で話しました。
「必要ない。待っていろと伝えておけ」とよく聴こえる小声で返答しました。
契約をした営業担当の人は怒られるだろうなぁ…と頭をよぎりました。
ずいぶん一生懸命、熱心な人でした。
でも、一度の失敗で、この失敗で、つまらない迷路に入り込まないようにと思いました。

格差社会。
嫌な響きの言葉ですね。
持っている人は持っていない人を見て、自分の恵まれた立場を確認する。
いじめは、いじめられている人の絶望する姿を見て、いじめる側は安心をする。
あいつはこんな奴。
彼はこれぐらいしか出来ない人。
彼女はダメな人。

近頃はラベルを貼るのが大流行。
ついでに順位付けするのも大流行です。
例えばタイヤ屋さんがつけた星の数が権威を持ってたり…。
自分が向上してゆく中で、今の位置づけを確認し、更なる向上を目指すなら良いですが、誰かを貶める事で、自分の位置づけを確認するのは、ちょっとさびしい事だと思います。
お札ではないのだから、貼り付けられたラベルに自ら縮こまって、閉じ込められる必要はない。
貼り付けられたラベルなんて、大きなお世話だと剥ぎ取って、捨ててしまえばいい。

均一化したものの中では、異質なものが恐怖であるし、常に排除したい対象となるのだ。
自ら進む道を信じ、胸を張って進もうじゃないか。
時として、ひとりになり、孤独にも苛まされる。
誤った道でなければ、やがて皆が理解する日がやってくる。
誤ったとわかったなら、修正すればいい。
心を殺して、異質なものとなる事を避け、均一化という誰かの型は窮屈だ。

俺はずっと考えてたんだ
俺たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか…
けどいくら考えてもちっとも答えなんか出やしねぇ
けど俺たちはいつも何かを考える
花や木や虫たちはそんなことを考えたりはしない
花はただそこに咲いてるだけだ
ただ無心に精一杯咲いて、いつかは何も言わずに枯れていく
俺はそんな花が大好きだ
永遠じゃないから、いとおしく思って大事に水をやる
俺たちも永遠じゃない
やがては誰もが死んじまう
ただ花と違うのは考えることだ
もっと沢山の栄養を吸収したい
もっと太陽の光を浴びたい
できれば一人で独占したい
嵐が来て他人が流されても、同情はするが助けることはない
俺たちは同情が好きだ
俺たちは他人の不幸が好きだ
俺たちはいつもいつも自分を他人と比べている
いつもいつも小さな不満がある
孤独で、自分の無力を嘆いている!
…もうそんな生き方は辞めよう
初めからやり直すんだ
ただ自分の足元と空を見つめるだけでいい
ただそこに咲いている花みたいに…
俺自身も比べられてきた
けど俺自身も友達のことを比べていたんだ
知らない間に…そいつに同情して
そいつを…友達なのに、デクを…
あいつは許してくれた
だから俺も初めからやり直すんだ
あんな事件を起こした俺でもやり直せる
俺の愛する人が教えてくれた
ただ精一杯そこに咲いていた彼女
人間の価値を測るメジャーは、どこにも…どこにもないってことさ
頭のデキや、体のデキで簡単に測ろうとする社会があるなら、その社会を拒絶しろ!
俺たちを比べるすべての奴らを黙らせろ!
お前ら自分が無力だとシラけるな!
矛盾を感じて、怒りを感じて、言葉に出してNOって言いたい時
俺は、俺のダチは、みんな一緒に付き合うぜ

未成年/野島 伸司(幻冬舎)

一昨日の帰り道。
電車のホーム、エレベターの出入り口があるところで電車を待っていました。
開いたエレベーターから、たくさんの人が降りてきました。
最初に降りてきた人が、キャスターバックを誘導ブロックの凹凸でタイヤをとられました。
その後ろから、車椅子の人がエレベーターを降りようとしていました。
しかし、出口は詰まって出れず、エレベーターのドアは閉まりかかりました。
私がキャスターバックの人を手助けしようと動き出そうとした瞬間、私よりエレベーターの近くにいた他の男性がアシストしました。
「ありがとうございます」とキャスターバックの女性が、その男性にお礼を言いました。

このろくでもない、すばらしき世界

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ただ精一杯そこに咲いていた

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2011年11月29日 (火)

暗黒の時にも深い絶望の中でも…

引越しは趣味なのか…。

引越しで全ての荷物を出した家に、オーナーと不動産会社との確認作業の為、翌日の昼間に行きました。
わずか2年半でしたが、何も無くなった部屋には一抹のさびしさを感じました。
とても広く感じ、カーテンもなく、さえぎるもの無い部屋に降り注ぐ陽の光は、とても明るくまぶしいものでした。

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その家を気に入って借りたのは、その家の構造がとても好きだったからです。
玄関から2階までが吹き抜けになっています。
玄関に立って上を見上げると、2階の3つの部屋をつなぐ廊下が見えます。
玄関の吹き抜けは天井までの大きな採光窓があるのです。
2階につづく、螺旋状になった階段の途中、ここにもある大きな天井までの採光窓の下の階段に座って、よく本を読みました。

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自分の部屋で少し大きな音で音楽をかけると、部屋からの音がこの吹き抜けで響いて、スタジオに併設したカフェで読書でもしている気分を味わう事が出来たのです。
定期借家の契約条件がなければ、なかなか借りられない物件です。

引越しの日、私は新しい方の家にいて、荷物や家具の配置を指図していました。
今度決めた家も、2階にリビングとキッチンがある素敵な家です。
今度も定期借家の物件ですけどね。
2階のリビングダイニングは壁4面の内、3面全てに大きな窓がある素敵な家です。
夏は少し暑そうですが、私はどうにも明るすぎるぐらいの家が好きみたいです。

二男は引越しする前の家から、荷物の搬出が全て終わり、妻と一緒に掃除をしていました。
すっかりあたりが暗くなった頃、掃除も終わって広くなった部屋を見回したそうです。
そして、おもむろに「ありがとうございました」と玄関に近いリビングの戸口に立って頭を下げたそうです。

翌日、引越し先で荷物を片付けている時、隣で二男が鼻歌を歌っているのが聴こえました。
マイケル・ジャクソンの「WILL YOU BE THERE」でした。
黙って耳を傾けました。
人の鼻歌に耳を傾けたのは初めてです。
何だかちょっと嬉しかったですね。

先日、取引先までタクシーで移動している時の事。
取引先の専務取締役のお子さんが一人きりで、ちょっと小高い丘の上に座っているのが見えました。
取引先からは少し離れた場所です。
彼は小学2年生です。

私はタクシーを止めてもらい、声をかけました。
彼はハッと私に気がつき、声に反応しました。
猛スピードで私のところにかけて来ました。
彼の事は生まれた時から知っており、彼は私のことをケンシロウと呼び捨てにします。

「これからお父さんの会社に行くけれど、一緒に乗ってゆくか?」と訊きました。
彼は黙って頷きました。
めずらしく私の手を握ってきたのです。
ふたりでタクシーに乗り込みました。
「ずいぶん遠出してたなぁ。どこへ行くつもりだったんだ?」
「…」
「さては、おまえ迷子になっていたな」
「違うよ」
彼がキッと私を睨みました。
でも、その目は涙でいっぱいです。
「当たりだな」
「違うよ」と涙声で言った後、大泣きでした。
そっと、彼の肩を抱き寄せました。

マイケル・ジャクソンの「WILL YOU BE THERE」大好きです。
マイケル・ジャクソンの歌の中では、歌詞が難解でない数少ない楽曲だと思うのです。
本当はわかりやすいが故に、もっと深い意味があるのかもしれませんが…。
私にはキリストにマイケル・ジャクソンが投げかけるような構成でありながら、多くの人に語りかけている気がします。

In Our Darkest Hour
In My Deepest Despair
Will You Still Care?
Will You Be There?
In My Trials
And My Tribulations
Through Our Doubts
And Frustrations
In My Violence
In My Turbulence
Through My Fear
And My Confessions
In My Anguish And My Pain
Through My Joy And My Sorrow
In The Promise Of Another Tomorrow
I'll Never Let You Part
For You're Always In My Heart

暗黒の時にも深い絶望の中でも
僕を気にかけてくれますか?
そばにいてくれますか?
試練の時も 苦難の時も
疑いの中でも 挫折の中でも
混乱の中でも 動乱の中でも
僕が恐れている時にも 告白している時にも
苦しみもがいている時にも
喜び時にも 悲しみの時にも
明日に期待をしている時にも
僕はあなたのもとを離れません
あなたはいつも僕の心の中にいるから

MICHAEL JACKSON / WILL YOU BE THERE
対訳:Kuri Takeuchi

ゴスペルの様な楽曲の進行も良いのですが、何よりその内容です。
アルバム「DANGEROUS」のバージョンはベートーヴェンの交響曲第9番第4楽章の神を讃える合唱部分の一部抜粋からスタートします。
およそ7分の楽曲ですが、その長さを感じさせません。
最後の語りかけというか、祈りというか、神様への語りかけにダメ押しされます。

私たちは時として、底知れぬ苦難の道に陥ります。
どこを見渡しても暗闇だったり…。
進む勇気も、退く勇気もなく、立ち止まってしまう時…。
誰かの言葉に傷つく時…。
誰かを傷つけた事への後悔に苛まされる時…。

これまでも多くの人に励まされ、勇気づけられました。
これからもきっとある事だと思います。
そして、自分が反対の立場になる事も。
そんな時、そっと肩を抱き寄せて微笑む事が出来る、強さとやさしさを持っていたいと思うのです。
暗黒の時にも深い絶望の中でも…。

あなたはいつも私の心の中にいるのだから…

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2011年11月24日 (木)

待雪草の花言葉に

今日は朝から長野県の諏訪市で打ち合わせがあり、早くに出かけました。
家を出る頃は東京もすっかり冬の装いで、前日の夜半の雨がなお更に季節の匂いを強めていました。
諏訪市内で車のフロントガラスに、ポツポツと。
雨かな?と思ったら、雪でした。
私には、この冬の初雪です。

スノードロップという花をご存知ですか。
別名「マツユキソウ(待雪草)」とも呼ばれています。
花を咲かせるのは冬本番の2月から3月です。
とても小さく、可憐で、儚いイメージの花です。

この花にまつわる伝説があります。
エデンの園を追われたアダムとイブに天使が「必ず、暖かい春がやってくるよ」と降っていた雪をスノードロップに変えたというお話。
スノードロップはとても小さく可憐な花ですが、雪の中でも新しい芽を出す強さも持っています。
待雪草という名前でありながら、本当は雪の中から春を告げる花です。

「夜回り先生」の異名を持つ、水谷修先生が、その著作や講演で引用されるイギリスの詩人シェリーの『西風に寄せる歌』の一節。
…冬来たりなば春遠からじ…
なんとなく待雪草の特徴に似ていると思いませんか。

どうしようもなく辛い事が続く日があります。
そんな時、待雪草が持つ強さと、小さく可憐な花が癒すやさしさを併せ持つ事ができたら。

強くなければ、やさしくはなれないし、やさしくなければ、強くはなれない。

誰かにそんな力を与えてもらったり…
誰かにそんな力を分けることが出来たら…

待雪草の花言葉は「希望」なんです。

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